作品タイトル不明
依頼達成と魔物研究者
水晶魚たちが戻ってきたのを確認した私は、そっと右手を差し出した。
「―― 水牢(アクア・プリズン) 」
私の指先から放たれた魔力が、海水ごと数匹の水晶魚を包み込み、球体状の檻となって浮かび上がった。中で魚たちが驚いたように泳ぎ回っているが、傷つけることなく捕獲完了だ。
「よし。目的達成ですね。上がりましょうか」
私たちは水底を蹴り、地上(といっても地下階層だが)へと浮上した。
「ふぅ……。やっぱり陸の上は落ち着くな」
ザグさんが体を震わせ、水気を飛ばす。
私は水魔法の球体を維持したまま、もう片方の手でパチンと指を鳴らした。
「―― 凍結(フリーズ) 」
瞬間、球体の中の水が一気に冷やされ、水晶魚ごとカチコチの氷塊へと変化した。鮮度を保つための瞬間冷凍だ。
「……ねえ、ちょっと。身体強化でクラゲを殴り飛ばしてたと思ったら、今度は水魔法で捕獲して、息つく暇もなく氷漬け?」
「ん? 何か変ですか?」
「変よ。普通、魔術師には適性があるでしょ。火が得意なら水は苦手とか。てっきりあんたは強化と回復専門だと思ってたわ」
私は出来上がった氷塊を防水布で包みながら、首をかしげた。
「ああ、それは人間の基準ですね。私たちエルフは、精霊との親和性が高いのか、基本的に全属性使えるのが『普通』なんですよ」
「……へぇ。じゃあ、苦手なものなんてないわけ?」
「ありますよ。私の感覚で言えば……」
私は指を折りながら、空を見上げて少し考える。
「一番得意なのが『身体強化』。次いで『治癒』。その下が『浄化』と『火』で……『風』『雷』『光』はまあまあ。一番苦手なのが、今の『氷』ですね」
エリスさんが、布に包まれた氷塊を指差して固まる。
「一番、苦手? 今の、一瞬で芯までカチコチにしてたわよね?」
「ええ。ですが、見てください。表面に少し気泡が入ってるでしょう? セラフィーナさんなら、もっと芸術的な、宝石みたいな氷の彫刻に仕上げますよ。『美しくない氷なんて、ただの冷たい水ですわ』って怒られそうです」
「……セラフィーナ?」
エリスさんが眉をひそめて聞き返す。
「ああ、失礼。学院時代の友人です。魔法に関しては天才的な方でして。彼女に比べれば、私なんて氷の塊を作るのが精一杯です」
「……あんたの周り、化け物しかいないの?」
エリスさんは頭を抱え、ルーさんたちも「一番苦手であれか……」と、乾いた笑いを浮かべていた。
◇
第21階層の入り口近く、安全な広場で火を起こし、私たちは車座になった。
濡れた服を乾かしながらの、遅い昼食だ。
「さて、と。薬に使う肝は傷つけないように取り出して……ルーさん、お願いします」
「うむ、確かに受け取った。これで村の子供たちも助かる」
ルーさんが、小瓶に入れた肝を大事そうに懐へしまう。
「残った身は、私たちで美味しくいただきましょうか。……エリスさん、あれをお願いできますか?」
「はいはい、あれね」
エリスさんが私の荷物から、黒い液体が入った小瓶を取り出して渡してくれる。
「はい醤油!」
「ん? エリス殿、その黒い水を知っているのか?」
ルーさんが不思議そうに首を傾げると、エリスさんは得意げに胸を張った。
「ええ、市場でリィアが『これがないと始まらない!』って大騒ぎして買い込んだ調味料よ。最初は毒薬かと思ったけど……卵かけご飯にかけたら絶品だったわ」
「ほう……卵に合うのか」
「ええ。でもリィア、まさか魚にも使う気?」
「もちろんです。むしろ、ここからが本番と言っても過言ではありません」
私は薄造りにした水晶魚の透き通った身を、醤油にちょんとつけ、口へと運ぶ。
――コリコリとした弾力のある歯ごたえ。噛むほどに広がる、淡白だが奥深い甘み。そこに醤油の香ばしさと塩気が絡み合い、魚の脂と溶け合って絶妙なハーモニーを奏でる。
「……美味しいです!」
私が頬を緩ませると、エリスさんも待ちきれない様子で箸を伸ばした。
「……っ!卵の時とはまた違う、なんていうか……魚の甘みが引き立つわね!」
「でしょう?」
ルーさんたちも、初めて見る黒い調味料に恐る恐る口をつけたが、すぐに目を輝かせた。
「おおっ! これは……酒だ! ザグ、酒を出せ! この塩気と香りは、酒が進んで仕方がないぞ!」
「へへっ、もう準備してまさぁ!」
宴の熱気が高まる中、私の視線は荷物の隅に置かれた「巨大な黒い塊」に向けられた。
岩場から強引に引っ剥がしてきた、オオグチカガミガイだ。
「……で、リィア。その巨大な貝はどうするの? 醤油で焼く?」
エリスさんが串焼きを齧りながら尋ねる。
「そのつもりだったんですが……これ、見てください」
私はナイフを取り出し、貝の隙間に差し込もうとした。
カキンッ!
