軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第79話 ジョンのスキルと"試練"

エリオが帰還したことで、どうやら雑魚の掃討戦は終わりらしい。

目的が変わったためか、探索の空気が変わった。

今までの慎重な探索が嘘のように、一気に進行速度が上がる。全力疾走というほどではないが、かなりの速さで、俺たちは無言のまま迷宮を駆けていた。

荒野の荒々しい空気を裂くように風が流れ、肩口の布が翻る。一定のリズムで鳴る足音が、緊張感を少しづつ高めていく。

そんな中──前方に、違和感が現れた。

陽炎の先。ぼんやりと、何かが見える。

「……あれは?」

自然と足が緩み、思わず目を細めてしまう。

それは、今までこの迷宮に居た魔物にしてはやけに小さく、けれども岩や柱といった無機物とも違う“生”の気配を纏って、どこかぼうっとしたようにじっと佇んでいた。

先頭を走っていたシドが、何かを察したのか立ち止まる。俺たちもそれに倣って足を止めると、全身に流れていた熱が、じわりと静まり返っていった。

その影は、こちらの存在に気づいているのかは分からない。だが、警戒するような動きも見せず、最初に見えた位置から微動だにしていない。

「ようし、居たな。アイツが“試練”だ」

後ろから、例の指示役の男が歩み寄ってきて、シドの横で足を止める。彼の視線の先には、例の小柄なシルエットがあった。

“試練”。

そう口にした瞬間、場の空気が少しばかり張り詰めたように感じた。

距離があるため、まだはっきりとは見えない。だが、どうやらそいつは人型のようだった。

ただし、妙に頭部が細長く、腰のあたりからしなるような尻尾のようなものが垂れている。全体的に爬虫類じみた印象があり、まるで二足歩行をするトカゲのようだ。

ついこの前、巻き込まれた先での獣人達を思い出すが、それとも違う、野生のような印象。

じっとその姿を睨んでいる俺を尻目に、周囲が戦闘態勢に入りはじめた。

男が軽く顎をしゃくると、後方にいたジョンがひとつ小さく息を吐きながら、前に出てくる。そして、ゆっくりと両手を前に伸ばし、まるで空気そのものに祈るような所作で、初めて口を開いた。

「風切る羽のごとく、森を駆ける獣のごとく──いま、我が身を縛る鎖を断ち切れ」

その響きに、思わず息を呑んだ。

詠唱──だと?

そして次の瞬間、俺の視界が緑に染まる。

ジョンの言葉と同時に、まるで霧のように拡散した翠の粒子が、俺たちの身体に優しく降り注ぎ、薄い膜のように包み込んでいく。

「っ……!」

呼吸が自然と深くなる。胸の奥が軽くなる。

身体を傾けて片足を浮かせてみると、驚くほど軽やかに地面を離れる感覚があった。

まるで羽が生えたかのような、重力から解放されたような自由さ。

これは……バフか。

身体が軽い。それでいて、レベルが急激に上がったときのような違和感もない。力が素直に流れていく感覚。違和感どころか、むしろ“しっくりくる”。

こんな感覚……初めてだ。メイリンに掛けてもらったバフとはまた違う感じ。

驚きと共に、俺は無意識にジョンの方を振り返る。

彼は変わらぬ無表情のまま、右手に大ぶりの杖を握っていた。いつの間に取り出したのか、恐らくアイテムボックスからだろう。

魔法……だとは思うけど、なぜ詠唱を。

詠唱が必要なスキルなんて、俺は今まで出会ったことがなかった。

不思議そうにジョンを見ていた俺に気づいたのか、あの指示役の男が、くつくつと喉の奥で笑いながら声をかけてきた。

「ふふ、やっぱり最初は面喰うよな。フランクのヤツもそうだったし、アイシャなんか、馬鹿みてぇに口開けてたぜ」

懐かしむような口調で語るその男は、軽く顎をしゃくってジョンの方を示す。

「コイツのバフは特別なんだよ。詠唱を入れることで、効果が増すって話でな。……まあ、詳しい理屈までは知らねぇけどよ。悪い話じゃねぇし、俺らとしては助かってんだわ」

得意げに話しているその横で、ジョンが苦虫を噛み潰したような顔をしていた。

目元はわずかに引きつっていて、普段の無表情とはどこか違う。内心で何か思っているのは明らかだったが、契約の縛りがあるのか、それとも性分なのか、何も言い返さずに肩を落としてため息をついた。

