軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第二十二話 書には自信がございます

名に支えられるのではない。

名を支える側として。

そう心に決めたところで、義銀はようやく息を吐いた。

斯波家を立て直す。

その言葉は、まだ重い。

けれど、先ほどまでとは違う。

新介がいる。

小平太がいる。

琴がいる。

勝家の叔父上がいて、叔母上がいる。

義冬もいる。

一人で背負うのではない。

そう思えたから、何とか立っていられた。

だが、信長様は、そこで話を終わらせる方ではなかった。

「そういえば、権六」

「はっ」

勝家の叔父上が顔を上げる。

信長様は、何でもないことのように言った。

「嫡男が生まれた祝いだ」

その言葉と共に、控えていた者たちが品を運び込んできた。

反物。

小袖。

酒。

米。

金子。

そして、まだ幼い子のためには明らかに早すぎる立派な太刀。

義銀は思わず目を瞬いた。

祝いの品。

たしかに祝いの品ではある。

藤七丸。

叔母上と勝家の叔父上の子。

桶狭間の勝利の頃に生まれた、柴田家の嫡男。

信長様が祝いを贈ること自体は、おかしくない。

おかしくないのだが。

どう見ても、量が多い。

叔母上も同じことを思ったのだろう。

少しだけ目を細めて、信長様を見ていた。

「信長様」

「何だ、お藤」

「これは、祝いでございますか」

「そうだ」

「本当に?」

「嫡男が生まれた祝いだと言ったであろう」

信長様は悪びれもなく言った。

叔母上は、静かに息を吐いた。

義銀には分かる。

叔母上は今、疑っている。

信長様が、祝いにかこつけて何かを置いていこうとしているのではないか、と。

そしてたぶん、その疑いは正しい。

勝家の叔父上は、運び込まれた品を見て、少しだけ眉を寄せた。

「殿。太刀は、藤七丸にはまだ早いかと」

「いずれ使う」

「いずれにも程がございます」

叔母上が即座に言った。

信長様は笑った。

「権六の子だ。持てるようになるのも早かろう」

「赤子です」

「ならば、今は飾ればよい」

「飾るには物騒です」

小平太が、後ろで笑いを堪えている。

新介は目を伏せているが、肩が少し震えていた。

義銀も、危うく笑いそうになった。

信長様の贈り物は、いつもどこか極端だ。

その時だった。

「兄上!!」

柴田邸の門の方から、聞き慣れた声が響いた。

義銀は顔を上げた。

新介と小平太が同時に目を逸らす。

勝家の叔父上が、わずかに眉を動かした。

叔母上は、静かに息を吐いた。

「……信行様ですね」

その声には、妙な確信があった。

間もなく、信行様が広間へ入ってきた。

顔は笑っていない。

けれど、その手にはきちんと祝いの品がある。

後ろには数人の供。

そして、一人、少し地味な身なりの男が控えていた。

年は若い。

武張ったところはない。

だが、目がよく動く。

人を見る目というより、場の配置を見る目だ。

誰がどこに座り、どの品が誰から贈られ、どの順で置かれているのかを見ている。

義銀は、少しだけその男が気になった。

だが、それより先に信行様の声が広間に響く。

「兄上」

「勘十郎」

「まだ仕事が終わっておりません。何を抜け出しておるのですか」

信長様は、まるで何を言われているのか分からないという顔をした。

「抜け出したとは人聞きが悪い」

「抜け出したのでしょう」

「藤七丸が生まれた祝いだ」

「祝いなら、私も持ってまいりました」

信行様はそう言って、持参した品を置かせた。

こちらは信長様の品より、ずっと実用的だった。

上等な産着。

柔らかい布。

薬湯に使う薬種。

産後の叔母上に必要な品。

赤子のための祝いだけでなく、母となった叔母上を労わる品も含まれている。

叔母上の表情が、少しだけ柔らかくなった。

「信行様、お心遣い痛み入ります」

「お藤の方も、どうか無理をなさらぬよう」

「はい」

信行様は丁寧に頭を下げた後、すぐに信長様へ向き直った。

「兄上」

「何だ」

「帰りますよ」

「まだ来たばかりだ」

