作品タイトル不明
第379話:『激突、鋼と鋼の対話』
ヒュウウウッ――。
砂塵を孕んだ北風が、二つの巨大な影の間を吹き抜けた。
舞い上がる赤土の乾いた匂い。
ガルドの分厚い革靴の底が、凍りついた荒野の礫(小石)を踏み砕く。
ミシミシ、ギリリ……。
戦斧の強靭な木柄を握りしめる両手に、青白い血管が怒張していた。肺腑が冷気を吸い込むたび、喉の奥が鉄の味で灼ける。
対するシュタイナーは、陽光を鈍く弾く白銀の重装甲を纏っていた。油と鉄の匂いを湛えたその巨躯は、大剣を片手でただだらりと提げ、呼吸一つ乱さず立っている。
構えすら、ない。
だが、その無造作な立ち姿こそが、平原全体の空気を物理的な質量となって押し潰していた。
「――では。参ろう」
地を這うような呟きが風に溶ける、その刹那。
ズドンッ!!!
シュタイナーの足元の赤土が、爆縮するかのように陥没した。
すり鉢状に弾け飛ぶ泥と砂利。
一瞬で視界から消えた白銀の巨体が、大気を無理やり押し分ける凄まじい風鳴りを伴って眼前に肉薄する。
ヒュオォォッ! と空気を引き裂く音が遅れて耳を打つ。
下段から跳ね上がった大剣の白刃が、ガルドの胴を両断せんと、陽炎の揺らめきを伴って迫った。
「おおおおおっ!!」
ガルドの喉から、死を覚悟した剥き出しの咆哮が 迸(ほとばし) る。
逃げれば、それこそが死だ。
ガルドは奥歯が鳴るほど噛み締め、両足を大地に 楔(くさび) のように打ち込むと、頭上へ戦斧を構え全身のバネを総動員してそれを真っ直ぐに振り下ろした。
ガキィィィィンッ!!!
鋼と鋼が真正面から噛み合い、荒野の寒空に太陽が爆ぜたかのような閃光が散った。
火花が周囲の闇を白く染め、熱を帯びた鉄屑がチリチリと音を立てて飛び散る。
激突の衝撃波が同心円状に広がり、足元の枯れ草や小石を弾丸のように吹き飛ばした。遠巻きに見守る数万の兵士たちがビクリと腕で顔を覆うほど凄まじさを理解させられる衝撃。
「ぐ、おおっ……!」
ガルドの喉から、血の混じった呻きが漏れた。
大剣から戦斧の柄を通じて伝わってきたのは、底知れぬ巨岩に叩きつけられたかのような衝撃だ。
ゴゴゴゴゴゴッ――!
腕の骨が軋み、両膝が激しく震える。踏ん張った両足のブーツの底が土を抉り、泥を弾き飛ばしながら後方へ向かって無残に滑り落ちていく。
フッ、と眼前の質量が消えた。
息を整えることすら許されない。
土煙の向こうから、シュタイナーの大剣がすでに二撃目、三撃目の残像を描いて空間を削り取っていた。
シュンッ! ズバァンッ!
ガルドは視界を埋める白銀の軌跡にただ本能だけで戦斧を合わせる。
しかし、当たらない。
戦斧の刃が肉薄する寸前、シュタイナーの大剣はそこから消失している。巨躯は 独楽(こま) のように半歩滑らかに旋回し、ガルドの力任せの打撃を大剣の「腹」でツルリといなした。
ギギギ、ギャリリリッ!
鋼鉄同士が限界まで削り合い、金切り声を上げる。
自らの放った絶大な力が空振りし、ガルドの巨体が前のめりに無防備に崩れた。
「チィッ!」
体勢を立て直そうと力任せに斧を引き戻そうとしたその瞬間、影が覆いかぶさる。
ドスゥッ!!!
鋼鉄の膝当てを喰らったガルドの分厚い革鎧がひしゃげた金属音を立てて陥没した。
「カ、ハァッ……!」
肺腑からすべての空気が強制的に搾り出され、喉の奥に鉄の味がせり上がる。
視界が急速に狭まり、赤茶けた平原がチカチカと暗転しかける。
泥と自らの血が混ざり合った生臭い味が口いっぱいに広がった。
「ふはは! どうした! その程度ではわしの甲冑の埃も払えんぞ!」
高みからシュタイナーの陽気な、しかし死を告げる鐘の音のような声が降り注ぐ。
ガルドはふらつく足で大地を蹴り荒い息と共に戦斧を薙ぎ回した。舞い上がる砂塵、血を吐くような執念。
だがシュタイナーはそれをまるで児戯でもあしらうように、わずかな手首の返し、ただ大剣を「置く」ような防壁だけでそのすべてを乾いた音を立てて弾き落としていく。
ガルドの全身からは湯気のような汗が噴き出していた。傷口から流れる血が泥を吸って黒く固まっていく。
一撃。もう一撃。
振るうたびに息は切れ、腕は自分の肉ではないかのように重く感覚を失っていく。
どれほど渾身の力を込めても目の前の白い巨漢という絶壁に吸い込まれ消えていく。その絶対的な絶望感。
ガキィィィィンッ!!!
再び、三度激しく刃と刃が噛み合った。
今度は互いの力が物理的にぶつかり合い、距離は完全にゼロになる。
刃越しに二人の顔が鼻先が触れるほどの距離で重なった。
ギリギリ、ギリギリ……鋼が互いを削り摩擦熱で火花が散る。その至近距離で二人の瞳が交錯した。
ガルドの深く刻まれた皺からどす黒い汗が滴り落ち、その深緑の瞳は死兵の狂気を宿して眼前の武神を睨みつけていた。ゼェ、ハァと獣の咆哮に似た荒い吐息が熱風となってシュタイナーの甲冑に吹きかかる。
だが相対するシュタイナーの岩のような 貌(かお) には汗一滴すら浮かんでいなかった。呼吸すら乱さず、ただその野生の獣のような瞳の奥に、獰猛で、しかしどこまでも温かいすべてを見透かすような笑みが刻まれている。
「――ガルドと申したか!」
鋼が削れる狂おしい高音の隙間を縫って、シュタイナーの声がガルドの鼓膜に直接叩きつけられた。
「この北の地にわしが居て誠に残念じゃったの!」
「……ぐ、ぬぅっ……!」
ガルドは太い首の筋を裂けんばかりに張らせ力任せに戦斧を押し返そうとする。
だがシュタイナーの刃はまるで荒野の地盤そのものと一体化したかのように微動だにしない。
「じゃがな!」
シュタイナーの双眸がガルドの瞳の奥底――死に場所を求め、すべてを投げ出そうとしている強張った心を真っ直ぐに射抜いた。
「お前のその真っ直ぐな刃……折るには惜しい。まだまだ伸びよう!」
「……ッ、何が言いたい!!」
己が命と引き換えに貫こうとした覚悟を、まるで出来の悪い子供の我儘のように扱われた屈辱。
ガルドの瞳に青白い怒りの炎が爆発的に燃え上がった。
彼は血の泡を吐くような咆哮と共に筋肉をはち切れんばかりに膨張させ、限界を超えた剛力で戦斧を押し込んだ。
だがそれを受けるシュタイナーの口角は、さらに深く悪戯っぽく吊り上がっていった。