軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第58話 脱出二日目

二日目の行程も、今のところは順調だった。

昨日は犬型の魔物に襲撃を受けたが、今日は今のところ、一度もそれらしき気配が襲い掛かってきていない。気配自体は遠巻きに感じるが、やはり一定距離を保ったまま、それ以上は近づいてこようとしない。

歩きながら鳥顔にそのことを尋ねてみると、彼は無表情のまま、短く答えた。

「本来であれば、もう少し接触はあるはずだ。恐らくは、まだ腕輪の影響がまだ残っているのだろうな」

なるほど、結構な距離を進んできたが、まだ効果範囲だということか。ありがたいと言えばありがたいが、それと同時に、少しだけ物足りなさを感じている自分がいた。

今の俺がどこまで戦えるのか——それを見極める機会が減ってしまっているのだ。

……いや、戦いがないのは本来、良いことなのだ。けれど、この先の階層に向けて不安がないわけでもない。できれば、余裕のある今のうちに、もう少し経験を積んでおきたい。

俺は歩調を緩め、前を歩くふたりに声をかけた。

「ちょっと、いいかな?」

メイリンと鳥顔が、同時にわずかに振り返る。俺は言葉を続けた。

「今のうちにさ、もう一種類の魔物——熊みたいにでかいって話のネズミ型。あいつと一度、戦っておきたいんだけど……どう思う?」

隊列の真ん中にいたメイリンが、一瞬だけこちらに視線を送り、それからまた前を向いてから答えた。

「うーん、私は完全におんぶにだっこだしなぁ。まぁ、自分の身を守るくらいなら問題ないと思うわ。やってみるといいんじゃない?」

彼女らしい、前向きかつ控えめな言葉。

そのやりとりを聞いていた鳥顔も、すぐに返答した。

「ふむ、私も構わん。だが、その場合は私が防衛を担い、お前が前に立つ、ということでいいのだな?」

「ああ、ええ。それでお願いします。……たぶん、自分ひとりでも対処はできるとは思ってるんですが、万が一に備えて。まずは相手を見てから判断したいんです」

俺はそう言って頷き、目を細めながら周囲に意識を向ける。気配の流れがさらに読み取れるようになってきたのも、レベルアップの恩恵か。

ほどなくして、少し外れた森の奥、単独で動いている強めの気配を感じ取った。

——いた。

犬型は群れを好むが、ネズミ型は単独行動が多いと聞いた。あの強さ、あの圧、恐らくネズミ型。

俺がその方向に自然と視線を向けると、鳥顔も何かを察したのか立ち止まり、前方に意識を集中させる。気配の先を感じ取った彼は、小さく唸るように言った。

「……ふむ。進行方向の予定に大きな狂いはないな。いいだろう」

許可が出た。メイリンにも視線を送る。

彼女はニッと笑って親指を立てた。

「問題なさそうね。私も大丈夫よ。がんばって、イトウさん」

心強い言葉に、自然と肩の力が抜ける。

「ありがとう。じゃあ、行ってくる」

そう言い残して、俺は静かに気配を殺し、音も立てずに前方の林へと足を踏み入れた。

森の木々の青臭さが鼻につく。微かに湿った土の匂いの中、俺はただ一つの強い気配を目指して歩を進めた。

木立の合間を抜けて、そいつの姿を確認したのは、歩き始めてしばらくしてからだった。

視界がふっと開ける。そこには、ぽっかりと空が覗くような、わずかな広場のような空間。

その真ん中、ずんぐりとした巨体を屈めて、何かに夢中になっている魔物がいた。

灰色がかった毛並みは土埃にまみれていて、背丈は優に俺の倍以上はある。

熊のような体格——けれどその顔付きは、どう見ても巨大なネズミだった。

