軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第八十五話 97%の澄み渡った心で

「時に、ミーア姫……。過日のレムノ王国でのこと、すまなかった。貴女にもずいぶんと迷惑をかけたと聞いている」

そうして、エイブラムは頭を下げる。対して、ミーアは静かに首を振った。

「頭をお上げください。エイブラム陛下。謝罪には及びませんわ。すでにレムノ王国との間で、その件については決着しているはず。それに、シオンからも謝罪を受けておりますわ。済んだ話を蒸し返しても詮無きことですわ」

「だが……」

「わたくし自身は特に迷惑もこうむっておりませんし、あの時にはずいぶんとシオン王子に助けていただきましたわ。謝罪は不要ですわ」

その潔い態度に、エイブラムは、感心した様子でため息を吐いた。

「なるほど、シオンに聞いていた通り、姫は器が大きいのだな」

などと、王妃ともども驚いた様子であったのだが……、無論、そんなはずはない。

器を云々するのであれば、器が広いのではなく、器が空っぽなのだ。つまり……空腹だから、食事が気になっているだけである。

そう、今のミーアはサンクランドの贖罪になど興味はない。サンクランド食材(主にキノコ)に興味があるのだ!

「では、難しい話はここまでとしよう。突然のことだったので、大したものは用意できなかったが、楽しんでいってもらいたい」

エイブラム王のそんな言葉で、晩餐会は始まった。けれど、始まって早々に、ミーアは、その言葉がただの謙遜であることを知った。

「素晴らしいお料理ですわ」

並べられていく料理に、思わず感嘆がこぼれるミーアである。

それは、白月宮殿で供される料理に勝るとも劣らない、絢爛豪華な料理だった。

きれいな焼き目のついた香ばしいサンクランドパン。時間がたつと固くなってしまうこのパンだが、焼き立てはパリパリで、ほのかに甘いことをミーアは知っている。

さらに、ミーアにとってのクライマックスは、早くも前菜の時に訪れた。なぜなら、

「前菜は、陽光トマトのゼリー寄せと、ソレイユキノコの塩焼きです」

説明の後、自らの前に置かれたお皿。上に載っていたのは、赤く熟したトマトを細かく切り、透明のゼリーに混ぜ込んだ、まるで宝石のように美しいゼリー寄せと、それにも増して美しく輝いて見える、ソレイユキノコだった。

ちょうど、ミーアの手のひらほどのサイズのキノコをスライスし、塩を振って焼いただけのもの……。ミーアはその調理法を、作り手の挑戦状と受け取る。

――下手な小細工はなし。最小限の調理で、素材の味を生かし切ろうというコンセプトですわね。

ミーアの瞳が光を帯びる。

まず、ワイングラスを手に取り、中に入っている水で口の中を湿らせて下準備。それから、おもむろにフォークを握ると、優雅な動作でソレイユキノコに突き刺した。

――素人さんは、このキノコを二つに切って口に入れるところですけれど、わたくしのようなベテランともなれば、食べ方は理解しておりますわ。

一口で食べるには若干大きく見えるサイズのキノコである。が……、ミーアの中に確信と信頼とがあった。

――ただ、キノコを焼くだけで勝負してくる、そのような料理人がサイズのことを考えていないはずがありませんわ。

つまり、ミーアは判断したのだ。

そのキノコが、自分の口に合った大きさに切られているということ。そして、一口で食べた時に、最も美味しく食べられるよう計算されているということを。

満を持してミーアはキノコを口に入れ……、感動に、目尻がかぁっと熱くなる。

かすかに感じる塩味、感じるか感じないか、極めて微妙な塩加減により、引き立つのは、キノコ本来の豊かな味だった。それはとても淡白で繊細な……、大地の恵みの味。

奥歯に噛み締めた時、ふんわりと歯を受け止める弾力、半ばまで歯を進めると、コリリッとなんとも心地よい音が鳴る。決して硬すぎず、柔らかすぎず、絶妙の弾力を保っているキノコ、その焼き加減にミーアは感動する。

ふわりと芳しい香りが鼻をくすぐり、舌の上には、ほのかな甘みを残して……その余韻がゆっくりと消えていく。消えていく。

目の前に、このキノコが育ってきた森の光景すら思い浮かべながら、ミーアは言った。

「素晴らしい……。素晴らしい仕事ですわ……」

キノコソムリエ・ミーアは、シェフへの称賛を惜しまないのだ。

ミーアの満足そうな顔を見て、エイブラム王が笑みを浮かべた。

「姫は食に対して、並々ならぬ関心があると聞いていたが、どうやら噂通りのようだな」

「うふふ、それほどでもございませんけれど、でも、食べるのは大好きですわ」

「やはりそうなのか。先ごろもペルージャンまで足を延ばしたと聞くが……」

「ええ。その通りですわ。飢饉の時のために、食糧の輸入先とは、しっかりと信頼関係を構築しておかなければならないと思いまして」

エイブラムの瞳が、わずかばかり鋭さを帯びる。

「以前にもシオンに聞いたのだが、ミーア姫は今日の食糧不足を予知していたとか。さらに、この不作が数年にわたって続き、大規模な飢饉が起きると主張しているとか。それは、まことの話かな?」

