軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第35話 殿下は、実務を軽く見てはいけません

奉仕祭の会場図は、見た瞬間に嫌な予感しかしなかった。

中央に配布卓。入口寄りに案内係を厚く配置。来賓席から正面に飾り布を増やす。

紙の上だけなら、たしかに華やかだ。たしかに見栄えもいい。

そして、その紙の上には書かれていない。

その配布卓へ補充箱を抱えて走る下級生の足。

来賓の裾と脚立の距離。

札を受け取り損ねて立ち尽くす人の列。

入口で詰まった空気が、そのまま会場全体へ波及していく最悪の未来。

なるほど。殿下は、ご自分の立っている位置から見える景色だけで当日を回せると思っていらっしゃるらしい。

「入口から入ってすぐ、中央に配布卓を置くのはどうだろう」

アルベルト殿下が会場図へ指を置いた。

「目にも入りやすいし、奉仕祭らしい賑わいも出る。案内係も入口へ寄せれば、最初の印象はかなり良くなるはずだ」

善意だ。

善意だが、甘い。

私は横目でロザリア様を見た。

予想どおり、お嬢様はもう“きれいな配置図”ではなく、“そこで詰まって転ぶ人間”の方を見ている顔だった。

「その配置では、入口が詰まりますわ」

ロザリア様はすぐに言った。

「見栄えはよろしいでしょうけれど、配布が止まる」

殿下が少し首を傾げる。

「多少混んでも、華やかな方が良くないか?」

「多少では済みません」

ロザリア様の声は低い。

「案内係を入口へ寄せれば補充が薄くなる。配布卓を中央へ出せば、来客導線と受け取り待ちがぶつかる」

会場図の一点を細い指で叩く。

「見える場所を美しくするために、見えていない人間へ無理を乗せる案ですわ」

殿下はまだ納得していない顔だった。

その顔を見るだけで、私の頭の中では来賓の悲鳴と箱の落ちる音がだいぶ鮮明に鳴り始めていた。

「一度、仮に置いてみましょう」

監督教師が間に入る。

「実際に動線確認をすれば分かるはずです」

結構。

紙で分からないなら、現場で痛い目を見ればいい。

配布卓が中央へ寄せられた。案内係の札も入口へ集められる。飾り布が少し足される。

数分で、見た目だけは“それらしい”会場ができあがった。

「では、確認を」

教師の合図で、生徒たちが動く。

来賓役の生徒が入口から入る。

案内役が前へ出る。

補充箱を抱えた下級生が裏から配布卓へ向かう。

そして、あっさり詰まった。

「きゃっ」

案内役の袖が箱の角へ引っかかる。補充箱が傾き、来賓役が反射的に足を止める。中央に寄せた配布卓の脇で、人の流れが三歩ぶん綺麗に死んだ。

ほら見なさい。

「そこ、止まらないで」

ロザリア様はほとんど同時に動いていた。

「配布卓を半歩下げなさい。案内は内側へ。補充箱は裏から回して、来客導線を切らない」

私はすぐ横から拾う。

「こちらです。箱は私が持ちます。札、一本内へ」

「布は今そこで結ばなくていいわ」

ロザリア様が飾り布を持った生徒へ言う。

「外しなさい。通路幅が先でしょう」

「は、はい!」

配布卓が動く。

箱が裏へ抜ける。

案内役が半歩引く。

来賓役の前が開く。

たったそれだけで、さっきまでの詰まりは消えた。

教室は妙に静かだった。

誰の目にも分かったはずだ。華やかに見える配置と、滞りなく回る配置は同じではない。

殿下は、中央に残された配布卓の札を見ていた。

手元の資料が、指先の力に耐えきれず、くしゃりと鳴る。

「……」

何か言いたそうだったが、言葉は出ないらしい。

ロザリア様はそんなことに構わず、修正後の会場図へ指を滑らせた。

「呆然としている暇があるなら、その卓を固定なさい」

容赦がない。

「一秒でも早く正解へ戻すのが、上に立つ者の義務でしょう」

殿下は弾かれたように顔を上げた。

悔しさと、恥ずかしさと、理解がいっぺんに来た顔だ。

「……ああ」

短く答え、自分で卓の札を動かす。

それで十分だった。

教師ももう弁解しない。

手にしていた資料を机へ置くと、黙って赤で修正を書き始める。観念した人間の手つきだった。

「配布卓は当初案へ戻します」

教師が言う。

「案内係も入口へ寄せすぎない。補充導線を優先する」

「当然ですわ」

ロザリア様は淡々と返した。

「布で賑やかさは作れても、止まった流れは飾れませんもの」

何人かの生徒が、思わず小さく笑った。

賛成の笑いだった。

私はその場の空気が変わるのを見ていた。

お嬢様が正しいのは当然だ。

それ以上に、不備を見つけた瞬間の目が、あまりに冷たく、あまりに美しい。獲物の喉元を見つけた狩人より、ずっと迷いがない。

ああ、やっぱりこの有能さを独占できるのは、かなりの役得だわ。

後ろでは、アルベルト殿下がまだ修正後の導線を見ている。

さっきまで“よく見える配置”しか見えていなかった目が、ようやくその横の通路や、その先の補充動線まで追い始めている。

「君は」

低い声が落ちた。

「こういうところまで、いつも見ていたんだな」

ロザリア様は振り返りもしない。

「崩れてから騒いでも遅いだけです」

短い。

でも、その短さがいちばん効く。

殿下はそれ以上何も言わなかった。

言葉の代わりに、くしゃりと歪んだ資料を机へ置き、修正された会場図の端を押さえる。敗北を認めた人間の手だった。

教師はもう驚かない。

その代わり、赤字を入れながらぽつりと言う。

「次回の叩き台も、この基準で見直します」

「そうなさい」

ロザリア様は即答した。

「半歩の甘さが、いちばん後で面倒を呼ぶのよ」

半歩。

その言葉に、私は目を留めた。

会場図の端。

補充導線が、わざとらしいほど絶妙に窮屈だった箇所。

ただの見落としにしては、出来すぎている。

……なるほど。

私は控え札の余白を、敵の喉笛をなぞるみたいな手つきで、静かに、そして鋭く突いた。

半歩の詰まり。偶然にしては上手すぎる。