作品タイトル不明
第二百十七話
「大神殿の神官が?」
なぜ聖木の買い手がアグリクルトの大神殿だと知っているのかと目を瞬かせながら聞き返せば、ブリオ殿下は躊躇いなく首を縦に振った。
「ああ。留学中に親しくなった方がいてな。帰国するというので見送りに行った際に彼らの荷の中にあった。いい香りだったので少し譲ってもらえないか頼んだのだが『神々に捧げる品だから』と言って断られたよ。魔力に疎い私にはわからなかったが『これほど美しく清らかな魔力を蓄えた木は珍しい』のだと神官達が熱弁していたからよく覚えている」
「私もしかと記憶しております。今から一月ほどの前のことです」
「よほど素晴らしい品だったようで、神官達は大層興奮した様子で『神の御導だ』と仰っていました」
思い出すように語った殿下に同意を示す侯爵子息や護衛達の姿を見るかぎり、どうやら事実らしい。
――神官達が興奮するほどの代物ならば、ブリオ殿下が見た木材は間違いなく聖木だろう。
そう考えながらリエスへ目を向ければ、彼女は同意見だと肯定するように頷いた。
心なしかリエスの顏から先ほどまでの鋭さが薄れているのを見るに、持ち去られた聖木が神々への供物として扱われていることに安堵したのだろう。
そして、それは俺も同じだ。
大神殿に行けば少なくとも聖木を売った相手がわかるし、運が良ければシャルツ商会へ踏み込む理由を得ることができるかもしれない。加えて、ピネス殿が追っていたというこの薬に聖木が使われていることが証明されれば、もう言い逃れはできないはずだ。
――となると、この薬を分けてもらっておかねば。
リエスの暴挙によって僅かに中身が減ってしまった薬瓶を手にブリオ殿下を見やれば、口にせずともわかっていると言いたげな表情でため息を一つ。
「持っていけ。その辺の傭兵に声をかければすぐに手に入る」
「ありがとうございます」
気前のいい言葉にありがたく甘えることにして礼を述べる。ブリオ殿下に借りを作るのは微妙な心持だが、すでにたくさんの情報をもらっているので今更だ。
マジェスタに戻ったら、グレイ様達に『大変世話になった』と伝えておこう……。
親しくしていたピネス殿の無事がかかっているとはいえ、やけに協力的なブリオ殿下にそう心に決める。無論、その程度でこの度の情報に釣り合うとは思わないので、いつかきちんと恩返しする所存である。しかし、とりあえず今は。
「ブリオ殿下と出会えたことを心から感謝します」
ようやく見えた光明に期待を抱きながらそう告げれば、ブリオ殿下は悔しいような、苦しいような、なんとも言えない顔で俺を見ていた。しかしそれは一瞬のことで、目が合ったと感じる頃には先ほど見た表情は見間違いだったのかと思うような態度で問いかける。
「大神殿に向かうのか?」
「……ええ。シャルツ商会を調べるよい口実になるでしょうから」
「今すぐか?」
「無論」
「わかった。ならば、親しくしていた神官達へ一筆書いてやるから少し待て。持っていけば快く協力してくれるはずだ」
垣間見たブリオ殿下の表情を怪訝に思いつつも質問に答えれば、思わぬ提案を受け困惑する。ピネス殿のために協力してくれるのは誠にありがたいが、敵視しされていた過去を思えば少し怖いくらいの大盤振る舞いである。
俺が身分を隠して行動していると察しての気遣いなのだろうが……。
無礼を承知で親切すぎて若干気味が悪いなどと考えながら、侯爵子息や部下達に紙や羽ペン、机代わりの板などを用意させているブリオ殿下の姿を眺めていると、視線を感じたのかおもむろに振り返る。そして俺をその目で捉えると、困ったように苦笑した。
「そのような顔をするな。別になにも企んではいない」
「…………申し訳ございません。これまでの苦悩が嘘のように、あまりにも都合よく事が進んだもので少々不安に」
