作品タイトル不明
第二十六話 辺境伯はいい人よ
大臣のベルント殿が、ここ数日、顔色が悪かった。
見黒様にお茶をお持ちしたとき、ベルント殿がちょうど退出されるところだった。廊下で控えているわたくしに軽く頭を下げて通り過ぎたが、その目の下に隈があった。
見黒様がお茶を一口飲んで、仰った。
「ベルント殿、最近元気がないわね」
「はい。娘御の婚約の件でお悩みと聞いております」
「婚約?」
「ベルント殿の姪御にあたる方が、先日、婚約を破棄されたそうです」
見黒様の目が、ほんの一瞬、光った。何かに反応されたように見えた。
「……破棄?」
「はい。相手方の子息から一方的に。理由は『性格が合わない』と」
「……ふうん」
見黒様がお茶をもう一口飲まれた。何か考えておられるようだった。
*
翌日、ベルント殿が正式に見黒様に相談に来た。
事情はこうだった。
ベルント殿の姪——アーデルハイトという名の二十歳の令嬢が、東方の有力貴族の子息との婚約を破棄された。破棄の理由は表向き「性格の不一致」だが、実際には子息が別の令嬢に心を移したためだった。
問題は、破棄された側のアーデルハイト嬢の立場だった。婚約破棄は家の名誉に関わる。しかも相手は東方の有力家。下手に騒げば外交問題にもなりかねない。
「見黒様。姪は何も悪いことをしておりません。真面目で、聡明で、家のことをよく手伝う娘です。見目も悪くございません。それが一方的に……」
ベルント殿の声が震えていた。
「このままでは姪の縁談は難しくなります。婚約を破棄された令嬢という評判は、致命的な傷となってしまいます。何か……何か、お知恵をいただけないでしょうか」
見黒様は黙って聞いておられた。
それから、少しだけ首を傾げられた。
「ベルント殿。その姪御は、今おいくつ?」
「二十歳でございます」
「家事や領地の経営には明るいの?」
「はい。わたくしの兄——姪の父が体を悪くしてからは、実質的に姪が家の切り盛りをしております」
「聡明で、真面目で、家の経営ができる。二十歳」
見黒様が何かを数えるように、指を折られた。
「……ねぇ、ベルント殿。辺境伯をご存じ?」
ベルント殿が目を瞬いた。
「辺境伯……ヴァルター殿のことでしょうか」
「ええ。陛下の従兄弟にあたる方でしょう?」
「さ、左様です。北方の辺境を守っておられる……」
「おいくつだったかしら」
「三十五歳かと……」
「ご結婚は」
「まだ……独身のままだと聞いておりますが……」
見黒様がにっこりと笑われた。
「辺境伯は信頼のおける血筋のものを置くのが定石でしょう? だからこそ陛下の従兄弟がお務めになっている。領地は広い。北方の経営は大変だと聞くわ。あの方には、家のことを切り盛りできる聡明な伴侶が必要ではないかしら」
ベルント殿の口が開いたまま止まった。
「歳の差を気にされるかもしれないけれど、十五離れているくらい、辺境の暮らしでは珍しくないわ。むしろ姪御のように実務に長けた方の方が、都のお飾り令嬢より遥かに相応しいと、わたしは思うのだけれど」
ベルント殿が膝を打ちかけて、止まった。
「し、しかし、辺境伯に直接申し入れるのは、身分の差もあり……」
「わたしから口添えするわ。お手紙を書かせてちょうだい。陛下にも一言申し上げておくわ」
ベルント殿が深々と頭を下げた。額が床につきそうだった。
*
この話が宮廷に広まるのに、半日もかからなかった。
「見黒様が、婚約を破棄された令嬢に、辺境伯との縁談をお考えになった」
「なんという慧眼。辺境伯は陛下の血縁。この縁組みが成れば、破棄された家の名誉は回復するどころか、格が上がる」
「しかも辺境伯は独身のまま三十五歳。北方の経営に追われて縁談の暇もなかった。見黒様はそこまでご存じだったのだ」
「婚約を破棄した側の東方貴族にとっても、これは痛い。自分が捨てた令嬢が、陛下の従兄弟に嫁ぐことになるのだから」
「つまり見黒様は——令嬢を救い、辺境伯の家を安定させ、東方貴族の面目を潰し、北方の守りを固める——四手を同時に打たれたのだ」
グレン殿が呟いた。
「……見黒様がお動きになると、一つの行動で四つの問題が解ける。いつもそうだ」
わたくしは日誌に書いた。
「見黒様が婚約を破棄された令嬢に辺境伯との縁談をお勧めになった。見黒様は相手の年齢、立場、能力、家の事情、すべてを一目で見抜かれ、最も幸福な組み合わせを示された。あの方の目は、人の本質を見る目だ。杞憂の聴取で人の心を見抜かれたように、今度は人と人の組み合わせを見抜かれた」
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ベルント殿が青い顔で相談に来た。
姪の婚約が破棄された、と。相手の男に別の女ができたので一方的に切られた、と。
(…………来た)
心の中がグッツグツに沸騰した。
(婚約破棄テンプレ来た!!! なろうで千回は読んだ! ウェブトゥーンでも百回は見た! 「性格の不一致」で破棄! 実際は男が別の女に走った! 令嬢は何も悪くない! これ! まさに! これ!!!)
