作品タイトル不明
第10話 悪女が一人なら吊るされる
悪女を集める茶会、というものを、貴族社会は正式には認めていない。
少なくとも、招待状にそう書くわけにはいかなかった。
コンスタンツェは机の上で、三枚の招待状を眺めていた。
エリーザベト・フォン・ヴァルテンブルク。
ヴィルヘルミーネ・フォン・ゼッケンドルフ。
リーネ・フォン・アーレンス。
いずれも、今の社交界で微妙な立場にいる女たちである。
毒婦。
男を破滅させる未亡人。
王太子の庇護を受ける白い令嬢。
そして、高慢な公爵令嬢。
並べると、なかなか縁起が悪い。
だが、縁起のよい場所に一人で立っていても、毒杯は出てくる。コンスタンツェはそれをよく知っていた。
「お嬢様」
イーダが控えめに声をかける。
「この茶会の名目は、どのようにいたしましょう」
「安全対策ですわ」
「そのままでは、かなり不審でございます」
「では、春の親睦茶会」
「それが無難かと」
「でも、実態は悪女同盟ですわ」
「その実態は、どうか胸の内におしまいください」
コンスタンツェは不満だった。
名称というものは大切である。
名をつければ、人はそこに意味を見つける。
悪女同盟。
響きは物騒だが、悪くない。
少なくとも、毒杯待機組よりはずっとましである。
「イーダ」
「はい」
「悪女同盟という名は、そんなに悪いかしら」
「悪女が集まっております、と自ら社交界に触れ回ることになります」
「事実では?」
「事実であることと、広報に適していることは別でございます」
近頃のイーダは、よく正論を言う。
使用人に炭と蜂蜜菓子を与えると、こういう副作用があるらしい。覚えておくべきだった。
コンスタンツェは命乞い帳を開いた。
六十一、茶会名は無難にする。悪女同盟は内称。
六十二、イーダは正論を言う頻度が増えた。待遇改善の副作用か。
六十三、ただし有用。
最後の項目を書いたところで、イーダが微妙な顔をした。
「お嬢様。わたくしの項目が増えておりませんか」
「気のせいですわ」
「有用と見えました」
「褒めていますのよ」
「ありがとうございます。できれば帳面ではなく、給金に反映していただければ」
たいへん実務的な侍女である。
コンスタンツェは、命乞い帳に小さく書き足した。
六十四、イーダ、給金交渉を覚える。危険。
茶会は、ルーデンドルフ公爵邸の小温室で開くことにした。
大広間では目立ちすぎる。
応接室では堅苦しい。
庭園は噴水が近くて論外。
小温室なら、水音がない。
薬草ではなく薔薇と柑橘を置かせた。
エリーザベトが来るのに薬草を避けるのは、少し失礼かもしれない。
だが、茶会で毒草の名を聞くと食欲が落ちるので仕方ない。
最初に来たのは、ヴィルヘルミーネだった。
黒いドレスに、真珠の耳飾り。
未亡人らしい慎ましさと、未亡人らしくない余裕を同時にまとっている。
「まあ、可愛らしい温室ね」
「毒草はありませんわ」
「それを最初に言う茶会は珍しいわ」
「安心材料ですの」
「あなたの場合、安心材料というより自己暗示ね」
次に、エリーザベトが来た。
深緑のドレス。飾り気のない髪。顔色はいつも通り白く、目だけが冷静だった。
彼女は温室を一目見て、少し眉を動かした。
「薬草がありませんね」
「今日は平和な茶会ですもの」
「薬草は平和を乱すものではありません」
「種類によりますわ」
「それは否定しません」
最後にリーネが来た。
彼女は馬車から降りる時から緊張していた。
薄い菫色のドレスを着ている。
白よりは少し強く見えるが、それでもまだ儚い。
玄関でコンスタンツェに頭を下げる姿は、誰かに許しを乞う小鳥のようだった。
「お招きいただき、ありがとうございます」
「招いたのはわたくしですけれど、来たのはあなたですわ。まずそこを覚えておきなさい」
「はい?」
「自分で来た、と言いなさい。誰かに連れてこられたのではなく」
リーネは目を瞬かせた。
ヴィルヘルミーネが扇の陰で笑う。
「厳しい先生ね」
「甘くした結果、この子が誰かの飾りになる方が困りますわ」
「わたしが、飾り」
リーネは小さく呟いた。
その声は、消える寸前の火のようだったが、以前より少しだけ芯があった。
四人が席につくと、イーダが茶を運ばせた。