前足の鋭い爪で木の根元をがりがりと引っかいている。

何か探しているのか、それとも単に爪とぎか。動物的な仕草のわりには、その動作ひとつひとつに凶暴さが滲んでいた。

だが、こちらにはまだ気づいていない。

距離にして、二十メートルほど。

今の俺なら、一息で詰められる間合い。

……よし、ならば、先手を取る。

体が前へと滑り出すのは、もはや思考より早かった。

「……いくか」

そう呟く間すらないほど自然に、俺の身体は加速した。

右手に構えた短剣——〈影走りの短刀〉の漆黒の刃が、光を飲み込むように沈んでいる。

風が巻き上がる。地を蹴った瞬間、音が遅れて耳を打った。

背後で、地面が爆ぜるような衝撃音が木霊する。

世界が一瞬、静止する。

空気を切り裂くような突風を残し、俺の腕が閃いた。

まるで刀身そのものが意志を持ったように、抵抗なく、滑らかに魔物の急所へと吸い込まれていく。

— —何の手応えもなかった。けれど、それが“切れた”という確信に変わるのは、一瞬後だった。

「……ッ!」

背後で、肉の重みが地面に落ちる、鈍い音。

ゆっくりと振り返ると、そこには自分の首を見失ったまま倒れ込む巨体があった。

断面はまるで刃物で整えたように滑らかで、まだその肉体が何が起きたかを理解していないような、虚ろな表情のまま、空を仰いでいた。

しばし、静寂。

風のざわめきさえ、気まずそうに身をひそめている。

「……まぁ、見つかってなかったらこうもなるか」

短く吐息を漏らしながら、短剣の刃を軽く振るうが、血はついていない。

この威力。確かに俺の身体能力は上がっている。武器との相性も良すぎるくらいだ。

けれど、これでは見極めにはならない。

「次は正面から、だな」

そう呟いて一旦二人のもとへと戻る。

「なんとも、大したものだな」

戻ってきた俺を出迎えたのは、鳥顔の男の静かな賞賛だった。

彼の嘴の奥から漏れた声は、小さく低かったが、けれど確かに感心の色が滲んでいた。

その横で、メイリンがぱたぱたと手を振っていた。

「私はあんまりそっち見てると警戒が疎かになっちゃうからさ! 見えなかったわ!」

声は明るく装っていたけど、目の端にちょっとした悔しさが見えるのを、俺は見逃さなかった。

「けどさ、どうなの? イトウさんって、あなたの目から見てもやっぱり“強い”の?」

素直な興味に満ちた問いだった。

確かに、鳥顔みたいな猛者からの評価というのは、自分自身ではなかなか得られない。

俺より上の人間も、今のところ見たことがないしな……。

鳥顔は少しだけ首を傾げ、いつもの無表情な仮面の奥で、ほんの僅かに目を細めたように見えた。

「ああ。実戦には運や地形、相性といった要素も絡むが──少なくとも、この階層においては、お前は申し分ない強さを持っている。単独での行動も問題ないだろう。……もう一つ下の階層となると、少々危ういかもしれんがな」

「なるほど……」

評価されたことは素直に嬉しい。けれど、同時に気になったことがあった。

「そういえば、あなたたちは“下の階層”から上がってきたって言ってましたよね?」

そう。以前、彼が「弱き者が上から来た」と呟いたのが印象に残っていた。

けれど、目の前のこの鳥顔を見ていて“弱い”なんて印象を受けることは一度としてなかった。

俺の疑問を察したのか、鳥顔はあっさりと頷いた。

「我らの中にも、力ある者はいる。しかし、同時に“戦えぬ者”も多く含まれている。全体で見れば、我らは弱い。だからこそ、環境のより穏やかな上層へと移動するのは、当然の選択なのだ」

