作品タイトル不明
scene:223 天黒狼との戦い
「伯爵、天黒狼という魔獣は、どれほど素早いのでしょう?」
「記録では、誰も魔術を当てられなかったそうだ。とにかく素早いという」
森に入って、すぐの地点で獣の叫びが聞こえた。
「何でしょう?」
イサルコが厳しい顔になっている。
「嫌な予感がする。天黒狼が暴れているのかもしれんぞ」
「【炎風陣】を発動しておきます」
リカルドは【炎風陣】を発動する。火の力が宿った風がリカルドとイサルコの周囲を渦巻き始めた。この【炎風陣】は、リカルドが魔力を供給している限り解除されることはない。
その状態のまま森の奥へと進む。
「この【炎風陣】という魔術は、革新派の者に教えないのか?」
イサルコが気になったことを尋ねた。
「使える者がいるなら、教えてもいいんですが、この魔術は常に魔力を補充しなければならないので、膨大な魔力の持ち主しか使えないんです」
「そうなのか。【炎風陣】が使えたら戦いが有利になるのに、残念だ」
リカルドの場合、源泉門から流れ込む力を魔力に変えて利用しているので問題ないが、一流の魔術士でも五分ほどで魔力が尽きるだろう。
その時、森の奥から凄まじい咆哮が聞こえてきた。リカルドの身体が震える。それは人の本能が恐怖すべきだと認めた咆哮だった。
「気を付けて!」
リカルドが警告を発した瞬間、森の奥から黒い影が現れリカルドが発生させた障壁にぶつかった。その衝撃をリカルドは感じた。だが、障壁を維持する魔力を途絶えさせることはなかった。
障壁に跳ね返された伝説の魔獣は、納得できないという目でリカルドたちを見ていた。
全長が七メートルほどで神々しいほどの生気を放つ存在が、そこに立っていた。
「こ、これが天黒狼……伝説の魔獣なのか」
リカルドの声が震えていた。イサルコがきつい視線でリカルドを睨んだ。
「魔獣に呑まれてどうする。こういう時は魔術士の誇りにかけて気合を入れるのだ」
リカルドはハッとしたような顔になり、イサルコから言われたように気合を入れる。リカルドが鋭い視線を天黒狼に向けた。
それが気に入らなかったらしい天黒狼は、漆黒の毛皮を波立たせてリカルドたちに襲いかかった。その鋭い爪を障壁に叩き付けた。音速には達していないが、飛びかかった速度も尋常なものではなく、その速度から繰り出された爪の攻撃は驚異的な威力を持っていた。
しかし、たっぷりと魔力を注ぎ込んだ【炎風陣】の障壁は、その驚異的な威力を持つ爪を弾き返す。リカルドの目の前に天黒狼の顔があり、その目がリカルドを見つめていた。
リカルドはその目を見つめ返しながら、意識を自分の精神の奥深くへと沈める。源泉門から二歩の位置まで意識を進めたリカルドは、そこから引き出した力を使って【炎風陣】の障壁を強化する。
その間にイサルコが攻撃の準備をしていた。トゥイストホーンの先端だけを障壁の外に突き出し、天黒狼に向けて魔力圧縮玉を放ったのだ。
それを察知した天黒狼は、魔力圧縮玉が見えるかのように確実に躱した。その動きは俊敏で憎らしいほど余裕がある。
「こいつは、魔力が見えるのか?」
イサルコの声を聞いて、リカルドもトゥイストホーンから魔力圧縮玉を撃ち出した。その魔力圧縮玉も簡単に躱された。
「魔力圧縮玉は、ダメです。【九爪竜撃】を試してください」
「分かった」
【九爪竜撃】は飛翔する竜爪の軌道を誘導できる。この魔術なら天黒狼に魔術を当てられると思ったのだ。
イサルコは触媒を出して魔術の準備をした。
「伯爵、竜爪の軌道を変えて、天黒狼に命中させるんです」
「なるほど、それなら命中させられる」
天黒狼が障壁を攻撃する。その巨体から繰り出される爪や牙による攻撃は、障壁に大きな負荷を与えた。リカルドが一瞬でも魔力の供給量を減らせば、【炎風陣】の障壁が消滅してしまいそうなほど激しい攻撃だった。
天黒狼は自分の攻撃が跳ね返されることに苛立っているようだ。
イサルコが魔力を放出し触媒を撒き散らす。属性励起した魔力を確認し、イサルコが呪文を唱えた。
「 シェナ(風よ) ・ ヴェゼラシル(大気を固め) ・ オボス(九本の) キュセ(竜爪となり) ・ ジュセム(合図を待ち) ロベス(切り裂け) 」
