軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第百九十一話 セレジェイラ・フォン・ブルーム

寮内にある談話室の中の一室。主となる大きな談話室から離れたその部屋を使用している者は少なく、私とリュート様以外には片手で数えられるほどの生徒しかおりません。

緩やかな時間が流れる部屋の中、二人分のお茶を準備します。すると時折、本をめくる音が耳を掠めます。

茶葉を蒸らしている間にちらりとリュート様を盗み見れば、真剣な眼差しで本を見つめる横顔が目に映ります。文字を追う瞳を眺めていたその時、リュート様の興味を引く記述があったのか視線が止まり、口元が微かに弧を描く。

笑顔と言うほどはっきりしたものではありませんが、リュート様らしい控えめな笑みに少しの間、魅入ります。

リュート様と出会ったあの日から三年と八か月。

茨の道だと知りつつも惹かれる気持ちを止められなかった一年目に、人目を忍んで逢瀬を重ねた二年目、そして激動の三年目。

エーデルシュタインの侯爵子息からの求婚をきっかけに諦めかけたリュート様との関係を後押してくださったのは、アギニス様でした。

すれ違い始めていた私達を引き合わせてくださったばかりか、リュート様が功を立てる機会をいただきました。そればかりか、アギニス様のお蔭でグレイ殿下も私達の仲についてお父様に口添えてくださいました。

目覚ましい活躍を見せるアギニス公爵家のご子息と自国の王太子殿下が、私とリュート様の今後を気にかけておられる。

その効果は絶大なもので、考えを改めたお父様はリュート様と話すことを了承されました。そして交渉の末、私の婚約者の件は保留となり、リュート様には猶予期間が与えられたのです。

これまでの日々を思い出しながら完成したお茶を二つのカップに注ぎ、片方をリュート様の前に置きます。しかし、よほど手元の本に集中されているのか、まったく気が付く気配がありません。

熱心に本を読み解くあまり周りが目に入らなくなっている姿にクスリと笑みを零しながら、リュート様の向かい側に座ります。

そして、入れたてのお茶を口にしながら、愛しい人を眺める。

「なるほど、そういうことか。だから……」

得心が行ったという表情で頷いているリュート様が、先ほどから読みふけっているのは、政治と経済に関する書物。リュート様の視線を独り占めしていることを羨む気持ちは多少ありますが、その本を手にした理由が私のためであることを考えるとくすぐったくも、嬉しい。

お父様との対話から一年。

『卒業後五年以内に、相応しい身分を手に入れてみせます』

あの日、お父様へそう宣言したリュート様は、日夜努力を重ねられています。その様子はお父様のお耳にも入っているようで、今度学内で開催される『舞踏会』へリュート様と同伴する許可をくださいました。

人目を憚ることなく、リュート様と穏やかな時を過ごせる日が来るなんて……。

お父様に知られることを恐れ、人目を避けるように逢瀬を重ねた中等部時代と異なり、高等部ではこうして堂々と共に過ごしております。

しかし、私は未だお父様からお叱りを受けたことはありません。それは恐らく、お父様もリュート様を婚約者候補として認めてくださっている、ということなのでしょう。

そうでなければ、リュート様と共に舞踏会に参加する許可はいただけません。

私もリュート様も騒がしいところが得意ではないので、あまり関係は知られておりませんが、今度の舞踏会に二人で参加することで周知されることでしょう。

そのことがとても嬉しくて、舞踏会が楽しみな今日この頃です。

リュート様はどんな髪飾りをくださるのかしら?

文字を追う黒い瞳を眺めながら、『用意したドレスと合うといいのですけど……』なんてことを考えます。

折角の贈り物に対し、服装と合うかどうかを心配するというのは大変失礼なことですが、今回は致し方ありません。

『いただいた贈り物を身に着けて最後の一曲を踊りきると幸せになれる』

いつからあるのかも定かではない、舞踏会の言い伝え。

しかし火のないところに煙は立たないと言いますし、僅かでも信憑性があるのならば縋りたいのが恋心というもの。そして、そんな特別な場には一番可愛い姿で挑みたいと思うのは、女性ならば当然の心理でしょう。

贈っていただいた装飾品とドレスが合わなくて今一つ、なんてことは避けたいですわ……。

貴族の方ですとやはり金や銀地に宝石をあしらった品が多いそうですが、平民出の方々には色紙の花や蝶の髪飾りが色の種類も豊富で安価なのに見栄えもすると人気のようです。商家など比較的懐に余裕がある方ですと、色紙で作った花に小さな宝石を添える方が多いとか。

紺色に黒を重ねたドレスでは暗かったかしら……?

