軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

殴殺勇者シア編 殺っちゃいました、です?

「……ハジメ、起きて。ハジメ」

酷く重たい頭の中に、清涼剤のような声が届いた。

「……ハジメ。シアが……シアが……起きて、ハジメ」

聞き慣れた可憐な声音には、どこか切羽詰まったような響きがある。

ゆっさゆっさと自分を揺さぶる小さな手。その感触は揺りかごのようで、逆に眠気を誘う。

「……ハジメぇ。起きてぇ。シアが~」

ゆっさゆっさ。更には、のし! と腹の上に重みが……

眠たい。非常に眠たい。のだが、どうやら最愛の吸血姫様は、どうしてもハジメに起きて欲しいらしい。

彼女がここまで動揺するなど、ただ事ではない。睡魔に襲われ働きの鈍い頭でも、それだけは感じ取れた。

ハジメは苦労しながらも、強力な磁石と化している目蓋をうっすらと開ける。

「あ~、ユエ?」

「……ん、ユエです」

ユエ様だった。なんだか焦っているような、あるいは困っているような、そんな形容し難い表情でハジメの腹の上に馬乗りになっているユエ様だった。

「どうしたんだ、そんな顔して。何かあったか?」

眠気をたっぷり含んだ声音で、しかし、とびっきり優しい手つきでユエの頭を撫でながら尋ねるハジメ。

ユエは僅かな間、気持ち良さそうに目を細めていたが、直ぐに「それどころじゃなかった!」と言いたげに表情を改める。

「……ハジメ、大変」

「あん? 俺が大変なことになってるのか?」

「……ん、違う。ハジメは大変じゃない。普通に寝てただけ。むしろ、寝顔ご馳走様でした」

「あ、うん。で? なんなんだ?」

「……シアのこと」

「シア?」

どうやら、シアに何かあって大変らしい。

目を眇めて、覚醒し始めた脳を回転させながら、ハジメは、どういうことかと尋ねる。

馬乗りユエ様は、とても深刻な表情になった。

ハジメは嫌な予感に支配された。まさか……と思う。

アキバの町が修羅場と化したか?

戦士達が咆哮を上げたか?

限界突破した彼等に、シアのウサミミが狙われているのか?

あるいは、既に世界が動き出したか?

あらゆる可能性が湧き上がっては消え、湧き上がっては消え……

だとしたら、いくらシアといえども不味いかもしれない。

果たして、魔境と化したであろうあの町から自力で脱出できるのか。

いや、ユエが深刻な顔をしているということは、既にSOSが届いているのかもしれない!

あの町の戦士紳士淑女その他が獲物を見つけたときの戦闘力は、理屈では計れないものがある。

少なくとも、各国政府に所属するエージェントを上回るのだから!

「……ハジメ、落ち着いて聞いて」

「ああ」

ごくりっと生唾を呑み込みながら、ユエの泣き出しそうにすら見える瞳を見つめ返したハジメは、聞いた。

「……シアが、シアがっ」

「どうした!?」

「……私をニートだと思っているかもしれない!!」

悲鳴のようなユエの声が木霊した。

チクタクチクタクと、時計の音がやたらと明瞭に響く。部屋は、とてもしんっとしている。

涙目のユエは、やっぱりとっても深刻な表情。

「取り敢えず、お前が落ち着け」

落ち着いて聞いた後の、ハジメの第一声がそれだった。

ハジメさんの顔に「しょうもねぇ……」と書いてある。ユエなら大体なんでも許しちゃう駄々甘のハジメさんが、ユエばりのジト目になっている。更には、そのまま布団を被り直してユエを意識から閉め出そうとしている。「ねみぃんだよ、ばか野郎」という心の声が聞こえてきそうだ。

