軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第242話:『青の洞窟、影たちの戴冠』

石畳を濡らす夜霧に、ワインの芳醇な香りと塩辛い潮風が混じり合う港町ポルト・アウレオ。その喧騒から隔絶された地下深く、天然の洞窟をくり抜いて作られた一室は、壁を伝う水の滴る音だけが響いていた。

揺れるランプの光が、円卓を囲む者たちの顔に濃い影を落とす。

主賓席に座す聖女マリア。象牙の扇がゆっくりと開かれ、彼女の口元を隠す。だが、その影から覗く瞳は、この場にいる誰の魂をも見透かすかのように、怜悧な光を放っていた。

背後には、完璧な執事リリィが微動だにせず佇む。呼吸の音さえ聞こえず、まるでマリアの背後に生まれた影そのものだ。壁際には、『黒曜の疾風』ハヤトが腕を組み、苛立たしげに指先で腕を叩いている。

テーブルには、帝国海軍の策略家エンリコ・ダンドロ少将。彼は磨き上げられたグラスの縁を指でなぞりながら、その切れ長の瞳で虚空を見つめている。元王国軍の諜報員クラウスは背筋を伸ばし、テーブルに置かれた両手を固く握りしめていた。そして、元傭兵組合長グレイ。ランプの光がその顔を照らすたび、深い傷跡が陰影を濃くする。その目は、感情というものをとうに捨て去ったかのように虚ろだった。

誰もが口を閉ざし、これから始まる儀式の重圧に息を詰めている。

やがて、テーブルの中央に置かれた黒曜石の小箱が、低い唸りを上げて微かに振動した。内側から漏れる青白い光が一瞬、明滅する。

マリアは優雅な仕草で扇をテーブルに置き、白魚のような指先でそっと小箱に触れると、囁くように唇を寄せた。

「――ライナー衛士長。聞こえますか」

『はっ。こちらライナー。感度、良好です』

魔導通信機特有の、わずかにノイズが混じった硬質な声が、石壁に反響した。

「結構ですわ。さて、皆様」

マリアは集った者たちと、通信機の向こうにいるライナーに向けて、静かに、しかし部屋の隅々まで染み渡るような絶対的な響きで語り始める。

「先日わたくしが両国の宰相閣下へ提出した新組織の設立案、本日、皇帝陛下、並びにアルフォンス国王陛下からのご裁可をいただきました。ここに、国境を越えた新たな諜報組織『大陸情報局アルゴス』の発足を、宣言いたします」

その言葉に、部屋の空気が張り詰めた氷のように固まった。

マリアはまず、通信機の向こうのライナーへと向き直る。

「ライナー衛士長。あなたには、この『アルゴス』から離れていただきます」

『なっ……!?』

ライナーの動揺が、声色から伝わってくる。

「アルフォンス陛下は、あなたに新たな王国海軍の設立と、その初代長官の任をお与えになるおつもりです。階級は准将。……これは、帝国のグレイグ中将からも『彼ほどの逸材を陸に縛り付けておくのは惜しい』と、強い推薦があったと聞いておりますわ」

その一言に、ライナーは息を呑んだ。あの豪放磊落な猛将が、自分のことを。

「帝国海軍と連携し、アルビオンの脅威に最前線で立ち向かう。あなたにしかできぬ、重責ですわ」

あまりに唐突な、しかし栄誉ある辞令。ライナーは言葉を失い、ただ息を呑む。

次に、マリアは目の前の男たちへと視線を移す。

「この『アルゴス』は、最高顧問たる『天翼の軍師』様のご意向の下、帝都に座すファビアン侯爵を組織全体の公式な長官とし、大きく三つの部門で構成されます」

彼女はそこで一度言葉を切り、扇の影から、一人一人の顔を射抜くように見渡した。

「……ですが、皆様もお分かりのはず。侯爵はあくまで帝都での『顔』。この組織を実質的に動かすのは、この場にいる者たち……そして、このわたくしです。この会議で交わされた言葉、そしてわたくしの存在そのものが、この組織における最高機密であると心しなさい」

それは、公の記録には決して残らない、影の女王としての戴冠宣言だった。エンリコもグレイも、その言葉の重みに息を呑み、無意識に背筋を伸ばす。彼らの忠誠が、今この瞬間より、目の前の聖女へと捧げられた。

