作品タイトル不明
第3話 じゃあ、次も開けてみようか
帰還ポイントの光を抜けると、空気が変わった。
《終点地下街》の湿ったタイルと錆びた看板の匂いが消えて、白く整えられた床と静かな照明が戻ってくる。
管理機構の入場施設だった。
広いロビーには、行き先ごとのゲートが並んでいる。
その前で、何人かの職員がこちらを見ていた。
どうやら、何事もなかったように帰ってくる、というわけにはいかないらしい。
「連理くん、乃々ちゃん、ニーナちゃん。まずはお疲れさま〜」
そう言って近づいてきたのは、落ち着いた雰囲気の女性だった。
声はやわらかい。
けれど、こちらを見る目はちゃんと仕事の人のものだった。
「わたしは 榊千紘(さかきちひろ) 。管理機構の職員だよ〜。びっくりしたよね。……大丈夫、わたしもかなりびっくりしてるから」
「管理機構の方でも驚くんだね」
「驚くよ。木箱から女の子が出たら、普通に驚くよ。驚きながらでも仕事はするけどね」
乃々さんが、思わず聞き返す。
「そういう訓練があるんですか……?」
「ううん、今ちょっとそれっぽく言っただけ」
「それっぽく!」
「でも、落ち着いて対応するのは大切だよ」
千紘さんはそう言って、俺の隣にいるニーナを見た。
ニーナは俺の手を握ったまま、静かに千紘さんを見上げている。
「ニーナちゃん。怖いことはしないからね。まずは確認だけ。急にどこかへ連れていったりもしないよ。そこは安心して」
その一言で、俺は少しだけ息を吐いた。
「ありがとう。そこを最初に言ってもらえると、俺も安心できるよ」
「大事なことだからね。本人が不安なまま話を進めるのは、よくないもん」
ニーナが、千紘さんをじっと見る。
「千紘は、見る人」
「うん。見る人でもいいけど、見守る人、くらいにしてもらえると嬉しいかな」
「見守る人」
「そうそう。その方が、少しやさしい感じがするよね」
ニーナは小さくうなずいた。
その横で、乃々さんが胸を押さえる。
「管理機構の確認って、もっと緊急封鎖とか、警告音とか、怖い感じかと思ってました……」
「必要ならそうなることもあるよ。でも、最初から怖くする必要はないからね」
千紘さんは端末を取り出した。
「まず、宝箱から出た報酬の一次帰属は、開封者である連理くん。ここは通常の宝箱報酬と同じ入口で確認するね」
「ニーナは、報酬?」
ニーナが首を傾げる。
俺は手を握り直した。
「書類上は、そういう言い方から始まるんだと思う。でも、俺はニーナを物みたいに扱うつもりはないよ」
「レンリは、そう言う」
「うん」
ニーナは、少しだけ目を伏せた。
ただ、手を離そうとはしなかった。
「うん。そこは私も同じ考えだよ。存在型アノマリーを普通の物品と同じ扱いにするわけにはいかないから、特殊登録になると思う」
「特殊登録……」
乃々さんの声が震えた。
「木箱観測配信で聞く単語ではないですね……」
「わたしも、木箱と一緒に見る言葉ではないと思うよ。連絡を受けてⅢ式ダンジョンから急いできたんだから」
千紘さんが端末を操作する。
画面に、いくつかの分類候補が並んだ。
『物品』
『装備』
『素材』
『契約存在』
『その他』
『かなりその他』
最後の項目で、俺は少し止まった。
「その他より、さらに遠い場所に置かれてるね」
「あらら。端末くんも迷ってるね。……かなりその他、なんて項目、普段は出てこないんだけど」
「出てこないんだ」
「少なくとも、私は初めて見たかな」
ニーナが画面を見た。
「ニーナは、ニーナ」
千紘さんは、ふっと笑った。
「うん。それが一番大事だね。書類上は少し遠回りになるけど、ニーナちゃんがニーナちゃんであることは、ちゃんと残そうね」
「書類の温度が急に優しくなりました……」
乃々さんが目を潤ませる。
その時、端末に警告表示が出た。
『木箱由来のSランク存在型アノマリーです。入力内容を再確認してください』
「はいはい。再確認するよ。現実も、書類も、どっちもね」
「端末に話しかけるんだ」
「こういう時は、機械くんにも落ち着いてもらいたいから」
「機械も落ち着くのかな」
「わたしの気持ちは少し落ち着くよ」
千紘さんは、柔らかい口調のまま入力を続けた。
ニーナは俺の横で、端末を見ている。
「レンリ」
「うん?」
「かなりその他、かー」
「かなりその他ってなんだろうね」
「ニーナは、かなりニーナ」
「わかりやすいね」
乃々さんが肩を震わせた。
「ニーナちゃん、言い方がかわいいです……」
「かわいい」
ニーナが乃々さんを見る。
「のの、かわいい?」
「はい! かわいいです! ……あれ?」
「なら、いい」
乃々さんが胸を押さえた。
「連理さん、今の見ました? 今の、切り抜きにしたかったです……!」
「さっき配信を切ったばかりだから、我慢だね」
「判断としては正しいのに、配信者として心が泣いています」
千紘さんが端末をしまった。
「ひとまず、今日のところは仮登録までだね。正式な確認はあとになるよ。連理くん、乃々ちゃん、ニーナちゃん。これからはわたしが窓口になるから、困ったことがあったら連絡して」
「千紘さんが?」