ユエは、如何にもショックを受けたような顔になった。漫画ならガーン! という音文字が描かれそうだ。あるいは、落雷のピシャァ!! だろうか。

ユエは、ハジメが頭まで被ってしまった布団防壁を掴んでグイグイッと引っ張り始めた。

「……ハジメ! ハジメぇ! 聞いて! 聞いてよぉ!」

「……………………何を?」

「……シアにニートだと思われていたら、私、ショックで死んでしまうかもしれない」

「不死身だろうが」

「……心の傷は自動再生できないので」

「…………メンタル豆腐かよ」

おそらく、シアが相手だとそうなのだろう。好きな相手には意外に打たれ弱い最強の吸血姫様だった。

グイグイッと布団を引っ張り戻そうとしながら、ハジメは適当に答える。

グイグイッと布団を引っぺがそうとしながら、ユエがマジ顔で言う。

「……私、思うのです。面と向かって言われるより、何気ない会話の中で言われる言葉の方がダメージがあると」

大体家にいる暇な人……。確かに、ポロリとこぼれた本音っぽい。

地球に来てからというもの、シアの自分に対する敬意が薄れてきている気はしていた。

確かに、ポケットにティッシュを入れたままの服を洗濯機に入れてしまった時は(三回目)、怒髪天を衝く勢いで怒られたし……

ゴミ出し当番を忘れた時も(四回目)、すっごく怒られたし……

仕方ないから、全部まとめて蒼龍してやったら、なんだかすごく呆れたような目で見られたし……

洗濯物の分別で、しょっちゅう注意されるし……

ちょっとユエさぁん! そんなところでゴロゴロしてないでどいてくださいよぉ。掃除機かけられないじゃないですか~って、よく言われるし……

けれども! そんな私ですが!

「……シアには、いつでも親愛と敬愛たっぷりの目で見られたい!」

どうしたらいい? と、縋るような目を向けながら、ハジメをゆっさゆっさと揺さぶるユエ様。

ハジメは無言で時計に目を向けた。そして、なんとも言えない表情になる。

「シアが出かけて四時間か……。どんだけ悩んでたんだよ」

そう、 四時間も(・・・・) 経過していた。

その間、この吸血姫様はリビングのソファーで三角座りしながら、ずっとしょぼくれていたらしい。

ハジメは溜息を一つ吐くと、おもむろにユエへ手を伸ばし、そのまま布団の中へ引き込んだ。

「……ハジメ?」

「取り敢えず、寝ろ。寝て起きればすっきりするだろ」

たぶん、とは心の中で。ユエを抱き枕にしつつ、布団を被り直す。

「……むぅ。誤魔化されたような……」

早くも寝息を立て始めたハジメを、ユエは唇を尖らせつつ、その胸元から見上げる。

しばらくジッと見ていると、ユエも眠気に誘われてきた。目元をとろりとさせて、もぞもぞとベストポジションを探る。

そして、

「……ん。シアが帰ってきたら、断固抗議しよう」

断じて暇人ではない。何もしない時間を楽しむということをしているのだ!