「さて、先のことはどうなるものか、わかるはずもありませんわ。ですから、まことかどうかと問われても答えられませんけれど……。ただ、帝国では飢饉のための備えをしている。民を飢えさせることのないような体制を整えている、とだけお伝えしておきますわ」

「そうか……。実は、我が家臣の中には、貴国が領土の拡張を狙い、戦争をするために糧食をため込んでいるのではないか、と考える者もいてな」

「父上、そのようなことを申す者がいるのですか?」

シオンが怒りと困惑を隠しきれない様子で言った。対して、エイブラムは落ち着いた声で答える。

「常識的に考えれば、過去に一度も経験のない大飢饉が起こるというよりは、軍事行動の一環と考えるほうが理にかなっているだろう」

そうして、自分のほうに視線を向けてくるエイブラムに、ミーアは、

「あら、それはまた、ずいぶんとのんきな発想ですわ」

思わず、つぶやいた。

「ほう、のんき、と……そのように感じるか……」

意外そうな顔をするエイブラムであったが、あの地獄のような飢饉を知っているミーアからすると、その考え方はのんきという以外にないものだった。

あの時を知る者として、ミーアは断言する。

「のんきですわ。戦争などと……。平時であればいざ知らず、飢饉の時にそのような愚かなことに力を費やしている場合ではございませんわ」

ミーアに言わせれば、戦争などやっている暇はないのだ。

食料を奪うための戦を主張する者もいるかもしれないが、相手がただで食糧や領地を譲ってくれるわけもなし。戦争になれば、田畑は焼かれ、働き手は命を落とし、次の年の食糧事情はもっと悪くなるのだ。

――圧倒的な戦力をもって、自棄になった相手が自分たちの田畑に火を放つ前に勝負をつけられるというのでしたら、それも良いのかもしれませんけれど……。

ディオン・アライアを百人ぐらい集められれば、それも可能かもしれない、などと想像するミーアだが……。

――一人でも厄介なあの方が百人なんて、わたくしのほうが先に参ってしまいますわ。

結局のところ、戦争は飢饉への対策にはなりえないというのがミーアの出した結論だ。仮に一時しのぎになったとして、そんなものが長続きするはずもなし。

であれば、それを選ぶわけにはいかない。

「食糧に余裕があって、働き手に余裕があるのであれば、覇を唱えるのも良いでしょう。けれど、これから来る飢饉を前にしてはそのような余裕はない。戦により、土地を汚し、民の数を減らしている場合ではございませんわ」

それだけ言ってから、ふと、思いついたことがあって、ミーアは口を開いた。

「ああ、でも、それを口実にすることには意味があるやもしれませんわね」

「口実……というと?」

「言葉通りの意味ですわ、エイブラム陛下。帝国が侵略戦争を企んでいるかもしれないということを、大義名分にしてでも、食糧の備蓄を増やしておくことを進言いたしますわ」

「なるほど。ミーア姫は、それほどまでに、飢饉が起こることに確信を持っているというわけか」

エイブラムは納得した様子で頷いてから、

「だが、そうであれば、飢饉に際して今は多忙なはず。そのような時に、このサンクランドにお越しいただいたのには、なにか理由がおありかな?」

「ええ、それはもちろん……」

思いもよらずやってきたチャンスに、ミーアは一瞬考える。

エシャール王子はどのような人物か、シオン暗殺の裏に、どのような事情があったのか、探るためには、今は絶好の機会だ。

さすがに、事情をそのまま伝えることはできないが、幸い、今のミーアには大義名分がある。ミーアはシレっとした顔で、

「我が友、エメラルダの縁談の相手が気になったからですわ」

一切の罪悪感のない、澄み切った心で言った。

なにしろ、ミーアの言葉は嘘ではないのだ。全部が本当ではないというだけで。

少なくとも何割か……おおよそ二割ほどは、本気でエメラルダのことを心配しているのだから。

それゆえ、今のミーアの心はかつてないほどに澄み渡り、少なくとも海に浮かぶ海月ほどには透明なのだ。