作品タイトル不明
第41話 幸せと不幸せ
思いのほか早い出産のためレックスとアレンの間にちょっとしたすれ違いは起こってしまったものの、それはおくるみに包まれた新たに生まれた命、アマンダの登場によってすぐに埋められた。
陣痛から出産までに時間が短かったこともあり、マチルダの体調もよく、アレンたちの登場に、ほがらかに笑顔を見せる余裕さえあった。
「アマンダ。おにいちゃんだよー」
柵付きのベッドに寝ころぶ赤ちゃん、アマンダを眺めながらとろけるような笑顔をレックスが浮かべている。
この部屋に来てからレックスはずっとアマンダを見続けており、その様子は将来どんな風になるかを感じさせるものだった。
そんなレックスの姿に食事をとっていたマチルダが優しく微笑む。
「アレンの血を感じるわね」
「いや、家族の誕生を喜ぶのは普通のことだろ」
アレンはワゴンからマチルダに食事を手渡しつつしれっと答えたが、内心このままレックスがアマンダを溺愛するようになったらアマンダはある意味で苦労しそうだ、などと自分のことをそっちのけで考えたりしたのだった。
アマンダが生まれたということで一か月ほどの長い休みを取ったアレンだったが、いつまでもネラのダンジョン探索を放置するわけにもいかず、久しぶりにライラックのダンジョンの探索をしていた。
七十一階層の探索は順調に進んでおり、その広さがアレンの予想通りであれば九割近くの探索が済んでいることになる。逆に言えばそれだけの範囲を探索しているのに次の階層に続く階段などを発見できていないということだが。
いつもどおり小走りで進み、手馴れた様子でアレンは壁を抜いていく。数えるのも馬鹿らしいほど繰り返したおかげで、今ではアレンは本当に最小限度の消耗で壁抜きをすることが出来るようになっていた。
まあ、探索初期の頃にゾマルとドルバンに言われて大量の壁素材を納品したのが練習になったといえなくもないが。
これまで七十一階層を探索してきてアレンは一度もモンスターに出会ったことはない。通路にも罠はなく、いくつか発見した宝箱にさえ罠は存在しなかった。
初めての探索時には死を覚悟したほどの七十一階層は、今のアレンにとってはただのジョギングコースのようなものだ。
ただなんとなく感じる嫌な予感に、この階層で寝ることだけはアレンはしていなかった。
二往復の探索を終えると、七十階層の闘技場の控え室に戻り休息をとる。そんないつもどおりの探索をしていた三日目、本日五十三度目の壁を抜いたアレンがその先に降り立って動きを止める。
アレンの視線の先には地下に続く階段があった。それを見つめながらアレンは一度大きく息を吐く。
「やっと見つかったか。いや、この方向の探索で見つかってよかったと考えるべきだよな」
うんうんと首を縦に振りながら、アレンが自身を納得させる。
確かに現在の探索方向でなにかが見つからなければ、垂直方向の通路についても全て探索する予定だったのだ。そうなれば今の倍の期間がかかるかもしれなかったということを考えれば、この結果でもましだったといえる。
階段を前にしばし迷っていたアレンだったが、とりあえず様子だけでも確認しようと慎重に階段を降りていく。
次は罠が設置されたり、モンスターが出てくるようになるのかなどと予想していたアレンだったが、降り立った先に待っていたのは白い壁の階層ではなく、大理石を思わせる高級そうなつるつるとした素材で造られた大きな広場と、その先にある光沢のある黒で設えられた巨大な扉だった。
威圧感を覚えるほど荘厳な造りのその扉に、アレンが思わず唾を飲み込む。
「明らかにボス部屋だな」
これまでのライラックのダンジョンの構成を考えれば、この七十二階層も白い壁の階層のはずである。しかしそうではなく、これだけいかにもな造りをしていれば誰の目にもそれは明らかだった。
しばらくアレンは広場を探索したが、モンスターが出ることも、罠が設置されていることもなかった。
ひととおりの確認を終え、自分の身長の三倍はあろうかという黒い扉を前にアレンはしばしそれを眺め、そしてくるりと背を向けて歩き始める。
「とりあえずギルドに報告だな。そこまで階層が増えていなくて助かった」
アレンの独り言が、しんと静まり返った七十二階層に響く。そしてわずかな足音さえも消えた七十二階層は再び静寂な空間に戻ったのだった。
その後もしっかりと二日間、計五日の七十一階層の探索をして、アレンはダンジョンを脱出した。
ライラックのダンジョンの七十二階層への到達、そしてボス部屋の発見というネラの報告に蜂の巣をつついたようになる冒険者ギルドをやっとのことで後にしたアレンは、着替えをしてゆったりとした足取りで街を歩いていた。
やっとライラックのダンジョン探索に一区切りがつきそうなアレンはご機嫌だった。
これまでの探索やボス戦の経験から考えても、油断はならないが七十二階層のボスであれば単独で倒せるだろうとアレンは考えていた。もちろん万が一ということもあるので、それなりの準備を整えるつもりではあったが。