つまり、いつだって超忙しいのである! と。

帰ってくるのは夕方になるかな? シア、早く帰って来ないかな? と思いつつ、ユエはハジメに身を委ねながらお昼寝に参加するのだった。

「……おやすみなさい」

~~~~~~~~~~~~~~~

「おはようございます!」

ウサミミに、ダリアの元気な声が響いた。

「……おはようです」

挨拶を返しつつも、シアは微動だにしない。そして、その声は凄く渋かった。

腕を組んで仁王立ちしたまま、豪奢な部屋の窓から丘陵の上へ完全に昇り切った朝日を見ている。

そう、朝日を、見ている。

夜が明けて、朝を迎えたのだ。しかも、数時間ほど経っている。

なのに、

「迎えに来ねぇです」

ウサミミも、目元も、口の端もピクピクと引き攣っている。目は完全に据わっていた。

腕時計を見れば、召喚されてから十時間は経っている。家を出たのはお昼前だったから、地球ではもうとっくに夕方を過ぎて夜に入っている頃合いだ。晩ごはんの時間である。

なら、帰って来ないシアへ連絡があったはずで、同時に音信不通状態となっているのも既に分かっているはず。

なのに、迎えが来ない。

もしかして、想像以上に世界の隔たりが大きくて、魔力的に厳しいのかしらん? などと考えて見るが、なんにしろ期待していた分ちょっと悲しい。

まさか、向こうでは 四時間しか(・・・・・) 経っていないとは思いもしない。

そして、何気ない自分の言葉がユエを乱心させているなんてことも、思いもしない。

(ま、まぁ、あれですね。きっと魔力的問題ですね、うん。トータスとの転移も、簡単にできるようまだ研究中という話でしたし)

なんとか自分を納得させるシア。

そんなシアの傍らで、ダリアは恐縮しているような控え目な態度で一礼した。

「ウダル様、おはようございます」

『うむ』

返事をしたのは、仁王立ちして朝日を眺めるシアのウサミミの間をふよふよ漂っている光の球……雷雲の神霊だ。名をウダル。真名はもっと長いが、人が発音できる範囲だと、そう呼ぶらしい。

『ところでシアよ。そろそろ我に反応しておくれ。我、ここまで無視されたのは初めてである。どうしたらいいのか分からない』

ふよふよ、ふよふよ。ふりんっ。

なんだか愉快な感じに、シアへ自分の存在をアピールしているウダルさん。

なんだろう。光の球でしかないのだが、どことなく悲しそう……

「え? なんです? すみません、全然気が付きませんでした」

『……我、神霊なのであるが』

「今はただの球ですけど……」

『……で、あるな』

ふよよ~、ふよよよ~。

どことなく泣いているような気がしないでもない。

さて、どうして雷雲の神霊たるウダルが、こんな姿でシアの側にいるのか。

簡潔に説明すると、シアの魂まで響く殴打によって心に傷を負った神霊は、人型を維持できなくなって光球状態にまで成り下がったのだ。

しかし、シアは神霊を消滅させるつもりはなかったので、ウダルは止めを刺されることもなかった。そうして、戸惑うウダルに、お願いだから話し合いをとシアは頼んだのである。

神霊たる己に正面から戦いを挑んで勝利し、しかし、慈悲深くも(?)命を奪わず、それどころか望みは言葉を交わすことだけだというシアに、どうやらウダルは酷く感銘を受けたらしい。

元より敗北した身。それはすなわち、神霊の意志と覚悟が、シアのそれに敗北したのと同義。

ならば、この強く、美しく、気高き少女の望みに応えようではないか! と、なったわけである。

取り敢えず、話し合いをするにしても、王都は絶賛混乱中で被害は甚大。夜も深く、対応すべきことは山ほどある。

というわけで、功労者たるシアは休めるように王宮の一室へ。エリック達は日が昇った後に神霊と対話する場を設けることにして、事後処理に奔走。

で、今に至る、というわけだ。

『シアよ、シアよ。お前の言う迎えはいつ来る?』

ぽよよんっと、シアの頭の上に着地したウダルが、ぽよんぽよんしながら尋ねる。光の球なのに、なんだかスライムみたいな動きだ。

「う~ん、この時点で来ないので、ちょっと時間かかるかもですね……」

『大丈夫なのか? 母ルトリアは刻一刻と弱っている。十年は待てんぞ』

「あはは、それは私も待てませんよ」

ぽよんぽよんっとシアの頭の上で跳ねるウダル。美丈夫形態とのギャップが凄まじい。見た目はほとんどぷよ○よだ。

ちなみに、母ルトリアとは、星樹に宿る意思のことだ。全ての神霊と精霊達の母である。

ぽよんぽよんっしているウダルを掌に乗せて、「流石、神です。時間感覚が違いますねぇ」と苦笑いするシア。

「……尊い」

そんなシアとウダルの様子を黙って見ていたダリアは、思わずといった様子で呟いた。

彼女の目には、窓から差し込むまばゆい朝日に照らされながら、いと尊き存在である神霊と美しい勇者が戯れているように見えているらしい。

まるで書物で語られる神話を目撃でもしたかのように、うっとりしていらっしゃる。

