作品タイトル不明
519話 水王
振り返ると、見知らぬ女性が。
歳は、二十半ばから後半といったところだろうか?
空を写し撮ったかのような水色の髪は長く、足元まで伸びていた。
絶世の美女と言っても過言ではない。
今は早朝だから人がいないが、もしも昼ならば、たくさんの視線を集めていただろう。
目は閉じられている。
ただ、盲目というわけではなくて、足取りはしっかりと。
そして俺のことも見えているらしく、顔はこちらに向いていた。
「えっと……おはようございます」
誰かわからないのだけど、ひとまず挨拶を返しておいた。
そんな俺の反応に、女性は小さな笑みを作る。
「気持ちのいい朝ですね。このような日は、ついつい散歩をしたくなってしまいます。そう思いませんか?」
「そう、ですね……はい。わかります」
青い空を見る。
……魔族領で見る空も、変わらずに青い。
「これだけ天気が良いと、散歩したくなりますね」
「ふふっ、わかってもらえてうれしいです。部下に同じようなことを言うと、なかなか理解してもらえず……挙げ句、おばあさんのようだ、と言われることもありまして」
「それはまた……」
うん? 部下?
苦笑しかけて、その言葉の意味に気づいた。
「えっと……もしかして、それなりの立場にいる方ですか?」
「あら? 私のことを知らないのですか?」
「すみません」
「……ああ。あなたが、カシオンが言っていた方ですね」
カシオンのことを知っている。
そして、彼を呼び捨てにしている。
ということは、もしかして……
「申し遅れました。私は、ジルオール……魔王軍、四天王が一人、水王のジルオールと呼ばれています」
嫌な予感が的中。
まさか、こんなところで四天王と遭遇してしまうなんて。
幸いというか、向こうは俺の正体に気づいていない様子だ。
……いや、本当に気づいていないのか?
この人、どうにもこうにも考えていることがわからない。
実は全てを理解していて、あえて知らないフリをしている……なんてことも考えられる。
とはいえ、今の俺にできることはなにもない。
こちらの正体に気がついていないことを祈りつつ、話を合わせるだけだ。
「どうしたんですか?」
「あ、いえ……まさか、そんな方だったなんて」
「そんなに固くならないでください。公の場というわけではありませんし、私は、堅苦しいのはあまり好まないので」
「そうなんですか?」
「気楽にしていたいものです」
「はあ……」
「でも、このようなことを口にするとカシオンに怒られてしまいますね。内緒にしてくださいね?」
ジルオールは唇に指先を当てて、軽く笑う。
なんていうか……
この人は、本当に四天王なのだろうか?
四天王。
魔王軍の幹部の一人であり、人類の敵。
決してわかり合うことはできず、どちらかが死ぬまで戦うしかない……
……はずなのだけど。
そんな風には見えない。
もちろん、戦いの場では容赦しないというだけで、平時と戦闘時を切り分けているだけなのかもしれない。
でも、そうは見えず……
とても穏やかで優しい人に見えた。
「カシオンから話は聞いています。昨日の防衛に力を貸していただくだけではなくて、多大な貢献をしていただいたとか。ありがとうございます」
「えっ、いや……」
突然、頭を下げられて驚いてしまう。
「なにかお礼をしたいのですが、望むものはありますか?」
「……いえ、なにも。俺はただ、この街の人が襲われるのを見過ごせなかっただけなので」
「そうですか……ふふっ、あなたは、とても好ましい性格をしているのですね」
「えっと……ありがとうございます?」
「あなたのような方が、我々穏健派に加わってくれると、とても心強いのですが……」
「すみません。正直なところ、派閥についてはわからないところが多く」
「そうですね、そういう情報は伝わらないところがあるでしょう。簡単に説明すると……」
強行派は、魔王の意思を代行するという名目で好き勝手する魔族達のこと。
穏健派は、戦争に疲れ平和を求める魔族達のこと。
ざっくりとまとめるとこんな感じだ。
そしてもう一つ。
「最後に、少数派がいます」
「少数派?」
「名前の通り、属している魔族は少なく、とても小さな派閥なのですが、決して無視できない力を持っています」
「少数派の目的は?」
「強行派と似たような行動を繰り返していますが……しかし、その真意はわかりません。ただ単に、人間を滅ぼすだけではなくて、それ以上の野望を持っているかのような……そのような不気味なものを感じますね」
「……なるほど」
少数派……か。
その存在を知ったばかりで、詳しい情報は持っていない。
ただ、ジルオールの反応を見る限り、とても厄介な相手なのだろう。
もしかしたら、リースやモナも少数派なのかもしれないな。
特に根拠はないのだけど、そんなことを思った。
「どうでしょうか? まだ、いずれの派閥にも所属していないというのならば、我々穏健派に力を貸してくれるとうれしいのですが」
「えっと……すみません。仲間がいるので、俺が勝手に決めるわけにはいかなくて」
「なるほど。そういえば、他にも力を貸してくれた方がいるのでしたね。今、返事をもらえないのは残念ですが……期待しています」
無理強いすることなく、ジルオールはあっさりと引き下がってしまう。
最初から無理だと判断していたのか、それとも、様子見だったのか。
あるいは……こちらが予想できないような、とんでもないことを考えているか。
ジルオールの真意はわからない。
「さて……私はそろそろ戻りますね。あなたはどうしますか?」
「もう少し、散歩をしていこうと思います」
「そうですか。昨日の強行派の攻撃は退けましたが、またなにかしてくる可能性はあります。気をつけて」
「はい。ジルオール……さまも、がんばってください」
魔族を応援するなんて変な話なのだけど……
不思議と、この人のことは素直に応援することができた。
「ふふっ、ありがとうございます」
ジルオールは小さく笑い、この場を立ち去る。
その背中を見送り……
「はぁあああああ……つ、疲れた」
まさか、こんなところで四天王と鉢合わせるなんて。
思っていた以上に緊張していたらしく、ジルオールが立ち去った後、俺は大きな大きな吐息をこぼすのだった。