軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

42 アンチテーゼ

文明化を自認した国々の間で「祖国を守るため」という認識のもと行われた戦争。

それはどこから来たのか?

長い沈黙の末に、バーナードは静かに答えた。

「戦争は……文明の中から来ている」

「どういう意味だ?」

バーナードは顔を上げてコンラッドを見て、はっきりと告げる。

「個人の感情や目的と切り離した、理性的な判断による『殺人』がまかり通っていた。それが行われ得ること、周囲もそれを承認すること。それこそが文明の中から生まれた野蛮さだ。つまり、文明は原始的なるものや野蛮さの対極ではない。直接的な利害を武力で解決する歴史を経て、言葉による話し合いの手段を手に入れたにも関わらず戦争が起きるのであれば、その言葉や文明の中に戦争的なるものがある……と、俺は思う」

鼓動が、少しずつ早くなってきていた。

まだはっきりと掴むことは出来ないが、コンラッドに問われて言葉として紡いだとき、その考えはバーナードの心の中でひとつの形を得た。

コンラッドは瞳を輝かせ、唇の端を吊り上げて笑った。そのまま何か言おうとしたように口を開いたが、少しの間動きを止めると、不意にソファから立ち上がった。

狭い室内を、コツコツと固い足音を立てて歩きながら、コンラッドが話し始める。

「結論としては俺も同じようなものだ。『ペンは剣よりも強し』とは実にうまく言ったもので、次なる戦争を阻止するために目を光らせておくべきは、直接的な軍備増強の動きよりもまずはペン、つまり言葉を使う者たちだろうと俺は考えている。それは、王政や議会の動きだけを注視することを意味しない。もっと広汎で、大衆心理に寄り添い国民感情に訴えかけるもののことだ。上から押さえつけて『働け』と言われれば反発する者も、弱い者を守る立場となり『働かなければ』という気持ちに追い込まれれば、自発的に働く。だから……」

足音が止まった。

呑み込んだ言葉の先は、聞かずともバーナードとてわかっている。

(「殺せ」と命じられるよりも「大切なひとを守らなければ」という気持ちの方が、戦地まで赴くきっかけになりやすい。留まる理由にもなる)

自発的である、理性による判断である、根底にあるその信念が平時なら決してありえない殺人にまで人間を追い込んでいくのだ。

それもこれも「直接的な脅威」が去ったこの瞬間であるからこそ検証できる心理であるということを、バーナードはよくわかっている。

「戦後の今でも、俺は自分が最後まで戦地に留まったのは必要なことであったと考えている。一方で、戦後にかき集めた情報を手にした何者かに戦時中の行為に関して正論で挑まれた場合『相手の言い分を全部認めることがわかっている』から、議論はしない。自分の中で正当化はしないしするつもりもないと考えていることでも、他人との間で迂闊に言葉にしてしまえば、思いもかけない形になる……。俺はそれを警戒している」

強く責められれば「それは違う」と反論や言い訳をしてしまうかもしれない。言うつもりのなかった出来事を口にしてしまうかもしれない。

そのとき、選んだ言葉によっては表現しきれず、取捨選択で語られずに捨てられた記憶は、なかったものとして削り取られて、やがて消えていってしまうことだろう。

(自分の中で、形を取らせぬまま沈めておこうとした感情や記憶……。「悲しい」だけでは言い表せない出来事も「悲しい」と言ってしまえば、その感情に集約されて他の要素が削ぎ落とされる。繰り返し語るうちに記憶はそこに固定される。落としたものの中にこそ、語るに語れない大切なものがあったとしても)

饒舌に語られないからこそ、自分の中にだけある生々しい記憶を「他人にわかる形で言語化できないのであれば、それは価値がなく戦場の真実でもない」とばかりに言葉によって切り分けられることを、バーナードは危ぶんでいるのだ。

黙って耳を傾けていたコンラッドは、顔を上げて前を向き「わかる」と相槌を打った。

「正しくはなかった、しかしあの時点では代替手段なく必要なことをしたのだということなら、俺も信念を持ってそう言える。その件について議論は適切ではないというのも、同感だ。議論で戦犯を炙り出し、怒りの矛先たるべき『敵』を決めるのは何か? 理性と言葉だ。戦争の過ちを繰り返すなと平和を訴える言葉の中にも、攻撃性は存在する。この先十年、二十年、百年。次の戦争を呼び込まないために、警戒すべきはペンであり言葉だ。正しく良いものの姿で、人々の心を揺さぶる文明や文化のことだよ」

