作品タイトル不明
第十四話 今日は静かにしておく日ね
異変は朝から始まった。
わたくしがいつも通り本を三冊お持ちしたとき、見黒様は寝台の上で毛布にくるまっておられた。
「見黒様、おはようございます。本日の——」
見黒様が顔を出された。目が少し潤んでいた。口を開かれた。
「……」
声が出ていなかった。
口は動いているのだが、音が出ていなかった。見黒様は自分の喉に手を当てて、困った顔をされた。
わたくしは慌てた。
「見黒様! お加減が——」
見黒様が首を横に振られた。大したことはない、という意味だろう。それから、文机の紙に何か書かれた。
『喉が痛いだけ。声が出ないの。薬はいらないわ。放っておけば治る』
わたくしは少し安堵したが、同時に困った。
今日は定例の報告日だった。大臣が三名、見黒様のもとに来ることになっている。見黒様がお声を出せないとなると——。
「見黒様。本日の報告は延期いたしましょうか」
見黒様は少し考えてから、首を横に振られた。
紙に書かれた。
『聞くだけなら聞けるわ』
*
最初の大臣が来た。
税収に関する報告だった。大臣は書類を手に、淡々と数字を読み上げていた。
見黒様は黙って聞いておられた。
当然だ。声が出ないのだから。
しかし、大臣はそのことを知らなかった。
見黒様がいつもと違って一言も発されないことに、大臣は徐々に落ち着かなくなっていった。報告を読み上げる声が、少しずつ速くなった。
見黒様はじっと大臣を見ておられた。
ただ見ていただけだった。声が出ないので、頷くことしかできなかった。ときどき小さく頷かれた。それだけだった。
大臣の額に汗が浮き始めた。
報告が一通り終わった。いつもなら、ここで見黒様が一言何か仰る。「そう」とか「よろしく」とか「ままならないものね」とか。
見黒様は黙っておられた。
大臣を、じっと見ておられた。
沈黙が、十秒続いた。
大臣が、耐えきれなくなった。
「……あ、あの。実は、その……先月の税収の中に、一件、少し気になる報告がございまして」
見黒様の目が、わずかに動いた。
動いただけだった。眉が少し上がったかもしれない。上がっていなかったかもしれない。
大臣が続けた。
「西の港町からの納税額が、昨年より三割ほど少ないのです。これは……その、現地の代官の報告では『不作による減収』とのことなのですが、わたくしの調べでは、あの地域の作況は例年通りでして……」
見黒様が、ゆっくりと首を傾げられた。
「つ、つまり……代官が、納税額を過少に申告している可能性が……横領の疑いが……」
大臣はそこまで言って、自分が何を言ったのか気づいたように、顔を青くした。
「も、申し訳ございません! まだ確証はないのです! ただの杞憂かもしれません!」
見黒様が、小さく頷かれた。
大臣は深々と頭を下げて、足早に退出した。
わたくしは後ろに控えながら、全てを見ていた。
見黒様は一言も発しておられない。首を傾げただけだ。それだけで、大臣は自分から隠し持っていた情報を全て出した。
*
二人目の大臣が来た。
外交に関する報告だった。東方との交渉の進捗、西方の港の利用状況、南の隣国との通商条約の更新について。
この大臣も、見黒様の沈黙に当てられた。
報告を終えた後の沈黙に耐えきれず、こう切り出した。
「……実は、南の隣国の使者が、先日の宴席で少し不穏な発言をしておりまして。『この国の繁栄がいつまで続くか見ものだ』と……冗談めかしてはおりましたが……」
見黒様は、目を伏せられた。
目を伏せただけだった。
大臣が汗をかいた。
「す、すぐに真意を確認いたします!」
三人目の大臣も同じだった。
軍備に関する報告を終えたあと、見黒様の沈黙に促されるようにして、ラルフ将軍の部隊の中に規律が緩んでいる小隊がある、という話を自分から出した。
三人とも、見黒様が一言も発しない中で、自分から全てを話した。
*
大臣たちが全員帰った後、わたくしは見黒様のお傍で控えていた。
見黒様は疲れた顔で、毛布にくるまっておられた。喉が辛いのだろう。温かいお茶をお持ちした。
見黒様はお茶を受け取って、紙に書かれた。
『なんであの人たち、わたしが黙ってると勝手に喋り出すのかしら』
わたくしは答えに窮した。
答えは明白だった。見黒様の沈黙には、言葉以上の力がある。見黒様が黙っておられると、人は自分の中の隠し事と向き合わざるを得なくなるのだ。見黒様の目が、鏡のように、相手の中にあるものを映し出す。
しかしそれを見黒様にお伝えしたところで、見黒様は首を傾げられるだけだろう。
「……見黒様のお力かと」
見黒様が、怪訝な顔をされた。
紙に書かれた。
『声が出ずとも、ということ?』
「左様です」
わたくしは日誌に書いた。
「本日、見黒様は一日を通じて一言もお発しにならなかった。しかし、三名の大臣が自ら報告の裏にある問題を告白した。西の港町の横領疑惑、南の隣国の不穏な動き、軍の綱紀の緩み。いずれも見黒様の沈黙が引き出したものである。見黒様の沈黙は、言葉と同じかそれ以上の力を持つ」
翌日、グレン殿がこの日の月齢を確認していた。
「見黒様が沈黙をお選びになった日は、新月だった。新月は内省の相だ。やはり月の運行と見黒様のお言葉——いや、この場合は沈黙か——には相関が……」
わたくしは何も言わなかった。
見黒様の喉が痛かっただけだとは、とても申し上げられなかった。
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朝起きたら、声が出なかった。
(……あー。やっちゃった)
昨夜、窓を開けたまま本を読んでいた。秋の夜風が入ってきていたのに、面白い場面で止められなくて、三時間くらいそのまま読んでいた。冒険譚の続きが気になりすぎた。
結果、喉をやられた。
(自業自得だわ)
エルが来た。心配そうな顔をしていた。
紙に書いた。
『喉が痛いだけ。声が出ないの。薬はいらないわ。放っておけば治る』
今日は報告日だということを思い出した。延期する? とエルに聞かれた。
少し考えた。
(……聞くだけなら聞けるわよね。喋らなくていいなら、むしろ楽かも)
首を横に振った。聞くだけ聞こう。
*
最初の大臣が来た。税収の話だった。
いつもなら、途中で相槌を打ったり、最後に何か一言返したりする。でも今日は声が出ない。黙って聞くしかない。
ときどき頷いた。それだけ。
大臣が、妙にそわそわし始めた。
(どうしたのかしら。わたしが黙ってるのがそんなに気になる?)
