作品タイトル不明
第10話 荒ぶる森の精霊
状況が理解できずに動きを止めたままエルフを見つめるアレンの目の前で、エルフたちはその無防備な姿勢を崩そうともせず、頭を下げたまま視線さえも上げようとはしない。
先ほどまで殺しあっていた冒険者らしき者たちはアレンの投げた木によって怪我を負っているが、それでも死んではいない。
いつ攻撃されるかわからないそんな状況にもかかわらず、エルフたちの態度はまるでそのことなど些細な事だとでもいわんばかりだった。
(なんだこの状況? いや、深く考えるな。今ならこいつらの面倒事に巻き込まれる前に自然な感じで逃げられる)
アレンに敵意を向けた冒険者らしき者たちはすでに壊滅状態、エルフたちは敵意どころか無防備な状態で動かない。
自分の受けた護衛依頼に確実に影響が出るゴブリンたちは殲滅したし、これ以上面倒事に巻き込まれる前に逃げてしまいたいアレンにとって、今の状況は好都合と言えた。
若干エルフ側に加担してしまったことが気にはなったが、先に冒険者らしき者たちが攻撃しようとしてきたのだから正当防衛だよな、と自分の中で一応の理由付けをし、アレンはその場から逃げるべく自然な感じで一歩踏み出した。
アレンにしてみれば逃げるために踏み出した、ただの一歩だった。だがエルフたちにとってはそうではなかった。
姿勢を崩すことはしていないものの、エルフたちの表情は明らかに青ざめ、そしてほとんどのエルフの体は小刻みに震えていた。
アレンのその行動が彼らをなんらかの恐怖へと叩き込んだのは明らかだった。
その豹変具合に仮面の下でアレンが顔を引きつらせていると、エルフたちの先頭にいたカミアノールが決意を秘めた表情で顔を上げ、アレンを見つめる。
「荒ぶる森の精霊よ。此度の異変を防げなかった原因は私の力不足のせいであり、私に全ての責任がある。私の命をもってその怒りを静めたまえ」
そう言い放つとカミアノールは腰につけていたナイフを引き抜き、くるりと逆手に持つと自分の首にその刃を向けた。
「わが同胞よ。私の代わりに使命を全うせよ。いざ!」
(いざ、じゃねえよ!)
仲間のエルフたちへと最後の言葉をかけ、躊躇することなく自分の首をナイフで突き刺しにいったカミアノールの手が強制的に止まる。
これマジなやつだ、と気づいて瞬時にカミアノールの前へと移動したアレンがその手を掴んで止めたからだ。
荒ぶる森の精霊とやらに勘違いされているというくらいにしか状況を理解できていないアレンではあったが、さすがにその勘違いのせいで人死にが出てしまうのは避けたかった。
しかも相手は二つ名もちの冒険者で、多少なりとも会話をした事もあるのだ。
驚いた顔でアレンを見上げるカミアノールからナイフを奪い、どう収拾をつけるべきかとアレンが思案する。
許す、と言えばそれで終わるような気もしたが、今朝アレンとカミアノールは出会って会話を交わしたばかりだ。
声を変えたとしても気づかれる可能性はあるため、アレンとしてはそれは避けたかった。
文字で伝えるのもなにか違うしな、などと考えながらなにか良い方法がないかとアレンが周囲をぐるりと見回す。
そしてダンジョンから持ってきた、冒険者らしき者たちに投げずに手元に残った1本の木に、奇跡的に1つの赤い実が残っている事に気づいた。
アレンはそこを目指して歩いていき、カミアノールから奪ったナイフで枝を切ってその赤い木の実を採取する。
それに少しだけついていた緑の血を軽く手で拭って綺麗にすると、アレンはカミアノールのもとへと引き返した。
ぽかんとした表情のままその様子を見つめていたカミアノールの手にアレンは赤い実を置く。
「こ、これは?」
「……」
赤い実を手渡され、戸惑うような声を上げながら自分を見るカミアノールに、アレンは鷹揚な仕草でうなずいて返した。
荒ぶる森の精霊がどんな存在なのか知らないアレンにとって、その名前から連想するしかなかったが、少なくともそれが森に根ざした存在であり、エルフにとっては崇拝もしくは畏怖の対象であるとは予想がついていた。
だから森の恵みとも言える木の実を渡すということは、カミアノールを許すという意思表示となるのではと考えたのだ。
とは言えアレンにも確証はない。なので内心ドキドキしながら、手の内にある赤い木の実を見つめるカミアノールを眺めていた。
再び自刃しようとしたらすぐに止められるようにと。
しばらくの間、信じられないといった表情をしたまま赤い木の実を見つめていたカミアノールであったが、その瞳からほろりと一粒の雫が流れ落ちると、それに続いてとめどなく涙を流し始めた。
自死はしそうにもないが、予想をはるかに上回るその反応にアレンが何度目になるのかわからないが仮面の下で顔を引きつらせる。
「まさか、まさか私が精霊様から下賜していただけるとは……この数百年に及び果たしてきた使命の先がこのような栄誉だとは……うぉぉおお」
万感の思いの詰まったその叫ぶような声に、アレンが表情をさらに引きつらせる。先ほどまで体を震わせていたエルフたちも顔を上げ、カミアノールの姿をうっとりとした目で見つめているのだ。
アレンが行った行為が、エルフたちにとってなんらかの特別な意味があるのは明白だった。
(……よし、逃げよう。どうやらエルフはダンジョンのスタンピードを防ごうと動いていたみたいだし、後は放置しても問題ねえよな)