マリアはまず、エンリコ少将を見た。

「エンリコ少将。あなたには、帝国と王国の情報を集約・分析する『情報・戦略部門』の帝国側連絡官長をお任せします。王国側には、フィリップ・ヴァロワ准将が就任します。彼と連携し、組織の頭脳となっていただきたい」

「……謹んで」

エンリコは薄い笑みを浮かべ、胸に手を当てて恭しく頭を下げた。その瞳には、新たな策謀への愉悦が浮かんでいる。

次に、マリアはグレイ、そしてクラウスへと視線を注ぐ。

「グレイ、クラウス。あなた方には、潜入、工作、暗殺を含む全ての実行部隊を束ねる『特殊作戦部門』の中核となっていただきます」

彼女はまず、グレイを見た。

「グレイ。ヴェネーリアの裏社会を知り尽くすあなたには、傭兵の管理や非合法な任務を主とする『裏』の部隊を」

「……御意に」

グレイは感情のない顔のまま、ただ深く、ゆっくりと頭を下げた。それは、いかなる命令であろうと遂行するという無言の誓いだった。

次に、クラウスへと向き直る。

「クラウス。『蜘蛛の巣』を率いてきたあなたには、商人やギルドを対象とした情報網の構築と維持、情報操作を担う『表』の部隊を」

「はっ!」

クラウスは弾かれたように顔を上げ、短く力強く応えた。その目には、失ったものを取り戻すための、燃えるような決意が宿っていた。

そして、この場にはいないもう一人の影の名を挙げる。

「そして、ゲッコーには、その卓越した戦闘能力を以て、戦闘や要人警護を担う『遊撃』を。三人は同格の部長として、互いに連携し、この部門を動かしてちょうだい」

最後に、マリアは壁際のハヤトへと、ぴたりと扇を向けた。

「そして、あなたよ、『黒曜の疾風』」

「……あん?」

「あなたには、どの部門にも属さない特別な役職、『特務官長』となってもらいます」

マリアはそこで一度言葉を切り、彼の自尊心をくすぐるように、甘い声で続ける。

「監査役として、組織に巣食う裏切り者を粛清する権限。そして何より、わたくしたちの最強の切り札として、ただ一人で戦況を覆す特務。『一人で一軍』に値するあなたにしかできぬ、孤独で気高い役目ですわ。……不満かしら?」

「……ふん」

ハヤトは壁から背を離すと、初めて口の端を吊り上げた。

「飼い殺しよりはマシか。面白そうじゃねえか」

その不遜な笑みは、自らの力への絶対的な自信の表れだった。

全ての役職が、告げられた。

それは、それぞれの才覚と過去を見抜き、最も効果的に機能するよう配置された、完璧な布陣だった。

マリアは最後に、静かに付け加える。

「この組織の本部は、生まれ変わるヴェネーリアに置きます。……大陸全体の影を監視するには、これ以上の場所はありませんから」

静まり返った『青の洞窟』。

揺れるランプの炎が、円卓に座る者たちの顔に濃い影を落とす。それはまるで、彼ら自身が大陸に広がる新たな影の始まりであることを暗示しているかのようだった。誰も言葉を発しない。ただ、この地下深くで交わされた盟約だけが、確かな熱を持って静寂を満たしていた。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