「ダリアさん?」

トリップ気味のダリアに、シアは小首を傾げた。

「も、申し訳ありません! 神霊様が人の名を呼び、そのような親しげな言動を取られる姿など書物の中でしか存じませんでしたので、つい」

ハッと我を取り戻したダリアは、恭しく一礼。

「そろそろ朝食の準備が整います。その前に、湯浴みをされてはどうかと思い、参りました」

「ああ~、なるほど」

部屋に案内される前にも是非湯浴みをと勧められていたのだが、流石に、何があるか分からない場所で無防備を晒すつもりはなく、シアは固辞していたのだ。

しかし、シアとて健全な女性だ。お風呂は大好きである。軽く体を拭いただけでは、なんともスッキリしない。

お迎えがくれば気を抜いてお風呂に入っても問題ないと思って我慢していたのだが、それが遅れそうとあれば心が揺れる。

とはいえ、いつウダルのような神霊がやって来るか分からない。

さて、どうしようかと悩むシアに、ウダルが心情を察してか声をかけた。

『シアよ、警戒しているのか?』

「ええ、まぁ。ウダルさんのお仲間がやって来ないとも限りませんからね……」

『ならば我に任せよ』

「え? 止めてくれるんですか?」

『うむ。我が声をかければ問答無用ということはあるまい』

本当に、あの話が全く通じない状態が嘘だったように協力的だ。否、むしろ好意的といっても過言ではない。

シアは、「それなら……」と嬉しそうにウサミミをピコピコさせ……

『我も、湯浴みは久しぶりである』

「……はい?」

『神霊たれば、必要性はない。が、昔は人を真似てよく湯浴みをしたものだ。中々心地良くてな、我は湯浴みを好む。さぁ、シアよ、湯浴みに行こう――』

シアは、掌の上の神様をむぎゅりっと握った。

『シ、シアよ。我、ちょっと苦痛を感じるのである。ちょっと中身が出そうなのであるが』

抗議の声を上げかけたウダルだったが、シアが発する笑顔のプレッシャーに言葉を止めた。

「何をさりげなく一緒に入ろうとしているんですか」

『な、何が問題なのだ?』

「この神めっ、ですぅ!」

ぷぎゅるっ!! と握る手が強くなる。ウダルは慌てて言い募った。

『そうか、分かったぞシアよ。羞恥を感じているのだな? 人の子は、異性に裸身を見られることに抵抗があると、我は知っているぞ』

「そういうことです」

『うむ。だが、問題ないと言わせてもらおう』

「はい?」

『確かに我は、性質として男神である。しかし、我はシアを好いている。好意のある男女は裸身で接するものだ。つまり、問題はな――』

もぎゅるるる!!

ウダルさんは沈黙した。今にも溶けて消えてしまいそうなのは、シア流アイアンクローによって消滅の一歩手前だからか。なんとなく白目を剝いている美丈夫の姿が見えなくもない。

「すみません、ダリアさん。やっぱり湯浴みしたいので、これ預かってて貰えますか」

「エッ!?」

ジト目で神霊様をポイッ。ダリアは戦慄の表情をしながら死に物狂いでキャッチした。

その後、シアは侍女さん達の世話を固辞して、ゆっくりと湯浴みをしたのだった。

『シアよ、酷いではないか』

「すみません。神様って基本的に理不尽なので、気絶でもさせとかないと普通に入ってきそうだと思ったので」

『……』

広々とした王宮の一室。円卓テーブルの一角に座るシアが、ウダルの抗議を真顔で返した。

ウダルの沈黙からすると、やはりそうするつもりだったらしい。

『よいではないか。シアよ、我はお前を好いておるぞ。我を打倒する強さに、義を貫くその気高き美しさ。伴侶に迎えても良い』

「寝言は寝て言え、ですよ」

朝食の野菜を頬張りながら、ジト目でいうシア。その頭の上で、ウダルスライムがもにょんと垂れる。割と本気の言葉だったのかもしれない。

と、そこで、もう我慢ならん! みたいな感じで声を上げる男が一人。

「おい、シア! 何故――」

「呼び方」

「ぐっ。ウ、ウダル様には許しているではないか!」

エリック陛下である。夜明け頃まで顔面ボコボコで、イケメン顔が大仏様の頭みたいになっていた王様である。今は霊法の治癒で軽いボコボコ顔だ。現在進行形で霊法による治癒を行っているので、後数十分もすれば完治するだろう。

なお、この朝食の席には、他にもルイス、グレッグ、フィル、そしてダリアが同席している。

「それはまぁ、神様ですし。何千何万と生きてきた存在ですからね」

流石に、そこまで呼び方を押しつけるつもりはないということらしい。

「といっても、私を〝人の子〟ではなく〝女〟として見るなら、呼び方も考え直す必要がありますけど」

チラリと視線を向けると、ウダルはふよふよと空中を漂いだした。如何にも、「え? 何も聞こえないけど?」みたいな雰囲気だ。

神ェ~といった感じでジト目を送りつつ、シアは、まだ何か言いたげなエリック陛下をスルーして尋ねた。

