作品タイトル不明
第2話 木箱からSランク精霊が出た
紫の光が、古びた地下街を染めていた。
その中心に、白銀の少女が立っている。
淡い氷のような青の瞳。
白と青を基調にした、幻想的な服。
人間に見える。
けれど、ただの人間ではない。
浮かんでるし。
「……レンリ」
少女は、もう一度俺の名前を呼んだ。
なぜ知っているのか。
乃々さんが完全に固まっていた。
フライも三つのレンズを少女に向けたまま、ぴたりと止まっている。
コメント欄も、一瞬だけ止まった。
それから、文字が一気に流れ出す。
『木箱だよな!?』
『紫!?』
『紫で人!?』
『アノマリー?』
『存在型?』
『今、人出てきた?』
『精霊?』
『乃々ちゃん、呼吸して』
『木箱くん何したの?』
「乃々さん」
「……はい」
「ええと……宝箱から、女の子が出てきた、というところまでは合ってるよね」
「……はい」
「これは普通じゃないね?」
乃々さんは、ぎこちなくこちらを見た。
「そこまで理解してくださっているなら、まだ大丈夫です……!」
「大丈夫の基準が、もうだいぶブレてる気がする」
「ブレます! 木箱から紫の光は宝箱学的に文法違反です!」
「宝箱にも文法があるんだね」
「あります! 少なくとも木箱は、Sランクの精霊? を出していい箱ではありません!」
乃々さんの声が通路に響く。
少女が、少しだけ首を傾げた。
「えすらんく」
短い声だった。
響きは静かで、冷たい水のようだった。
「えすらんく?」
「たぶん、そういう扱いみたいだね」
「扱い」
少女はその言葉を繰り返して、俺の方を見た。
両手を胸の前で握りしめた乃々さん。
「連理さん。Sランクアノマリーは、上位ダンジョンの金箱でもめったに出ない報酬です。しかも道具ではなく、意思と自律性を持つ存在型アノマリー。これはもう、配信の珍事件ではなく、管理機構の確認案件です」
「なるほど」
「なるほどで済む話ではありませーん」
『宝箱学って何』
『文法違反で草』
『連理っち、校則破った?』
『Sランク精霊はやばい』
『存在型アノマリーって単語だけで強い』
『乃々ちゃんの常識が壊れていく音がする』
「木箱観測配信をしていたら、木箱が木箱をやめました……」
「木箱がやめたわけではないと思うけど、乃々さんがそう言いたくなるのは分かるよ」
「分かってくださるんですか?」
「普通ではないことは伝わってるね」
「連理さん、落ち着き方が変です……!」
そう言われても、目の前の少女は知らない場所に出てきたばかりだ。
表情はほとんど動かない。
けれど、周囲の声と光とコメントの流れを、静かに見ている。
俺は目線を合わせるように少し腰を落とした。
「君は名前があるのかな?」
少女は俺を見つめた。
「ニーナ」
「ニーナ。いい名前だね。俺は連理。たぶん、君はもう知ってるみたいだけど」
「レンリ。知ってるよ」
ニーナは確認するように呼んだ。
それから、小さく言う。
「ニーナは、レンリのそばにいる」
「うん。急にそう言われると驚くけど……一人で知らない場所に出てきたなら、不安だよね。まずは一緒にいよう」
「一緒」
「そう。一緒に」
「レンリ、こわくない?」
「俺は怖くないよ。ニーナは?」
「分からない。ここ、知らない」
「なら、少しずつ確認しよう」
ニーナは小さくうなずいた。
その反応を見て、乃々さんがまた震えた。
「契約状態……? いえ、召喚陣も契約具もなしで、宝箱排出と同時に連理さんへ定着……? そんな形式、聞いたことが……」
「乃々さん」
「はい」
「難しいことは、あとでゆっくりでいいと思うよ」
「大丈夫ではないです……でも、今ここで全部分かるわけでもないです!」
そこは冷静だった。
混乱していても、乃々さんは宝箱に関しては判断が早い。
その時だった。
通路脇に倒れていた古い案内板が、じじ、と音を立てた。
割れた表示面に、紫の残光が走る。
文字が浮かび上がった。
『本日の目玉商品:Sランク精霊』
「目玉商品じゃ、ないですよー!」
乃々さんが即座に叫んだ。
俺も案内板を見る。
「案内板もびっくりして、言葉選びを間違えたのかもしれない」
ニーナが表示を見上げた。
「ニーナは、商品じゃない」
