軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

41.仮面の答礼⭐︎

花々で編まれたアーチがいくつも連なり、遅い夏の陽光を受けて鮮やかに輝いていた。

リンドウィッチ公家の広大な庭園は、成人を迎える嫡男セルジュを祝うため、今日ばかりは貴族たちの社交の舞台となっている。

香り高い花弁が風に乗って舞い、客人たちはひとり、またひとりと会場へ足を踏み入れていた。

人々はヴァイオレットを見ては「あの美しい方はどこのご令嬢?」とざわめく。当の本人は気後れして石造りの門の陰でしばし立ち尽くしていた。

艶やかな青紫のドレスは、彼女の目の色と呼応するかのように光を反射し、たとえ意図せずとも周囲の目を引いてしまう。ギルド長ークレマンの屋敷の使用人からは絶賛の嵐だった。

袖のスリットは優雅さを演出し、上質な仕立てと落ち着いた色合いが、少女の輪郭に静かな威厳を与えていた。

(紫は大人っぽすぎるって言ってたのに……)

ひとりごちたが、今さら後悔しても遅い。

周囲を見渡せば、すでに多くの客人が会場入りしており、今ならば自然なかたちで紛れ込める。

ギルド長に付き従うように、彼女は一歩、二歩と前へ進んだ。

草花に囲まれた庭園には、貴族たちが思い思いの装いで談笑していた。

金糸や宝石で縁取られたチュニックを羽織った老紳士、扇子を手にふわりと笑う令嬢たち――街中と違って、どの一人をとっても強い個性を放っている。

そんな中に紛れ込む自分の姿が、まるで舞台の幕間に迷い込んだ道化のように思えて、ヴァイオレットは小さく息をついた。

「お前の姿を知る者が来るやもしれん」

数日前、ギルド長がそう釘を刺したときの言葉が胸の奥で蘇る。

この式典には、あのグレンダリング公夫妻と、その息子――ティリアンも出席するというのだ。

ヴァイオレットの背筋に、ぞわりと冷たいものが走った。

思えば、もっと早くリンドウィッチ公家に目通りできていれば、状況は違っていたかもしれない。

けれどそれを避けてきたのは他ならぬ自分だ。

貴族との関わりを先延ばしにし、果ては街から逃げ出すという選択までしてしまった。その結果が、今の立場だ。

(自業自得だわ……)

苦々しく思いながら、彼女はギルド長の影に身を寄せた。

式の始まりが近づくにつれ、会場の空気は引き締まってゆく。

やがて、グレンダリング家の馬車が到着したという知らせが、ひそやかに周囲へ伝わった。

「……来たか」

ギルド長が低くつぶやく。ヴァイオレットはひたすら目立たぬように祈るような思いで身を固めた。

まず現れたのは、公――グレンダリングその人である。銀が混じった金茶の髪、彫りの深い顔に整えられた髭、ほどよい厚みのある声。そこそこダンディな部類に入る男であり、その佇まいにはなるほど重厚感があった。

続いて現れたのは、彼の妻。金髪で眉や睫毛がほとんど目立たないその顔立ちは能面のようで、美咲やヴァイオレットにとって馴染みが薄く、なんとなく化け物じみて見えた。

最後に姿を現したのが、ティリアンだった。

歳は十四と少し。青年というより華奢な少年の面影を残したその姿だが、足取りは軽やかで、礼儀正しく一礼する姿はどこにも破綻がなかった。

すれ違いざま、ティリアンの視界の端に、控えめに立つヴァイオレットの姿が捉えられた。

その瞬間、彼の中で何かが引っかかった。

見覚えのない顔、けれどどこかに既視感のあるカラーリングの髪と瞳――その違和感を、彼はゆっくりと噛みしめた。

(あれは……誰だ?)

やがて式は始まり、リンドウィッチ家の嫡男セルジュが登壇する。

端整な顔立ちと静かな語り口に、貴族たちからは小さな称賛の声と拍手が送られた。

挨拶が終わり、式は歓談の時間へと移行する。

客たちは思い思いの場所へ散り、食事や会話を楽しむ者、商談めいた打ち合わせに興じる者と、徐々に自由な空気が満ちていく。

ヴァイオレットは、式の緊張が緩んだのを感じつつ、ようやく顔を上げた。

けれど安心する間もなく、声が彼女を呼び止めた。

「お会いするのは初めてですよね?」

穏やかな微笑みとともに、現れたのはティリアンだった。

その表情は柔らかく、少年らしいあどけなささえ残している。

けれど――その瞳の奥にある冷たい光を、ヴァイオレットは見逃さなかった。

(近づいてきた……このタイミングで)

スキルもまだ持っていないはずの彼が、笑顔を貼りつけたまま、まっすぐにこちらへ向かってきている。

理由は分かっていた。彼女の外見。悪目立ちするこの髪、この瞳――

それは、彼のプライドを傷つけた「姉」の特徴と、あまりに似通っていたから。

ヴァイオレットは僅かに礼を取り、丁寧に言葉を返した。

「リンドウィッチ公家の傍系、リンドバーグ子家の者です。ヴァイオレットと申します。」

波風の立たぬ応答のはずだったが、ティリアンの興味を引くには十分だった。

「……ヴァイオレット、ですか」

ティリアンの目が、彼女を舐めるように上から下まで動く。

笑みがごくわずかに崩れたが、すぐに、何事もなかったように口角が引き上げられる。

「リンドバーグ家とは、あまり耳慣れぬ家名ですね。こういった式に出るのは、やはり今日が初めてですか?」

「……はい。少々人見知りでして。こうした華やかな場には、不慣れなのです」

ヴァイオレットは視線を下げた。

目立ちすぎず、嘘にならない答え。だがティリアンの視線は、まるで彼女の皮膚の内側を覗き込むようだった。

「なるほど、ですが……少々不思議です」

ティリアンは一歩距離を詰め、声を落とした。

「これほど印象的な方を、僕が今まで知らなかったというのは。家名も、装いも、言葉遣いも、整っていらっしゃるのに」

その口調は、丁寧だ。だが、そこには明確な疑念が含まれていた。

『お前は本当は何者なのか』――そう言わずして問う圧。

「……長らくひっそりと過ごしてまいりましたもので」

言葉を選びながら、ヴァイオレットはゆっくりと応じた。

明確な嘘は避けたが、真実も語ってはいない。口元に微かな笑みを浮かべ、目線はまっすぐに相手を見返す。

ティリアンは微笑を崩さぬまま、ほんの一瞬、目を細めた。

「そうでしたか。でしたら……他の方にも、あなたのことを伺ってみるとしましょう」

その言葉は、笑顔とともに告げられた。けれど、その声には冷たい刃のようなものが潜んでいた。

探ってやる――お前が本当に何者なのか、過去に会ったことがないはずの「姉」ではないのか。真実を突き止めてみせる、と。

「それでは、またお会いできる機会を楽しみにしています。ヴァイオレット嬢」

そう言い残して、ティリアンは礼をとり、静かに踵を返した。

その背を見送りながら、ヴァイオレットは表情を保ったまま、ゆっくりと息を吐く。

(……やっぱり、気づいてる。しかもなぜか執念を感じるんだけど……)

礼儀の皮を被った猜疑と、少年の年齢には不釣り合いな執念深さ。

それは、記憶の中のグレンダリング公家に宿る、陰の気配そのものだった。