「ところで、事後処理は大丈夫でしたか? ウダルさんがここにいるのは、王都の人達も知っちゃってると思いますけど……かなり反発があったんじゃないですか?」

ウダルの神罰は、多くの民の上に降り注いだ。

シアが打倒したとはいえ、止めを刺さなかったことは、王宮へ入るまでのパレードのような道程で知られているだろう。

人の姿ではなくとも、シアの側に寄り添う精霊の光があれば、それが打倒された神霊であると分からない方がおかしい。よく王宮に入るまでに、「弱った神霊に止めを!」と暴動が起きなかったものだ。

「少し、神霊に対する認識に齟齬があるようですね」

ウダルとシアのやり取りを、張り付いたような笑顔で見ていたルイスが答えた。

「齟齬、ですか?」

「はい、シア様。まず最初に申し上げますが、神霊は決して悪ではありません」

そう、悪ではない。

彼等は決して命を軽くみない。彼等は世界を見守り、人々を見守り、命を愛でる存在だ。彼等ほど、この世界を愛している存在はいない。

たとえ、村々を問答無用に滅ぼしたとしても、たとえ都に万雷を降らせたとしても、そこに悪意はなく、彼等が愉悦を感じることもないのだ。

「シア様、我々は……特に、最古の国である我がバルテッド王国の民は、それを深く理解しております」

『……うむ。我等とて、好んで人の子に手を下しているわけではない。人の子もまた、世界に満ちる愛しき命の一つなのだから』

「……はい、ウダル様。故に、我等は、神霊の手が下った時こう考えます。〝彼等に、そうさせてしまった〟と」

「なる、ほど?」

神というものに良い思い出のないシアには、理解するのに少々難しい価値観だった。果たして、大切な人を失った人達が、そんな風に割り切れるものなのだろうか、と。

察したルイスが、苦笑いしながら頷く。

「お察しの通り、割り切れる者ばかりではありません。最たるは魔王国なわけですが……」

「ああ、なるほど。許容できないから、技術の発展を以て対抗してやる!ってわけですね」

「おっしゃるとおり。それが彼等の根幹で、始まりの想いですね」

エリック陛下が、感情を殺した表情でウダルを見つめながら引き継ぐ。

「昨夜は、シアがいたから暴れる者はいなかった。ウダル様への畏怖や恨み辛みより、お前という希望に心を満たしていた。時間が立てば分からないが……それでも、我が国の民は、みな知っている。人の業が、ウダル様達に行動を強いたのだと」

「なるほど」

確かに、王都の民は、シアの姿に熱狂的な歓声を上げていた。

神霊を打倒するという偉業を目撃し、その神霊が認めて寄り添う希望が現れたのだ。神罰を執行されたことよりも、神罰を免れたことに心を掴まれてもおかしくはないのかもしれない。

諜報部員でもあるフィルが、朝から王都民の感情を調査していたのだろう、その結果を口にする。

「今のところ暴走する気配はないね。いやぁ、シアちゃん様々だよ――」

「あ゛ぁ゛?」

「シ、シアっち様々だよね!」

シアの禍々しい眼差しに冷や汗を流しつつも、ちょっと呼び方を変えただけで言い切ったフィル。

「……騎士団にも相応の被害が出た。だが、今のところ血気に逸る者はいない。シア、貴女のおかげだ」

「……はぁ。どういたしましてです」

グレッグの真摯な感謝がこもった眼差しと言葉に、シアは溜息を吐きながら呼び方の訂正を諦めた。でないと、いちいち会話が止まってしまう。

にんじんっぽい野菜スティックを、ウサギのように高速ポリポリ。

そんな、ちょっとふてくされたようなシアの様子に、エリック陛下は和んだように目元を緩めつつ尋ねた。

「それで、シア。お前の迎えはまだ来ないようだが、どうする?」

「そうですね……来ないとは言っても、流石に数日以内には来てくれると思うので、その間は新しい神霊さんに警戒しつつ待機でしょうか?」

「そう、か」

腕を組んで考え込むエリック陛下。少しして顔を上げるとウダルへ視線を向けた。

「ウダル様。我々の決意と償いを、どのようにお考えだろうか?」

もし受け入れてもらえるなら、星樹のもとへ辿り着くために助力願えないかという言外の言葉が届く。神霊であるウダルの許可があれば、聖獣達の妨害も解除してもらえるのでは、と。

しかし、ウダルの声音は冷たかった。

『母ルトリアは、お前達〝人〟に絶望しておられる。子に刃を向けられて、心冷えぬ親がおろうか』

「それは……」

『それでも母ルトリアは、お前達を慈しみ続けてきた。世界の均衡が崩れる寸前まで。だが、愛しているのは〝人〟だけではない。他の子等も守らねばならん』

「……」

虫の良すぎる願いだったと、エリック陛下は恥じたように唇を噛み締めた。ルイス達も同じだ。

ウダルは、そんなエリック陛下達をジッと見つめているかのように動かず、微かに明滅する。

『だが……こうしてお前達の心に触れていると、我自身は、望みはあるのではないかと思う』

「ウダル様……」

