作品タイトル不明
第二十二歩 頼りがいのある人
その時間、榊原は外の仕事を終えて書類と格闘していた。
早朝からの依頼を短時間で終えてそのままギルドに来たので、今日の彼女の退勤時間は極めて早くなる予定だ。
最近は翔に関係する仕事の管理を任せられた為、重要度を加味して仕事の量を減らすことになっていた。
勿論彼女でなければ難しい案件はそのままになっているが、他の隊でも成功させることが出来るだろう案件については各所に振り分けられている。
隊長クラスの人間は突然の業務の増加に思うところがないではなかった。けれど、翔が関係しているのであれば飲み込むのにも問題はない。
このギルドの隊長クラスは、余程最近なった者以外では彼の正体を知っている。
予言によって成された業績は間違いなく日本を救うもので、公に出ることになれば勲章を貰っても不思議ではない。
本人が有名になるのを嫌って上からの指示の下に沈黙を貫いていた。
彼等が黙ってくれているのは、それが一番国の為になると解っているから。あのまだ年若い印象しか覚えない青年が数多くの命を救うのだと確信しているからだ。
実際、教えられた情報の全てが彼等を生かし続けている。能力にせよモンスターの情報にせよ、ダンジョンも含めた日々の生活の下地には必ず翔の情報があった。
そもそも、ギルドを作る為の基本骨子には翔の存在不可欠。誰よりも先に動けているからこそ、日本の地位は常に高い位置に存在していた。
お陰で物事の優先順位まで変動し、日本に齎される援助の質は極めて高い。それは冒険者として他国で活動した際にも感じたことであり、特に実力の高い人間は例え現地の人間を殺しても早々に牢に叩き込まれたりもしない。
表立ってそれは語られないが、現地に赴けば誰もが何処かで聞く話だ。有望な冒険者になればなる程、ある種の特権を手にすることが出来る。
兎も角、翔の重要度は当人が居ない二年の間に更に高まった。
依存する訳にはいかないので日本はなるべくギルドで情報収集に勤しんでいるが、ダンジョンの全体を把握するまで一体何年掛かるのかも解らない状態だ。
政治家達は挙って翔の覚醒を望むも、ギルドは彼の自然覚醒を望んだ。その間の損失はこれまでの利益で相殺する形で経済は進み、翔は二年の時間を掛けてこうして起きてくれている。
榊原にとっても翔の覚醒は喜ばしいものだった。自分の運命そのものの相手が植物状態となったと医者から宣告された際には絶望したものだが、今ではそのお陰で決意を新たにすることが出来た。
彼が居なくとも大丈夫な程の強さを手に入れる。有名になるだけなって、何時か己の発言一つで界隈に影響を与えられる人間になる。
アイドルめいた仕事を選択したのもその為。本当は明るい自分なんて微塵も似合わないと思っていて、容姿だって他のアイドル達の方が優れていると信じて止まない。
広告塔としての側面も榊原は受け入れ、ギルドの収益の一部に彼女の頑張りがあったのは疑いようがない。
ギルドには榊原の存在は必要不可欠で、掛け替えのない存在なのだ。今この時点でも榊原が自身の意見をネットに流せば、賛同する人間が大量に出現する。
それ故に質の悪い人間も現れてしまっているが、それは致し方のない範囲だと受け入れてもいた。
迷惑な人間の扱い方も心得ている。特に冒険者でないならば、いくらでも脅す方法も彼女にはあった。
「そういえば……」
ふと、昨日の出来事を思い返す。
別の隊の隊長がいきなり頭を下げてきて、緊急の書類を渡してきた。
その文面は現在の四人の指導の他にもう一人を体験という形で参加させたいと書かれ、対象の人名を確認した瞬間にどういうことかとわりと強めの口調で問い質してしまった。
氷室の話は榊原の耳にも届いている。
