軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第194話

伊吹童子は獰猛に笑って見せると、一口ぐびぐびと酒を飲んでいく。

そのまま酒吐息を吐き、地面にその大きなひょうたんを乱暴に置いた。

「さて、時間もそうない。派手に行くぞ」

流し目でテンジを見ながらそう言った。

次の瞬間には、音もなく伊吹童子の姿はこの場からいなくなっていた。

だがテンジには伊吹童子がどこにいるのか、今何をしているのか、どんな表情をしているのか、どんな感情を抱いているのか、なんとなく分かっていた。

心に直接、伊吹童子の感情が伝わってくるのだ。

ここからテンジの肉眼ではモンスターがどこにいるのかは全く見えない。

だけど、伊吹童子の感覚を通してすでにテンジはロックオンできていた。

その瞳は――モンスターの逃げる背中をすでに捉えていた。

† † †

伊吹童子がこの場からいなくなった時点で、九条たちへの縛りは解けていた。

あの王を感じさせる威圧には一定の効果範囲があるのだと、九条だけは瞬時に察知する。

ただし、現状への理解はまるで追い付いていなかった。

他の三人も同様に、呆気にとられる他なにもできなかった。

「う、動く……」

すぐ隣で同じように、意志に反してひれ伏していた冬喜が驚いたように呟いた。

まるで今まで現実ではない夢を見ていたと言いたげに、目を瞠ってこの状況を咀嚼しようと脳をフル回転させている。

みんなも同じ感情を抱いていた。

あれだけ自分たちが苦戦していたモンスターでさえ、あの鬼の前では膝を着かされていた。

羽虫のように嘲笑われ、ボールと戯れているかのように蹴り飛ばされていた。

世界を代表する探索師たちが手も足も出せず、世界屈指のウルスラ=リィメイでさえ致命傷を負わされて、自分たちは撤退を選択せざるをえなかった。

そう、私たちではまるで歯が立たなかったはずなのに――。

一体、ここで何が起こっているのだ。

天城典二は一体、何を呼び出したのだ。

あの鬼は一体……何者だ。

直接の師である千郷でさえ、この状況を理解できていなかった。

あんな地獄獣はいなかったはずだと言わんばかりに驚いた表情を、テンジへと向けている。

確かに、テンジの地獄獣にはデメリットがあった。

地獄獣が発する特有の 恐(・) 怖(・) 。

主であるテンジ本人はまるで感じていない様子であったが、周囲の人間は違った。

例えそれが千郷でも、冬喜でも、リオンでも、強者や弱者など関係なく地獄獣は人間に対して恐怖という感情を植え付けてしまう。

だが、必ず全員がある一定値の恐怖を抱くわけではない。

探索師としての強さや他の要因によって、その恐怖は緩和されたり、強く感じたりする。

千郷や冬喜、リオンほどの探索師ともなれば、テンジの隣に立つのはそう難しくない。

だけど、傍にずっと吠え続けてくる大型犬がいるくらいの恐怖は常に感じていた。

一般人ともなれば、話の桁が変わってくる。

人によっては失神してしまうほどの恐怖を、地獄獣は常に発しているのだ。

一般人である海童はテンジの地獄獣が発する恐怖について、「ずっと隣にチェーンソー持ってる殺人鬼が睨みを利かせている感じに近い」と表現していた。

だからこそ、テンジは今まで使えなかった。

まだまだテンジの能力さえ知らされていない探索師も多くいて、そんな恐怖を手当たり次第にばら撒く地獄獣を召喚してしまえば、戦場がさらに混乱してしまうだろう。

冬喜はそれを危惧して以前テンジに対し、乱戦時の召喚使用禁止に関して話したことがあった。千郷も同様にあまり使わない方がいいと助言をしていた。

そう、地獄獣には恐怖という感情を周囲に植え付ける最大のデメリットがあった。

そのデメリットが、あの鬼だけは格が違った。

千郷や冬喜でさえ、あの鬼の前で立ち上がることすらできなかった。

ただ必死に頭を下げていることしかできなかった。

恐怖なんて一言で括ることのできない、圧倒的な恐怖の象徴だった。

ただ近くにいるだけなのに、本能が、探索師としての勘が、反射的に地面にひれ伏せと行動を強制してきた。

あの鬼が直接彼らに何か行動を起こしたわけではない。

そのことを九条含め、四人は十分理解していた。敵が発するような特有の敵意を、あの鬼からはまるで感じなかったからだ。ただただ、本能が跪けと囁いてくるだけなのに、気が付けば四人はひれ伏していた。

あの鬼が強制していたわけではない。

自分たちの本能と勘が行動を強制してきたのだ。

それはまるで声で縛る九条の能力とは違って、ただそこに存在するだけで敵に縛りを与える能力。そう例えた方がしっくりくるような気がする。

四人の中での戸惑いは、自然とテンジに対する視線に変わっていた。

そんな四人の視線に気が付いたテンジは、いつもの笑顔で笑う。

「大丈夫です、あとは僕に……というか伊吹童子に任せてください」

なぜかその時のテンジの瞳にはひっそりと、後悔の感情が籠っていた。

この数か月ずっと一緒にいた冬喜と千郷だけが、その変化に気が付く。

「テンジ、本当に大丈夫なのか?」

冬喜が心配するように優しく聞き返した。

それに対し、困ったようにテンジは眉尻を下げていた。

「参ったな、そんなに大丈夫じゃなさそうに見えたかな。冬喜くんたちだけにはバレないようにって振舞ったつもりだったのに」

「この数か月、俺は誰よりもテンジの傍でテンジを見てきたからね。なんとなくだけど、テンジの感情は目に出るって知ってるよ。今は……高いケーキ買ってちょっと後悔したときのテンジの瞳とそっくりだ」

「そっか」

冬喜くんには敵わないよ、そう言いたげにテンジは笑っていた。

そして傍から見れば楽観的にも感じたその笑顔を、真剣な表情へと切り替える。

「ごめん、嘘ついていた。怖いんだ」

「何が? 話せること?」

「うん……前にも言ったことあったよね、僕が覚醒した日のことを――」

テンジは僅かに間を置くと、白くなりはじめた空を仰いだ。

「どうやらあの日、僕は『代償』をすでに使っていたみたいなんだ。その代償で何を支払ったのかはまだ分からない。だけど今日……また僕は『代償』を使った。だからたぶん、この後僕の身に何かが起こるはず」

あまりにも信じがたい言葉に、四人は同時に目を瞠っていた。

ここにいる全員が代償について知っている。

もちろん代償に伴う死よりも苦しいデメリットを知っている。

だからこそ、声にも出せないほどに驚いてしまった。

典二が学生だということもそうだ。

だけどそれだけじゃない。

こんな話など聞いたことはない。

二(・) 度(・) 目(・) の(・) 代(・) 償(・) 。

その先に待つ絶望を想像するのは、誰にもできなかった。

あきらかに前例などない。

だって、代償を一度でも使えばその人は――人ではなくなってしまうのだから。

その後悔に溺れて、もう二度と代償の力を使おうとはしないのだ。

思わず、掛ける言葉を見失ってしまう。

なんと言葉を掛ければいいのか、この時の冬喜にはわからなかった。