白磁の茶器。銀の匙はなし。蜂蜜は小さな壺に入れてある。菓子は蜂蜜菓子と、柑橘の皮を練り込んだ焼き菓子。
いずれも軽い。重いものはよくない。重いものは沈む。
ヴィルヘルミーネが茶を一口飲んだ。
「それで、コンスタンツェ様。今日は何の集まり?」
「春の親睦茶会ですわ」
「表向きは?」
「……春の親睦茶会ですわ」
「裏向きは?」
コンスタンツェは茶杯を置いた。
ここで言い淀むと、負けた気がする。何に負けるのかは分からないが、たぶん人生に。
「悪女同盟ですわ」
リーネが茶をむせた。
エリーザベトは無言で茶杯を置いた。
ヴィルヘルミーネだけが、たいへん楽しそうに微笑んだ。
「いい名ね」
「よくありません」
エリーザベトが即座に言った。
「まず、同盟の構成員が悪女であることを自認する形になります。社交的に不利です」
「毒婦と呼ばれている方に言われると、説得力がありますわね」
「だからこそ言っています」
リーネは不安げに三人を見た。
「あの、わたしも悪女なのでしょうか」
「あなたは違いますわ」
コンスタンツェは即答した。
リーネの顔が少しだけ和らぐ。
「では、なぜ」
「悪女の席に座らされる可能性があるからです」
また顔がこわばった。
コンスタンツェは菓子を一つ取った。蜂蜜の甘さが指先に少しつく。
「よろしい? 悪女というものは、自分で名乗るより、他人に着せられる場合の方がずっと厄介ですわ。エリーザベト様は毒を盛っていないのに毒婦と呼ばれる。ヴィルヘルミーネ様は夫の借金を整理しただけで、男を破滅させる女と呼ばれる。わたくしは性格は悪いですけれど、全部の罪を背負うほど親切ではありません」
「最後の一文があなたらしいわ」
ヴィルヘルミーネが言った。
「褒め言葉として受け取ります」
「半分くらいは」
エリーザベトがリーネを見た。
「アーレンス様の場合は、悪女というより、聖女や被害者にされる危険の方が高いでしょう」
「聖女、ですか」
「清らかで、弱く、誰かに守られる女。便利な役です。本人の意思は問われません」
リーネの指が膝の上で動いた。
コンスタンツェはそれを見て、あえて注意しなかった。
「殿下は、あなたに何かおっしゃっている?」
ヴィルヘルミーネが柔らかく聞いた。
リーネは迷った後、少しずつ答えた。
「困ったことがあれば、必ず殿下に言うようにと」
「親切ですわね」
コンスタンツェは言った。
「そして危険ですわ」
リーネが顔を上げる。
「危険、なのですか」
「ええ。あなたが何を困ったと感じるかを、殿下に預けることになりますもの。あなた自身の言葉が、殿下の正義の材料になる」
「殿下は、そのようなおつもりでは」
「つもりがないから、余計に危ないのです」
温室に、わずかな沈黙が落ちた。
柑橘の葉に春の光が当たり、薄く透けている。
外では庭師が土を踏む音がした。
穏やかな午後だった。
だが、この卓の上には、毒草より苦い話が並んでいる。
エリーザベトが小さな紙片を出した。
「先日の件ですが」
コンスタンツェの背がわずかに固くなった。
「眠り草の流通を調べました。ヴァルテンブルク家の薬草園から出たように見せかけた荷が、少なくとも二つあります」
「行き先は?」
「一つは王宮近くの薬師。もう一つは、ハルトヴィヒ家と取引のある馬車業者の倉庫です」
ヴィルヘルミーネが扇を閉じた。
「馬車業者なら、わたくしの方でも聞いた名があるわ。ハルトヴィヒ家の行事費から、妙に早く現金が流れている先」
「食料と薬草と馬車業者」
コンスタンツェは呟いた。
一度目の夜。
豚小屋の裏。
泥と涙で視界が滲む中、彼女は何かを見た。暗い荷車。紋章のようなもの。馬の息。男の低い声。
あれは、ただの逃亡の混乱ではなかったのかもしれない。
彼女は茶杯を握った。
白磁は冷たくない。だが、指先が冷える。
「ルーデンドルフ様」
リーネが心配そうに見ていた。
「お顔が」
「生まれつきですわ」
「いえ、そうではなく」
「少し寒いだけです」
コンスタンツェは茶を飲んだ。蜂蜜を入れすぎたせいで甘い。だが、甘さは時に薬である。
「今日、あなた方を呼んだ理由は一つですわ」
彼女は、三人を見た。
「わたくしは死にたくありません」
ヴィルヘルミーネが笑いかけて、やめた。
エリーザベトは黙っていた。
リーネは、息をひそめている。
