軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第十四話 今日は静かにしておく日ね

異変は朝から始まった。

わたくしがいつも通り本を三冊お持ちしたとき、見黒様は寝台の上で毛布にくるまっておられた。

「見黒様、おはようございます。本日の——」

見黒様が顔を出された。目が少し潤んでいた。口を開かれた。

「……」

声が出ていなかった。

口は動いているのだが、音が出ていなかった。見黒様は自分の喉に手を当てて、困った顔をされた。

わたくしは慌てた。

「見黒様! お加減が——」

見黒様が首を横に振られた。大したことはない、という意味だろう。それから、文机の紙に何か書かれた。

『喉が痛いだけ。声が出ないの。薬はいらないわ。放っておけば治る』

わたくしは少し安堵したが、同時に困った。

今日は定例の報告日だった。大臣が三名、見黒様のもとに来ることになっている。見黒様がお声を出せないとなると——。

「見黒様。本日の報告は延期いたしましょうか」

見黒様は少し考えてから、首を横に振られた。

紙に書かれた。

『聞くだけなら聞けるわ』

最初の大臣が来た。

税収に関する報告だった。大臣は書類を手に、淡々と数字を読み上げていた。

見黒様は黙って聞いておられた。

当然だ。声が出ないのだから。

しかし、大臣はそのことを知らなかった。

見黒様がいつもと違って一言も発されないことに、大臣は徐々に落ち着かなくなっていった。報告を読み上げる声が、少しずつ速くなった。

見黒様はじっと大臣を見ておられた。

ただ見ていただけだった。声が出ないので、頷くことしかできなかった。ときどき小さく頷かれた。それだけだった。

大臣の額に汗が浮き始めた。

報告が一通り終わった。いつもなら、ここで見黒様が一言何か仰る。「そう」とか「よろしく」とか「ままならないものね」とか。

見黒様は黙っておられた。

大臣を、じっと見ておられた。

沈黙が、十秒続いた。

大臣が、耐えきれなくなった。

「……あ、あの。実は、その……先月の税収の中に、一件、少し気になる報告がございまして」

見黒様の目が、わずかに動いた。

動いただけだった。眉が少し上がったかもしれない。上がっていなかったかもしれない。

大臣が続けた。

「西の港町からの納税額が、昨年より三割ほど少ないのです。これは……その、現地の代官の報告では『不作による減収』とのことなのですが、わたくしの調べでは、あの地域の作況は例年通りでして……」

見黒様が、ゆっくりと首を傾げられた。

「つ、つまり……代官が、納税額を過少に申告している可能性が……横領の疑いが……」

大臣はそこまで言って、自分が何を言ったのか気づいたように、顔を青くした。

「も、申し訳ございません! まだ確証はないのです! ただの杞憂かもしれません!」

見黒様が、小さく頷かれた。

大臣は深々と頭を下げて、足早に退出した。

わたくしは後ろに控えながら、全てを見ていた。

見黒様は一言も発しておられない。首を傾げただけだ。それだけで、大臣は自分から隠し持っていた情報を全て出した。

二人目の大臣が来た。

外交に関する報告だった。東方との交渉の進捗、西方の港の利用状況、南の隣国との通商条約の更新について。

この大臣も、見黒様の沈黙に当てられた。

報告を終えた後の沈黙に耐えきれず、こう切り出した。

「……実は、南の隣国の使者が、先日の宴席で少し不穏な発言をしておりまして。『この国の繁栄がいつまで続くか見ものだ』と……冗談めかしてはおりましたが……」

見黒様は、目を伏せられた。

目を伏せただけだった。

大臣が汗をかいた。

「す、すぐに真意を確認いたします!」

三人目の大臣も同じだった。

軍備に関する報告を終えたあと、見黒様の沈黙に促されるようにして、ラルフ将軍の部隊の中に規律が緩んでいる小隊がある、という話を自分から出した。

三人とも、見黒様が一言も発しない中で、自分から全てを話した。

大臣たちが全員帰った後、わたくしは見黒様のお傍で控えていた。

見黒様は疲れた顔で、毛布にくるまっておられた。喉が辛いのだろう。温かいお茶をお持ちした。

見黒様はお茶を受け取って、紙に書かれた。

『なんであの人たち、わたしが黙ってると勝手に喋り出すのかしら』

わたくしは答えに窮した。

答えは明白だった。見黒様の沈黙には、言葉以上の力がある。見黒様が黙っておられると、人は自分の中の隠し事と向き合わざるを得なくなるのだ。見黒様の目が、鏡のように、相手の中にあるものを映し出す。

しかしそれを見黒様にお伝えしたところで、見黒様は首を傾げられるだけだろう。

「……見黒様のお力かと」

見黒様が、怪訝な顔をされた。

紙に書かれた。

『声が出ずとも、ということ?』

「左様です」

わたくしは日誌に書いた。

「本日、見黒様は一日を通じて一言もお発しにならなかった。しかし、三名の大臣が自ら報告の裏にある問題を告白した。西の港町の横領疑惑、南の隣国の不穏な動き、軍の綱紀の緩み。いずれも見黒様の沈黙が引き出したものである。見黒様の沈黙は、言葉と同じかそれ以上の力を持つ」

翌日、グレン殿がこの日の月齢を確認していた。

「見黒様が沈黙をお選びになった日は、新月だった。新月は内省の相だ。やはり月の運行と見黒様のお言葉——いや、この場合は沈黙か——には相関が……」

わたくしは何も言わなかった。

見黒様の喉が痛かっただけだとは、とても申し上げられなかった。

-----

朝起きたら、声が出なかった。

(……あー。やっちゃった)