イサルコの周りに竜爪が生まれ、合図の言葉で次々に天黒狼へ飛翔する。素早さに自信がある天黒狼は、それを軽々と避けた。一本、二本、三本と避けた時、四本目の竜爪が途中で軌道を変え、避けた天黒狼へ向かう。
天黒狼が油断していたのか、避けられずに四本目が巨大な狼の背中に突き刺さった。五本目から九本目は、二本が命中した。
だが、巨大な狼に竜爪の二、三本では致命傷にならなかった。仕留めるには全部を命中させる必要があるだろう。しかも、血が噴き出た傷が急速に塞がり、傷口の皮膚が再生する。
「それはないだろう」
イサルコが不満そうに呟いた。
それでも用心した天黒狼は距離を取った。逃げられるはずだが、この魔獣は逃げることなど考えていないようだ。天黒狼の一番の武器は驚異的な走行速度である。
天黒狼は音速を超える速度にまで加速する脚力を持っているが、それは直線を助走して最終的に達する速度である。
その天黒狼が本気になった。距離を取った巨大な狼が助走して加速する。黒い影となった天黒狼は、リカルドたちに向かって一直線に走ってくる。
それが音速を超えた時、天黒狼が魔力を込めて咆哮を放った。伝説の魔獣が切り札としている攻撃『 魔狼咆(まろうほう) 』である。この名前は天黒狼が付けたわけではない。
この攻撃を見た三百年前の人々が名付けたものだ。
天黒狼から放たれた咆哮は、巨大な衝撃波となって拡散した。周りの木々をへし折り土砂を空中に舞い上げて、リカルドたちへ迫った。
「魔狼咆だ」
イサルコが心配そうな声を上げた瞬間、魔狼咆の衝撃波が【炎風陣】の障壁にぶつかり静電気の火花が飛び散る。
衝撃波と障壁がお互いを削り合い、ゴゴゴーッという尋常でない轟音を響かせる。
「凄まじい、大丈夫なのか?」
イサルコの顔が青くなっていた。
「大丈夫です。伯爵は反撃の用意を」
天黒狼は立ち止まり信じられないという目で、リカルドたちを見ていた。
リカルドは黒震魔砲杖を取り出した。左手にトゥイストホーンを持って【炎風陣】を制御し、右手に黒震魔砲杖を持って天黒狼へ向ける。
イサルコがもう一度【九爪竜撃】を発動し二発の竜爪を命中させた。背中と腰に傷を負った天黒狼は、苦しそうに藻掻く。
リカルドはチャンスだと判断した。天黒狼に向けて黒震魔砲杖の引き金を引いた。黒震魔砲杖から歪曲空間弾が飛び出す。機関銃の弾丸のように連射する歪曲空間弾が天黒狼を追いかける。そして、巨大な狼の胴体を捉えた。
歪曲空間弾五発が漆黒の巨体を貫いた。天黒狼が口から血を吐き出した。悲しげな鳴き声を発した天黒狼がよろよろした足取りで逃げようとしていた。
「ここで仕留めなければ」
リカルドは【炎風陣】を解除した。そして、【九爪竜撃】の触媒を取り出す。それを見たイサルコも触媒を取り出した。
イサルコとリカルドは、同時に【九爪竜撃】を発動した。二人の周囲に九本ずつの竜爪が浮かぶ。だが、リカルドの竜爪は、膨大な量の魔力を注入したので、紫を帯びた金色に輝いている。
「な、それが本当の【九爪竜撃】なのか……」
イサルコはリカルドの竜爪に膨大な魔力が秘められていることを感じて冷や汗が噴き出した。
イサルコとリカルドは同時に合図の言葉を口にした。だが、その飛翔速度は段違いだった。イサルコの竜爪がまだ半分の距離も飛んでいないというのに、リカルドの竜爪が天黒狼を掠めて地面に突き刺さった。
地面が裂け深い溝が刻まれる。イサルコの竜爪も天黒狼を掠めただけで終わった。天黒狼が振り返ってリカルドたちの方を見る。
リカルドたちは次々に合図を出し竜爪が天黒狼を攻撃した。天黒狼は驚くべき反射神経で竜爪を躱しながら遠ざかっている。その間にも天黒狼の傷が塞がり治り始めていた。
「天黒狼が、こんな凄い自己治癒能力を持っていたなんて、記録に残っていなかったぞ」
イサルコが喚いた。リカルドも喚きたくなる気持ちが分かる。
「今まで誰も天黒狼を傷つけた者がいなかったんですよ」
遠くまで離れた天黒狼が立ち止まって、リカルドたちに顔を向ける。イサルコが顔を強張らせた。
「ちょっと待て。あいつ、逃げるんじゃなかったのか?」
天黒狼は唸り声を発しながら、二人を睨んでいる。
「また魔狼砲を放つ気だな。伯爵、これで天黒狼の足を薙ぎ払うように攻撃してください」