確かに。いくらこの鳥顔がここで戦えるほどの戦闘力を持っていたとしても、集落全体がそうだとは限らない。

弱い者が生き延びるために、戦闘の密度が低い階層へ上がっていく……それはある意味、自然な流れだ。

「……なるほど」

何気ない会話のはずだった。けれど、その一言の中に、俺の知らない“下層の現実”が垣間見えた気がした。

今の俺のレベルは41。

自信もあるし、装備だって悪くない。けれど、それでも──下層では「ギリギリ」だと、彼は言った。

一体、迷宮はどこまで深く続いているんだろうか。

底知れない不安と、それ以上のワクワクが、じわじわと胸の奥に湧いてくる。

「……まだまだ、先は長そうだな」

思わず口に出してしまった俺の独り言に、メイリンがニカッと笑いながら頷いた。

「ところでさ」

話題を変えるためか、あるいは素直な興味からか。メイリンが横からこちらを覗き込むようにして声をかけてくる。

「さっきのネズミ──経験点ってどれくらいだったの? それに、何かドロップとかあった?」

ぱっちりとした瞳がキラキラと輝いていて、全身から“気になる! ”が滲み出ていた。

そういえば、彼女にとっては純粋な魔物との戦闘で、俺たちがきちんと成果を得たのはこれが初めてだったかもしれない。

遺跡での戦闘では、なぜか経験値もドロップもなかったからな──あれは今でも引っかかってるけど、今はいい。

「経験点は2100だったよ。ドロップは残念ながら、何もなし」

そう告げると、案の定、メイリンの目がさらに丸くなる。最近じゃ驚き顔も板についてきたもんだ。

「に、にせんひゃく!? 三階層の魔物の、何十倍ってレベルじゃない!」

俺が頷くと、彼女は呆れたような顔をしながら口を尖らせる。

「私なんか、それ一回倒しただけでレベル上がっちゃうんですけど……なんなの、ここ何階層なのよ」

ふざけてるのか本気なのか、どっちとも取れる調子。

「確かにな。でも、俺の次のレベルアップに必要な経験値、どれくらいだと思う?」

ふと、いたずら心が湧いた俺は、彼女にクイズを投げかけてみた。

「え? うーん……さすがに数万じゃ済まないだろうけど……10万くらい?」

控えめな予想を口にしながらも、メイリンの顔には“それでも多いでしょ? ”という自信が見え隠れしている。

俺は少し口元を緩めて、告げた。

「残念。次、42レベルになるには大体、60万だ」

「ろ、ろくじゅうまん!?」

再度、メイリンの声が森の中に反響した。

ぴくりと周囲の気配が揺れる。

……だが、特に警戒態勢にはならない。

鳥顔はと言えば、もはや慣れた様子で微動だにせず、静かに周囲の気配を探っているだけだった。

あいつ、絶対「またか」とか思ってるな。

「もうさ、経験値テーブルおかしくない? どういう計算式になってるのよそれ。え、あれ? 私、何回戦闘すればいいの……?」

メイリンは自分のレベルを上げるに必要な戦闘回数を数えているのか、空中に手を突き出しては指を動かしていた。

「……まぁ、レベルだけがすべてじゃない。派生スキルのこともあるし、一概に、数値が上がればいいってもんでもないさ」

実際、スキルの力は侮れない。たとえレベルが劣っていても、立ち回りやスキル次第で逆転なんていくらでもあり得る。

そう自分に言い聞かせている部分もあった。慢心しないために。

「……そうかもしれないけどさぁ」

メイリンが、少し拗ねたような声を上げる。

どこか、口を尖らせているのが目に浮かぶようだったが、彼女がわざとらしく駄々をこねるような性格じゃないのはもう分かってる。

たとえば、ここで「経験値球よこしなさいよ」なんて冗談でも言わないあたり、根は真面目だ。

「まぁまぁ、気持ちは分かるよ。けど、そろそろ“出口”、いや、正確には“入口”か……そこに向かってるわけだし、進めば自然と適正レベル帯の階層にも出る。そうなれば、経験値ももっと手に入るようになるさ」

そう言って、彼女の気分を少しでも軽くしようと、言葉を添える。

「……ま、そうね」

少しの間を置いて、メイリンが小さく呟いた。

それから、ぐっと拳を握って高く突き上げる。

「今いじけてても仕方ないもんね! よっし、さっさと前に進みましょ!」

前を向いて、快活に言い放つその姿に、俺は思わず口元が緩む。

こういう切り替えの早さは、彼女のいちばんの長所かもしれない。

その勢いを受けるように、俺も一歩を踏み出す。

「あ、そうだ」

ふと思い出して、すぐ前を歩く鳥顔に声をかけた。

「見ていて分かったと思うんですが、さっきのネズミとの戦いは、奇襲で終わっちゃったんですよね。だから……もう一回くらい、正面からの戦闘を試してみたいんです。いいですか?」

俺の言葉に、鳥顔は振り返るでもなく、ただ歩を緩めることなく答える。

「ああ、良いだろう」

その簡潔なひと言に、俺は深く一つ頷いた。

そして、俺たちは再び三人で、静かに森を踏みしめながら歩き出した。