軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

239 あきらめるなんてできないこと

「前に話したとおり、私は八歳の頃に病で生死の境を彷徨った。その後、未来のことを夢に見るようになった」

扉を閉めて執務室の机の前に立った私に、殿下は静かに話し始めた。

「その中には大切な人が失われる夢が混じっていた。どんなに努力しても、手を尽くしても、私は彼らを救うことができなかった」

「そう言ってましたね」

「君だけが、私の予知夢と異なる未来を作り出すことができた。理由はわからない。だが、仮説はある」

ミカエル殿下は言う。

「君が時間を操作する魔法を使う魔術師であることがその理由なのかもしれない」

「どういうことですか?」

「君は通常の人間ではありえない異常なまでに多くの時間を、時間操作魔法を使って過ごしてきた。莫大な量の反復で魔法技術が磨き上げられたのは周知の事実だが、それによってもうひとつ別のところで君は普通とは異なる存在になっていた」

「普通とは異なる存在?」

「時間の因果から抜け出すことができる存在。あるいは、因果そのものを作り替えることができる存在」

執務室の空気がしんと冷えるのを感じた。

黄金色の瞳が真っ直ぐに私を捉えていた。

「自分では、まったくそんな感じはしないですけど」

「だが、通常の魔術師では耐えられない常軌を逸した長時間、時間操作魔法を使っていたというのは事実なのだろう?」

「そこまで異常なほどの長時間ではなかったと思いますけど」

「どれくらいの時間だった?」

「加速させてる私の体感時間で言うと、月に六百時間から先は数えてないくらいですかね」

「十分にあり得るように私には感じられる」

殿下の言葉が私には信じられなかった。

しかし、殿下は心から本気でそう言っているように見えた。

自分では全然ピンとこないけれど。

でも、この世界はひどく複雑だから。

風が吹いて桶屋が儲かるみたいに、そういうこともあるのかもしれない。

小さな蝶の羽ばたきが、遠い海の向こうで嵐になるみたいに。

(だとしてもブラック長時間労働の結果、時間の因果を抜け出せるようになったってなんだ……)

意味がわからなすぎる事態に困惑する私に、殿下は言う。

「王宮魔術師団総長であるクロノス・カサブランカスのことも予知夢ではうまく捉えることができなかった。それは彼も時間を扱う魔法に人生の多くの時間を注いできた特殊な魔術師だったからかもしれない」

「クロノスさんなら、たしかにそういうこともあるかもしれないですけど」

ブラック長時間労働で王宮魔術師団総長に並んでた、という意味不明すぎる仮説に困惑せざるを得ない。

「君の力によって、この国で起きるはずだった悲劇的な未来から少なくない数の人々を救うことができたというのは前に話したとおりだ。君がいれば変えることができるかもしれないと、すがりつきたくなるのも仕方ないことだと思わないか」

ミカエル殿下は静かな口調で言う。

「見えていても、私では一度も変えられなかった。何が天才だ。勝利したことなど一度も無い。私は常に負け続けている」

毒づくように殿下は言った。

そんな殿下の姿を見るのは初めてだった。

「だが、今回だけは絶対に未来を変えてみせる。ずっと勝てなかった運命を私は超える」

言葉には強い思いが込められていた。

自分の人生を懸けて望むという覚悟がそこにはあった。

そして実際に、その戦いには殿下の命がかかっている。

「殿下の事情はわかりました。でも、それが大森林の 森妖精(エルフ) さんたちを攻撃する用途の魔法武器を輸出することにどう繋がるんですか」

「それが元老院最高議長のところに最速でたどり着く唯一の手段だった。他に方法はなかったんだよ。私が死ぬと夢が伝えた日までに最高議長と接触するにはそれしかなかった」

「どうしてその日までに最高議長に接触する必要があるんですか?」

「そうすれば、私が死んだとしてもアーデンフェルドは救うことができる」

息を呑む。

言葉には決意が込められているように感じられた。

殿下は私を真っ直ぐに見て言った。

「保証する。私が配った武器が 森妖精(エルフ) を傷つけることはない。信じて欲しい」

心からの思いを言葉にしているように見える。

だけど、それが真実なのか私にはわからない。

ミカエル殿下からすると、私を騙すのは難しいことではないだろうから。

誘導されているのかもしれない。

都合良く使うつもりなのかもしれない。

だとしても、私の結論は変わらなかった。

任された仕事には全力を尽くす。

多少無茶をしてもやり遂げる。

魔道具師時代から、私はそうやって生きてきたから。

「もし嘘だったら本当にお殴りしますから覚悟してくださいね。でも、そのときにちゃんと殴れるように殿下のことは私が守ります」

私は言った。

「 王の盾(キングズガード) の筆頭魔術師として、殿下が死ぬ未来は必ず変えて見せます」

◇ ◇ ◇

(殿下の動きがレティシアさんの想定よりずっと早い)

ルーク・ヴァルトシュタインがその事実に気づいたのは、記憶の欠落を補うために隅々まで資料を読み込みながら慎重に作業を続けていたからだった。

今までの自分なら気づくことはできなかっただろう。

事実として、レティシアはまだ気づいていない。

(怪我の功名ってやつか)

不利な条件が必ずしも状況を苦しくするとは限らない。

場合によってはその欠落のおかげで唯一の突破口が見つけられることもある。

(殿下は元老院最高議長と接触して罠にかけるつもりだろう。リスクを取って自らの傀儡にする)

他の魔術師では到底たどり着けない策の全容をルークは見通すことができた。

殿下の狙いは手に取るようにわかる。

自分と殿下は同じ穴の狢だから。

そうなるように、あの人に育てられたから。

『あの方はお前の完成形だ。お前はあの方のようにならないといけない』

頭の中で声が響く。

『できなければ、お前には価値がない』

(どうでもいいよ。貴方の言葉はもう僕には響かない)

昔のことだ。

父に認められたいと思っていた。

自分が窮屈な鳥かごの中にいることに気づいてもいなかった。

それが当然なのだと。

そうするしかないのだと心から信じていた。

だけど、気づいた。

鳥かごの外に出てもいいんだって。

空も飛べるんだって教えてくれたんだ。

鳥かごの外で見つけた、この世界で一番綺麗なもの。

他の人にとっては、そこまで眩しく見えないのかもしれない。

でも僕にとっては、何よりも眩しく輝く一等星だった。

何をすればいいのか。

何をしたいのかわからない深い闇の中で。

たったひとつ心から求めていたもの。

君が幸せなら、僕は幸せだから。

他の誰かを選んでも、がんばって耐えるから。

だから、君の力にならせてほしい。

(くだらないな、僕は)

自嘲気味に笑う。

星の見えない宵闇の中。

彼の部屋の窓は夜更けまで灯り続けている。