軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

番外編②-3.平穏でない一日

廊下を近づいてくる足音にイサベラは顔をあげた。

石造りの建物は、冷えた空気を内部に閉じ込め、かすかな音をよく反響させる。

わざわざイサベラの部屋を訪れるのはひとりしかいない。彼女の保護監督者であるシスター・メイだ。

部屋の前で足音が止まった、と思うなり、ガランガランと鐘の音がする。

「午前五時イイ!! 総員起床!! おはようございまあああす!!」

腹からの声は鐘の音とともにドアを突き破り、質素な部屋へ満ちる。イサベラはドアを開け、どんよりとした目で相手を見た。

「……おはようございます、シスター・メイ」

「おはよう、イサベラ」

修道衣に全身を隠し、頭にかぶったベールの裾で口元まで覆う奇妙な格好のメイは、唯一見える目元をにっこりとほころばせてイサベラへまなざしを向ける。

サレア修道院へ半ば幽閉のようなかたちで送り込まれてから一年。

当初は己の不遇を嘆き泣き喚いていたイサベラも、今ではすっかり諦めた。脅そうが殴りかかろうが脱走を試みようが、メイは意に介さず、満面の笑みでイサベラを簀巻きにしてこの部屋へ放り込む。罰として食事が抜かれることもある。

ひもじさに泣く腹を抱えながら固いベッドに横になっていると、自分がこれまでにしてきたことが思いだされた。

姉マルグリットには、これよりもひどい仕打ちをたくさんした。

「あなたに小包です」

メイの声に現実に引き戻されて、イサベラは顔をしかめた。

わざわざ部屋を訪れるのがシスター・メイしかいないように、外の自由な世界からわざわざ手紙を送ってくる人物もひとりしかいない。

ただ、いつもと違うのは、それが手紙ではなく小包だということ。

ブルーの包装紙には星や円の図形がちりばめられている……と思いきや、よく見るとヒトデや貝の絵だった。

「なんなの、これ」

胡乱な目になりつつ包装紙を外せば、出てきたのは海のお伽話を集めた絵本。

ぱらぱらとページをめくっていくと、彩色された人魚が目に留まった。人魚は美しい顔で歌う。船乗りたちを油断させ、嵐の真っただ中に引き入れるために。

寝物語に母からよく聞かされたと、ようやく思いだす。

読み耽りそうになって、慌てて本を閉じた。テーブルのわきに置く。

「お姉様へのお返事は、出さなくていいの?」

「いいの。書きたくないもの」

ぷいと顔をそむけるイサベラに、シスター・メイは困ったように笑った。きかんぼうをなだめるような笑顔にまた腹が立つ。

(お姉様はいいわよね、今は公爵家で幸せに暮らしていらっしゃるのだもの)

一度だけ入った姉の部屋の絢爛な調度を思いだして歯噛みする。

「本当は、お姉様に謝りたいのではなくて?」

「そんなことない。早く出ていって」

そっぽを向いたまま言えば、メイは空気を震わせるだけの笑いを発した。

「準備ができたら作業場にきてね。今日の仕事は機織りと写本よ」

ぱたんとドアが閉まる。しばらくして、遠くのほうから鐘の音と「おはようございまあああす!!」の声が届いてきた。

修道院というより軍隊を思わせる絶叫式挨拶なのは、北の僻地にあり、訳あり貴族を受け入れることも多いこの修道院で、あまり空気が暗くなりすぎないように……という配慮らしい。どちらかというと神経を逆撫ですると思うのはイサベラだけだろうか。

メイの気配がさらに遠ざかっていくのを確認してから、本を手にとり、イサベラは肩をすくめた。

「……謝っても、許してくれるわけがないもの」

イサベラが絶望した、こんな味気のない生活よりももっとひどい環境に、姉は六年も閉じ込められていたのだから。

身支度を整え寝起きをするための棟から母屋に向かうと、すでにほとんどの者が集まっていた。

サレア修道院の前身は、貴族の領邸だったらしい。

作業場ももとは広間で、天井や壁には華やかな彫刻が施されている。ただし同じく豪奢だったのだろう調度はすべてとりはらわれ、大きくとった窓の下に等間隔に作業台が置かれているのみ。

修道女たちは、各自がそこで与えられた仕事をこなす。

その前に、朝の挨拶がある。

修道女たちは向かいあうように二列に並ぶ。彼女らを離れた位置から見守るのはシスター・メイなど、監督の役割を持つ者。イサベラとともに並ばされているのは、見習いや、新入り、若手といった者だ。

メイが進みでた。すう、とベールを通して息を吸い込む音がする。

「皆さん、おはようございまあああす!! 今日も一日、はりきっていきましょおおお!!」

広間に張りのある声が響き渡った。それを受け、二列に並んだ修道女たちも口を開く。

「「「おはようございまあああす!!」」」

「大切なことはあああ!!」

「「「愛!! すなわち、思いやりと、感謝!!」」」

「周囲の皆様に感謝してえええ!! 今日も一日いいい!!」

「「「はりきっていきましょおおお!!」」」

(あと何年ここにいなくちゃいけないのかしら)

起床挨拶以上に謎の唱和をあくびまじりの口パクでやりすごしながら、イサベラは干物の魚の目になっていた。