「来たばかりであることは、仕事を抜けてよい理由にはなりませぬ」

「藤七丸をまだ見ておらぬ」

「藤七丸は後日、権六とお藤の方が城に連れてくるように差配します故、帰りますよ!」

信行様の声が強くなる。

信長様は少し不満そうに眉を上げた。

「少しだけ」

「後日です」

「勘十郎」

「後日です」

「祝いを持ってきたのだぞ」

「祝いは置きました。私も置きました。斯波家再興に必要な者も、ここへ連れてまいりました。あとは兄上を持ち帰ります」

「儂は荷か」

「今は、最も回収せねばならぬ荷です」

小平太が下を向いた。

新介が口元を押さえる。

義銀も、さすがに少しだけ目を伏せた。

信行様は本気で怒っている。

けれど、怒っているだけではない。

祝いは持ってきた。

藤七丸のお披露目も後日きちんと差配すると言った。

そして、斯波家再興に必要な者を置くとも言った。

怒りながらも、必要な手は打っている。

そのあたりが、信行様らしい。

信長様もそれを分かっているのだろう。

少しだけ面白そうに笑った。

「で、置いていく者とは誰だ」

信行様は、後ろに控えていた男へ視線を向けた。

「又助」

「はっ」

男が一歩前へ出る。

姿勢は丁寧だが、硬すぎない。

緊張している様子はある。

けれど、目は伏せすぎていない。

「太田又助にございます」

男は深く頭を下げた。

太田。

義銀はその名を聞いて、わずかに眉を動かした。

聞き覚えはある。

ただし、武で名を上げるような家ではない。

むしろ文や取り次ぎに関わる者として耳にしたことがある。

信行様は言った。

「斯波家を立て直すならば、武の者だけでは足りませぬ」

信長様が笑う。

「ほう」

「兄上が面白がって名を掲げさせれば、人は寄ります」

「面白がってはおらぬ」

「面白がっておられるでしょう」

信行様は一刀両断した。

信長様は否定しなかった。

叔母上が小さく息を吐く。

義銀は、何も言えなかった。

信行様は続ける。

「寄ってくる者がいれば、文が要ります。目録が要ります。礼状が要ります。誰が何を持ち込み、誰が何を求め、何を返すべきかを残す者が要ります」

義銀は、思わず太田又助を見た。

なるほど。

そういうことか。

斯波家を立て直す。

そう決めた瞬間から、名に寄ってくる者が出る。

家臣になりたい者。

旧縁を持ち出す者。

祝いを持ってくる者。

忠義を口にする者。

利用しようとする者。

その全てを、義銀一人が覚えていられるわけではない。

まして、新介と小平太だけでは足りない。

新介はよく見る。

小平太は勢いがある。

けれど、文を整え、礼を外さず、記録を残す者が必要だ。

名だけでは家は立たない。

ならば、家を立てるには筆が要る。

信行様は、そのことを分かっていたのだ。

太田又助は、もう一度頭を下げた。

「斯波の家が復興なさると聞き及び、自分を売り込みにまいりました」

売り込み。

その言葉に、小平太が少しだけ目を見開いた。

新介は興味深そうに又助を見る。

義銀も、思わず背筋を正した。

又助は続けた。

「文章の礼儀作法には、自信がございます。また、信行様、信長様には、自分を売り込む許可を得てございます」

信長様が楽しそうに笑った。

「許可はした」

信行様が少しだけ眉を寄せる。

「兄上が、あとは自分で売り込めと仰いました」

「その通りだ」

「なので、参りました」

又助は懐から丁寧に折られた紙束を取り出した。

「この通り、書には自信がございます」

差し出されたのは、目録だった。

信長様と信行様が持ってきた祝いの品。

それに加え、柴田家へすでに届けられていた祝いの品。

贈り主。

品目。

数量。

品の状態。

礼状の要不要。

返礼の目安。

その全てが、整った字で書かれている。

義銀は思わず息を呑んだ。

見やすい。

ただ綺麗なだけではない。

どこに何が書かれているか、目が迷わない。

贈り主の格に応じて順が整えられている。

品の名も略しすぎず、しかしくどくない。

後で誰かが見ても、何がどこから届いたのか分かる。

叔母上が、静かに目録を覗き込んだ。

