作品タイトル不明
41 それぞれの立場
バーナードのその日の目的地は、数百年前に建てられた旧王宮であった。
壮麗な外観にして部屋数が多く広間も複数備えた建物で、現在は議事堂をはじめとした行政機関が集約している。
ざわざわと人が行き交うエントランスホールに踏み入れたときに、見知った顔に「よっ」と声をかけられた。
「なんだか、急に老け込んだように見える。おかしいな。バーナードはいま、新婚で楽しい時期のはずなんだが」
アーシュラ公爵ことコンラッドであった。
そのからかうような物言いに、バーナードはすかさず何か言い返そうとして口を開く。しかし、出てきたのは悩ましげな溜め息だけだった。
コンラッドは片眉を跳ね上げて、訝しむ顔になり「どうした」と声をひそめて聞いてきた。
(身元がよくわからない退役軍人をやむを得ず家に招き、残してきた家族のことが心配で早く帰りたい……)
喉元までその言葉がきたが、バーナードは言わずに自分の胸にしまいこんだ。
戦地では気安い関係であったコンラッドであるが、現在は多忙を極める立場にあるのはバーナードもよく知っている。
ニコラスに関しては困り事ではあったものの、怪我の手当をしたのも音楽教師としての滞在を認めたのも自分だ。いまこの場であえて言う必要はないとの結論がすぐに出る。
「込み入った話だ。あとで時間があれば話す」
短く切り上げると、コンラッドは不審そうな顔をしたもののそれ以上追及してくることなく話を変えた。
「今日は医療技官の件で来ているんだろう。俺の元まで話が上がってきていた」
コンラッドはその立場にふさわしく、事情通でもある。国内で要職に就く退役軍人の情報などは知らないはずはない。バーナードは「そうだ」と頷いた。
「俺で役に立てることがあるなら、ぜひやらせて欲しいと返事をしている。戦地から帰れた者の数は限られる。その場で得た経験が貴重なのだと言われたら、断ることはできない。どれだけ誘われても、参謀本部に加わることはできないが」
正直な本音であったが、耳を傾けていたコンラッドが薄笑いを浮かべたのをバーナードは見逃さなかった。「お前は?」と素早く付け足す。
唇の端を軽く吊り上げたまま、コンラッドは飄々とした口ぶりで答えた。
「俺の今の立場は王子の秘書官だが、ここのところ連日会議に駆り出されている。『戦地帰りの貴族の御高説をぜひとも賜りたい』と。今日もこれから、各界の重鎮に向けてお前との思い出話をしに行くところだ」
バーナードは眉をひそめて足を止めると、コンラッドの顔を見つめた。「お前との思い出話」と茶化しているが、戦地でのことは思い出すのも辛い話も多い。
同じく足を止めたコンラッドに正面から向き合い、尋ねる。
「大丈夫か?」
笑顔のままコンラッドは二、三度瞬きをし、手のひらで額を押さえた。
「お医者さんには、俺が大丈夫じゃなさそうに見えるか?」
「見える。死ぬほどやせ我慢している顔。これから白兵戦か? って聞きそうになる」
「戦地ジョークはやめておけよ。俺もお前も痛すぎる」
力なく笑って言うと、コンラッドは前を向いて歩き出す。廊下を進み、プレートのかかっていないドアの前で足を止めて鍵を開けると「少し付き合え」と言いながら中へと入った。
執務机や応接セットだけのある簡素な部屋で、コンラッドは「俺の休憩室」と言ってバーナードにソファを勧めてくる。
向かい合って座ってから、コンラッドは珍しく少しだけ考える素振りをした。
沈黙の末に、言葉を選びながら話し始めた。
「先の戦争の傷が癒えないいまだからこそ、俺はやらなければいけないことがあると考えている。戦争の最中、ずっと疑問に感じていたことの整理だな。『なぜ俺たちは戦っているのか』」
意見を求めているというより、考えをまとめようとしているように見えた。バーナードは、コンラッドの考えを邪魔しないように慎重に答える。
「コンラッドの疑問は、わかる。俺は子どもの頃からずっと、自分は文明の中で生きていると感じていた。敵となった国の人々もまた、そうなのではないかと思う。つまり、あの戦争は文明化を自認した国々の間で起こった。しかも戦争に加わった兵士たちはおそらくそのほとんどが、相手国の領土を奪おうとか、代価を払わずに作物を得ようと考えていたのではなく……もちろん、相手国の人間を奴隷にしたり殲滅したりしようとしていたわけでもなく、ただ『祖国を守るため』に戦場に向かったんじゃないだろうか。少なくとも自分はそうで、出会った兵たちも皆同じように考えていると感じた……」
唇に笑みを浮かべて、コンラッドは頷いた。
「戦争がなぜ始まったのか、どうして止められなかったのか。歴史家が大局を見て分析し終えるのは数十年後になるかもしれない。なぜならいまの時代に生きている俺たちは、直接命のやりとりをした関係であるから、本音のところで許せないことが多すぎる。冷静になんてなれない」