実力は高く、手にした職業は平凡なれど技能を有していた。槍は昔から習っていたかの如く急速に使い方を覚えていき、単純なダンジョン周りの仕事では単独での成功を幾度も果たしている。
彼女の問題は、やはり他者との協調だろう。足並みを揃える行為が極端に苦手で、誰かと一緒に活動することそのものが氷室にとって望まないものだった。
そんな人間が急に参加をしようとするなんて、何があるか解ったものではない。善意での協力なんて論外だ。もしも本気でそんな風に考える人間が居たら、今頃榊原によって地獄を見ていただろう。
一先ずは相手の方が前職で先輩だったので顔を立て、様子を見ることにした。
何かあっても翔なら問題無く対処するだろう。仮に予想外なことが起きたとして、日本ダンジョンであれば脱出するのはそう難しくはない。
榊原自身も全力疾走すれば大した時間も掛からない筈だ。仕事も極端に溜め込んではいないし、急行を遮る人間は出てはこないだろう。
もしも大変な事態が起きた時、榊原は隊長として判断を下す必要が出る。まさか翔が変な真似をするとは思えない為、やるとしたら相手側になるのは彼女の中で決定事項だ。
――――そして、そういうことを考えてしまう時こそ嫌な出来事は現れる。
「ん……携帯?」
業務用の無骨な携帯が震える。
テーブルの上にあるそれの画面を見て、自身の隊の部下からの電話だと迷わず着信ボタンを押した。
「もしもし」
『榊原隊長! 助けてください!!』
耳に携帯を当てた直後、大きな声が鼓膜を叩いた。
思わず携帯から距離を取り、しかし向こうは緩める気がまったくないのだろう。あらん限りに言葉を放ち、榊原に深刻な状況を伝えようとする。
『立花さんが連れてきた人がこちらを挑発しながら攻撃してきたんです! 今は立花さんが食い止めていますけど、長くは保ちません!』
「直ぐに行きます! その声は宗像さんですね!? 全員ダンジョン前で集まっていてください」
『りょ、了解!』
電話先の声で相手を特定した榊原は椅子に引っ掛けたままのジャケットを乱暴に引っ掴み、急いで隊長室の外に飛び出す。
走り出しと同時に走者を起動。周りが一体どうしたのかと彼女を見る前に、持ち前のステータスもフルに使って風の如くギルドから飛び出した。
原則、ギルドの保有する敷地の外で能力や技能を使ってはならないとされている。しかし緊急時については例外とされ、上がお咎めなしとすれば罪にはならない。
勿論、それは一般人に迷惑を掛けないことが前提だ。榊原は屋根を伝って移動し、ダンジョンまでの道を一直線に駆け抜ける。
走者の加速も合わさり、到達までは十分も掛からなかった。
轟音と共に守衛が居る門を突き抜けた彼女は、入口で待機していた四人組の前で勢いよく着地する。
途端、地面には罅が走った。足が触れた地面は陥没して、如何に彼女が人外のスピードで走っていたのかを四人は頬を引き攣らせながら理解させられる。
凛とした姿の榊原は、もう既に思考を切り替えていた。最初は驚きと焦りで動いたものの、よくよく考えれば翔がこちら側の人間を相手に負けるビジョンが浮かばない。
異世界人相手なら兎も角、こちらは質も量もまだまだ悪い。未来を知る彼を相手にするには、まだ時期尚早とも言えた。
「お待たせしました。 貴方達は私達が戻るまで此処を封鎖。 本日来る予定の冒険者や業者達にはトラブルが発生したと伝えて暫く待機させてください」
「解りました。 ですが、なるべく長く入らせないようにします」
「いえ、そんなに時間を掛けるつもりはありません」
四人の緊迫した表情に榊原は微笑を向ける。
他者を安心させる笑みは、それだけで彼等の肩から力を抜かせた。
榊原はこの日本どころか世界でも有数の実力者。彼女が止めに入るなら、そう長くは掛からないだろう。
四人に命令して、彼女は駆け足でダンジョンに飛び込む。
一層の床に足を付けた刹那、そのまま再度の加速に入っていくのだった。