シアに敗北し、こうして身近に接して、一部の人間は確かに己を省みていると理解できた。けれど、やはり、結局のところ神霊が本格的に動いた時点で〝遅すぎた〟のだ。だから、もはや言葉でどうにかなる時点ではないと、問答無用の神罰が降り注いだ。

『……協力はしてやろう。シアの頼みでもあるのでな。しかし、我はほぼ力を失っている。大したことはできぬ』

「星樹への道も?」

『うむ。仮に我の声が届いても母は受け入れないであろう』

何より、と続けるウダル。声音は厳しい。

『問題の根幹は霊素の枯渇ではない。枯渇を厭わぬ人の心である。それは、分かるであろうな?』

「はい」

『我等は知っている。人の子は風に巻かれる木の葉であると。定まった価値観は、容易には変わらぬ。変えられぬ。強く吹かれて、流れて、行き着くところまで止まれぬのだ』

それこそ、風すら消し飛ばすほどの衝撃がなければ。

「我々の救済計画は……無意味であると、そうおっしゃるのか? 人の子に救いはないと?」

『変わらぬ限りはな』

沈痛な空気が流れた。星樹を守護する神霊自身から、救済計画を否定されたのだ。望みを断たれたようなものだ。

と、そこで場違いなほど軽い口調が響いた。

「じゃあ頑張って星樹さんのもとへ行かないとですね」

あっけらかんとした雰囲気に、エリック陛下達はぽかんっとする。たった今、救済計画を否定されたばかりなのに何を言うのかと困惑が表情に張り付いている。

「シア。聞いていなかったのか? 人に救いはないと、今はっきり言われたではないか」

「じゃあ、諦めますか?」

「そ、それは――」

「無理でしょう? 大切な人の命を諦めるなんて。なら、ぐだぐだ言ってないで、まず行動ですよ」

そもそも、とシアは続ける。場の意識が、全てシアに集まる。まるで、暗闇の中に浮かぶ光を見つめるように。

「許してもらえないなら謝らないって、それかなりダメな感じですよ。悪いことしたなら、許してもらえなくても謝る! 当たり前のことでしょう?」

「え、あ、そ、そうだな……」

「はいです。……確かに、みんなが変わるのは難しいでしょう。でも、エリックさん達は変わったんです。心から反省して、必死に足掻いているじゃないですか」

シアは、にっこり笑って言った。

「だから、ウダルさんも心動かされた。同じように、星樹さんもエリックさん達を認めてくれるかもしれません」

あくまでも、〝かもしれない〟だ。望みは薄い。賭けにもならない分の悪さだ。

けれど、

「絶望的な状況も、泣きたくなるような現実も、まったくちっとも諦める理由にはならないです。一生懸命、頑張る理由にしかならないです」

だって、

「未来は、一生懸命頑張れば変えられる。少なくとも、私はそう信じています」

言霊というものがあるのなら、まさに彼女の言葉がそうだ。と、エリック陛下達は思った。

バルテッド王国には、最古の霊法とは言葉そのものであると伝わっている。霊素など込めなくても、言葉には力があるのだと。それを、言霊というのだと。

誰もが息をするのも忘れて、晴れ渡った空のような瞳を輝かせる少女に魅せられる。

「どっちにしろお先真っ暗なら、走りましょう! どこでもいいです。きっと良い未来に繋がっていると思える方へ走りましょう! とにもかくにも、まずそこからですよ!」

きっと、彼女はそうしてきたのだろうと、わけもなく分かった。望む未来のために、いつだって全力で。

はぁ、と震える吐息が漏れた。エリック陛下だ。胸の内の、自らを焼き尽くすのではと思わせる熱い感情と、目の前の強き少女への、言葉にできない大きな感情を持て余したように、大きく息を吐く。

早くに父王を亡くし、まだ少年だったときから国王として救済計画の先陣を走り続けた彼には、筆舌に尽くしがたい精神的なプレッシャーが常にのしかかっていた。

それこそ、勇者という希望が希望でなかったと知ったら、もう二度と立ち上がれないのではと思い、恐怖から勇者召喚を拒んでしまうほどに、彼の心身は悲鳴を上げていた。全身が、巨石でも担がされているかのように酷く重かった。

それがどうしたことか。言葉一つで、自分でも信じられないほど軽くなっている。

「……あぁ、そうだな。シアの言う通り。どうせ後はないんだ。なら、やるべきことをやるだけだ」

穏やかですらある声音で、しかし、今までよりずっと力強い声音で、エリック陛下は決意を新たにする。

すると、エリック陛下と同様大きく息を吐いたルイスが、見ている方が照れてしまうほど慈愛のこもった眼差しをシアに向けながら、エリック陛下の言葉に続いた。

「ええ。人類が存続できるか否かの前に、とにもかくにも謝罪しませんとね。結果はどうであれ、何事もけじめは大事です」

グレッグもフィルも、そしてダリアも、種類は違えど燃えそうなほど熱のこもった眼差しをシアへ向けながら続く。

「……まずは、自分達を見てもらおう。人の誠意は、まだ尽きていないということを星樹に知っていただきたい」

「そうだね。立ち止まっていたって意味はないんだから」

