作品タイトル不明
507話 おバカさん
「これは……」
イリスは拘束から逃れようとしたが、霧の手を振り払うことができない。
予想していたよりも力が強い。
それでもまだ、地力はイリスの方が上ではあるが……
強引に散らしたとしてもすぐに再生してしまい、拘束されてしまう。
「なかなか厄介ですわね」
「嬢ちゃん、落ち着いてるなぁ……」
「そういうあなたも、落ち着いているのではありませんか?」
「まあ、それなりに修羅場はくぐってきているからな」
つまり、グレイも、この状況を脱する術を持つということだ。
それならば、いざという時に手を貸さなくても問題はなさそうだ。
そんなことを考えつつ、イリスは周囲を観察する。
自分達は拘束された。
流れ的に考えて、そろそろ首謀者が現れるはずなのだけど……
「くくく」
どこからともなく低い笑い声が響いてきた。
霧が左右に分かれて、そこから小柄な男が姿を見せる。
歳は三十前後だろう。
ニヤニヤと笑顔を浮かべている。
猫背のせいか、どこか歪な印象を受けた。
魔族だ。
イリスは心の中で、そう断定した。
見た目は人間ではあるが、その身にまとう邪悪なオーラは隠しようがない。
ずっと昔、毎日のように戦っていた相手なので、よくわかる。
「あなたは、誰ですの?」
欠片も怯えていないイリスではあるが、あえて体を震わせて問いかける。
そんな彼女を見て、自分が上位に立っていると確信した様子の魔族は、笑みを深くした。
それは嗜虐的な笑みで、大抵の人が嫌悪感を抱くだろう。
「俺のことを気にするよりも、自分のことを気にした方がいいんじゃないか?」
「なんですって……?」
「くくく……お前らのような強いヤツは歓迎だ。良い苗床と労働力になるだろうさ」
「苗床……? それは、どういう意味ですの?」
「教えてやる必要はないな」
「おい、てめえ! お嬢さまから離れろっ」
相手を調子に乗らせて、さらなる情報を引き出す……そんなイリスの意図を察したらしく、グレイも芝居に参加した。
その試みは成功。
魔族はますます楽しそうにして、グレイに視線を移す。
「ほう……今、お嬢さまと言ったな? この女は、それなりの立場と考えてよいのか?」
「くっ……」
失言をしてしまった、とグレイが苦い顔になる。
もちろん、演技だ。
「さあ、答えろ。この女は、どういう身分を持つ? 貴族か? それとも、もしかして王族か?」
「答えるわけがないな」
「ふん……貴様、自分の立場がわかっていないようだな? 俺達が必要とするのは、苗床となる女のみ。男は殺しても構わないと命令されている。この意味がわかるか?」
「……」
「だんまりか。ならば、その体に聞くとするか。俺は、下級の混血魔族とは違う。上位の魔族だ。尋問の術は心得ている、耐えられると思うなよ?」
「……くはっ」
ペラペラと己のことを話す魔族に、耐えられないという様子でグレイは吹き出した。
それが伝染したかのように、ついついイリスも吹き出してしまう。
「なんだ、貴様ら……なにがおかしい!?」
「失礼。自分が上位に立っていると思い込み、わたくし達を相手に、言ってはいけないであろう情報をペラペラと喋ってしまう……あまりに滑稽なもので、我慢できませんでしたわ」
「なんだと!?」
「ふふっ、おバカさん♪」
イリスが笑う。
意味のない殺しはやめようと誓ったイリスではあるが……
意味があるのならば、おもいきり戦うことに躊躇しない。
霧の手を力任せに振り払い、さらに、八枚の翼を顕現させる。
「なっ!? その翼……ま、まさか」
「あら。その反応、わたくし達のことを知っているのですね? ですが、もう手遅れですわ。来たれ、異界の炎」
無数の炎が召喚されて、周囲に立ち込める霧を一気に吹き飛ばす。
津波が押し寄せてくるかのように、多くの霧に囲まれ、包み込まれていたものの……
それらを圧倒する炎により、全て消し飛んでしまう。
「ば、バカな!? 俺の結界が、たったの一撃で……!?」
魔族はうろたえるが、これは当たり前の結果だ。
イリスとグレイをただの人間と侮り、結界に注いだ力は大したものじゃない。
そんなもの、最強の中の最強である天族にとっては、児戯に等しい。
能力を使い、多少、本気を出せば一瞬で逆転できる。
「貴様っ、最強種か! 俺を騙したな!?」
「あなたが勝手に勘違いしていたのでしょう? わたくしは知りませんわ」
「いいだろう。ならば、俺の本気を見せ……」
見せてやる、と言おうとするのだけど、全てがもう遅い。
魔族の目の前に、巨大な大剣が迫る。
高速、轟音。
刃の腹で殴られた魔族は、ベキィと、自分の鼻の骨が折れる音を聞いた。
鼻血を撒き散らしながら吹き飛び、地面を何度もバウンドして転がる。
痛みはあるが、意識はまだ消えていない。
人間ごときがふざけたことをしてくれる。
生意気な最強種が調子に乗っている。
激怒した魔族は、真なる力を発揮……
「そこまでだ」
「なっ!?」
するよりも先に、なにかが体に絡みついた。
細く頑丈なワイヤーだ。
引きちぎろうとするものの、もがくことしかできない。
「さすが、レインさま。ここ一番のタイミングで動いてくれる……ふふっ、本当に頼りになりますわ」
「貴様ら、この俺を誰だと……」
「おバカさん、でしょう?」
イリスは笑い、魔族を殴り飛ばす。
再び吹き飛んで、さらに複雑にワイヤーが絡まる。
不意打ちに次ぐ不意打ち。
それに耐えることはできず、魔族は気絶して、完全に沈黙した。
「他愛ないですわね」
「いや、魔族を打撃で制圧する嬢ちゃんが異常だと思うぞ……?」
グレイのツッコミは無視しつつ、イリスは視線を横に。
その先には、世界で一番愛しく想う相手が。
「ふふっ、レインさま。ナイスアシストでしたわ」
「イリスこそ、ナイス演技だ」
レインとイリスは互いに微笑み、コン、と軽く拳を突き合わせた。