色味が暗い分、生地は光沢があるものを選んであるので問題ないとは思いますが、少し不安です。

そうこう考えながら、じっと見つめていた所為でしょう。

私の視線に気が付いたリュート様が本から顔を上げます。

「……すまない。まったく気が付かなかった」

座っている私に僅かに目を見開いたあと、自身の前に置かれたお茶に気が付いたリュート様は、そう言って本を閉じると机の上に置く。

「声をかけてくれればよかったのに」

「とても集中していらしたので」

「しかし、暇だっただろう?」

「いえ? 勉学に励むリュート様のお姿を拝見していましたから」

そう告げれば、リュート様は少し照れた様子で呟く。

「そうか。それなら、いいのだが……」

私の視線から逃れるようにお茶に手を伸ばしたリュート様は、紅茶を飲んで一息つくと顔を上げます。そして視線がぶつかると、小さく微笑む。

――幸せな時間です。

そう、しみじみ感じます。

と同時に、思い出すのはクレア様のこと。

ここ最近『セルリー様のメイドがアギニス様と親しくしている』というお噂に心痛めておられましたが、今日は久しぶりの逢瀬だと表情を明るくしていた彼女を見送ったのは、一時間ほど前のこと。

グレイ殿下やシュピーツ様、ローブ様もご一緒なのが残念だとクレア様は仰っておりましたが、彼女も今頃は私達のように穏やかな時間を過ごしていることでしょう。

「なにかいいことでもあったのか?」

「はい?」

その問い掛けに首を傾げれば、リュート様はゆっくりと口を開く。

「随分柔らかい表情で微笑んでいるから」

「そうでしたか?」

「ああ。思わず嫉妬してしまうほどに」

「まぁ」

真面目な顔でそんなことを言うリュート様に思わず笑う。

――可愛らしい人。

そう思った時、ふと、初めて恋文をいただいた時のことを思い出しました。

たった一度の邂逅でお手紙をくださったことにも驚きましたが、生真面目そうなあの方が一体どのような顔をしてこの文を書いたのか想像するとなんだか楽しい気分なりました。そして私はリュート様へ興味を抱いたのです。

「クレア様を思い浮かべていたのです」

「クレア王女を?」

「ええ。本日はグレイ殿下やアギニス様とお茶のご予定なので、楽しんでおられるかなと」

そう告げれば、リュート様はフッと気が抜けたご様子で笑う。

「そういえば、初めて会った時も君はクレア王女に贈る手巾を大事そうに持っていたな」

「大切な方ですから」

「知っている。君はいつもクレア王女の話ばかりだ」

リュート様はそう言って笑う。

そのお顔があまりにも優しいからなんとなく照れてしまい、私は視線を逸らします。

「そうでしたか?」

「ああ。それでよく――」

そう言いかけたところで何かに気が付いたように視線を動かしたリュート様は、珍しい名を口にします。

「シュピーツ?」

「え?」

上がったグレイ殿下の護衛の名にリュート様の視線を追って振り向けば、談話室の入り口にシュピーツ様の姿。

誰かを探すように部屋の中を見回していたシュピーツ様は、目が合うとホッとした表情を浮かべ、私達に駆け寄って来られました。そして、焦った様子で告げます。

「セレジェイラ殿。ご歓談中申し訳ございませんが、グレイ殿下がお呼びなのでご一緒していただけますか?」

「グレイ殿下が?」

首を傾げる私に、声を潜めたシュピーツ様は言葉を濁して説明されます。

「その、お茶会でちょっと。それでグレイ殿下は今近くの個室におられて、セレジェイラ殿を探して連れてくるようにと。部屋にはクレア様もいらっしゃって……」

告げられた言葉に思わず眉が寄ります。

そんな私の変化に、シュピーツ様はしどろもどろに言葉を紡ぐ。

「元を正せば私が原因で、まずい話題をドイル様に提供してしまいまして」

「まさか、アギニスに例のメイドの話を振ったのか?」

リュート様がそう尋ねると、シュピーツ様は眉を下げて頷きます。

「……はい」

「クレア王女が同席している茶会でなんて馬鹿なことを」

「面目ない限りです……」

信じられないといった表情を浮かべるリュート様に、シュピーツ様が肩を落とします。

お二人の会話からなんとなくお茶会で何があったのか悟った私の頭を占めるのは、こうしている間も悲しまれているだろうクレア様のことでした。

心痛めているクレア様を思えば、こうしてはいられません。

「リュート様。申し訳ございませんが、私はこれで」

「ああ。茶器は片づけておく」

「ありがとうございます」

リュート様へお礼を告げて立ち上がります。

あれほど楽しみにされていたのに……。

アギニス様は一体何をしているのか。女心のわからない駄目な男ですわと憤りつつ、クレア様の元へ案内してもらうためシュピーツ様に声をかけます。

「シュピーツ様。ご案内お願いいたしますわ」

「はい! こちらです」

そして私はクレア様を慰めるべく、歩き出したシュピーツ様の背を追いかけました。