昨夜、窓を開けたまま本を読んでいた。秋の夜風が入ってきていたのに、面白い場面で止められなくて、三時間くらいそのまま読んでいた。冒険譚の続きが気になりすぎた。

結果、喉をやられた。

(自業自得だわ)

エルが来た。心配そうな顔をしていた。

紙に書いた。

『喉が痛いだけ。声が出ないの。薬はいらないわ。放っておけば治る』

今日は報告日だということを思い出した。延期する? とエルに聞かれた。

少し考えた。

(……聞くだけなら聞けるわよね。喋らなくていいなら、むしろ楽かも)

首を横に振った。聞くだけ聞こう。

最初の大臣が来た。税収の話だった。

いつもなら、途中で相槌を打ったり、最後に何か一言返したりする。でも今日は声が出ない。黙って聞くしかない。

ときどき頷いた。それだけ。

大臣が、妙にそわそわし始めた。

(どうしたのかしら。わたしが黙ってるのがそんなに気になる?)

報告が終わった。いつもならここで何か言う場面だ。でも声が出ない。

黙ってた。

大臣を見ていた。他にすることがなかったので。

十秒くらい経った。

大臣が急に喋り出した。

「……実は、先月の税収の中に、一件、少し気になる報告がございまして」

(え、何。なんか始まった)

西の港町の代官が横領してるかもしれない、という話だった。

(おお。それは大事な話じゃない。なんで今まで黙ってたの)

首を傾げた。なんで今まで報告しなかったの? という意味で傾げた。

大臣がさらに焦って全部喋った。

(……わたし、何もしてないんだけどな。黙ってただけなんだけど)

二人目も同じだった。

外交の報告を終えたあと、南の隣国の使者が不穏なことを言っていた——という話を自分から出した。

わたしは目を伏せた。喉が痛くて、少し下を向いただけだった。

大臣が汗をかいて「すぐに確認します!」と言って去っていった。

三人目も同じだった。軍の綱紀の話を、こちらが何も聞いていないのに自分から出した。

全員、わたしが黙っているだけで勝手に喋った。

(……なにこれ。声出さない方が情報集まるんじゃない?)

前世のFPSでもあったような気がする。

ボイスチャットで黙っててもやれるんだけど、沈黙で気まずくなるタイプの人っているよね。FPS系はコミュニケーション取りながらやるからっていうのもあるけど、独り言並に勝手に喋る人いたなぁ。「右にいるかも」「裏取りされてるかも」「リロード中」みたいな。

前世の漫画でも読んだことがある。名探偵が、容疑者の前でじっと黙るシーン。黙っているだけで、容疑者が勝手に焦って矛盾したことを言い始める。

(あれと同じことが、今日リアルで起きたってことかな)

別に狙ったわけではない。声が出なかっただけだ。でも結果として、三人の大臣から、普段は出てこない情報が全部出てきた。

(……これ、定期的にやった方がいいのかしら。「今日は沈黙の日です」とか言って)

いや、それだと沈黙の意味が変わってしまう。狙ってやると効果が落ちる。偶然だから効くのだ。

(まあ、次に喉を痛めたときに覚えておこう)

大臣たちが帰ったあと、エルが温かいお茶を持ってきてくれた。ありがたい。

紙に書いた。

『なんであの人たち、わたしが黙ってると勝手に喋り出すのかしら』

エルが少し考えてから言った。

「……見黒様のお力かと」

(力? 喉が痛いだけなんだけど)

紙に書いた。

『声が出ずとも、ということ?』

「左様です」

エルは何とも言えない顔をして、退出した。

わたしはお茶を飲んだ。温かくて、喉にしみた。

ふと思い立って、鏡の前に立ってみる。

黙って、自分の目を見た。

黒髪。色白。少し潤んだ目(喉が痛いせいだ)。口を結んで、じっと見つめる。

(……あー)

納得した。

(これは怖いわ)

黒髪ミステリアス美人が一言も喋らずにじっと見つめてきたら、そりゃあ何か隠してることの一つや二つ、全部出したくなるわよね。前世の漫画でもそうだった。黙ってる美形は怖い。何を考えてるかわからないから怖い。実際には何も考えていなくても、見た目が勝手に圧を生む。

試しに、少し首を傾げてみた。さっき大臣にやったやつ。

鏡の中の自分が、首を傾げた。

(……うわ。これは確かに「全部お見通しです」の顔だわ。何で言わなかったん?くらいの軽い気持ちだったけど、こりゃ怖いな。そりゃ大臣も喋るわ)

少しだけ申し訳なくなった。でもまあ、結果として大事な情報が出てきたのだから、よしとしよう。

鏡から離れて、毛布に戻った。

(前世で読んだ本に書いてあった。「沈黙は金」って。あれ、本当だったのね)

喉が痛いのは不便だけれど、今日の収穫は悪くなかった。

明日は声が戻るだろう。戻ったら、あの青い実の焼き菓子を頼もう。喉にいいかはわからないけれど、甘いものは心にいい。

毛布にくるまって、本を開いた。

今日はさすがに声に出して厨二セリフの練習はできないので、心の中でだけ練習した。

(……「嘘は言葉に宿るのではないの。間に宿るの」。……うん、いいわね。これ、今度使おう)

目を閉じた。エルのお茶のおかげで喉はだいぶ楽になってた。