作品タイトル不明
215 最後の魔法
それはこの場にいる誰もがまったく想定していない状況だった。
ニーナは明らかに戦いが続けられる状況ではない。
それでも、戻ってきて渾身の補助魔法をかけた。
奇跡が起きるとすれば今このとき。
想定外の第三者が生む複雑化した状況を最大限に利用する。
《 固有時間加速(スペルブースト) 》
残る力をすべて振り絞って起動する魔法式。
(私にできる最高速度を超えた三・七倍速)
悲鳴を上げる身体を無視して、一気に間合いを詰める。
しかし、ルーク人形の動きはさらに速かった。
狂気のような反復により作り上げられた神経回路。
彼女を追いかけるために作られたそれは、彼女を殺すための回路として機能する。
わずかに身体をそらして距離を取る。
ほんの一瞬の時間が、間に合わないはずだった攻撃を間に合わせる。
(仕留めた)
『Ⅳ』の男が口角を上げたそのとき、光を放ったのは翡翠色の魔法式だった。
「行きなさい、ノエル!」
電撃魔法がすべてを一掃する刹那、空間転移魔法がノエルの身体を転移させる。
人形の背後に転移したノエルは、周囲の景色の変化に混乱する。
しかし、優れた状況把握能力が瞬時に取るべき行動を導き出す。
懐から解毒薬が入った注射器を取り出した。
激戦の中で懸命に守り抜いたその薬。
だが、そのわずかな時間で人形は金糸雀色の魔法式を起動している。
至近距離で放たれる光速の電撃魔法。
しかし、その一閃をノエル・スプリングフィールドはかわしていた。
(あんたの魔法は私が誰よりも知ってんだよ)
学生時代、何度も繰り返した校舎裏での模擬戦闘。
積み重ねた時間と経験は力と意志になって身体を突き動かす。
ルーク・ヴァルトシュタインの後頭下部に注射器を突き刺し薬液を押し込む。
(帰ってこいバカルーク!)
残っているすべての魔力を注ぎ込んで回復魔法を叩き込む。
ニーナとエヴァンジェリンさんが起動した回復魔法と合わさって黄緑色の光がルークの肉体を包む。
(届け……お願いだから届いて……!)
どんなことでもするから。
大きな奇跡はもう二度と願わないから。
人並みの、ううん、人よりちょっと不幸で不運な人生でもいい。
だからこの瞬間だけ。
お願い。どうか、神様――
ルークがゆっくりと振り向く。
サファイアブルーの瞳が私を捉える。
冷たい瞳だった。
次の瞬間、電撃の剣がノエルの腹部を貫いていた。
「ノエル……!?」
ニーナの悲鳴が聞こえる。
エヴァンジェリンさんが目を見開くのが見える。
私はすべてのリソースをルークに対する回復魔法に使っていて。
魔法障壁も補助魔法も、一切の防御手段を用意してなくて。
(あ、死んだな)
磨き上げた私の状況把握能力が伝えている。
この傷は深すぎて、回復魔法では治せない。
(だったら――この最後の魔法はあんたにあげる)
残っていた最後の魔力を使ってルークに回復魔法をかける。
ルーク人形の表情は変わらなかった。
一切の感情が無い目が私を見ていた。
頭蓋骨の眼窩のように虚ろな目だった。
多分、私は届かなかったのだろう。
まつげの先の水滴を、形の良い首筋にこすりつけた。
電撃の剣を私に刺すその身体をぎゅっと抱きしめる。
「戻してあげられなくてごめんね」
助けられなかった一番大切な友達。
それだけが残念で、悔しくて。
あいつの背中に回した手に力を込めようとする。
だけど、力が入らない。
身体から力が抜けていく。
崩れ落ちる私の身体を、寸前で誰かが抱き留めた。
「ノエル?」
その声を、私は一瞬記憶の中のそれと錯覚した。
それは自然であまりにも力が抜けた声で。
まるで、寝ぼけたお昼休みの中みたいな声だったから。
『む。もしかして天国?』とそんな風に思って。
だけど、私はまだ元の世界にいるみたいで。
なんだよ、って頬をゆるめる。
「戻ってきてんじゃん。バカ」
「ノエル……なにやって……」
電撃魔法の剣が消滅する。