バーナードの知る限り、コンラッドは戦場にあって誰よりも冷静であり続けた。それだけに、コンラッドが口にする「冷静になれない」という言葉はとても重い。
「数十年……」
世代交代を待つという意味だろうかと、バーナードは遠い先の時代へ思いを馳せる。
たたみかけるように、コンラッドが言った。
「その間の立ち回り次第で、世界の命運は大きく変わる。ひとつ間違えたら、先の大戦はさしずめ『第一次』と呼ばれることになるだろう。実際のところ『第二次』の芽はすでにいくつも見えている」
渇きを覚えた喉の奥のひりつきや、塹壕で足元に感じるぬかるみの感触。かつて味わったいくつもの不快感が一度に全身によみがえるのを感じながら、バーナードは抑制した声で応じた。
「文明化した国々の間で『単純な殺し合い』という誰もが認める野蛮な出来事である戦争が、再び引き起こされるという意味か? あれは大いなる過ちであったと、いまの時代を生きる者であれば骨身にしみてわかっているはずだ。二度と繰り返してはならないことなのだと」
そこまで言って、バーナードは口をつぐむ。
(言葉が上滑りをする。「綺麗事」を口にしているだけの嫌な感覚だ。大切なことを見落としているのに、そこから目を逸らして自分の信じたいことを叫んでいるだけ)
ひとの心の機微に敏いコンラッドだけに、バーナードの感じている苦みはすでに汲んでいる気配だった。
柔らかく笑ったまま、穏やかな声で話を先に進める。
「俺が危惧しているのはそこなんだよ。『皆同じように考えていた』『誰もが認める』まあその通りだ。普通に考えたら誰だって戦争は嫌だ。おかしい、異常な事態だ。それでも現に起きた以上、この先にまた起きることだって十分に想定できる。俺が思うに、おそらく『皆』『誰もが』というその感覚がすでに思い込みなんだ。理由や目的はともかく『誰かは』戦争を望んでいる。その芽を潰しておかなければ、この先数十年と待たずに、ある瞬間に巧妙に張り巡らされた仕掛けが同時にいくつも火を噴いて、簡単にひっくり返されるんだ」
ひとつも聞き漏らさぬように、息を殺してその話を聞くバーナードの脳裏には、連鎖的に弾けていく「仕掛け」が戦場におけるトラップと重なって浮かび上がる。
唾を飲み込んで、バーナードはことさらゆっくりと言葉を紡いだ。
「先の戦争で、何が開戦の決定的なきっかけになったのか、今の段階ではっきりと答えられる者はいないだろうな。もちろん、引き金となったいくつかの事件はあった。それを数十年後から俯瞰すれば『これが直接の原因』と特定できるのかもしれないが……。俺の知る限り、自国を出て相手国の領土に入り込んでいた前線の将校ですら『祖国を守る』以外の理由は持っていなかったような」
バーナードはそう言ったものの、あくまでも自分が意見できるのは「俺の知る限り」という内容に限られることに気づく。戦地に赴いた者としての「経験」はあるが、同時代を生きる人間としての「情報」は圧倒的に足りていない。
(危機感も関心もあり、自分なりの意見を持っているつもりでいたが、うまく振り返ることができないでいる。あの戦争に関わった国々の「一般人」がこのままであるのなら、この先どこかの時点で「簡単にひっくり返される」というコンラッドの指摘は正しい)
戦争で受けた傷をゆっくり癒す、などと言っていられない現実を、コンラッドはその立場ですでに見聞きしているのであろう。
医療技官として直接「癒す、回復を促す、健康に寄与する」と考えているバーナードとは、また違う道だ。
コンラッドは、厳しい顔で口を開く。
「すべての傷が、目に見えるとは限らない。どこの国においても、人々の心はずいぶんと傷ついている。そこから目を背けたまま進むことはできないから、後遺症への対応や予防医学を含めて医療の担う役割は大きい。一方で、弱った怪我人ならば健康なときよりも容易に左右できると考える輩への対処も必要だ。具体的に言えば、扇動の芽を摘み潰していくことだ」
バーナードから視線を外し、コンラッドは厳粛な面持ちのまま続けた。
「兵士たちは『祖国を守るために』戦地へと赴き、『名誉』があるから逃亡することもなくその場に踏みとどまって死んでいった。民衆という立場であれば『戦争は政府のお偉いさんが決めたことだ』と言うのかもしれないが、実際の行動は『国民感情』に拠る部分が大きい。政治の中枢とやらに近付き、当時の議会の動きなどを調べられる限り調べた俺としてはそれを不思議に思う。誰がどうやって国民の感情をひとつの方向へ向けられたというのか?」
真剣に考え込むバーナードに対し、コンラッドは重ねて問いかけてきた。
戦争はどこから来るのか? と。