作品タイトル不明
20話「世界の半分が変わった日」
『リシアン、起きて!朝だよー』
風乃の声で目が覚めて体を起こす。二度寝をしようとしたら、最近は家の中にまで精霊のやつらがうろつき出したから……どんないたずらをされるか分かったもんじゃない。
こないだは水の精霊に枕をびちゃびちゃにされた。火のやつが火球を持っていたときはさすがに飛び起きた。風乃の声で起きるのが1番平和。
右側を下に横向きで寝る癖があるから前は、鳥の 囀(さえず) りなんかで起きてたんだけどな。
あの日から壊れた世界の半分。
今もただひたすらに静かで、だけど精霊たちの声だけが確かな形で届く。
◇──◇──◇──◇──◇
その日は、新年祭だった。この世界では年明けに皆一つ歳を重ね、国をあげてのお祭り期間だ。
王都では成人となる貴族のために成人の儀が、平民や地方でもそれぞれ成人の祝いが催される。年明けから五日間は各地で新年を祝う祭りの期間が続く。
屋台が連なる街並みはどこも賑やかで、俺たち薬師は持ち回りで休みを取る。どこの店も閉めるわけにはいかないから、そこは交代でな。
新年祭は基本的に家族で祝うもので、俺も例年のようにミレア姉さんと過ごす約束をしていた。
昨年は師匠が旅立ったバタバタであまりゆっくり過ごせなかったから、今年はおいしいものを食べてのんびりと過ごそうと話していた。
年明けにダラダラしたくて年末に忙しくし過ぎたのかもしれない。
その日は朝からやたらと体が重だるかった。喉の痛みなし、鼻も異常なし……流行り風邪とかではなさそうだけど。左耳だけ詰まった感覚があり、耳抜きをしても治らなくて不快だった。
くぐもって聞こえるわりに、やたらと響く音はなぜか頭にまで響くけれどゴルディにはご飯をあげなきゃ。たっぷりの干し草と、ゴルディが好む野菜をいくつかカットして混ぜ込む。新年祭だしと林檎もいつもより多めで。
「ブルルルル?」
具合が悪そうな俺に気がついたのか、ゴルディの声もなんだか控えめだ。ゴルディはやさしいな。
「うん、大丈夫だから……水も新しいのをっと」
吊り下げた桶に溜まった水を流す音の大きさにびっくりして、ちょっと水がかかった。ゴルディが心配そうに寄ってくる。
「大丈夫だって。でも……ブラッシングは待ってな?ちょっと休ませて」
夕方の、ミレア姉さんとの約束の時間まではまだある。昼までにどうにもならなかったら連絡を入れて……新年のお祝いは後日かな。流行り風邪ではなくても、人に感染るようなのだったら厄介だし。
自室で横になったら寝そうだし、とりあえずソファーで近い症状と治療薬についての資料を見直すことにする。倦怠感と耳についてと一応流行り風邪の資料もそれぞれいくつか棚から引き抜く。
読もうとしても耳鳴りがひどくて集中しづらい。延々と続く高い金属音が頭に響く。それでもいくつか読み進めていくうちに、ボーッと低い重低音まで重なってくる。
……耳の奥から熱がじわじわと上がっていく気がする。だっる。とりあえず目をつぶるか……と思ったのが最後だった。
窓の外からは白い何かが立ち上がってこちらを見ていたことを、俺は知らない。
「……リシアンっ!」
ミレア姉さんの泣きそうな声で起きたとき。
窓の外は真っ暗だった。
「やっば、ゴルディに夜ご飯あげてない!」
「わたしがお水もあげて、今はゴルディくんは休んでもらっているから大丈夫よ。ちゃんとゴルディくんにご飯もあげるから……それより立てる?」
ゆっくり体を起こしても体動で「ピィーッ!」と一際大きな耳鳴りが響く。
「酷い熱なのよ……リシアン、とりあえずベッドまで頑張って歩いて?そこで休みましょう。ここは冷えるわ」
頭はぼんやりとするけれど、ミレア姉さんの手を借りることなく自室まで着いて横になる。
「ミレア姉さんごめん……新年祭なのに」
「いいのよ、リシアン。新年祭はまた……あなたの体がよくなるまでお預けね」
そう言ってやさしく撫でてくれる。俺そんなに子どもじゃないんだけど、まぁいいか。
横になると少し体は楽だった。
「リシ……、…にか……はんは……べたの?」
「え?何?」
よく聞こえなくてもう一度体を起こす。
「リシアン、何かご飯は食べたの?」
ドアの前に立つミレア姉さんとは少しの距離があって。いつもより小さく聞こえるその声に、胸がざわつく。
「……いや、朝に少しと気付いたら寝てて」
それなら、何か食べやすい物を用意してくるから少し待っていてね……そう答えてくれたと思う。
聞こえたところを繋ぎ合わせて、ミレア姉さんが言いそうな感じを推察しながらだけど合ってはいると思う。ずっと続く耳鳴りが、警告音のように思えてきた。これはきっとよくないことだと知らせるようで、その音は耳を塞いでも消えない。