「……見やすい」

その一言に、又助の目がわずかに輝いた。

義銀には分かった。

今の叔母上の言葉は、かなりの褒め言葉だ。

叔母上は帳面に厳しい。

見づらい書き方をする者には容赦がない。

その叔母上が「見やすい」と言った。

又助は、控えめに頭を下げた。

「読み手が迷う書は、書ではなく迷惑にございます」

叔母上の目が、少しだけ真剣になる。

「……良い考えです」

「恐れ入ります」

義銀は、目録から顔を上げた。

「又助殿」

「はっ」

「これは、いつ書いたのですか」

「信長様が祝いの品をお持ちになると聞いた時点で、必要になるだろうと考え、控えておりました。信行様の御品は道中で確認し、到着後に書き加えてございます」

「道中で?」

「はい」

小平太が思わず口を挟んだ。

「馬上でか」

「揺れる場所では字が乱れますので、止まった時に」

「そこではない」

新介が静かに言う。

「小平太。そこも大事だ」

「そうなのか」

「字が乱れれば、あとで読めぬ」

「なるほど」

又助は、少しだけ小平太を見た。

それから、何も言わずに軽く頭を下げた。

義銀は、その様子を見て思った。

この男は、無駄に口を挟まない。

だが、見ている。

誰が何を言ったか。

誰がどう反応したか。

それを記憶している目だ。

「斯波家には、文が要ります」

又助は言った。

「名が立てば、必ず文が来ます。祝い、伺い、忠義、願い、探り。すべて言葉を飾って届きます」

義銀は黙って聞いた。

又助の声は、武士らしい大きな声ではない。

けれど、よく通る。

「それを受け取る者が、礼を知らねばなりません。書き残す者が、順を誤ってはなりません。返す文の一字を誤れば、相手に余計な意味を与えます」

新介が、少しだけ目を細めた。

「一字で、か」

「はい」

又助は頷いた。

「一字で、下に見たと思われることがございます。一字で、近づきすぎたと思われることもございます。一字で、断ったはずの話が、受けたように見えることもございます」

義銀の背筋が冷えた。

それは、まさに必要なことだった。

斯波の名に寄ってくる者を捌く。

そのためには、槍だけでは足りない。

目だけでも足りない。

言葉を記す筆が要る。

「又助殿」

義銀は、改めて又助を見た。

「なぜ、斯波家へ?」

又助は、まっすぐ義銀を見た。

「名が再び立つ時、最初に残す文は重要にございます」

「重要?」

「はい」

又助は静かに言った。

「後に家が大きくなった時、始まりの文が乱れていれば、家の始まりまで乱れて見えます」

義銀は息を呑んだ。

又助は続ける。

「自分は、その始まりの文を整える役目を、いただきとうございます」

それは、ただ仕官したいという言葉ではなかった。

自分の仕事が、どこに必要かを分かっている者の言葉だった。

新介が小さく息を吐く。

「売り込みがうまいな」

又助は頭を下げた。

「売り込めと言われましたので」

小平太が笑った。

「正直だ」

「嘘を書けば、後で困ります」

「書く前提なのだな」

「はい」

信長様が、愉快そうに笑った。

「どうだ、義銀」

義銀は、目録をもう一度見た。

整った文字。

迷わない並び。

誰が見ても分かる品目。

そこにあるのは、家を立てるための骨だった。

義銀は顔を上げる。

「又助殿」

「はっ」

「斯波家は、まだ形もありません」

「承知しております」

「屋敷も、人も、決まりきっておりません」

「はい」

「それでも、始まりの文を整える役目を望みますか」

又助は、迷わず頭を下げた。

「望みます」

義銀は、胸の奥に小さな熱を感じた。

新介と小平太は、義銀を支えると言った。

琴は、義銀を止めると言った。

そして又助は、始まりの文を整えたいと言った。

本当に、人が集まり始めている。

名に寄ってくるだけではない。

役目を持って来る者がいる。

そのことが、少しだけ嬉しかった。

同時に、怖かった。

人を受け入れるということは、その人生を預かるということだ。

叔母上の言葉が、胸に残っている。

人を家に入れるとは、面倒なことです。

本当に、その通りだ。