硬質な音が響き、ナイフの刃先が欠けて飛ぶ。
「……硬すぎます。それに、閉じる力が強すぎて、私の腕力でもこじ開けられそうにありません。無理にやれば、中身が潰れて台無しになります」
「あんたの腕力で無理なら、もう攻城兵器でも持ってこないと無理ね……」
「ですね。……悔しいですが、食べるのは諦めて、このまま持ち帰ることにしましょう。中身ごと研究材料として提供すれば、ギルドの研究者も喜ぶでしょうし」
「中身入りで? ……まあ、腐る前に届ければいいか」
◇
転移魔法陣から地上へ戻った私たちは、その足でギルドへと向かった。
ルーさんたちとは一旦別れ、私は「未知の素材」の鑑定と寄付を行うために、ギルドの研究区画を訪ねることにしたのだ。
職員に案内されたのは、ギルドの地下にある、資料の山に埋もれた薄暗い一室だった。
カビと古い紙、そして何やら酸っぱい薬品の匂いが充満している。
「……どうぞぉ。散らかってますけどぉ……」
本の塔の向こうから、ボソボソとした、湿り気を帯びた低い声が聞こえる。
崩れそうな書類の山をかき分けて現れたのは、一人の女性だ。
手入れされていないボサボサの黒髪が顔の半分を覆い、分厚い眼鏡がずり落ちている。着古した白衣はあちこちに怪しげな染みがついていて、全体的に「ジメッ」とした陰気な雰囲気を漂わせている。
だが、その薄汚れた白衣の下には、隠しきれない豊満な肢体が窮屈そうに収まっていた。動くたびにボタンが悲鳴を上げているのが、嫌でも目に入る。
「……魔物学者のマンドラですぅ。あら…エルフさんなんて珍しいですねぇ。それでぇ、寄付っていうのは……?」
彼女は眼鏡の位置を中指で押し上げた。その指先はインクで汚れている。
「第21階層で遭遇した変異種のドロップ品と、貝です。研究に役立ててください」
私はカウンターに、巨大クラゲから落ちた「透き通った青い石」と――「オオグチカガミガイ」を、ドスンと置いた。
マンドラさんの目が、眼鏡の奥で怪しく光った。
彼女はまず「青い石」を手に取り、なめるように眺め回す。
「……うへへ。これぇ、すごいねぇ……。魔力の波長が、既存のデータと全然違うよぉ……。変異種? それとも外来種かなぁ……?」
独り言のようにブツブツと呟いていた彼女だが、次に「貝」を見た瞬間、その表情が一変した。
目を見開き、書類の山をなぎ倒して貝に顔を近づける。
「……っ!? こ、これぇ……オオグチカガミガイ……だよねぇ?」
彼女は震える手で、黒光りする巨大な殻を撫で回した。頬ずりせんばかりの勢いだ。
「嘘ぉ……完璧な状態じゃない……。傷ひとつないよぉ……。ねえねえ、これ、どうやって採ったのぉ?」
「どうやって、といいますと?」
「だってぇ、この貝は岩盤と一体化するくらいの吸着力なんだよぉ? 採ろうとするなら、岩ごと爆破しないと採れないはずなのにぃ……」
マンドラさんが身を乗り出し、私に詰め寄る。白衣の胸元が強調され、甘いような薬品のような匂いが漂う。
「どうしてちょうつがいまで無傷なのぉ!? 教えてよぉ、ねえねえ!」