「買ってないからね」
「レンリも、そう思う?」
「思うよ」
「なら、いい」
ニーナはそう言って、少しだけ俺の近くへ寄った。
案内板の文字が乱れる。
次に表示されたのは、
『本日の目玉:訂正中』
だった。
『案内板www』
『ダンジョンまで通販みたいなノリになった』
『本日の目玉商品はまずい』
『本人が訂正してる』
『案内板、謝罪文出せ』
『訂正中で草』
『ダンジョン側も混乱してるだろこれ』
乃々さんは額に手を当てた。
「案内板フェノメノンまで発生しました……」
「こういうこともあるのかな?」
「低級ダンジョンの案内板が勝手に表示を出すことはありますけどね……」
「目玉」
ニーナがぽつりと言った。
「ニーナ、目玉ではない」
「うん。違うね」
「精霊」
「それは、そうなのかな?」
「そう」
その間にも、コメントの流れは速くなっていく。
さっきまで少なかった視聴者数が、見たことのない速度で増えていた。
乃々さんが表示を見て、息を詰める。
「1万……2万……同接、跳ねてます……!」
「それは、いいことなのかな?」
「配信者としては良いことです。でも、こんなに……?」
乃々さんは深く息を吸った。
それから、フライへ向かってはっきり言う。
「皆さん、ここで配信を一度切ります。これは通常の木箱観測配信で扱える範囲を越えています。管理機構へ申告したほうがいいですよ!」
『えええええ』
『いや続き見たい』
『でも正しい』
『存在型なら申告案件』
『乃々ちゃん判断早い』
『連理さんとニーナちゃんを守れ』
『切り抜きもう出てるぞ』
「切り抜き……?」
乃々さんの目が止まる。
騒ぎはもうここだけでは済んでいないらしい。
「連理さん、一旦帰りましょう!」
「うん。ここで配信を続けるより、ニーナのことをちゃんと扱ってもらう方が先だと思う」
俺はニーナを見る。
ニーナは、俺のソデを小さくつまんでいた。
「……このまま騒ぎだけ大きくなるのは、少し違う気がする」
「はい。私も、そう思います」
俺はニーナに向き直る。
「ニーナも、それで大丈夫?」
「レンリと一緒なら、いい」
「ありがとう。じゃあ、一緒に行こう。大丈夫、置いていったりはしないから」
「置いていかない」
「うん」
「手」
ニーナが俺のソデから指を離し、手を差し出した。
「手、つなぐ」
俺は少し驚いてから、その手を取った。
「分かった。行こう」
ニーナの手は、見た目より少し冷たかった。
乃々さんが、俺たちをじっと見ている。
「この状況で、まずニーナちゃんの不安を確認できるんですね……!」
「宝箱から出てきたからって、物みたいに扱いたくないからね」
「素晴らしい!」
乃々さんはフライを引き寄せ、配信画面に向かって頭を下げた。
「皆さん、ここで一度終了しますね。確認が取れたら、可能な範囲で報告します」
『おつのの』
『判断えらい』
『管理機構案件だわ』
『ニーナちゃんかわいい』
『連理さん、落ち着きすぎてて逆に安心する』
『木箱観測配信、歴史になったな』
配信画面が閉じる。
通路が少し静かになった気がする。
「帰還ポイントは近いです。こっちです」
乃々さんが案内する。
俺はニーナの歩幅に合わせて進んだ。
「歩ける?」
「浮かぶ」
「疲れたら言って」
「疲れない」
「そっか。じゃあ、行こうか!」
「行こう!」
ニーナは俺の言葉を覚えるように繰り返した。
途中、例の案内板がもう一度だけ点滅した。
『本日の目玉:同行中』
「教えてくれてますね」
乃々さんが小さくつぶやく。
「商品じゃなくなっただけ、少し直ったのかもしれない」
「直り方が独特です……」
ニーナは案内板を見上げて、静かに言った。
「同行中」
「うん。同行中だね」
「レンリと」
「そう。俺と、乃々さんと」
「のの」
乃々さんが固まった。
「……今、名前、呼ばれました?」
「のの」
「はい! 安曇乃々です!」
「ののも、同行中」
「はい……! 同行中です!」
乃々さんの声が、少しだけ上ずっていた。
帰還ポイントの光が見えたころには、乃々さんの配信は、もう誰かの手で切り抜かれていた。
切り抜き作成中:10件
タイトルは……。
『【木箱崩壊】初心者ダンジョンの木箱からSランク精霊が出た件』