軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

あなたが選ぶなら、私は待ちます

レオンハルト殿下との面会を終えた翌日、私は半日だけ休みを取った。

自分から休みたいと言ったのは、いつ以来だろう。

少なくとも、王太子妃候補だった頃にはほとんど記憶がない。

あの頃の私は、休むことを怠慢だと思っていた。 求められた役目を果たせない自分には価値がないと、どこかで思っていたのかもしれない。

だが今、私は自室の窓辺で温かいお茶を飲んでいる。

机の上には、王宮法務局の書類はない。 代わりに、母が用意してくれた焼き菓子と、読みかけの詩集が置かれていた。

静かだった。

あまりに静かで、少し落ち着かないほどに。

「お嬢様」

侍女のマリアが、控えめに声をかけた。

「王宮より、お手紙が届いております」

「王宮から?」

「はい。ユリウス王太子殿下より」

私はカップを置いた。

マリアは、少しだけ楽しそうに封書を差し出す。

「何か嬉しそうですね」

「いえ、決して」

「顔に出ています」

「お嬢様ほどではございません」

私は思わず口を閉じた。

マリアは涼しい顔で一礼し、部屋を出ていく。

残された私は、しばらく封書を見つめていた。

王太子ユリウス殿下からの手紙。

同じ王族からの手紙でも、レオンハルト殿下のものとは違う。

胸が痛むというより、少しだけ緊張する。

私は封を開いた。

エリス嬢へ

昨日は、お疲れさまでした。

面会後、きちんと休まれているでしょうか。

法務局の書類は逃げません。

逃げないからこそ、今日は追いかけなくて大丈夫です。

明日、もし体調が許すようでしたら、王宮庭園で少し話をしませんか。

仕事の話ではありません。

ただ、あなたがこれから何を望むのか。

私自身が何を望んでいるのか。

互いに、急がず話せればと思っています。

もちろん、断ってくださって構いません。

あなたが選ぶなら、私は待ちます。

ユリウス

私は手紙を読み終え、しばらく動けなかった。

あなたが選ぶなら、私は待ちます。

その一文が、胸の奥に静かに落ちた。

待たされることには慣れている。 待つことにも慣れている。

けれど、待ってもらうことには慣れていなかった。

しかも、それは責めるような待ち方ではない。 急かすための猶予でもない。

私が選ぶことを、尊重するための待つ、だった。

私は手紙をもう一度読み返した。

法務局の書類は逃げません。 逃げないからこそ、今日は追いかけなくて大丈夫です。

少し笑ってしまった。

殿下らしい。

真面目で、少し不器用で、けれど優しい。

翌日、私は王宮庭園へ向かった。

仕事用の濃紺のドレスではなく、淡い灰青色の外出着を選んだ。 華やかすぎず、地味すぎず。 王宮法務局特別補佐官としてではなく、エリス・フォン・アシュベルトとして会いに行くのに、ちょうどよいと思った。

庭園には、春の花が咲いていた。

白い小花。 淡い黄色の薔薇。 水路のそばに揺れる若葉。

王宮の庭園は何度も歩いたことがある。 だが、以前はいつも役目の一部だった。

王太子の婚約者として。 王妃教育の一環として。 外国使節を案内するために。

今日のように、ただ誰かと話すために歩くのは、初めてかもしれない。

「エリス嬢」

噴水のそばで、ユリウス殿下が待っていた。

護衛は遠くに控えている。 完全な二人きりではない。 けれど、必要以上に誰かが近くにいるわけでもない。

その距離感が、やはり殿下らしかった。

「お待たせしました」

「いいえ。来てくださってありがとうございます」

「手紙をいただきましたので」

「返事がなかったので、少し不安でした」

「断るなら返事をしました」

「なるほど」

ユリウス殿下は少しだけ笑った。

「では、来てくださる可能性に賭けて正解でした」

「賭け事をなさるのですか」

「苦手です」

「でしょうね」

「顔に出ますか」

「はい」

そんな会話をしながら、私たちは庭園の小道を歩いた。

不思議だった。

王太子殿下と歩いているのに、緊張はあるが、息苦しさはない。

沈黙が怖くない。

何かを失敗しないように、言葉を探し続ける必要もない。

しばらく歩いた後、ユリウス殿下が口を開いた。

「昨日の面会の後、考えていました」

「何をでしょう」

「私は、あなたに待つと言いました」

「はい」

「ですが、ただ待っているだけでは、あなたに判断材料を渡せないとも思いました」

私は足を止めた。

ユリウス殿下も同じように止まる。

「エリス嬢」

「はい」

「私は、あなたを尊敬しています」

まっすぐな言葉だった。

「王太子の元婚約者だからではありません。公爵令嬢だからでもありません。あなたが、傷ついても事実を見つめ、人を守るために記録を使う方だからです」

私は、何も言えなかった。

「そして、私はあなたを大切に思っています」

春の風が、庭園を抜けた。

花の香りがする。

ユリウス殿下の声は、静かだった。

「今すぐ答えを求めるつもりはありません。あなたが過去に区切りをつけたばかりであることも分かっています」

「殿下……」

「それでも、曖昧にしたくありません」

彼は、私を見つめた。

「私は、いつかあなたが望むなら、私の隣に立ってほしいと思っています。王太子妃としてだけではなく、私が信頼し、尊敬し、大切に思う人として」

胸の奥が熱くなった。

言葉が出てこない。

私はこれまで、必要とされることを恐れていた。 必要とされれば、また便利に使われるのではないかと思っていた。

けれど、今の言葉は違う。

役目だけではない。 家格だけでもない。 私という人間を見ている。

そう感じた。

「私は……」

声が少し震えた。

「怖いです」

「はい」

「また、誰かの隣に立つことが」

「はい」

「王太子妃という言葉も、まだ少し怖いです」

「当然です」

当然。

その一言に、涙が出そうになった。

怖がることを否定されない。

それが、こんなにも救いになるとは思わなかった。

「ですが」

私は息を吸った。

「殿下と話していると、怖いだけではないのです」

ユリウス殿下の瞳が、わずかに揺れる。

「殿下の隣なら、私は私のままでいられるのではないかと、思ってしまいます」

「思ってしまう、ですか」

「まだ、断言するには怖いので」

「では、そのくらいで十分です」

ユリウス殿下は、柔らかく微笑んだ。

「私は待ちます」

「いつまでですか」

「あなたが選ぶまで」

「長くなるかもしれません」

「構いません」

「その間に、別の王太子妃候補の話が進むかもしれません」

「進ませません」

即答だった。

私は瞬いた。

「政治的に、それは」

「必要な縁談は検討します。ですが、私の意思を無視して進められるものは止めます」

「殿下は、意外と頑固ですね」

「よく言われます」

「どなたに?」

「法務卿に」

思わず笑ってしまった。

ユリウス殿下も、少しだけ笑った。

その笑みを見て、私は思った。

この人の隣でなら、私は笑える。

役目としてではなく。

自分の意思で。

「ユリウス殿下」

「はい」

「私は、まだ答えを出せません」

「はい」

「ですが、答えを出すことから逃げません」

私は、まっすぐ彼を見た。

「殿下の隣に立つかどうか。王太子妃という道を選ぶかどうか。私自身の意思で、必ず答えを出します」

ユリウス殿下は、深く頷いた。

「待っています」

その言葉は、優しかった。

そして、私を縛らなかった。

庭園の鐘が、遠くで鳴る。

かつて、神殿の鐘は終わりを告げた。

今聞こえる鐘は、まだ答えではない。

けれど、未来へ向かうための音に聞こえた。