作品タイトル不明
47.最下層の転移陣⭐︎
第10階層に至るまでの道のりは、思いのほか順調だった。
洞窟の空気は淀んでいて、息をするたびに喉の奥がざらついたが、魔物の気配は薄く、途中の敵も拍子抜けするほどあっさりと撃退できた。
もちろん油断はしていない。
進路の警戒はマルゴで、後方はゾーリャが見張る。
ローワンの槍が敵を的確に貫き、ドワーフの血が混じっているらしいガンツとヨレフは、的確に得物を敵に叩きつけていた。
ヴァイオレットは魔法で光を灯し、時折、冷気や熱を放って支援を加える。
一行はそれぞれの役割を心得て動き、初対面にしては驚くほどスムーズに協調していた。
空気の温度も湿度も一定で、まるで誰かが意図的に保っているかのようだった。
「……順調すぎる、ってやつか」
ヨレフがぼそりと呟く。
その予感は、間もなく現実となった。
第十階層へと続く階段を下りた先――ボス部屋の前に広がる、敵が出現しないはずのセーフティゾーンに、場違いな存在があった。
数人の兵士が、入口を塞ぐように立っていた。
鎧の意匠は統一され、胸には明らかに貴族階級の紋章が輝いている。
ヴァイオレットの目にそれが映った瞬間、心臓が一度強く跳ねた。
グレンダリング公爵家の紋章。
あの家の者が、なぜダンジョンの最奥に――?
「冒険者か?ここから先への立ち入りはグレンダリング公爵の命により禁じられている。引き返してもらおう」
階段付近に立つ兵士が、無表情に告げる。
まるで、それが当然であるかのような、紋章を背負う者としての傲慢すら感じられた。
ローワンが一歩前に出かけた、ヴァイオレットがさりげなく袖を掴んだその時、微かに、潮の香りがした。
そして次の瞬間、兵士たちの背後で、転移陣が、青白い光を放ち始めた。
光の中から現れたのは、異国風のガウンをまとい、顔に刺青を入れた、見るからに隣国のごろつき風の男たち。
武器を手に、転移の衝撃にぐらつきながらも警戒した様子もなく、兵士の脇を当然のように通っていく。
こちらを向けたままの男はまだ気づいていないようだった。
「わ、わかりました。すぐに引き返します」
ヴァイオレットは訳が分からないという顔をしている「踊る斧」たちの尻を叩きつつ、瞼の奥が冷たくなるような感覚を覚えながら、一歩、また一歩と階段を登り始めた。
――ギルド長の言葉がよみがえる。
「グレンダリング公爵家が動いている。近頃、港に他国の貧民が流れ込んでいるのだ。意図的に流れを作っている節がある。混乱を起こして、地元の信頼を削ぐつもりだろう」
ヴァイオレットの背に、ぞくりと悪寒が走った。
――まさか、このダンジョンが、その入り口なのか?
転移陣。それを設置できる魔法使いは限られている。しかも、こんな場所に秘密裡に、堂々と設置するには、膨大な資金と人脈が必要だ。
だが、グレンダリング公爵家であれば可能だ。
このダンジョンが位置する土地は、ヴェルトリッシュ伯爵の影響下にある。グレンダリング公爵家に攻め込まれればひとたまりもないだろう。
もしくは、ヴェルトリッシュ伯爵がグレンダリング公爵に協力している可能性も考えられる。
しばらく経っても戦いの報告がなければ黒だろう。
そして、もしここが拠点として利用されるとすれば、その2つ隣にあるリンドウィッチ公爵領が攻め込まれる可能性は大いに高い。
そして、もし――グレンダリング公爵が、ただの領土拡大ではなく、王家の転覆を狙っているのだとしたら?
視界の端で、ローワンが静かに槍を握りしめた。
「ヴァイオレット。あの魔法陣は……?」
ヴァイオレットはゆっくりと首を横に振った。
「……転移陣だと思う。転移してきたのは隣国人のようだった。国際問題になりかねないけど、証拠がない。」
確証のない告発は、身を滅ぼす。今ここでリンドウィッチ公爵家が動けば、逆に殺されかねない。
だから――
(証拠が要る。確かな、動かぬ証拠が)
胸の奥に、燃えるような警鐘が鳴っていた。