義銀は深く息を吸った。

「では、お願いしたい」

又助の肩が、わずかに動いた。

「まずは、柴田家へ届いた祝いと、斯波家再興に関わる文の整理から。誰が何を持ってきたか、何を求めているか、何を返すべきかを残してください」

「はっ」

又助の声は、初めて少しだけ弾んだ。

「必ずや」

信行様が満足そうに頷いた。

「これで一つ、片づきました」

信長様が言う。

「勘十郎、お前は本当に用意がよい」

「兄上が用意なく動かれるので、こちらが用意するしかないのです」

「ひどい言い草だ」

「事実です」

義銀は、思わず新介を見た。

新介も義銀を見た。

小平太がぼそりと言う。

「どこかで聞いたやり取りだな」

「小平太」

義銀と新介の声が重なった。

小平太は悪びれもなく笑った。

その空気を、信行様がすぐに断ち切る。

「兄上、帰ります」

「まだ」

「帰ります」

「藤七丸を」

「後日です」

「少しだけ」

「後日です」

信行様は一歩も引かなかった。

「藤七丸は後日、権六とお藤の方が城に連れてくるように差配します。お藤の方の体調もあります。赤子を兄上の思いつきで引っ張り出すわけにはまいりません」

叔母上が、少しだけほっとした顔をした。

勝家の叔父上も短く頷く。

信長様はつまらなそうに口を曲げた。

「勘十郎は堅い」

「兄上が柔らかすぎるのです」

「柔らかいと言われたのは初めてだ」

「褒めておりません」

信行様は深く息を吐いた。

「祝いは置きました。文官も置きました。藤七丸のお披露目も後日差配します。これ以上、兄上がここにいる理由はありません」

「ある」

「何です」

「面白い」

「帰ります」

信行様は、ほとんど遮るように言った。

信長様は笑った。

そして、ようやく立ち上がる。

「分かった。帰る」

信行様の顔が、少しだけ緩んだ。

だが、すぐに信長様が義銀を見た。

「義銀」

「はっ」

「又助を使え」

「はい」

「文は槍より遅いが、刺さる時は深いぞ」

義銀は、その言葉を胸に刻んだ。

「肝に銘じます」

信長様は満足そうに笑った。

「新介、小平太」

「はっ」

「義銀を支えろ」

「承知」

「はい」

「琴」

琴が頭を下げる。

「はい」

「止めろ」

琴は一瞬だけ目を瞬いた。

それから、しっかりと頭を下げた。

「承りました」

信長様は声を立てて笑った。

信行様は額を押さえた。

「兄上、そういう言い方をなさるから場が乱れるのです」

「分かりやすいだろう」

「分かりやすければよいわけではございません」

そう言いながら、信行様は信長様を連れて広間を出ていく。

本当に、連れ帰っていった。

義銀は、その背中を見送った。

信長様は、人の人生を盤面に置く。

信行様は、その盤面が崩れぬよう、現実の手を打つ。

祝いの品。

藤七丸のお披露目の差配。

そして、太田又助。

信長様が火をつけるなら、信行様は火が燃え広がりすぎぬように道を作る。

兄弟とは、不思議なものだ。

やがて広間に残ったのは、柴田家の者たちと、義銀たちと、そして太田又助だった。

又助は、静かに目録を畳む。

「改めまして」

又助は義銀へ向き直った。

「太田又助にございます」

義銀も背筋を正す。

「斯波義銀です」

「存じております」

又助は少しだけ笑った。

「では、まず何から始めますか」

その問いに、義銀は少しだけ考えた。

家を立てる。

名を支える。

人を抱える。

その始まりとして、何をすべきか。

義銀は、目録を見る。

「まず、今日ここに届いた祝いの品と、誰が何を言ったかを残してください」

「はっ」

「信長様が何を置き、信行様が何を置き、何を言い残されたか。斯波家再興に関わる最初の記録として」

又助の目が、静かに輝いた。

「承知いたしました」

義銀は、深く息を吐いた。

名だけでは家は立たない。

人が要る。

筆が要る。

記録が要る。

そして、その一つ目の筆が、今ここに置かれた。

斯波家は、まだ屋敷もない。

家臣も少ない。

何もかもこれからだ。

けれど、始まりの文だけは、今日、確かに書かれ始めたのだ。