諜報組織『大陸情報局アルゴス』

―― 組織概要 ――

【組織理念】

帝国・王国の共同設立による、国境を越えた超法規的諜報機関。その百の目は大陸の隅々までを見通し、あらゆる影を暴き、光の下へと引きずり出す。

主目的はアルビオン連合王国の脅威への対抗。されどその真の使命は、力による平和ではなく、知略による恒久的な安寧を築くことにある。

情報収集、分析、謀略、特殊作戦など、あらゆる「影」の任務をその管轄下に置く。本拠地は、いずれ生まれ変わるヴェネーリアの地に置かれる。

【最高機密階層 - The Unseen Hand】

◆最高顧問 (Supreme Advisor): リナ・フォン・ヴァール男爵

『天翼』の名を冠する、組織の創設者にして魂。

その存在自体が最高機密であり、具体的な指揮は執らない。

だが、彼女が紡ぐ一言は神託にも等しく、組織の航路を照らす唯一絶対の北極星となる。

皇帝・国王にのみ直属し、その真の姿を知る者は、この組織においてさえ数えるほどしかいない。

◆影の総裁 (Shadow Regent): マリア

盤面を支配する、見えざる女王。

公には『名誉総裁』という光の仮面を被りながら、その実、組織の全権を掌握し、聖女の微笑みの下で冷徹な刃を振るう。

彼女の存在と指揮権は、幹部の中でも限られた者しか知ることのできない、聖域にして禁忌である。

【公的指導部 - The Public Face】

◆長官 (Director-General): ファビアン・フォン・ヴァレンシュタイン侯爵

帝都に座し、両国の王へ報告を上げる、組織の公式な最高責任者。

その老獪な政治手腕で、組織の「顔」としてあらゆる外交的・政治的障壁を取り除く。

その穏やかな微笑みの下で、彼が真に何を見据えているのかを知る者はいない。

『影の総裁』でさえも、時に彼の掌の上で踊っているのかもしれない。

【指揮系統 - The Arms of Argos】

一. 情報・戦略部門 (Intelligence & Strategy Division) - 『百の目』

大陸中から集められた情報を集約・分析し、未来を予測し、大局的な戦略を立案する組織の頭脳。

◆帝国側連絡官長 (Imperial Liaison Director): エンリコ・ダンドロ少将

帝国の海と陸、全ての情報網を束ねる男。

その思考は深海の如く、彼の張り巡らせた網から逃れられる者はいない。

◆王国側連絡官長 (Kingdom Liaison Director): フィリップ・ヴァロワ准将

王国の影を知り尽くした、沈黙の分析官。

無数の情報の断片から、ただ一つの真実を紡ぎ出す。

二. 特殊作戦部門 (Special Operations Division) - 『影の牙』

潜入、破壊工作、要人警護・暗殺。

影の総裁マリアの意のままに動き、汚れた任務を遂行する組織の暗部にして刃。

三つの部がそれぞれの専門領域を担当しつつ、有機的に連携し、多くの者は兼務する。

組織の性質上、監察部からもたらされる情報を基に、各部が連携して活動する。

監察部 - 『スパイダー』(Spider - 蜘蛛)

担当: 表社会・情報網構築・情報操作

◆部長 (Chief): クラウス

『蜘蛛の巣』を率いてきた男が率いる、情報戦の専門家集団。

大陸内に張り巡らせた見えざる糸を束ね、国内の安定を維持する。

そして今、その糸は初めて海を越え、未知の獲物たるアルビオン本国へと、静かに伸ばされようとしている。

敵国の市場の囁きから宮廷の密談まで、全ての情報を絡め取り、時には偽情報で敵を内側から蝕むことが、彼らに課せられた新たな使命である。

渉外部 - 『コヨーテ』(Coyote - 荒野の狡猾者)

担当: 裏社会・非合法工作・傭兵管理

◆部長 (Chief): グレイ(旧名:ガスパロ・バルボ)

裏社会の掟を知り尽くした古傷の狼が率いる、汚れ仕事の実行部隊。荒野を生き抜くコヨーテのように狡猾に立ち回り、アルビオンの息がかかった敵対勢力を大陸から排除する。

また、その広範な人脈を駆使し、敵地アルビオンでの作戦行動に必要な「駒」を調達・管理するという危険な任務を担う。

執行部 - 『ファルコン』(Falcon - 隼)

担当: 戦闘・遊撃・要人警護

◆部長 (Chief): ゲッコー

影そのものと謳われる男が率いる、組織最強の戦闘集団。

獲物(ターゲット) を確実に仕留める隼のように、要人警護から敵拠点への強襲まで、あらゆる直接的武力行使を担当する。

ゲッコー自身は最高顧問の専属護衛も兼任する。

◆特務官長 (Chief Special Duty Officer): ハヤト(コードネーム:『黒曜の疾風』)

組織に巣食う裏切り者を断罪する権限を持つ、孤高の監査役。

そして、『剣聖』としての圧倒的な武力は、一人で戦況を覆すための切り札。

その権限は各部門長を上回り、長官に匹敵するとされる。

彼は法ではなく、自らの正義に従う。

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