作品タイトル不明
456話 幽霊と天使と
シュラウド家のリビングは広い。
イリス、フィーニア、サクラの三人が加わっても問題ないくらいで、まだまだ余裕がある。
そんな広いリビングで、イリスは一人、ソファーに座りくつろいでいた。
背もたれに深く寄りかかり、特になにをするわけでもなく、ぼーっと天井を見上げている。
他に誰もいない。
彼女一人だ。
「ふふっ」
ややあって、イリスは小さく笑う。
「まさか、穏やかな時間がこんなにも愛しいものだったなんて」
昔のイリスは、走り続けていた。
復讐のことだけを考えて、どうすれば効率よく人間を殺せるか? ということを探り、走り続けてきた。
立ち止まり、休むなんてことは考えたこともない。
しかし、今は違う。
なにをするわけでもなく、考えることもなく、のんびりと体を休めている。
心が、魂が安らいだ。
「このようなことを教えてくれたレインさまには、改めて感謝しなければいけませんね……ふふっ」
愛しい人間を思い浮かべて、イリスは少し頬を染めた。
「お?」
「あら?」
ふと、ティナが姿を見せた。
ふわふわと浮いていて、ついでに、ほうきやチリトリも周囲に浮いている。
掃除の最中なのだろう。
「おいっす!」
「お、おい……なんですの、その珍妙な挨拶は?」
「え? イリス、知らんの? 人の世界では、これが最新の通な挨拶なんやで」
「そうなのですか?」
「というわけで、もっかいや。おいっす!」
「お……おいっす」
「まだ照れがあるでー。ほら、もっとハキハキと。おいっす!」
「お、おいっす」
「もっと元気に。おいっす!」
「おいっす!」
「うん、ええ挨拶やで。百点満点をあげるわ」
「なんでしょう……心がガリガリと削られた気分ですわ。しかし、これが今の人間の挨拶なのですね。今度、レインさまにもしないといけませんね」
「せやなー」
ニヤリ、とティナがあくどい笑みを浮かべるのだけど、イリスはそれに気がつかない。
「イリスはなにしてたん?」
「特になにも。のんびりしていましたわ」
「のんびり、ええなー。ウチも一緒してええ?」
「構いませんよ」
「なら、お茶淹れるなー」
念動力を使いお茶を淹れる。
カップやソーサーがふわふわと浮いて、お茶を淹れるところは、おとぎ話の世界を再現しているかのようだ。
ほどなくして、温かい紅茶が入ったティーカップがイリスの手に。
ティナは隣に移動すると、笑顔を向ける。
「ささ、飲んでや。ウチ、お茶は自信あるんやで」
「ええ、いただきますわ」
イリスは、そっとティーカップに口をつけた。
その仕草は様になっており、深窓の令嬢のようでもある。
「あら、おいしいですわね」
「へへー、ありがとな。そう言ってもらえると、めっちゃうれしいで」
「ティナさんは、家事を含めて、色々なことが得意なのですね」
「見ての通り、メイドやからね。そういうのは得意やで?」
「少しうらやましいですわ。わたくし、家事などはからきしなので……そうですわ。よかったら、家事を教えていただけませんか? 例えば……そう、料理など」
「それは構わんけど……イリスって、砂糖と塩の区別はつくよね?」
「え? なんですの、その質問は。つくに決まっているでしょう」
「よかった……いやね? ウチらの……誰とは言わんけど、あまり区別がついてない子がおるんよ。で、とんでもない料理というか兵器を量産して……もしもイリスがそんなんだったら、骨が折れるなー、って思っただけや」
「なにそれ怖いですわ」
砂糖と塩の区別がつかない者なんて、本当にいるのだろうか?
確かに、見た目は同じ白色だけど、まるっきりの別物だ。
舐めれば一発でわかるし、寝ぼけていない限り間違えそうにないが……
イリスは不思議に思いつつも、深く気にしないで、残りの紅茶を飲んだ。
「ごちそうさまでした。とてもおいしかったですわ」
「おそまつさまでした。んー」
「どうしたんですの?」
じっと見つめられて、イリスは不思議そうに小首を傾げた。
ティナは苦笑しつつ、その理由を口にする。
「いやー。こう言ったらなんやけど、ウチ、イリスに嫌われてるんやないかなー、って不安に思っていたんよ」
「あら、どうしてそのようなことを?」
「だって、ウチ、人間やもん」
「あ……」
すっかり忘れていた、というような感じで、イリスは小さな声をこぼした。
「そういえば、そうでしたわね……人間というよりは、幽霊という認識が強く働いていました」
「まあ、なんていうか、イリスは色々とあったやろ? だから、ウチも嫌われてるかなー、って思っていたんやけど……そんなこともない? ウチ、安心してもええ?」
「そうですね……はい、安心して構いませんよ」
「ホンマ?」
「ホンマ、ですわ」
茶目っ気を見せつつ、イリスが笑う。
「正直なところ、人間は未だ嫌いですが……でも、中には好きな方もいます。レインさまや、そして、ティナさん。少しですが、好きと言えますわ」
「そっかー……ふへへ、そう言われるのはうれしいな」
「その気持ちの悪い笑い方はなんですの……?」
イリスがちょっと引いているのだけど、ティナはニヤニヤと笑い続ける。
それだけ、イリスの懐に入れてもらえたことがうれしいのだ。
「なあなあ、どこでウチに対する好感度が上がったん? レインの旦那のように、最初から高かったわけやないやろ?」
「そうですね……色々とありますが、決定的なのは、わたくしのために怒ってくれた時でしょうか?」
「ん? 怒る?」
「わたくしが倒れていた時、多少はみなさんの声などが聞こえていたのです。そこで、ティナさんは、わたくしを引き渡せというモニカにものすごく怒り……」
「あ、あああああぁ!?」
なんのことを指しているのか理解したティナは、ぼんっ、と顔を赤くした。
そして、頭を抱えて悶える。
「もしかしてもしかしなくても、モニカ相手に口汚く罵った時やよね?」
「そうですわね。ふふっ、あの時のティナさんの声は、わたくしのところまで聞こえていましたよ? とても力強く、頼もしく、そしてかっこいいと思いました」
「あああああ、やめて、堪忍して。あの時のうち、今思い返すと、めっちゃ恥ずかしいねん。いくらなんでもあんなことを口にして、あああ、どうかしてたんや」
「ふふっ」
じたばたと悶えるティナを見て、イリスは意地悪な笑みを浮かべるのだった。
幽霊と天使の穏やかな午後が過ぎていく。
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「あ、イリス。おはよう」
「レインさま、おいっす!」
「!?!?!?」