「うん。小さなことでもいいから、抱え込まないこと。そこは約束ね」
その言い方は柔らかかった。
けれど、軽いだけではない。
俺たちがこの先、普通ではないものに関わるかもしれないことを、千紘さんは分かったうえで言っている。
「そこまで言ってもらえると、少し肩の力が抜けるよ。正直、まだよく分からないことばかりなんだ」
「分からないことがある時は、聞ける相手を作るのが一番だよ。今日は、その相手が一人増えた日だね」
ニーナが千紘さんを見上げる。
「千紘は、聞ける相手」
「そう。聞ける相手」
「分かった」
ニーナはそう言って、俺の手をもう一度握り直した。
◇
簡単な確認が終わるころには、乃々さんの端末がずっと震えていた。
「……連理さん」
「どうしたの?」
「切り抜きが、もう回っています」
画面には、動画のタイトルが並んでいた。
『Ⅰ式木箱からSランク精霊出現』
『木箱観測配信、歴史になる』
『宝箱王爆誕、ついに常識を置き去りに』
『宝箱学的に文法違反とは』
「最後のタイトル、乃々さんの言葉だね」
「はい……! 私の混乱が、もう見出しになっています……!」
「それは少し恥ずかしいかもしれない」
「恥ずかしいです。でも、宝箱配信者としては、見られていること自体は嬉しいです。複雑です」
乃々さんは端末を胸元に抱えた。
それから、少し迷うように俺を見る。
「あの、連理さん」
「うん」
「次も……私に撮らせていただけませんか」
声は、さっきまでより静かだった。
宝箱の前で跳ねるような熱とは違う。
ちゃんと考えたうえで、頼んでくれている声だった。
「今日みたいなことがまた起きるとは限りません。むしろ、普通なら起きません。でも……私は、見たいです。連理さんが次にどんな箱を開けるのか」
ニーナが、俺のソデを引いた。
「ニーナも、見たい」
「ニーナも?」
「次の箱」
ニーナは短く言う。
「ニーナは、箱から出た。だから、次の箱、見たい」
俺は少しだけ黙った。
現代に戻ってきたばかりで、生活のことも、ダンジョンのことも、分からないことだらけだ。
ただ、今日の木箱は偶然で片づけるには大きすぎた。
異世界では不遇扱いだった《幸運》。
それが、宝箱のあるこの世界で何を起こすのか。
俺自身も、知りたくなっている。
「……俺も、次を見たいと思ってる」
乃々さんが目を上げる。
「連理さんも、ですか?」
「うん。今日のことが偶然なのか、それとも俺の何かが現代の宝箱に何かしているのか、ちゃんと確かめたい」
「何か……」
「俺にも色々あってね。もしかしたら宝箱とは相性があるのかもしれない」
ニーナが俺を見る。
「レンリの、力」
「たぶんね」
「ニーナ、そこから来たよ」
「そうかもしれない」
まだ確かなことは何もない。
それでも、次の箱を開ければ何か分かるかもしれない。
「それに、乃々さんは宝箱を大事に見てきた人だよね。ニーナは、その箱から出てきた。二人が次を見たいと思うなら、俺もその隣で開けてみたい」
乃々さんは、しばらく何も言わなかった。
それから、深く頭を下げる。
「ありがとうございます。私、ちゃんと撮ります! 騒ぎだけじゃなくて、箱も、連理さんも、ニーナちゃんも、ちゃんと見ます」
「無理のない範囲で頼むね」
「はい!」
ニーナが小さく言った。
「次の箱」
「うん。次の箱。慌てず、安全に、ちゃんと見に行こう」
それまで黙って聞いていた千紘さんが、にこりと笑った。
「いい目標だね。無茶じゃなくて、確認。そういう形なら、わたしも見守りやすいよ」
「千紘さんの確認が先だよね」
「もちろん。正式確認が終わってからだね。危険そうなら止めるよ」
「それなら安心だね」
乃々さんが、そわそわした顔で聞く。
「では……予告、出してもいいですか?」
「書き方には気をつけてね。断定しすぎないこと。期待させるのと、決めつけるのは違うから」
「はい。ええと……『次回、連理さんとニーナちゃんと一緒に、もう一度《終点地下街》で木箱を確認します』くらいなら」
「それなら大丈夫だと思うよ」
乃々さんは、すぐに端末へ文字を打ち始めた。
宝箱に関わる時の乃々さんは、本当に迷いがない。
しばらくして、投稿画面が表示された。
『次回配信予告:連理さん、ニーナちゃんと一緒に、もう一度《終点地下街》で木箱を確認します』
数秒後。
反応が流れ始めた。
『次も開けるの!?』
『検証回きた』
『宝箱王降臨』
『ニーナちゃん続投!?』
『乃々ちゃんの木箱観測、急に歴史的検証になってて草』
『待機します』
乃々さんの顔が、少しずつ赤くなっていく。
「待機人数がこんなに……? 配信前なのに……」
「大丈夫?」
「大丈夫です。いえ、大丈夫ではないです。でも、やります」
「無理はしないでね」
「はい。無理はしません。ただ、宝箱の前では少しだけ頑張らせてください」
その言葉は、乃々さんらしかった。
ニーナが、俺の袖を引く。
「レンリ」
「うん?」
「次の箱、楽しみ」
「俺も楽しみだよ」
ニーナは小さくうなずいた。
その隣で、乃々さんの端末には、待機コメントが増え続けている。
地味だった木箱観測配信は、もう地味ではなくなったらしい。