これまでの苦労が報われる瞬間を夢想し、少し笑みを浮かべながら家族になにかお土産でも買っていくかとぶらぶらと店をアレンが眺めていると、その腕が急に引かれる。
「おおっ、レベッカじゃないか。久しぶりだな」
振り返ったアレンが、軽鎧をつけた小柄なショートカットの女性冒険者を見て嬉しげに声をかける。
すでに二十歳を超えているにもかかわらず、どこか少女の面影を残したままのその女性冒険者は、アレンの一番下の妹であるレベッカだった。
「レン兄」
「アマンダのお祝いに来てくれたのか? 俺も今から屋敷に帰ろうかと思っていたところだから一緒に……」
「レン兄……」
言葉を遮られてもう一度手を引かれ、アレンが再会の嬉しさから見落としていた違和感に気づく。
レベッカはたしかに冒険者でもあるが、メインは商人だ。そのトレードマークと言うべき大きなリュックの姿がどこにもなかった。
そして極めつけはその瞳だった。いつもどこか楽しげで、アレンをからかおうと企んでいるその瞳は、どこか濁り、くすんでいるようにアレンには感じられた。
「実家でいいか?」
「うん」
引かれていたレベッカの手を握り、アレンが懐かしい道を歩き始める。力なく握り返された小さな手の感触に嫌な予感を覚えながら、アレンはこれもレベッカの冗談の一部ならいいのにと叶いそうにない願いを祈らずにはいられなかった。
懐かしい我が家に戻ってきた二人だったが、レベッカの顔は晴れないままだった。そのことを心配しつつ、アレンはマジックバッグからお茶を取り出し用意を始める。
定期的に清掃に来ているため、部屋の中は比較的綺麗に保たれている。普段から住んでいないためどこか温かみが薄れてしまっているような気もするが、それでも思い出は消えてはいなかった。
「とりあえずこれでも飲んで気分を落ち着けろ」
「うん。ありがとう、レン兄」
椅子に座り受け取ったお茶をちびちびと飲みながらレベッカがなにかを気にするように視線を周囲にやる。それだけでレベッカが周囲の気配を探っていることに気づき、アレンは対面に座りながらわずかに顔をしかめた。
落ち着いてレベッカの姿を確認すれば、冒険者の軽鎧はそこかしこ薄汚れているし、レベッカ自身も少しやつれているようにアレンには思えた。
それだけ急いでライラックに来るだけの理由をアレンは考え、浮かんでくる嫌な予想を振り切るように頭を振ると立ち上がった。
「少し場所を変えるか」
「えっ?」
アレンがレベッカに立つように促し、アレンが使っていた部屋に連れて行く。そして巧妙に偽装された床を外して、現れた地下に続く階段をおりていく。
レベッカはそのことに驚いていたが、同時にどこかほっとした様子でアレンに続き、地下室に備え付けられていた椅子にすとんと腰をおろす。そして周囲の棚に並んだ家族の思い出の品を見て、わずかに微笑んだ。
「秘密の倉庫だね」
「ああ、昔はネラの装備とか手に入れた物なんかも保管していたんだ。まあ、それは置いておいて、ここなら人を気にする必要はない。なにがあった?」
レベッカの横に椅子を持ってきて座り、真剣な表情でアレンが尋ねる。
なにがあっても助けてやる。そんな覚悟が透けて見えるその温かな言葉に、レベッカは微笑をゆっくりと崩すと、くしゃくしゃに歪んだ顔で瞳を潤ませた。
「レン兄、助けて。エミ姉が、エミ姉が聖女に選ばれちゃった」
「エミリーが聖女に? えっ、いやそれが本当ならむしろお祝いしなきゃだろ。平民出身の聖女なんて聞いたことが……」
「違う。エミ姉は生贄なの。自分たちが危険な立場にならないように画策した貴族の聖女見習いたちにはめられたんだよ!」
バンッと机をレベッカが叩く。トレント材で作られ、かなりの強度があるはずの机が嫌な音を立ててきしむのを耳にしながら、アレンが怒りを抑え、不穏なレベッカの言葉の続きを促す。
レベッカが流す涙がぽろぽろ落ち、その膝を濡らしていく。
「新たな魔王が動き出すという神の啓示があったんだって。聖女になったら魔王を倒すために戦いに参加しなくちゃいけないってわかってるのに、エミ姉はそれが皆を守ることになるからって、私になるべく南に逃げるようにって、そう言って……」
「エミリー」
迷いなく優しく微笑んだままそう言ったであろうエミリーの姿がアレンにはありありと想像できた。
エミリーの神に対する信仰は本物だ。聖女に選ばれたからにはどんな危険な場所にさえ向かうだろう。そこが死地だとわかっていたとしても。
アレンの握り締めた拳がぎしりと音を立てる。目を赤く腫らしたレベッカが顔を上げ、アレンのその拳を両手で掴んだ。
「エミ姉が死んじゃう。私はどうしたらいい? レン兄に頼るしか私には考えられなかった。わかんないよ。なんで魔王なんて出てくるの。そんなの物語の中だけでいいじゃん!」
ギリギリと力を込めて握ってくるレベッカの様子に、その思いの強さを感じながらアレンはどうすべきかという答えを探す。
しかしすぐにそれが見つかるほど、状況は簡単ではなかった。