「それにな──」

男は構わず言葉を続ける。もはや、ジョンの気持ちなんて気にも留めていないようだった。

「この詠唱は、ジョンの自作らしいんだよ。おもしれぇだろ? 他の連中も面白がって真似てみたんだけどな、誰一人うまくいかなかった。効果どころか、反応すらねぇって有様よ」

そう言って笑い、ちらりとジョンに目配せする。

「コツを聞いても、こっちが欲しい答えは返ってこねぇしな。まぁ、しばらくして全員諦めたわ」

「……」

ジョンは視線すら向けず、黙って前を向いたまま、まるで関わりたくないと言わんばかりの態度だった。

……なるほど。どうやらあのバフは、ジョンだけが使えるものらしい。

固有スキルの可能性もあるし、もしくは何かのスキルから分岐した“派生”か。特定の条件が揃った結果、あの詠唱が必要になったのかもしれない。

それにしても、杖に詠唱、後方支援型。彼はやはり、いわゆる“魔法使い”ポジションなのだろう。見た目にも防具は少なめだし、身のこなしも静かだ。

そう考えると、前衛は──おそらく俺と、この指示役の男か。

“ジョンと二人でも大丈夫”と言っていたことを思い出す。少なくとも彼らの中で、前に出るのはその二人だけということだ。

と、その時、あることに気づく。

「……そっちの、シドって人にはバフをつけなくていいんですか?」

俺がそう尋ねながら指差すと、その名を呼ばれた男はちらりとこちらを見やったが、何も言わずすぐに視線を戻した。

「シドにはいらんよ。戦闘には参加しねぇし、魔力も節約しなきゃなんねぇからな」

短くそう言うと、男はアイテムボックスから出したのか、巨大な戦斧を軽々と肩に担ぐ。

その斧は、華美な装飾こそないが、丁寧に細工された金属の装飾が柄に刻まれていた。刃は光を鈍く弾き返し、見るからに重厚だ。使い手の技量と筋力を問う、まさに戦場向きの代物。

俺も<影走りの短刀>を抜く。斧に比べれば軽いかもしれないが、刃の鋭さには自信がある。目の前の戦いに備え、柄を軽く握り直した。

「……準備は、できてます」

俺の頷きを確認すると、男はにやりと笑って言った。

「よし、なら行くぞ。あの“試練”のやつはな、一定の距離まで近づくと自動的に戦闘状態になる。あと数歩ってとこだな」

そして、静かに一言。

「行くぜ」

その声と同時に、男が前へ一歩、足を進めた。

俺とジョンも、その後ろに続く。

二歩。三歩。

ゆっくりと、しかし確実に歩を進めながら、目の前の影が徐々に近づいてくる。

“試練”と呼ばれたそれは、依然としてまったく動かない。だが、それが逆に不気味だった。

緊張感が徐々に高まる。

肩越しに風が通る。

──そして、四歩目。

前を行く男の右足が、宙に浮いた、その刹那。

バシュッ

風を裂く鋭い音が、迷宮の静寂を切り裂いた。

気づいたときには、前を歩いていた男の首が、宙に舞っていた。

赤い軌跡を描いて、ぽとりと地面に落ちる。

遅れて、身体が膝をつき、どさりと音を立てて前のめりに倒れた。

俺は、声も出せなかった。

ただ、目の前に広がる光景を、理解できないまま見つめていた。

戦闘は──始まってなどいなかった。

始まる前に、一人が、終わっていた。