作品タイトル不明
第26話 ハンギングツリー戦
全く身動きをしないハンギングツリーを前にして、アレンはステッキを構えたまま動くのを躊躇していた。
(なぜ動かない? 奥の手でもあるのか、それとも……ちっ、情報が足らねえな)
先ほど戦った手ごたえからして、ハンギングツリーの強さは鬼人のダンジョンのボスであるオーガキングには及ばないとアレンは予想していた。
しかしアレンは油断せずにじっくりと観察を続ける。なぜならハンギングツリーに関する情報をアレンはほとんど持っていないからだ。
アレンはこれまでハンギングツリーと戦った事が無い。ギルドでモンスターの情報を仕入れたりした事もあるが、それはあくまでアレンが行く階層や仕事で訪れる場所の周辺にいるモンスターだ。その中にハンギングツリーは含まれていなかった。
幼いアレンを雇ってくれた、勇者の卵がリーダーの冒険者パーティの武勇伝の一部として聞いた程度であるため、目の前のモンスターが本当にハンギングツリーであるかどうかも実は確証がないのだ。
(下手に近づいて広範囲の攻撃の奥の手なんか使われたらイセリアにも被害がいくかもしれねえし)
そんなことを考え、じりじりと時計回りにアレンが移動していく。視界から外れれば多少の反応があるかもという期待もあったのだが、ハンギングツリーは泰然としたまま動こうとはしなかった。
(くっ、ここで時間をかけても相手の有利になるだけか。よし!)
そう覚悟を決めてアレンが自身の足に力を入れた、丁度そんな時だった。
「あの、ネラ様。ハンギングツリー、もう死んでいませんか?」
隠れていた木の陰からひょっこりと顔を出しながら聞いてきたイセリアの言葉にタイミングを外され、アレンがたたらを踏む。
その瞬間、アレンはハンギングツリーから目を離してしまった。モンスターの前でそんなことをするなど、冒険者にとって致命的といえる。
アレンは慌てて体勢を立て直し、そして顔を出したイセリアに向けて攻撃が来る可能性を瞬時に考え、イセリアの目の前へと滑り込んだ。
イセリアを守る、その事だけを考えて行動したアレンは、自身に向かうであろう攻撃に対して完全に無防備だった。
そんな絶好のチャンスにハンギングツリーは……全く動かなかった。しばし、その体勢で固まったまま沈黙の時間が流れる。
「……えっ、マジで死んでる?」
「たぶんですけれど」
木の陰から出て近づいていこうとするイセリアを押し留め、アレンが慎重にハンギングツリーへと近づいていく。
10メートル、5メートル、4、3、2……
いつ攻撃を仕掛けられても即座に対応できるようにと気を張っていたアレンだったが、何も起こらないままその距離はついに0になり、その手がハンギングツリーの幹に開いた大穴へと触れた。
ハンギングツリーはそれでも動かない。アレンがゆっくりとその太い幹の周りをめぐると、背後にあった数本の木がハンギングツリーを支えるようにして立っていた。
その支えの木と反対方向へアレンがハンギングツリーを押す。するとハンギングツリーは大きな音をたてながらあっけなくその巨大な体を地面へと横たえた。
「弱っ、さっきの一撃で死んでたのかよ。はぁー、警戒したのが馬鹿みたいだ」
先ほどまでの自分の行動に鑑みてアレンが苦笑する。
なにせ死んでいるハンギングツリーを前に、勝手に警戒し、じりじりと戦う位置を変えたり、失態に慌ててイセリアをかばうために一撃を喰らうことまで覚悟していたのだ。
現在の見た目と同じで、道化でしかない。それがアレンの苦笑を誘ったのだ。
アレンは肩の力を抜き、そして命令を守ってその場にとどまり続けていたイセリアを手招きする。
おっかなびっくりといった様子で近づいてくるイセリアを安心させるように、アレンは倒れたハンギングツリーをコンコンと叩いた。
「死んでるよ。それで、どうする。こいつの素材は山分けで良いか?」
「私はただやられただけで戦ってないですから、ネラ様が全てお納めください」
「悲鳴を聞かなかったら俺だってこいつの事なんて知らなかったんだし、そういう意味ではイセリアも報酬を受け取る権利はあると思うぞ。ハンギングツリーの素材なんてこの街では見た事がないから、多少でももらっておけばそれなりの値段になるだろうし」