ルークは私を抱きかかえる。
腹部を濡らす赤いものに言葉を失う。
信じられないみたいに、信じたくないみたいに、瞳を揺らす。
世界が終わったかのような絶望的な表情は、人形みたいなそれまでとはまったく違う。
(そんな顔しなくていいのに)
思わず微笑む。
意識が遠のいていく。
「ありえない、《 精神隷属輪(ソロモンリング) 》の支配を抜け出して心を取り戻すなど……」
『Ⅳ』の男の声が聞こえる。
「お前は私の元に来るべき存在だ。手段は選ばない。どんな手を使っても無力化させてもらう」
空気をふるわせる魔力圧。
起動する魔法式。
千を超える氷の槍が、ルークとノエルに向け、疾駆する。
対して、ルークは蒼い瞳で彼を一瞥した。
「消えろ」
金糸雀色の魔法式がすべてを白く染める。
鮮やかな光の奔流。
『Ⅳ』の男の身体が崩れ落ちる。
鈍い音が響いた。
周囲には、氷の槍の破片が散らばっている。
仮面と外套に施された付与魔法によって、彼は寸前で絶命を逃れていたが、そんなことはルーク・ヴァルトシュタインにはどうでもいいことだった。
「ノエル、ノエル……!」
小さな魔法使いを横たえて、回復魔法をかける。
優雅で余裕あるいつもの所作とはまるで違う。
そんな彼を、ノエルは力の無い目で見上げている。
(私はこいつのこういう顔を何度か見たことがある)
ボロボロになって意識が遠のいていく私を見るとき、こいつはこういう顔をするのだ。
飛竜種のときも、ヴィルヘルム伯の屋敷での戦いでも。
必死な顔で何度も私を呼んでいた。
いかないでって留守番を言いつけられて抵抗する猫みたいだと思う。
私のこと好きすぎかよって思って。
なんだか不思議で笑ってしまう。
なんで私なんだろう。
私じゃなかったらもっと幸せになれたのに。
私は魔法が大好きで、一つのことしか考えられない単純野郎で。
でも、魔法と同じくらいあんたのことも大切だったよ。
本当に。
私の人生を素敵なものにしてくれてありがとう。
ううん、思うだけじゃダメだ。
ちゃんと伝えなくちゃ。
頬に手を添えて、言葉を伝えようとする。
だけど声が出ない。
肉体は死に向かっている。
ルークの回復魔法で修復できる状態では無くて。
私の身体からは力が失われようとしている。
おかしいな。
私を呼ぶあいつの声も聞こえない。
死にたくないな。
悔いはある。
やりたかったこともある。
でも、多分しょうがないことなのだろう。
(満足できる良い人生だったよね)
だってこんなに必死で引き留めようとしてくれる人がいるのだ。
それだけで、私には十分すぎるくらいで。
小さく笑って目を閉じたそのとき、感じたのはあたたかい何かだった。
――銀の髪をなびかせて神様の使いがそこに立っている。
お迎えが来たのだ。
こういうの本当にあるんだ、と思う私に、神様の使いである少女――聖女様は言った。
「あなたはしなせない。わたしがすくう」
特級遺物の機械人形である聖女様――メルちゃんの、人間離れした魔力量による聖魔法。
その隣で、マザー・ルイーゼが聖魔法の詠唱をしている。
あたたかい何かはさらに増えていく。
聖女候補者たちが駆け寄ってきて、私に聖魔法を重ねていく。
通常の回復魔法より出力が高い聖魔法による、大規模儀式魔法。
礼拝堂の高い天井を埋め尽くすように、数え切れない量の魔法式が展開している。
無数の魔法陣が折り重なってひとつの巨大な円形の模様を形作る。
目が眩むくらいに強くて、だけどどこか優しい聖魔法の光。
死者を蘇らせることは叶わない。
だけど、その一歩前だった私はギリギリ助けられる範囲だったらしい。
身体に力が戻ってくる。
弾んだ声が聞こえる。
よろこんでくれる声がうれしくて目を細める。
手を握ってくれてるのは誰だろう。
抱きしめてくれてるのは誰だろう。
大切にされすぎて、もうよくわかんないや。
なんだか私はどうしようもなく幸せな気持ちになって、
死にかけてたのにおかしいなって笑った。