内心を見透かしたその言葉に誤魔化そうかと思ったが、それはさすがにここまで良くしてくれているブリオ殿下に対し失礼極まりないと考え直し素直に謝る。すると、紙の上で羽ペンを滑らせていた彼の口から自嘲するかのように息が漏れた。
「そうか。まぁ、気にしなくていい。柵が多い私よりはこれだけの数の傭兵を囲っているアギニス公爵殿の方が行動しやすく、ピネス殿のためになると考えてのことだ」
――――それに貴殿への助力が償いになれば私も救われる。
そっと付け加えられた言葉を拾うことができたのは、台にしていた板を支えている侯爵子息と近くにいた俺だけだった。
誰への、という質問は愚問だろう。彼が償いたいと願う相手など唯一人なのだから。
俺の視線を避けるように筆を走らせるブリオ殿下と地に目を落とす侯爵子息の姿に、彼らが深く後悔しているのだと知ると同時に、自身が犯した罪に対して謝ることすら許されない二人の苦悩がひしひしと伝わってくる。
王太子殿下と侯爵子息という身分がある以上、二人が罪を認め謝罪を口にする機会など永遠にないし、そもそもなかったことになっている事件へ償うことなどできるはずはない。
それはどれほど苦しいことなのか、俺は知っている。
かつての己が踏みにじった善意や身分を笠に不満を呑み込ませた人々の顔を思い出し、そっと目を伏せる。中等部時代に傷つけた多くは平民の教師や生徒であり、謝る機会はおろか顔を合わせることもほぼないだろう。そしてアギニス公爵家の継嗣である以上、頭を下げて回るなど許されない。家はもちろん、主君であるグレイ様や婚約したクレアにもその余波が及ぶことになるからだ。
故に、身分ある者は己を律し続けなければならない。
そのことを俺が二年前に痛感したように、ブリオ殿下と侯爵子息も我が身をもって実感したに違いない。
しかし俺が二人にかける言葉はない。
同じ過ちを繰り返さないようその罪悪感は持ち続ければならぬものであり、裁かれぬ罪への贖罪としてなにをどう示すかは己で考え決めるべきことだと思っているからだ。
伏せていた目を開きブリオ殿下を見ればすでに書き終えていたらしく、インクが乾いていることを確認すると丁寧に三つ折りにして俺へと差し出した。
「必要ならばアーバーという名の神官を訪ねるといい。大神官とも親しい間柄のようだったから色々と融通してくれるはずだ」
「ありがたく頂戴いたします」
筆記道具や台の代わりにしていた板を片づける侯爵子息を横目に、差し出された紹介状を受け取り丁重に小瓶と共に亜空間へ仕舞う。次いで改めてブリオ殿下と向かい合うように立ったあと【上流貴族の気品】を使いながら跪けば、瞠目した瞳と視線がぶつかった。
……なんとなく予想はしていたが驚き過ぎだろう。
皆、俺が敬うような行動を明確な形でとるとは思っていなかったのだろう。
傅かれ慣れているはずのブリオ殿下でさえ驚いているのだから、侯爵子息や護衛の騎士達は言わずもがな動きを止めて俺を凝視している。
見るからに動揺しているブリオ殿下一行をリヒターさんやシオンが固唾を呑んで見つめ、唯一なにも知らないリエスだけが不思議そうに首を傾げる中、俺はゆっくりと拝礼した。
「ご尽力を賜り、深く感謝申し上げます。此度の恩、我が主にもお伝えするとお約束いたしましょう」
公の場でグレイ様やマジェスタの国王陛下と相対するように言葉を紡げば、目の前に立つブリオ殿下や侯爵子息達が息を呑む。
しかしこの程度でその反応は早い。本題はここからである。
思考が追い付いていない様子の彼らに気が付かれぬよう笑みを零したあとスッと表情を引き締めた俺は、射貫くようにブリオ殿下を見据える。そして殿下の瞳が俺を捉えたのを合図に、拒絶の意も含めて軽く殺気を込めながら告げた。
「お探しのピネス前王様も必ずやお連れいたしますので、尊い御身であらせられるブリオ王太子殿下におかれましてはどうかご自愛いただきたく。胸中はお察しいたしますが、これ以上の詮索は御身を危険へ晒すことになりましょう」