バーナードは床の木目を見つめて「そうだな」と呟き、独り言のように続けた。

「新聞やポスターで繰り返し目にし、朗読会で読まれた愛国詩なんてその最たるものだとは思うが……」

果たしてこの場でそれを「原因」と断言して良いものか、声に迷いが滲む。それを察しているであろうコンラッドは、不敵な笑みを浮かべて「愛国詩だけじゃない」と言った。

「言葉は変幻自在だ。この先、人々が愛国詩を警戒するであろうことを踏まえて、次は反戦・平和を謳う詩が戦争を引き連れてくるのかもしれない。『かつて愛国者は祖国防衛を掲げて戦争を正当化した。愛国的発想は他国との断絶を生み、戦争を引き起こすのは明らかである』彼らは、反論しにくい善き言葉を並べ立てた上で、人々を扇動するんだ。『愛国者を許すな。愛国的であることを恥じよ』段階を踏んで、人々の心に『敵』の存在を植え付け、攻撃性を育んでいく。高められ、より集められた『攻撃性』による熱狂を世論の中に作り上げることができれば――」

コンラッドは、パチンと指を鳴らす。

「スイッチを切り替えるだけで、平和熱は戦争熱となる。文明の証である人間的理性と善き言葉が人々を熱狂へと突き動かす。こうなったら、選挙によって選ばれた政治家による個人外交も、各国のトップと直接渡り合える王室外交でさえも、無力となる」

頬を強張らせ、目を見開いてコンラッドを見つめていたバーナードは、自分が息を止めていたことに気づいて、大きく息を吐き出した。

「理屈というより、感覚としてわかる。先の戦争の初期がちょうどそういう空気だった。対外国以前に、国内において攻撃感情を伴う対立の構図を明確に形成させてはならないんだろう。しかし……それを警戒したとして、具体的にどうする。権力の側から芸術家やメディアを規制するのか?」

どれだけ備えていても、芽の段階で何が「害ある存在」に育つのか判別するのは、難しいのではないだろうか? バーナードが訝しんで尋ねると、コンラッドは「規制はしない」とあっさりと答えた。

「それは悪手だ。弾圧は『彼ら』の口実となる。『彼ら』は『敵』を欲している。『政府』『国王』『議会』それは仮想敵に最適だ。権力側で支配者は強者であり民衆からの憎しみを集中させやすい。そういった攻撃の流れを作る者に対して、隙を見せてはならない」

戦争を望む「彼ら」というのもまた、コンラッドの想定する仮想的だ。それでも、バーナードは「考えすぎだ」と笑い飛ばすことはできない。

「一見して戦争からは遠く隔たったものの中から攻撃性が生まれると予想がついていても、権力側からペンによる言論やメディアを規制することはできない……か。だとすれば、とれる対策といえばその界隈で『彼ら』なるものに覇権を取らせないことだろうな」

「冴えてる」

正解、とコンラッドは表情をほころばせた。

「戦争の原因は、言うまでもなく『内なる攻撃性の高まり』だけでは説明がつかない。政治や外交で道を踏み外すことのないよう、分析も対策も多角的に行っていく。その上で、国民の情動を突き動かし思考を形作る愛国詩や平和賛歌といった文明の産物に関しては、とにかく『得体の知れないものに覇権を取らせない』ことが唯一の対抗策だ。言うほど簡単ではない。まず、芸術の分野で圧倒的な天才をこちらで押さえておく必要があるんだ。それも、決して『攻撃性』に転化しない才能の持ち主だ」

「難しすぎる」

深く考える前にバーナードはそう口走って苦笑いを浮かべそうになったものの、不意に脳裏に閃くものがあってすべての動きを止めた。

笑えない。

(才能の片鱗を見たことがある。俺も、コンラッドも)