ちょっとしてミレア姉さんが柔らかく煮込んだパン粥を持ってきてくれた。蜂蜜がほんのり甘くて、最後にちょっと塩の味。甘いのが好きな俺が継ぎ足せるように小さなカップにも蜂蜜が添えられている。半分くらい食べたところで蜂蜜を追加して、しっかり完食した。
「食欲があるようでよかったわ。熱が高いからこれで冷やしてね。あと何か症状はある?」
「こんな姉さんがいてくれたらよかったなって思った」
ぼんやりしてたら心の声がダイレクトに出た。やっば、恥ずかしくて顔が上げられないんだけど。
「リシアンはわたしのかわいい弟よ?」
なんて言ってくすくす笑ってるんですけど。
「喉も痛くないし、鼻の症状もないから……流行り風邪ではないと思う……」
拗ねるような口調になったのは熱のせいだと思う。耳は……痛くないし、あの熱感もない。ただ、胸がざわつくから口に出したくなかった。
「ゴルディくんにもちゃんとご飯をあげてきたから安心してね。あの子がわたしを街まで呼びに来てくれたのよ?治ったら褒めてあげてね」
ゴルディ……!さすが俺の相棒、頼りになる。
「ただ……馬小屋が少し。色々と引きちぎってやって来たみたいで。あ!雨風は入らないし、ゴルディくんもこんな事がなければ大人しい子だからとりあえずは大丈夫と思うわ」
ゴルディ……。治ったら修繕しないと。
俺からの話を聞いたミレア姉さんから熱冷ましの薬をもらって飲んだ。
「今日は客間を借りるわ。また様子を見に来るけど、少し眠るといいわ」
と言って部屋を出ようとするミレア姉さんに「泊まりはよくない」と「こんな時間にミレア姉さん一人で街に帰るのも危ない」とで言いあぐねているうちに出て行ってしまった。
薬が聞いてきたのか、あんなにも寝ていたのにまたうとうとして……気が付いたら寝ていた。
「リシアン?」
枕からしたその声に勢いよく飛び起きる。
「……俺の枕が喋った?」
まじまじと枕を見つめる。え?俺の枕ってミレア姉さんの声なの?
「……リシアン、わたしはこっちよ?」
呆れたようにしているミレア姉さんがいた。
「ま……ち……っ……やりしてるの?」
氷嚢を新しいのに取り替えようとするミレア姉さんの声が近いのに遠くて。
「えーっと……だいぶよくなったと思う」
「ま」から始まるからまだ、かな?何とかしてるのは、してるので終わるから……あー、まだ頭がうまく働かない。
「……リシアン、あなたがいた部屋にあったこれについて聞きたいんだけど」
ヤバい。倦怠感と流行り風邪と……耳の不調についての資料がそこにはあった。
「リシアン、嘘はつかないと精霊様に誓って目を閉じていてね。何か聞こえたら教えてね?」
それ小さい子に親がよく言うやつ……。嘘ついたらハリセンボンのーますと同じやつじゃん。ハリセンボンが何かは覚えてないから知らんけど。
大人しく目を閉じる。閉じたんだけど……
「……ねぇ、ミレア姉さんまだ?いつまでこうしてたらいいの?」
パッと目を開けたら顔の横にミレア姉さんの手があった。
あぁ、気づかれたなと思った。
これは指を片側の耳の近くで擦り、音が聞こえるかの確認する……そんな検査だ。
「いつから?」
「……ハッキリ分かったのはミレア姉さんが来てからだけど、たぶん朝から何かおかしかったと思う」
真剣な目にこれは誤魔化せないなと思った。
「そう……あといくつか飲みましょうね」
そう言ってミレア姉さんが持ってきたのは粉薬と、透明の液体の薬は独特の臭いを放つ。
……味がどうにかならないかと常々思っているけれど、どうにもならなかったやつじゃん。
ちょびっと飲むとしつこい苦みがある。くっそマズい。全量のコレを飲まないといけないのか。
「ミレア姉さん!蜂蜜ちょーだい」
蜂蜜ならいっぱい入れたら何とかなるかもしれない。
結果は甘さと苦さが、お互いの悪い面を引き立たせるようで……ひたすらマズいそれの量が増えただけだった。口直しに、と飴をもらった。
◇──◇──◇──◇──◇
『リシアン、お客さん来るよー』
『猟師さんがあとちょっとで着くよー』
『何かねぇ、足引きずってるからいそいでー!』
口々に声をかけて急かしてくる精霊たち。
「分かったって!急患なら店を開けるよ」
慌てて着替えをしてからドアの前の掛札を開店にひっくり返す。
あの日、壊れた世界の半分。違う形で戻ってきたその半分。
『あー……お客さん来ること教えてくれてアリガトゴザマス』
『前のほうがかわいかったぁー』
『ちぇー』
『相変わらずうるっせぇなぁ、お前らは!』
ケラケラと笑う精霊たちを、俺は今日も怒鳴りながら追いかけ回る。