「不肖未熟の身ではありますが、私も一生懸命頑張ります!」

そんなエリック陛下達を見て、ウダルは少し強く明滅した。無言ではあったが、どこか嬉しそうに見えた。

エリック陛下は、熱い眼差しをシアに向けたまま、今後の方針を纏めに入った。

「では、シアのご家族が来られるのを待ちつつ、連合部隊の編制に力を注ごう」

連合部隊とは、バルテッド王国のエリック陛下やルイス達の他、魔王国と獣王国の国王を含めた精鋭を集めた三国最精鋭による混成部隊のことだ。

前々から計画されていたことで、既に夜の内に使者が出発しており、数日以内には集結する手はずになっている。

人類最強戦力に加え神霊すら打倒するシアがいれば、星樹のもとまで辿り着ける可能性は大いにあるが、エリック陛下はシアとの約束通り、シアの家族が来るのを待つつもりらしい。

「とはいえ、だ。シア」

「はい?」

呼び捨てに未だ少しイラッとしつつも、シアは朝食を食べ終わって口元をふきふきしながら返事をする。

視線を向ければ、何やらエリック陛下がうっすらと目元を染めている。視線も、どこか気恥ずかしげに逸らしている。

なんだ、なよなよしやがって。きめぇなこいつ、とシアが思っているかどうかはさておき。

エリック陛下は、「国王として、万が一の事態については、きちんと意見を交わしておかないといけないし」とわざとらしい前置きをしてから、それを口にした。

「もし、もしだが。お前の迎えが来なか――」

「来ますよ」

真顔のシア。しかし、エリック陛下は、国王の身で顔面ボコボコにされても呼び捨てを諦めなかった剛の者だ。未来は変えられると信じて一生懸命がんばるぅ!

「しかし、だな。夜明けまでに来るだろうといって、結局来なかったわけだ。だとすると、万が一ということも――」

「ありません」

「もし、だ。そうなって帰る手段がなかったら――」

「死んでも帰ります」

「なかったら! ずっとここにいてもいいぞ! その場合、さみしいだろうしな。こちらで新しい家族を作るのもいいだろう。対外的にお前は勇者だから、それなりに相応しい相手がいい。たとえば、王家の人間とか――」

「お待ちください、陛下」

どうやらボコボコにされ具合が足りないらしいです。いいでしょう、ユエさん直伝スマッシュで、女王にしてあげますよ。と、シアが腰を浮かしかけたそのとき、エリック陛下の言葉を遮ったのはルイスだった。

眼鏡が反射している。口元は笑みを浮かべているが、妙に迫力がある。

「シア様は勇者であることを否定なさっています。勇者として見られているからといって、王家の人間が相応しいというのは早計にして短慮かと」

「……なんだと?」

「そもそも、王妃ともなれば安穏とはしていられません。シア様に重責を負わせるなど、私は反対です」

「ほぅ。だったら、他に相応しい相手でもいると?」

「それは彼女の意思次第なので、私にはなんとも。ああ、でもご安心を。陛下のお心を煩わせるようなことはございません。シア様のことは、召喚した私が責任を持ってお世話致しますので」

エリック陛下の額にビキッと青筋が浮かんだ。対するルイスも笑みが深くなる。ただし、目は全く笑っていないが。

「……え、なんですか、この状況」

いきなり始まった舌戦に、シアは困惑を隠せない。

その間にも、今度はグレッグが「彼女は武人だ。なら、騎士団長である俺の方が話も合うだろう」と言い出し、それに対してフィルが「話が合うも何も、グレッグはほとんどしゃべらないじゃん! その点、僕なら気軽だし、シアっちを楽しませられると思うなぁ」とか言い出す。

すると、今度は、

『……ふん。シアは我を打倒するほどの才女であるぞ。人の子に相手など務まるはずがなかろう』

と、ウダルまで参戦し始める始末。

「ウダル様まで……流石でございます、シア様。モテモテでございます!」

「え? あ~、そういうことなんですか?」

「そういうことでございます!」

両手をグッ。相変わらずの仕草でダリアが正解を告げてくれる。

割と辛辣な態度を取っていたはずだし、エリック陛下とウダルに関してはボコボコにしているというのに、どうしてそうなった……とシアは困惑してしまう。あるいは、ティオと同類なのか。ドMの国王と神様とか、正直、見るに堪えないのだが。

(というか、私にはハジメさんがいますのに。旦那様がいるのに口説こうとか、舐めてるんですかね……)

嫌そうに顔をしかめるシアだったが、そこで「あれ?」となった。

(そういえば、旦那様がいるって言いましたっけ?)

よくよく考えると、情報の秘匿という観点から〝家族〟としか言っていない。

左手の薬指には、トータスで地球に帰還する前に貰った指輪がはまっている。魔王の花嫁であることの証だ。地球の法律でいうところの配偶者ではないが、自他共に認める人妻である。

しかし、今のところ誰も反応していない。もしかすると、こちらの世界では結婚指輪という概念がないのかもしれない。