報告が終わった。いつもならここで何か言う場面だ。でも声が出ない。
黙ってた。
大臣を見ていた。他にすることがなかったので。
十秒くらい経った。
大臣が急に喋り出した。
「……実は、先月の税収の中に、一件、少し気になる報告がございまして」
(え、何。なんか始まった)
西の港町の代官が横領してるかもしれない、という話だった。
(おお。それは大事な話じゃない。なんで今まで黙ってたの)
首を傾げた。なんで今まで報告しなかったの? という意味で傾げた。
大臣がさらに焦って全部喋った。
(……わたし、何もしてないんだけどな。黙ってただけなんだけど)
*
二人目も同じだった。
外交の報告を終えたあと、南の隣国の使者が不穏なことを言っていた——という話を自分から出した。
わたしは目を伏せた。喉が痛くて、少し下を向いただけだった。
大臣が汗をかいて「すぐに確認します!」と言って去っていった。
三人目も同じだった。軍の綱紀の話を、こちらが何も聞いていないのに自分から出した。
全員、わたしが黙っているだけで勝手に喋った。
(……なにこれ。声出さない方が情報集まるんじゃない?)
*
前世のFPSでもあったような気がする。
ボイスチャットで黙っててもやれるんだけど、沈黙で気まずくなるタイプの人っているよね。FPS系はコミュニケーション取りながらやるからっていうのもあるけど、独り言並に勝手に喋る人いたなぁ。「右にいるかも」「裏取りされてるかも」「リロード中」みたいな。
前世の漫画でも読んだことがある。名探偵が、容疑者の前でじっと黙るシーン。黙っているだけで、容疑者が勝手に焦って矛盾したことを言い始める。
(あれと同じことが、今日リアルで起きたってことかな)
別に狙ったわけではない。声が出なかっただけだ。でも結果として、三人の大臣から、普段は出てこない情報が全部出てきた。
(……これ、定期的にやった方がいいのかしら。「今日は沈黙の日です」とか言って)
いや、それだと沈黙の意味が変わってしまう。狙ってやると効果が落ちる。偶然だから効くのだ。
(まあ、次に喉を痛めたときに覚えておこう)
*
大臣たちが帰ったあと、エルが温かいお茶を持ってきてくれた。ありがたい。
紙に書いた。
『なんであの人たち、わたしが黙ってると勝手に喋り出すのかしら』
エルが少し考えてから言った。
「……見黒様のお力かと」
(力? 喉が痛いだけなんだけど)
紙に書いた。
『声が出ずとも、ということ?』
「左様です」
エルは何とも言えない顔をして、退出した。
わたしはお茶を飲んだ。温かくて、喉にしみた。
ふと思い立って、鏡の前に立ってみる。
黙って、自分の目を見た。
黒髪。色白。少し潤んだ目(喉が痛いせいだ)。口を結んで、じっと見つめる。
(……あー)
納得した。
(これは怖いわ)
黒髪ミステリアス美人が一言も喋らずにじっと見つめてきたら、そりゃあ何か隠してることの一つや二つ、全部出したくなるわよね。前世の漫画でもそうだった。黙ってる美形は怖い。何を考えてるかわからないから怖い。実際には何も考えていなくても、見た目が勝手に圧を生む。
試しに、少し首を傾げてみた。さっき大臣にやったやつ。
鏡の中の自分が、首を傾げた。
(……うわ。これは確かに「全部お見通しです」の顔だわ。何で言わなかったん?くらいの軽い気持ちだったけど、こりゃ怖いな。そりゃ大臣も喋るわ)
少しだけ申し訳なくなった。でもまあ、結果として大事な情報が出てきたのだから、よしとしよう。
鏡から離れて、毛布に戻った。
(前世で読んだ本に書いてあった。「沈黙は金」って。あれ、本当だったのね)
喉が痛いのは不便だけれど、今日の収穫は悪くなかった。
明日は声が戻るだろう。戻ったら、あの青い実の焼き菓子を頼もう。喉にいいかはわからないけれど、甘いものは心にいい。
毛布にくるまって、本を開いた。
今日はさすがに声に出して厨二セリフの練習はできないので、心の中でだけ練習した。
(……「嘘は言葉に宿るのではないの。間に宿るの」。……うん、いいわね。これ、今度使おう)
目を閉じた。エルのお茶のおかげで喉はだいぶ楽になってた。