気圧されたブリオ殿下の呼吸が完全に止めたのを確認してから一拍後、殺気を消して微笑えばハッと息を吐き出す音が耳を打つ。
そのまま見つめ合うこと数秒。
ようやくパチ、パチと瞬きしはじめたブリオ殿下が引きつったなんともいえない笑みを浮べたかと思えば、静寂を破るように喉を震わせた。
「…………承知した。ハンデルの方々に迷惑をかけるのは不本意ゆえ、私は帰って大人しくしていよう」
「それがよろしいかと。念のため仮の住まいにされている屋敷まで送らせましょう」
有無を言わさぬ忠告を了承したブリオ殿下に笑みを深めてそう応えれば「……ああ」と力ない声が返ってきたが、気にすることなく立ち上がる。そして見守っていたリヒターさんとシオンへ目配せして送迎の準備を頼んだあと、たじろいでいる侯爵子息や護衛達へ告げた。
「それから、今後も王太子殿下が荒事に足を踏み入れるようならば万全の準備をお勧めいたします。ブリオ殿下の御身になにかあってから後悔しても遅いのですから、もし満足な用意ができないのならば不興を買う覚悟で制止するのも忠臣の役目でしょう」
「「「「「「「はい(はっ)!」」」」」」」
思わずといった様子で敬礼する侯爵子息や護衛達を内心微笑ましく感じながら目を細めていると、ブリオ殿下が大きなため息を吐き出しながらその顔に苦笑を浮かべる。
「アギニス公爵殿はグレイ殿下にもこうなのか?」
「そうあろうと思っておりますが、そもそも私でしたらグレイ殿下が行動できないよう核心に迫る情報や物的証拠は隠匿しますし、御身を危険へ晒される前にすべてこの手で片づけておきますよ。今こうしてハンデルの地を踏んでいるようにね」
そう言ってやれば侯爵子息や護衛達は信じられないものを見たとでも言いたげな表情を浮べ、聞き耳を立てていたシオンや傭兵達からは「さすが若様」といったような声が聞こえてきた。そして問いかけてきたブリオ殿はといえば、呆れとも驚嘆とも言い難い表情で呟くように言葉を零す。
「それは、なんというか……グレイ殿下は気苦労が絶えないだろうな」
労わるような音色で紡がれたその台詞に今度は俺が苦笑する番だった。
「――ええ。それは重々承知しておりますよ」
――そんなことは誰に言われずとも知っている。
服の下に隠した紫玉の半身の重みを感じながら胸中でそう呟きブリオ殿下を見れば、意外そうというか思いがけないものを見たといった表情を浮べていた。しかしすぐにその表情を羨ましそうなものへ変えると、次いでとても真っすぐな眼差しを俺へ向ける。
「ならば、必ず生きて戻られよ。貴殿の帰還を一日千秋と待ちわびている方々がおられるのだから」
言い聞かせるように優しくかけられた言葉に目を瞬かせるも、その意味を理解するとともになんとも言えない感情が湧き上がり目を伏せる。また時同じくして、彼の羨ましそうな顔の意味を悟った。
まさか、ブリオ殿下からこのような言葉をもらうとは思ってもみなかったな……。
驚きを隠しながら顔を上げれば、なにやら得意げな表情を浮べている殿下と視線がぶつかり、目が合ったかと思えば悪戯が成功したような少し誇らしげな笑みが向けられる。
その表情がとても美しくて。
ブリオ殿下の綺麗な笑みに負けぬよう俺も不敵な笑みを返した。
「――勿論。そのつもりです」
断言すれば、ブリオ殿下の笑みが深まる。
そうして漂う雰囲気に、漠然とだがこれから先マジェスタとエーデルシュタインの間に新しい関係が築かれていく可能性を感じていた丁度その時、送迎の準備が整ったらしくリヒターさんが俺にそっと呼びかけた。
「ドイル様、準備が整いました」
声を合図に俺とブリオ殿下は互いに距離を取る。
「それでは、お気をつけてお帰りくださいませ。ブリオ王太子殿下」
「ああ。達者でな、アギニス公爵殿」
腰を折り見送りの言葉を口にすれば、ブリオ殿下は軽くそう応えて歩き出す。
真っすぐに背筋を伸ばし前だけを見据えて帰路につく殿下の姿はどこか頼もしく、付き従う侯爵子息と護衛達は何処か誇らしげに見えて、俺は目を細める。