これは無意味なことをこれ以上させる前に、はっきり言っておくべきだろうと考えて、シアは口を開きかけた。

「あの~、実はですね。私、ひとづ――」

その瞬間、シアは一足飛びにテーブルを超えて、反対側へと着地した。

「……ほぅ。素晴らしい反応だな。気配は完全に消していたはずだが」

感心と興味がたっぷりと含まれた言葉。そして、異性を強く刺激しそうな酷く艶のある声だった。

いつの間にか、なんの前触れもなく一人の男が部屋の中にいた。シアが先程まで座っていた椅子の直ぐ後ろだ。

艶やかな黒い長髪。切れ長で理知的な目元。妖しく輝くアメジストのような瞳を持つ凄まじい美貌の男だった、漆黒かつ豪奢な衣装に身を包んでいる。

伸ばした手が、椅子の上の辺りで止まっている。場所的に考えて、シアの髪でも撫でようとしていたのだろう。

艶やかに微笑するその美貌の男に、一拍して我を取り戻したエリック陛下が驚愕の声を上げた。

「アロガン殿!? なぜ貴殿がここに!」

「突然の訪問、お詫びするよ、エリック殿。勇者の召喚と神霊の打倒という一大事に、逸る心を抑えきれなくてね」

「まだ使者は到着していないはずだが……流石は魔王殿というべきか。相変わらず、手の長いことだ」

肩を竦めるアロガンと呼ばれた男。驚いたことに、彼こそレテッド魔王国の魔王陛下らしい。おそらく部下に王都を見張らせていて、なんらかの手段でいち早く情報を掴んだのだろう。

とはいえ、単身な上、いきなり王宮の一室にやってくるなど常識外もいいところだが。

そんな非常識なアロガン魔王陛下は、エリック陛下の後ろにいるシアへ視線を移した。そして、ふっと笑うと次の瞬間、姿を消した。かと思えば、一瞬でシアの眼前へ。

「わわっと」

近すぎる距離に、シアは数歩ほど後退する。直ぐ後ろは壁だ。

「初めまして、勇者殿。私はレテッド魔王国の国王アロガン・スペルビア・レテッドだ。まさか、神霊を打倒するほどの者が、こんなにも可憐な女性だとは思わなかった。是非、名をお聞かせ願いたい」

微笑を浮かべたまま、ずいずいっと近寄ってくるアロガン魔王陛下。凄まじい美貌と、まとう妖艶な雰囲気は、並みの女性なら陶然としてしまうだろう。

「あ、はい。初めましてです。私はシア・ハウリアと言います」

「シア……名前まで美しい」

微笑み強化。どうもこの魔王様。自分の美貌の使い方をよく心得ているらしい。手を伸ばせば触れられる位置まで来て、なおシアへと体を近づける。

エリック陛下達が、思わず止めようとするが、

「なっ、障壁!? アロガン殿、どういうおつもりだ!」

「なに、少しシアと二人の時間を頂きたいだけさ。エリック殿は昨夜もずっと一緒だったのだろう? 不公平ではないか」

そう言って、肩越しに振り返ったアロガン魔王陛下は、障壁で近寄れなくされたエリック陛下達に艶然と微笑む。

そして、壁際にいるシアの顔の直ぐ横へ手を突いた。いわゆる壁ドンだった。真っ直ぐに、近い距離でシアの瞳を見つめる。

「あの、近いんで離れてもらえますか?」

「……ほぅ」

普通は、この時点で大抵の女性は骨抜きになっているのだろう。彼自身、己の魅力に絶対の自信があるようだ。自分が迫って堕ちない女はいないと確信していることが、その瞳に表れている。

まったく動揺していないどころか迷惑そうですらあるシアに、アロガン魔王陛下はますます興味を引かれた様子で、もう片方の手を伸ばした。

目的地はシアの顎先だろうか。いわゆる顎クイをしようというのか。

「それをしたら、抵抗せざるを得ません。一国の王であっても、私は遠慮しませんよ?」

不意に、ぞわりとした悪寒がアロガン魔王陛下を襲った。思わず、手が止まる。

「……では、その抵抗を乗り切れたら、貴女は私のものになるのかな?」

面白いと言わんばかりに、再度手が伸びた。

なので、

「ふんっ」

「む?」

シアは肘打ちをした。後ろの壁に。轟音と共に背後の壁が粉微塵に粉砕される。

――シア流 壁ドン

ハジメ以外に壁ドンされたときに、壁を粉砕して壁ドンする壁自体をなくす技である。

スペースができて一歩下がったシアは、アロガン魔王陛下の背後で障壁を解除しようとしているエリック陛下達に笑顔で拳を振って見せた。

一瞬で察したエリック陛下達。「ひゃ~~~っ」といった感じで、横っ飛びに射線から退避する。

その直後、

「レベルⅦ」

「!!?」

一瞬で跳ね上がったプレッシャー。

自分の美貌、立場、状況などから高を括っていたらしいアロガン魔王陛下は、

「ナルシスト死すべし、慈悲はない。ですぅ!!」

目を見開き、何かしようとして結局何もできず、神霊すら捉えた神速の拳を顔面に食らって 消し飛んだ(・・・・・) 。背後の障壁ごと砕け散り、キラキラした粒子となって霧散していく。

それを見たシアは、

「あ、あれ? ……もしかして、殺っちゃいました?」

そこまでやるつもりはなかったのですけど……

と、冷や汗を流すのだった。