「あー、えっと……手で掴んで、そのまま『んっ!』て引っ張ったら採れましたけど」
「えっ」
マンドラさんが固まる。眼鏡がまたずり落ちた。
「ひ、引っ張った……? 素手でぇ? これをぉ?」
「ええ。少し固かったですけど」
「……うへ」
彼女は私と貝殻を数回見比べた後、ニチャリと口元を歪めた。
「うへへ……うへへへへ……素晴らしいねぇ。この硬度、この完全な形状……!」
彼女は近くにあった工具箱からノミを取り出すと、殻の端に当てて、コン、と軽く叩いた。
カキンッ!
硬質な音が響き、ノミの刃先があっけなく欠けて飛ぶ。殻には傷一つついていない。
「……んぅ~、やっぱりだぁ。これじゃあ、私の道具じゃ歯が立たないよぉ……」
マンドラさんは困ったように、けれどどこか嬉しそうに頬を緩めた。
「無理にこじ開けようとしたら、中身が潰れちゃうしぃ……。これだけの硬度、加工するのも一苦労だねぇ……」
彼女は眼鏡の奥の目をギラリと光らせ、私の方へ向き直った。
「ねえねえ、提案なんだけどぉ…」
「はい、何でしょう?」
「この子、まだ生きてるよねぇ? だったらさぁ、無理に殺して素材にするより、このまま『飼育』してみない?」
「飼育、ですか?」
「そうそう! ギルドの地下に特大の水槽があるんだよぉ。そこで生かしたまま観察して、生態を解明するの! 排泄物とか粘液とか、生きてるからこそ採れるレアな素材もあるかもしれないしぃ……うへへ、毎日観察できるなんて最高だよねぇ……」
完全に自分の趣味と実益を兼ねた提案だ。
でも、確かにこの珍しい貝をただの素材にしてしまうのは惜しい気もする。
「いいですね。中身が痩せてしまう前に、環境を整えてあげてください」
「うんうん、任せてぇ! 最高の水質と餌を用意してあげるからねぇ~! よし、すぐに水槽の準備しなきゃ……うへへへへ……」
木箱を抱えるマンドラさん。
少しフラついてて危なげない。
「……あ、そうだ。あなたぁ、名前はぁ?」
「リィアといいます」
「リィア……リィア……あぁ! エレーナの手紙に書いてあった子だぁ!」
その名前に、私はハッとした。
「エレーナさんをご存知なんですか!?」
「うんぅ、古い馴染みだよぉ。あっちも相当な変わり者だけどぉ、私も人のことは言えないしねぇ……うへへ」
マンドラさんは、少しだけ口元を緩め、書類の山から一通の封筒を引っ張り出した。
「彼女ぉ、今は王都の魔法学院で臨時講師をしてるんだってぇ。『面白い生徒がいなくて退屈で死にそうだ』って、この前手紙が来たよぉ」
「王都に……!」
エレーナさんが近くにいるとは、思いがけない情報だ。
「ありがとうございます、マンドラさん。……私、会いに行きます」
「んぅ、行ってあげてぇ。きっと喜ぶよぉ……あの子、気難しいから、友達少ないしねぇ……」
「それじゃあ、私たちはこれで。王都についたら、エレーナさんにもマンドラさんの事伝えておきますね。貝のお世話もお願いします」
「うんぅ、任せてぇ。毎日愛でてあげるからねぇ……うへへ」
不気味な笑い声を背に、私たちは研究室を後にした。