そしてブリオ殿下一行とそんな彼らを守るように少し距離を開けて傭兵達の姿が見えなくなるまで見送った俺は、ふぅと息を吐きだしたあと残った面々と向きあった。
「珍客だったがいい情報が手にはいったな若様」
「ああ」
口端を上げたシオンの言葉に頷きながら傭兵達やリヒターさんにいつのまにか戻って来ていたユリア、そして強い決意を湛えるリエスを順々に見渡して告げる。
「――ここからだ。忙しくなるぞ」
俺の言葉に威勢よく応えた皆の声は、太陽が輝く青空へと吸い込まれていった。
***
――ブリオ殿下と別れてから数時間後。
ハンデルでも最も背の高い鐘楼の屋根の上に俺とリエス、それからラファールとアルヴィオーネはいた。
『――準備はできた?』
「ああ」
「はい」
俺とリエスが頷けばラファールは花が綻ぶように微笑む。役に立てるのが嬉しいらしく、その瞳はキラキラと輝いていた。
『空を行けばアグリクルトまで一日もかからないから任せて!』
彼女の言葉からわかる通り、俺とリエスはこれから空路を使ってアグリクルトへと向かう。まっすぐ飛んでいけば一日足らずで着くそうなので、時間が惜しい俺達は精霊達の提案を満場一致で採用することになったのだ。
故に俺とリエスはこれから生身で空を飛ぶ。
文字通り空路を行かずとも一瞬で行ける転移という方法もあるのだがそれだとはぐれた時の対応が難しいらしく、迷子が感知できる距離に居ればいいのだが万が一遠方に飛ばされてしまうと契約している俺以外はすぐに回収することができないそうだ。
ラファールは『たぶん大丈夫よ』と言っていたが仲間の捜索で時間をとられるのは困るし、敵の攻撃による行方不明者との見分けがつかないのは脅威である。そのため俺が単独でという案もあったのだが、一人では人手が必要な事態へ対処できないため空を行くことになったというわけだ。
ちなみに長時間の空中飛行に耐えられ大神殿に向かっても問題ない者を選んだため、俺とエルフであるリエスしか残らなかった。いくら俺達に協力していてもユリアは魔王の末裔、連れて行って大神殿に敵視されては困るからな。
二人では少ない気もするがアルヴィオーネとラファールもいるし、ブリオ殿下の紹介状もある。戦闘力は十分だし問題はないと思われる。唯一不安があるとすれば移動方法だが、ラファールとアルヴィオーネがどうにかしてくれるというし、仮に彼女達の補助が人の身には足りずとも己の肉体強度と魔法適性があれば大丈夫、だと思う。
『万が一落ちたら私が水で受け止めてあげるから安心しなさい』
「……それは安心だな」
アルヴィオーネの言葉に一抹の不安を感じつつもそう応えたあと、リエスへと目を向ければ疑うことを知らぬ深緑の瞳が目の前にあった。
「精霊様方がおられるのだ。なにも不安に思うことなどない」
自信満々に言い切ったリエスに『精霊を崇拝しているエルフに言われても……』と一瞬思ってしまったが、その言葉は呑み込んでおく。
アルヴィオーネはまだしもラファール基準の大丈夫は大抵人間には当て嵌らないが故の心配なのだが、元来基礎能力が高く精霊を信仰しているリエスにはどれほどこの言い知れぬ不安を説いたとしてもきっと伝わらないだろう。
「そうだな。ラファールとアルヴィオーネがいるからな」
「しかり」
達観した心持ちでそう返せばリエスとラファールがコクコクと嬉しそうに頷く。
ちなみに、俺の胸中を正しく察しているアルヴィオーネは『ご主人様なら死にはしないから大丈夫よ』と言いながら愉し気に笑っており、無論そんな彼女に「わかっているならどうにかしてくれ」なんて言葉を発することなどできなかった。
『じゃぁ、行きましょう?』
「ああ。頼む」
優しく微笑むラファールにそう応えた途端、俺とリエスの体が彼女の魔力に包まれ一拍後には鐘楼の屋根から足が離れる。そしてふわりと浮かんだ身体は次の瞬間、恐るべき速さではるか上空へと飛んでいったのだった。