リカルドは黒震魔砲杖に魔力を注ぎ込んでから、イサルコに渡した。
天黒狼が走り始めると同時に、リカルドは【九爪竜撃】を準備する。天黒狼が加速、その速度が音速を超えた。その時、リカルドの【九爪竜撃】も発動する。
イサルコが黒震魔砲杖の引き金を引いたまま天黒狼の足元を薙ぎ払う。歪曲空間弾が低空飛行で天黒狼に襲いかかる。天黒狼は歪曲空間弾を躱すために飛んだ。
「罠に嵌ったな」
リカルドは空中で機動力をなくした天黒狼に竜爪を叩き込んだ。一発、二発が命中し天黒狼の身体を切り刻む。血を噴き出させた巨大狼が、口を大きく開き魔狼咆を放った。
リカルドは開いた口に竜爪を飛び込ませる。
次の瞬間、魔狼咆の衝撃波がリカルドとイサルコを襲った。二人は弾き飛ばされ、空中を飛び地面に叩き付けられた。リカルドは地面を転がったが、イサルコは木の幹に叩き付けられる。
気を失っていたリカルドが気づいて起き上がろうとした。身体のあちこちが痛みを訴え、吐き気までする。
「……伯爵」
リカルドはイサルコの姿を探した。
木の根元に倒れているイサルコを見つけて近寄る。息をしているのを確かめ、その時になって初めて天黒狼に目を向けた。動かないのは気づいていた。
どうやら仕留めたらしい。頭が真っ二つになっていた。
イサルコの状態を見ると右足と左手が骨折して、傷だらけになっている。
リカルドも傷だらけなのは同じだが、骨折はしていないようだ。リカルドはイサルコの手当をしてから、コンテナハウスを出して、イサルコを運び込んだ。
寝台に寝かせると一息つく。
「天黒狼を確かめないと」
コンテナハウスから出て、天黒狼のところまで行く。
近くで見ると、その巨大さが分かる。近付くと濃厚な血の臭いがする。竜爪は頭を半分に切って、首の動脈までも切断したらしい。
「収納碧晶に入るかな?」
試してみると入らなかった。もう少しで入りそうだという手応えはあったのだが、無理だ。
「尾を切り離すか」
天黒狼の立派な尾を切り離すと、収納碧晶に入った。尾は冷蔵収納碧晶に入れる。
コンテナハウスへ戻って自分の傷を手当していると、ドアをノックする音が聞こえた。ドアを開けて外を見ると、パトリックが立っていた。
傷だらけのリカルドを見たパトリックが、心配そうな顔をする。
「もしかして、天黒狼と戦ったのきゃ?」
「そうだ」
パトリックを中に入れる。パトリックの他にも討伐局の魔術士が三人いたので、一緒に入れた。
「イサルコ理事」
パトリックが寝台に横たわっているイサルコを見て、大声を上げた。伯爵と呼ばねばならないところを理事と呼んでいるので、慌てているのが分かる。
「リカルド、大丈夫なのきゃ?」
「右足と左手の骨が折れているが、大丈夫だと思う」
イサルコが目を覚ました。
「……天黒狼は?」
「倒しました。安心してください」
イサルコがホッとする。それから痛みを感じて顔をしかめた。
「動かないでください。右足と左手が折れていました」
パトリックと他の魔術士たちは、天黒狼を倒したと聞いて信じられないという顔をしていた。パトリックたちは外に出て周囲を確認した。
リカルドたちが何か強力な魔獣と戦った痕跡が残っていた。魔術士の一人が尋ねる。
「天黒狼を倒したというのは本当でしょうか?」
「リカルドが断言したのだから、本当だがね」
コンテナハウスへ戻ったパトリックは、リカルドの傷で手当していないものがあるのに気づいて、手当をした。
「どうして、自分たちだけで戦おうと思ったんだがね?」
「【炎風陣】は少人数しか守れない。大勢の魔術士が来る前に、倒そうと思ったんだ。それよりパトリックは、第二魔境門へ行っていたんじゃないのか?」
「依頼された魔獣を狩って、戻ってきたら、天黒狼が現れたんで、ミル領へ行けと言われたんだがや」
「それだけの人数で、天黒狼を倒しに行けと命じられたのか。シスモンド局長は何を考えているんだ?」
リカルドが複雑な表情を浮かべたのを見て、魔術士の一人が確認した。
「天黒狼は、伝説通りの凄い魔獣だったのですか?」
リカルドが頷いた。
「ああ、防御用の魔術がなければ、我々は死んでいただろう。特に魔狼咆を喰らった時は、死ぬかと思った」