「とても死にたくありません。毒杯も嫌ですし、豚小屋も嫌ですし、堀も嫌です」
「豚小屋と堀は、何の話ですか」
エリーザベトが冷静に聞いた。
「比喩ですわ」
「最近、比喩の種類が偏っていますね」
「趣味ではありません」
コンスタンツェは扇を閉じた。
「わたくしが一人なら、きっとまた誰かの都合のよい悪女にされます。あなた方も同じです。毒婦、未亡人、守られるべき少女。役を与えられた女は、自分の足で舞台から降りられません」
「それで、同盟?」
ヴィルヘルミーネが聞いた。
「ええ」
「目的は?」
「まず、生存」
「あなたらしいわ」
「次に、情報交換。薬草、金、王太子殿下の動き、ハルトヴィヒ家の動き、社交界の噂。全部を一人で抱えると沈みます」
「宝石箱のように?」
「その話はおやめなさい」
リーネがおずおずと手を上げた。
「あの、わたしに何ができるでしょうか」
コンスタンツェは、少し言葉を選んだ。
この娘に、王太子を裏切れとは言えない。
それはまだ早い。
彼女の中にある感謝と恐怖を、乱暴に切れば、傷だけが残る。
「まず、殿下の言葉をそのまま信じる前に、一度紙に書きなさい」
「紙に?」
「ええ。紙に書くと、言葉は少し冷えます。冷えた言葉は、熱に浮かされた時より見やすいですわ」
リーネは小さく頷いた。
「やってみます」
「それから、困ったことを殿下に言う前に、自分が本当に困っているのか、殿下が困るべきだと思っているのか、分けなさい」
リーネの目が、少し揺れた。
「難しいです」
「でしょうね。わたくしも、死ぬほど難しいことをしています」
「死ぬほど」
「比喩です」
エリーザベトが小さく息を吐いた。
信じていない顔である。
ヴィルヘルミーネは楽しげに茶を飲んだ。
「いいわ。乗ります」
「軽いですわね」
「重い宝石箱は沈むのでしょう?」
「本当にその話はおやめなさい」
「わたくしは金の流れを見る。エリーザベト様は薬草。リーネ様は王太子殿下の言葉。コンスタンツェ様は?」
「わたくしは」
コンスタンツェは少し考えた。
自分に何ができるのか。
命乞い。逃亡計画。水辺回避。豚小屋への敵意。宝石箱の重量計算。
ろくなものがない。
「死なない努力をします」
「それは全員の前提です」
エリーザベトに斬られた。
コンスタンツェはむっとした。
「では、王太子殿下とマグヌス卿の動きを見ます。わたくしは、まだ王太子殿下の婚約者ですもの」
言ってから、胸の奥が少し冷えた。
まだ。
そう、まだ婚約者なのだ。
一度目で自分を断罪した男の。
リーネがそっと言った。
「怖いのですか」
コンスタンツェは反射的に否定しようとした。
だが、できなかった。
「怖いですわ」
声は思ったより平らだった。
「殿下が?」
「殿下そのものというより、殿下が信じる正義が」
リーネは目を伏せた。
その顔に、初めてはっきりした影が落ちる。
彼女も、おそらく知っている。
優しい手が、時々逃げ場を塞ぐことを。
コンスタンツェは立ち上がり、蜂蜜菓子の皿を中央へ寄せた。
「では、決まりですわ」
「本当に悪女同盟という名にするのですか」
エリーザベトが眉を寄せる。
「内称ですわ。外では春の親睦茶会」
「春が気の毒ね」
ヴィルヘルミーネが言った。
リーネは、少しだけ笑った。
その笑いは小さかった。
けれど、王太子の傍で見せる白い微笑みとは違っていた。
コンスタンツェはその顔を見て、なぜか少し息をつきたくなった。
この茶会が何になるのか、まだ分からない。
味方と言うには危うい。友情と言うには生臭い。善意と言うには動機が汚すぎる。
それでも、一人で毒杯の前に座るよりはましだった。
茶会が終わったあと、コンスタンツェは命乞い帳を開いた。
六十五、悪女同盟、仮成立。
六十六、エリーザベトは薬草。ヴィルヘルミーネは金。リーネは王太子殿下の言葉。
六十七、わたくしは死なない努力。少し弱い。要改善。
六十八、悪女が一人なら吊るされる。四人なら、少なくとも茶は飲める。
そこまで書いて、彼女は少し考えた。
そして最後に、一行を足した。
六十九、一人ではない、という状態は意外と軽い。
書いてから、すぐに顔をしかめた。
甘すぎる。
命乞い帳に書くには、少し感傷的すぎる。
だが消さなかった。
紙面が汚れるから、ということにしておいた。