作品タイトル不明
29.暗い岩場の奥
東の空が白み始めたころ、ヴァイオレットは目を覚ました。
テントの外にはひんやりとした空気が満ち、夜露が草を濡らしていた。
村はまだ眠りの中にあり、かすかな牛の鳴き声が遠くから聞こえるばかりだった。
ヴァイオレットは音を立てぬように身を起こし、布の隙間から隣のテントの仲間たちを見やった。
ヘンリーとチャールズはいつものように浅い眠りのまま、刀を枕元に置いていた。ダレンは腕を組んだままうつむいており、テレンスは寝袋に埋まっている。
空は青みを増し、夜と朝の境界が曖昧になっていく。
彼女は一歩外に出て、冷たい朝の空気を吸い込んだ。戦いの前の静けさだった。
支度を整えると、すぐに村を発った。
陽が昇る前に、森の入り口にたどり着く。
オークの巣はこの奥にある。
既に失敗した冒険者たちの痕跡は、獣道のようになった踏み荒らされた地面が教えていた。
折れた枝、剥がれた樹皮、深く刻まれた蹄の跡。
重い臭気が風に乗り、彼らの鼻をついた。
「ここからは静かに行こう」
ヘンリーの声は低く、しかしはっきりと響いた。
全員が頷く。
ただ敵を殲滅すればよいものではない。
今回の依頼は生存者の救出が最優先だった。
森の中は薄暗かった。
樹々は高く伸び、太陽の光を遮っている。
湿った空気が肌にまとわりつき、地面はぬかるんでいる。
ヴァイオレットは足音を殺しながら歩く。
動物の気配はない。ここは既にオークたちの縄張りなのだろう。
やがて、異様な光景が目に入った。
「……いたぞ」
チャールズが呟いた。
冒険者たちの死体が転がっていた。
男の冒険者が三人。
いずれも黒いアザだらけで、関節があらぬ方向に折れ曲がっている。
彼らが持っていたはずの武器は、すべて消えていた。
血の染み込んだ地面、えぐられた肉、無惨に転がる頭部。ヴァイオレットは足を止めた。
(……これは、ただ殺されたのではない)
オークは獲物を力任せに叩き潰し、必要ならば喰らう。
しかし、この死体は違う。狩りの痕跡ではなく、弄ぶような殺し方をされている。
骨が折れ、肉が裂かれたまま放置されているのが、その証拠だった。
ヘンリーが死体を数えた。
「……四人組だったはずだ。女が一人いた」
「なのに、ここにいるのは三人だけか」
「捕らえられたか……」
ダレンが呟くと、全員の視線が奥へと向かった。
「見張りがいる」
彼らの進む先、小高い岩場に一体のオークが立っていた。
血のついた棍棒を肩に担ぎ、油断した様子であくびをしている。
「仕留めるよ」
テレンスは弓を構えた。
風向きを確認し、矢を番える。
息を潜め、指にわずかに力を込めた。
弦が鳴り、矢は早朝の空気を裂いた。
矢はオークの喉を正確に貫いた。
呻き声を上げる間もなく、巨体が崩れ落ちる。
「よし、行くよ」
事も無げに言うのが恐ろしいが、その腕前には胸がスッとする。
ヴァイオレットは索敵の魔法を展開した。
視界の端に、彼女だけに見えるミニマップが浮かぶ。
霧がかった空間の中に、赤い●がいくつも点在している。
動く点、止まった点、それらの情報が頭の中に流れ込む。
「巣は岩場の奥。未発見の敵がまだ十体以上いるわ」
「便利なもんだなあ」ヘンリーは剣を握り直した。
。
巣穴の内部から、オークが次々と姿を現す。
その目は血走り、棍棒や剣を握りしめていた。
ヘンリーが舌打ちし、剣を抜いた。
最初に突っ込んできたのは、一際大柄な個体だった。
鈍く光る棍棒を振り上げ、力任せに叩きつける。
「遅いっ!」
ヘンリーは軽く跳び退き、刃を滑らせた。
剣はオークの腹を切り裂き、血が飛び散る。
オークは怒声を上げて振り返るが、毒の効果で動きは鈍い。
逆手に持ち替えたヘンリーの刃が、オークの首筋を断ち切る。
「2体目、行くぞ!」
チャールズが叫び、剣を振るう。
炎を纏った刃がオークの胴体を斬り裂き、火が皮膚に燃え移った。
焼け爛れた肉が焦げ、異様な臭いが立ち上る。
オークは悲鳴を上げてのたうち回るが、剣を振りかぶったチャールズが止めを刺した。
ヴァイオレットは焦げ臭い臭いに咳き込みながら顔をしかめる。
チャールズは「仕方ねえだろ」と肩をすくめるが、口元を押さえながら、5人はうめいた。
その間にも、テレンスの矢が次のオークの頭を射抜き、ヴァイオレットの魔法が稲妻となって敵の間を走る。
オークたちは苦しげな咆哮を上げ、地に膝をついた。
「残り3体!」
ヘンリーの声が響く。
ヴァイオレットは魔法陣を展開し、杖を振った。
【捕縛】
蔦が絡み、オークたちの脚を縛る。
その隙に、ヘンリーが跳び込んだ。
剣が閃き、オークの首が飛ぶ。
最後の一体は、背を向けて逃げようとしたが、チャールズが素早く詰め寄り、燃え盛る剣を突き刺した。
オークは炎に包まれ、地に崩れ落ちた。
戦場には、焦げた肉の臭いが漂っていた。
「くそっ……やっぱり臭い……」
チャールズは舌打ちしながら、汚れを払った。
「これで終わりか?」
「いや、奥を確かめよう」
ヘンリーが息を整え、慎重に進んだ。
巣の最奥、そこには一人の女が転がっていた。
服は破かれ、漏らしたのだろう、冷えた尿が足元に広がっている。
手足は縄で縛られ、肌には青黒い痣と引っかき傷が無数に刻まれていた。
唇はひび割れ、白く乾いていた。
喉が渇ききっているのだろう、唇を動かしているが、声が出ていない。
だが、血戦の誓約者たちを見た瞬間、その目に微かに光が宿った。
戦いは終わった。