作品タイトル不明
レオン 2
レオンが王都で頭角を現し始めた頃。
ある噂が流れた。
「中央監査局の次官補が、レオンを婿に欲しがっているらしい」
最初に聞いた時、レオンは意味がわからなかった。
「俺を?」
昼休みになると、文官棟の食堂で、同期が妙ににやにやしながら言ってくる。
「相手、次官補の次女だぞ。かなり美人らしい」
「いや、なんで俺なんだ」
「最近評価高いからだろ。地方出身なのに仕事できるし、派閥にも深入りしてない。上はそういうの好きだぞ」
レオンは眉をひそめた。
正直、困った。
出世話そのものはありがたい。
地方出身の自分が、中央の高官に評価されるなど普通はない。
だが、頭に浮かぶのは、エリーだった。
夜遅くまで書類を抱えて歩く姿とか、笑う顔とか。
「好きですよ」と言ってくれた声も。
他の女性など考えられない。
その日の夕方。
レオンは次官補に呼び出された。
執務室は広かった。
高級な絨毯に、重厚な机。
窓際には高価そうな酒瓶が並んでいる。
次官補は恰幅の良い男だった。
「君がレオン君か」
「はい」
「噂は聞いている。地方出身ながら実によく働いているそうだな」
「ありがとうございます」
形式通りに礼を返す。
すると次官補は笑った。
「君は賢い。野心もある」
その言葉に、レオンはわずかに目を細めた。
野心。確かにある。
昔の自分にはなかった欲だ。
エリーの隣に立ちたい。
認められたい。
もっと上へ行きたい。
そのために必死に努力してきた。
次官補は机に肘をつきながら言った。
「娘の婿に来ないか?」
レオンは固まった。
「は?」
「君なら将来性がある。後ろ盾もつけてやれる。地方の血も悪くない」
さらりと言う。
まるで条件の良い人材を買うみたいに。
「どうだ? 悪い話ではないだろう」
確かに悪くない。
むしろ破格だ。
地方出身の文官が、中央高官の娘婿。
普通なら飛びつく。
だがレオンは、一瞬で答えを決めていた。
「申し訳ありません」
次官補が片眉を上げる。
「お断りします」
沈黙。
部屋の空気がわずかに変わった。
「理由を聞いても?」
レオンは少しだけ迷った。
だが、誤魔化したくなかった。
「好きな女性がおります」
次官補が目を丸くする。
「ほう」
「その方の隣に立ちたくて、今の自分があります」
言葉にすると、妙に胸が熱くなった。
「ですから、その方以外との婚約は考えられません」
次官補はしばらく黙っていた。
それから突然、笑い出した。
「ははっ! 今どき珍しい男だな!」
豪快な笑い声だった。
「出世欲より女を選ぶか!」
「結果的にはそうなります」
「馬鹿正直だ」
次官補は呆れたように笑った。
「だが嫌いじゃない。いいだろう、この話はなかったことにしよう」
「ありがとうございます」
深く頭を下げる。
だが、この話は、すぐに広まった。
その日の夜、さっそくおじに呼び出された。
レオンは、応接間に入った瞬間、怒鳴られた。
「馬鹿者!!」
「な、なんだ急に!?」
「なんだじゃない!! お前、次官補の縁談を断ったのか!?」
「断った」
「その場で!?」
「はい」
おじが頭を抱えた。
その隣では、エリーの父親まで険しい顔をしている。
「レオン君……君はもう少し慎重になるべきだ……」
「いや、だって婚約者候補が――」
「候補!! まだ候補だろうが!!」
おじが机を叩いた。
「お前、エリー嬢が他所へ行ったらどうするつもりだった!」
レオンは固まった。
考えていなかった。
本当に考えていなかった。
するとエリーの父親が深々と息を吐いた。
「もう正式に整えましょう」
「そうだな」
おじもうなずく。
「これ以上放置すると危ない」
「そんな危険物扱いみたいに言わなくても……」
「実際危険だ!」
声を揃えて怒鳴られた。
そして数週間後。
正式に婚約が整った。
レオンは、しばらく放心した。
本当にいいのか。
夢じゃないのか。
そんな日が続いた。
祝いとして、義父から店を一軒贈られることになった。
二人は馬車で王都の一角を訪れていた。
表通りから一本入った通りから、さらに細い通り沿いのこぢんまりした建物。
石畳の細道。
落ち着いた雰囲気。
小さな店が並んでいる。
馬車を降りたエリーが周囲を見回した。
「素敵な場所ですね」
「ああ」
レオンもうなずく。
ここに店を出す予定だった。
売るのは、レオンの故郷で昔から食べられている蒸し菓子。
素朴な菓子だ。
ふわりとして、ほんのり甘い。
だが簡単そうに見えて難しい。
蒸し加減を間違えると、すぐ潰れる。
レオンの母親も、何年も挑戦している。
「母上なんか、毎回ぺっちゃんこにしてる」
「ふふっ」
「でも、あれはあれでうまいんだ」
「粉の味がしっかりするんですよね?」
「そう」
エリーが笑う。
その笑顔を見るたびに、レオンは未だに胸が熱くなる。
二人で通りを歩く。
昼下がりの風が心地いい。
「通りから少し奥っていうのも楽しいですね」
エリーが店の予定地を見ながら言った。
「あまり騒がしくないし、隠れ家みたいです。人に教えるのが楽しそう」
「ええ」
レオンは真面目な顔で周囲を見回し、おもむろに言った。
「安全のために、さりげなく護衛を配置しましょう」
「え?」
「だって、どこかの不埒者がお客さんに声をかけるとか嫌でしょう」
エリーがぱちぱちと瞬きをする。
「普通の道ですよ」
「です。だけど人目がない瞬間があります」
「でも店はそこに見えてます」
「それでもです」
どうみても、本気だった。
エリーはしばらく黙っていたが、やがて小さく吹き出した。
「もう……」
ほんとうにこの人は。
だけど。
エリーは周囲を見回した。
確かに、この通りは人通りが少ない。
貴族街ほど堅苦しくなく、それでいて治安は悪くない場所だ。
だが、すぐそばに大通りがあるから油断することもあるだろう。
過保護なレオンだから気づけた問題だ。
エリーは愛しい婚約者を見上げた。
「さすがだわ」
「本当か?」
その瞬間。
レオンの顔がわかりやすく緩んだ。
エリーは思わず笑ってしまう。
ああ、本当に。
この人は、こんな顔をするのね。