顔には出さない。出さないけど全力でテンション上がっている。
(えーとえーと。このテンプレのルートを整理しよう。破棄された令嬢は、このあと——)
A:復讐ルート。令嬢が覚醒して破棄した側を見返す。ざまぁ系ってやつよね。
B:溺愛ルート。もっといい相手が見つかって幸せになる。破棄した側が後悔する系。
C:スローライフルート。田舎に引っ込んで穏やかに暮らす系。
今回の場合、一番丸く収まるのは……B。間違いなくB。「もっといい相手」がいればいいのよ。しかも破棄した側より格上の相手が見つかれば、家の名誉も回復する。
(で、「もっといい相手」の定番は……)
辺境伯。
なろうとウェブトゥーンの鉄板。婚約破棄された令嬢が辺境伯に嫁いで幸せになるルート。なぜか韓国系だと公爵が多いけど、本来は辺境の守りを信頼できる血筋に任せるから辺境「伯」なんでは?っていう説あったな。この世界でも辺境伯だし。
(で、この国の辺境伯は……ヴァルター殿。二回くらいお会いしたことがある。渋めなイケメンなのよね。陛下の従兄弟。北方を守ってる。独身。三十五歳。真面目な人らしい。歳の差は十五歳か)
歳の差。なろうだと「年上の辺境伯×若い令嬢」は定番中の定番。しかも辺境伯が不器用で、令嬢が家の経営を立て直すパターン。ベルント殿の姪は家の切り盛りができるって言ってたわよね。……完璧じゃない?
「……ねぇ、ベルント殿。辺境伯をご存じ?」
*
ベルント殿に辺境伯の話をしたら、目が点になっていた。
(うんうん、わかる。テンプレを知らない人は気づかないのよ。でもこれ、テンプレ通りにいけば全員ハッピーエンドになるの。だってテンプレはテンプレになるだけの理由があるのよ。多くの人が納得する展開だから定番になるの)
「辺境伯は信頼のおける血筋のものを置くのが定石でしょう? だからこそ陛下の従兄弟がお務めになっている。領地は広い。北方の経営は大変だと聞くわ。あの方には、家のことを切り盛りできる聡明な伴侶が必要ではないかしら」
辺境伯の嫁になる令嬢の条件:実務能力が高い、田舎暮らしに耐えられる、見栄より実を取る性格。ベルント殿の姪、全部当てはまるんじゃない?
「歳の差を気にされるかもしれないけれど、十五離れているくらい、辺境の暮らしでは珍しくないわ」
なろうの辺境伯ものだと二十歳差もざらだし。十五歳差なんて全然問題ない。むしろ辺境伯が不器用に令嬢を気遣うシーンが目に浮かぶ。……良い。良すぎる。
「わたしから口添えするわ。お手紙を書かせてちょうだい」
ベルント殿が感激して帰っていった。
*
お手紙を書いた。
辺境伯宛と、アーデルハイド嬢、陛下宛の三通。
辺境伯への手紙は、さりげなく書いた。「聡明で家の経営に長けた令嬢がいます。北方の暮らしを共にする方として、ぜひお会いになってみてはいかがかしら」くらいの温度で。
(お見合いの仲介って、前世のおばちゃんがやってるのと同じだわ。「いい子がいるのよ〜」ってやつ。やってることは同じで、肩書きが「神託者」になっただけ)
陛下への手紙は直接対面で渡しつつ、一言伝えた。
「辺境伯に縁談をお勧めしたの。我ながら結構いい案だと思うのよね」
「……ヴァルターに?」
「ええ。あの方、ずっと独りでしょう。そろそろ誰かいた方がいいと思わない?」
手紙をその場で開いて素早く黙読。陛下が少し笑った。
「アカリ殿は、人と人を繋ぐのが好きだな」
「好きというか……合いそうな人が見えたら、言いたくなるだけよ」
(前世でもオタク仲間の恋愛相談に乗ってた。「あの人とあの人、合うと思うんだよね」って言って、実際くっついたことが何回かある。組み合わせを見るのは得意なのよ。キャラの相性を考えるのと同じ。……いやまぁ、自分の恋愛はからっきしだったんだけども。ああーーー、こうしておせっかいおばさんが出来上がってくのかな〜!)
*
数週間後、辺境伯からの返事が来た。
「お会いしてみたい」と書いてあった。
(来た。フラグ成立〜!)
エルが報告してくれた。
「見黒様。辺境伯がアーデルハイト嬢との面会を希望されているそうです」
「そう。よかったわ」
「宮廷では大変な話題になっております。見黒様のお口添えで辺境伯が動かれた、と」
口添えっていうか、お見合い紹介しただけなんだけどな。しかもテンプレどおりに。
「あとは二人の問題よ。わたしが出る幕はないわ」
ここから先はもう大丈夫。辺境伯が不器用ながらも令嬢に優しくして、令嬢が辺境の生活を立て直して、気づいたら両思いになってるやつ。……読みたいな、その展開。エルに経過報告頼んでおこう。
「エル」
「はい」
「あの二人の話、何か進展があったら教えてね」
「……かしこまりました」
(楽しみだわ。リアルタイムで婚約破棄→溺愛ルートを追えるなんて。前世の連載追いかけてた頃みたい)