そう提案したアレンに、イセリアは静かに首を横に振ってそれを拒否した。
「お金には困ってないんです。おじい様から使い切れないほど持たされていますし」
そう言って自分の腰にくくりつけられたぺらぺらの袋をイセリアが大事そうに撫でる。その仕草にアレンはそれがマジックバッグである事を察した。
外見上はただの袋にしか見えないが、その自然さが逆にそのマジックバッグの希少性を示していた。
はぁー、さすが金持ちは違うなとそんな感想を抱いたアレンに1つの疑問が湧き上がる。
金は十分にあり、そしてどんなに戦ったとしても上限まで上がりきったレベルが変わる事などない。それなのに……
「なぜイセリアは戦っているんだ?」
「冒険者だからです」
「いや、金はあるんだろ。それにいくらモンスターを倒してもレベルは上がらない。それならわざわざ危険な冒険者稼業をしなくても、別の生き方で良いだろ。ギルドも普段冒険者として働いていない奴に無理矢理依頼を押し付けることなんて、まずしないだろうし。おじい様がお前に金を持たせたのだってそういう意図だったんじゃねえのか?」
イセリアの格好はどう見ても一級品だし、それを自然に着こなすイセリア自身の金銭感覚は自分よりはるかに高いだろうとアレンは考えた。
そんなイセリアをして使いきれないほどと言わしめるのだから、そのマジックバッグの中にはアレンの想像もつかない金額が入っているのは確実だった。
ただ冒険者稼業をするのであればそんなものは必要ない。冒険者をする上で一番金のかかるのは装備なのだが、それでさえ餞別に贈られた装備で十分すぎるほど十分なのだ。
そんなに大量の金は必要ないのだ。
そう考えるとおじい様なる人物がイセリアに危険な目にあってほしくなくて、あえて別の道へと誘導しようとしているようにアレンには思えた。
そんな気持ちを込めて見つめていると、イセリアは複雑そうな顔をしながら首を縦に振った。
「かもしれません」
「なら……」
「でも私は勇者の卵なんです。人々の平和を守るため立ち上がり、遂には魔王を倒したアーティガルトと同じ勇者なんです」
迷いを振り払うように、声高らかにイセリアは宣言した。その真っ直ぐで濁りの無い瞳がアレンにはとても眩しく、そして同時に憧憬を覚えさせるほどの強烈な感情を呼び起こさせた。
イセリアの言ったアーティガルトは、おとぎ話に登場する勇者の名前だ。自分1人を残して住んでいた村を滅ぼされると言う悲惨な状況から立ち上がり、仲間と出会い、共に成長し、ついには諸悪の根源であった魔王を打ち倒す、そんな物語の。
アレン自身、何度も聞いたことがあるし、弟妹たちにせがまれ幾度も話して聞かせた。そのアーティガルトの冒険を、その勇気を、その優しさを。
物語を思い出しながら、アレンはイセリアを見つめる。性別も違うし、魔王を倒すほどに強くなったアーティガルトとは比較にならないほどイセリアは弱い。しかしその心根の部分だけは似ているとアレンは考えた。
そして同時に思ったのだ。イセリアの今の状況は以前の自分と良く似ていると。
守りたいのに守れない。強くなりたくても、これ以上レベルは上がらない。それでも人を助けたいとあがくその姿にアレンは胸が締め付けられるように感じた。
そんなアレンの様子を察したのか、イセリアがおどけるように殊更明るく振舞いながら口を開く。
「まあアーティガルトと違って剣よりも魔法の方が得意なんですけれどね。おじい様からいただいた魔法書の半分程度しか使えませんけれど」
アレンのために浮かべた笑顔の中に一瞬だけ、隠しきれない悔しさを混じらせ、しかしそれさえすぐにイセリアは覆い隠してしまう。
だが、その微妙な変化にアレンが気づかない訳がなかった。本音を隠して恥ずかしそうにしながら笑うその姿に、アレンが大きく息を吐いて決断する。
(どんな事情があるかはわからねえが、イセリアは少なくともこんな顔をするべき奴じゃねえ。というかこんな純粋な奴にこんな仕打ちをするなんて、ふざけんなよ)
胸の内に湧き上がる理不尽に対する怒りを隠したまま、アレンはイセリアへと近づきその右手を差し出した。
「なあイセリア。俺と取引しないか?」
唐突な申し出にきょとんとするイセリアを見て、アレンは歯を見せて笑うのだった。