しかもその「才能」は、人々の心を照らし和ませる力を持ちながら、得体の知れない何かに担ぎ上げられることは決して無いだろう。

誰かの助けになりたいという気持ちを持ちながらも、人前に出ることを躊躇し、名誉も求めず、才能をひけらかすことをまったく考えていないからだ。

バーナードが誰を思い描いたのか。コンラッドはその考えを肯定するように話を続ける。

「もし世に出ることがあれば、あの才能は確実に人の心をとらえる。たとえこの先、戦争への企てを持つ者が現れて巧みな詩を書き、メディアの力を使ってこの国の隅々まで流布させて人の心の中へと入り込み『熱狂』を作ろうとも、世論をそちらだけへ傾けさせない才能の持ち主を、俺は知っている」

コンラッドの声を聞きながら、バーナードはゆっくりと目を閉ざした。眉間を指で軽く摘んで、ぼやく。

「お前は、俺の顔を見て俺と話したくて時間を作っているのかと思ったら、まさか目的は他にあったとは……。変わらぬ友情があると信じていたのに、弄ばれた気分だ。俺の妻を利用したくて俺を待っていたんだな」

ふふ、とコンラッドは笑った。

「飽きるほど毎日見た顔だが、今だって俺は毎日バーナードに会いたいと思っているさ。ただ、今日はたしかに目的は別にあった。近いうちにお前の奥さんに会って話がしたい」

「嫌だ。減るからやめてくれ」

「これはお願いじゃなくて、権力者からの命令だ。人妻だってことくらいわかっている。何が減るのかさっぱりわからないけど、心配なら同席すればいい。無理強いはしない」

「俺にいま無理強いをしているくせに。だいたい、同席って言っても俺だって暇なわけでは」

言いかけて、バーナードはがばっと立ち上がる。

察しの良いコンラッドが懐中時計を取り出して「あと五分ある。ただし、お前の目的地までは廊下を走っても三分かかるかな」と言った。広大な建物なのだ。

バーナードは早足でドアに向かいながら、肩越しに振り返ってコンラッドに強く念押しをした。

「勝手にチェリーさんをあてにするなよ。レコードを作る件は同意があったとしても、才能でやりあう世界に引きずり込まれることまで、本人は考えていない。だいたい、いくら『歌姫』のように歌えたとしても、彼女は本格的な訓練を受けたことは無いんだぞ」

言葉にした途端、目裏に浮かんできたのは笛を吹くニコラスの横顔だった。

――この世界にはもう美しいものなんて何もない。僕は美しいものを信じられる人間には戻れない。どれほど美しいものを目の当たりにしても、楽器を奏でるたびに思い出す光景がすべてを塗り潰す。もうお前はそちら側にはいけないのだと。僕もそう思う

(……あの男が引き受けたのは、ノエルのピアノ教師だ。チェリーさんもべつに音楽的な指導は望んでいないようだった)

――歌姫を探す旅の途中だったんだ

「バーナード?」

一瞬、気持ちが遠くに飛んでいた。

気がついたらコンラッドがすぐ前に立っていて、懐中時計を目の高さに掲げていた。針は止まらず進んでいる。

「もう行く」

ドアノブに手をかける。しかし、後ろから伸びてきたコンラッドの手にドアを押さえられて行く手を遮られた。

「お前の悩みを聞いていない。話せ」

「悩み?」

「顔色が悪い。何か気になっていることがあるんだろ。何だ?」

べつに、と言おうとして、バーナードは考え直してから答えた。

「これから、どうしても外での仕事が増える。そうなると、あの家には女性と子どもしか残らない。心配なんだ。いまは帰還兵も多いし」

「ああ。なるほど。それはそうだな。わかった、俺の方でも何か考えておく」

さらっと請け負ってから、コンラッドはドアを開ける。バーナードに次なる発言の時間を与えず時計の文字盤に目を落とす。「あと三分。走ってギリギリだ。行け」

すでに廊下に足を踏み出していたバーナードは、素早く「ありがとう、またな」と言って走り出した。

バーナードを見送り、コンラッドはドアに背を向けて部屋の中を歩く。

思案するように虚空を見つめて、小さく吐息した。

「『音楽を友好の架け橋に』なんて言って、かつての敵国から『歌姫』をダシに音楽の大天才と評判の王子様を招く手筈になっている……というのは、さすがにまだ言わない方が良いだろうな」

バーナードが口きいてくれなくなりそう、と呟いてから懐中時計を上着のポケットに無造作に突っ込むと、踵を返してドアへと向かった。