これ以上、この場に留まりたくなかったアレンはそう結論を下すと、思いっきり地面を蹴って飛ぶような勢いで森の中へと姿を消す。
その動きを捉えられるほどの実力者はこの場ではカミアノールだけしかおらず、そのカミアノールも滂沱の涙で滲んだ視界ではそれは無理な話だった。つまりアレンの姿は突如として消えてしまったのだ。
その様子に、エルフたちが再び祈りを捧げる。
荒ぶる森の精霊は、その怒りを鎮めそして森へと帰っていったのだと。自分たちが果たしてきた使命は間違っていなかったのだとそんな歓喜に包まれながら。
そんな彼らが逃げようとする冒険者らしき者たちに気づき、嬉々としてその捕縛に動き始めたのはしばらく後のことだった。
そして日が昇る一時間ほど前に、宿の部屋へと誰にも気づかれる事なく戻ったアレンはベッドに寝転びながらため息を吐いていた。
面倒ごとに巻き込まれたということもあるのだが、それ以上にアレンの心にダメージを与えていたのはせっかく買った防水性のコートが使い物にならなくなったせいだった。
魔物の皮で造られたそれは、アレンにしては珍しく10万ゼニーもする高級品だった。
雨の時にしか使わないので劣化もあまりしないだろうし、大切にすれば何年も使えるからと一大決心して買ったのだが、倒したゴブリンの体液にまみれ、そして自身の魔法の反動で吹き飛ばされて地面を転がった結果、枝が何本もコートを突き破ってしまっていたのだ。
森の小川で水洗いしてそれを発見してなんとかできないかとアレンは考えてみた。
しかし補修するにしても下手をすれば買った金額以上かかるだろうこと、そしてコートの姿を誰かに見られた可能性を考え、アレンは断腸の思いでディグで開けた穴の中で仮面とコートを燃やしたのだった。
せっかく買ったのに、という思いはあるものの、その原因が自分のやりすぎであることを自覚しているアレンは誰を責めることも出来ずベッドでふて腐れていたのだ。
そんなアレンの部屋にも地平線から姿を現した朝日が差し込み始め、窓の外で誰かが音が出ないように気にした様子で静かに動き始めたことに気づいたアレンはがばっと身を起こす。
「はぁ、いつまでもこうしていても仕方ねえ。必要経費だ。4日分の依頼料で買えるんだし、もう元はとれてるからな」
そう言って大きく息を吐き、幾分か気分も晴れたアレンがベッドから降りて立ち上がる。窓から見えるのどかな村の風景の中には、農夫などが既に仕事道具の鍬などを持って歩いていた。
ゴブリンが襲撃していたら見ることの出来なかったであろうその光景にアレンが小さく笑みを浮かべる。
「放置してきちまったけど、エルフたちに任せて大丈夫だったんだよな。リサナノーラがいてくれたらアレがなんだったのか聞けたんだが」
無表情なくせに意外と世話焼きで、色々な話をしてくれたエルフのリサナノーラのことを思い出しながらアレンが呟く。
リサナノーラは昔アレンがお世話になった勇者の卵がリーダーを務めるパーティの魔法使いだった。
エルフを初めて見たアレンが同年代だと勘違いして変な気遣いをした結果、初級魔法を見る練習という名目で、ちゃんと成人の、一流の魔法使いであるリサナノーラから標的として狙われるという貴重な初体験をした相手だ。
当時は死ぬと思ったその体験も、既に良い思い出に変わっておりアレンが笑みを深める。
そしてそういえば、とごそごそとマジックバッグを漁ると、昨日カミアノールから受け取ったミスリルのチェーンとヴェルダオックスのこげ茶色の革でできた首にかけるタイプのギルド証入れを取り出す。
「せっかくもらったんだし使うかな。別に俺の命を狙った訳じゃなかったみたいだし」
そう呟くとアレンは自身の木級のギルド証をその革へと差し込む。
おそらくカミアノールはアレンがあの冒険者たちの仲間だと勘違いしたために矢を射たのだろうと昨夜の様子から理解したのだ。
勘違いで殺されかけたと考えれば怒って当然かもしれないが、不思議とアレンにはそんな気持ちは湧かなかった。
というよりも滂沱の涙を流す姿が印象に残りすぎていて、そんな感情が湧かないといった方が正しいかもしれない。
「しかしアレにはマジでびびったよな。なんだよ、荒ぶる森の精霊って……」
苦笑しながら何気なくアレンがその革の入れ物をくるりと回す。
「んっ? なんだこれ」
ギルド証が見えるように中央部分がくりぬかれた表面には何の意匠も施されていなかったが、その裏面は蔦や葉の精巧な意匠が描かれていた。
中でも目を引くのは、手に持った甕から流れる水をみて微笑む美女、頑強な岩のような体躯でキリリとした顔をした偉丈夫、楽しげに飛び跳ねてくるりと体を丸まらせた格好の幼女という角の3か所に描かれている者の姿だった。
それ以外の部分も巧みではあるのだが、明らかにこの3人の部分への力の入れようが違うのは革細工については素人のアレンでもわかった。
それほどまでにエルフにとって大切な存在という事なのだろう、とアレンは推測し、そして残された1か所に描かれた全身蓑虫のような姿をしたそれに苦笑を浮かべる。
「うん、こいつが間違いなく荒ぶる森の精霊だな」
川辺の水溜りに写った自身の姿とそっくりな姿のそれを眺め、アレンは事の次第を理解したのだった。