軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第222話:『潮風に告げる決意』

アクア・ポリスの朝は、生まれ変わる鋼の匂いと音で満ちていた。

司令部の一室。開け放たれた窓から吹き込む潮風が、机上の羊皮紙をかすかに波立たせる。窓枠に肘をつき、私は眼下に広がる港を見下ろした。巨大なドックでは、マキナの鋭い怒声とリズミカルな槌音が混じり合い、無数の船が新たな任務へと旅立つ準備を進めている。大陸の未来が、今まさにこの場所で鍛え上げられている。その確かな熱気を感じる一方で、心の奥底には、あの日の記憶が冷たい澱のように沈んでいた。

『 狼の巣(ウルフズ・デン) 』。

崩れ落ちる天を支えた、あの奇跡。大地が応え、世界が息を呑んだ冒涜的なまでの光景。あの瞬間、私だけが感じ取った精霊たちの歓喜の波動。

あれは一体、何だったのか。

この内に眠る、得体の知れない力。その根源と向き合わねばならない。グラン宰相の言葉が、今も警鐘のように鳴り響いている。

私は窓から離れ、部屋に控える三人の守護者へと向き直った。

壁際に影のように佇むゲッコー。私の半歩後ろに立ち、鋼の盾と化すヴォルフラム。そして、姉のように静かな眼差しで私を見守るセラ。

「――北の地へ、向かおうと思います」

静かな宣言に、部屋の空気が微かに揺れた。

「マキナさんによる『エーテル・ドライブ』の開発も佳境です。ですが、それだけではありません」

一度言葉を切り、三人の顔を順に見つめる。覚悟を決め、続けた。

「私自身の、この力の正体と向き合うために。グラン宰相から託された神話の謎を、解き明かすために」

その言葉に、ヴォルフラムがはっと息を呑む。彼女の脳裏にも、あの日の光景が灼きつくように蘇ったのだろう。

「このままでは、駄目なんです」

声が、震えた。それは恐怖ではない。仲間を想うがゆえの、切実な響き。

「この力が何なのかも分からずにいれば、いつか……私のせいで皆さんを危険に巻き込んでしまうかもしれない。それが、怖いから」

魂からの吐露だった。

最初に動いたのはヴォルフラムだった。彼女は一歩前に出ると、迷いなくその場に深く片膝をつく。鎧が擦れる硬質な音が、静寂に響いた。

「リナ様がどこへ行かれようと、この盾は常に御側に。いかなる脅威からも、この身命を賭してお守りいたします」

その瞳に宿る光は、揺るぎない忠誠そのものだった。

ゲッコーもまた、壁際の影から一歩踏み出し、無言のまま深く頷く。言葉はなくとも、その佇まいが全てを語っていた。

だが、セラだけは違った。彼女は悲しげに眉を寄せ、その翠の瞳を潤ませていた。

「……リナ様。……また、一人で背負い込もうとなさっているのではありませんか」

その声は、叱責ではなく、痛切な願いに近かった。

「『狼の巣』でのことも、先程のマルコ殿へのご決断も……あなたはいつも、たった一人で全てを解決しようとなさいます。ですが、私たちはあなたの駒ではありません。あなたの剣であり、盾でありたいのです。あなたの痛みも、不安も、私たちに少しでも分けてはいただけないでしょうか……。どうか、もっと私たちを頼ってください」

彼女の言葉が、私の胸に鋭く突き刺さった。

そうだ。私はいつの間にか、仲間を信じ、頼ることを忘れていた。全てを自分の頭の中だけで完結させ、駒のように動かすことが当たり前になっていた。その傲慢さが、一番近くで支えてくれる彼女を、こんなにも傷つけていたのだ。

「……セラさん……」

何かを言い返そうとして、言葉に詰まる。

椅子から立ち上がり、セラさんの前へと歩み寄った。そして、何も言わずに、その腰にぎゅっと抱きついた。驚いた彼女の体が、わずかに強張るのが分かった。

「……ありがとう、セラさん」

顔をうずめたまま、くぐもった声で呟く。

「……気づかせてくれて、ありがとう。……そうですね。私、一人で何でもできるって、思い上がっていたかもしれません。……怖かったんです。弱いところを見せたら、みんなを不安にさせちゃうんじゃないかって……」

私の告白に、セラさんの強張っていた体がふっと緩んだ。

温かい手が、私の頭を優しく、慈しむように撫でる。

「……いいえ。私たちは、あなたの弱さも、痛みも、全て分かち合う覚悟ができております。……ですから、どうか、一人で泣かないで」

その声も、涙で濡れていた。

私は顔を上げ、彼女に向かって精一杯の笑顔を作ってみせた。

「はい。……約束します」

「だから、まずはこの件を片付けさせてください。……この事がすべて片付いたときには...」

セラさんは、これまでで一番優しい微笑みを浮かべて、力強く頷き返してくれた。

そして、改めてテーブルに向き直り、『囁きの小箱』を手を伸ばした。

「――カイさん、聞こえますか。宰相閣下にお時間をいただきたい、と伝えてください」

帝都の財務官僚カイへと繋がる回線。ノイズの向こうで彼が息を呑む気配が伝わる。事情を簡潔に話し、皇帝陛下への上申の取り次ぎを依頼した。

数時間後。宰相閣下を経由して、皇帝陛下本人から通信が入った。グレイグ中将は『大陸防衛軍』の再編で多忙を極めているらしく、今回は不在だ。

『……よかろう。だが一つだけ約束しろ。護衛から、決して離れるな。これは勅命であるぞ』

それは、まるで父親が娘に言い聞かせるような、厳しくも温かい響きだった。通信を切った後も、部屋の空気は重く沈んだままだった。

◇◆◇

その夜。

荷造りを終え、ベッドに腰掛けていると、控えめなノックと共にセラが入ってきた。その手には、湯気の立つハーブティーのカップが二つ。

彼女は私の隣に静かに腰を下ろし、一つのカップをそっと手渡してくれた。温かい陶器の感触が、冷えた指先にじんわりと沁みていく。

「……昼間は、すみませんでした。あなた様を追い詰めるようなことを申してしまって」

夜の静寂に、セラの静かな、しかし芯の通った声が溶ける。

「ですが、私は本当に、あなた様のお力になりたいのです。……ですから、どうか忘れないでください。あなたの痛みも、不安も、私たちに預けてくださると……そう、約束してくださったことを」

彼女はそう言うと、私の手を、その両手で強く、強く握りしめた。

その温かさと、揺るぎない眼差しが、引き金だった。

昼間は気丈に振る舞えたが、二人きりになった今、必死に築き上げていた心の壁が、音を立てて崩れ落ちる。堪えきれなかった涙が、ぽろりと頬を伝った。

「……怖いんです……」

嗚咽が漏れた。

「私が、私でなくなってしまうかもしれないのが……。いつか、みんなのことを忘れちゃうんじゃないかって……」

子供のようにしゃくりあげ、私はセラの胸に顔をうずめた。彼女は何も言わず、ただ優しく、私の背中をあやすように撫で続けてくれる。その温もりが、凍てついた心をゆっくりと溶かしていく。

「……セラさんが、そばにいてくれるなら……私、きっと大丈夫だから……だから……」

言葉にならない想いが、涙と共に溢れ出す。それは軍師の誓いではない。ただ一人の少女の、心からの願いだった。

「ええ。ずっと、お側にいます」

セラの声も、わずかに震えていた。

二人の誓いは、静かな夜に溶けていった。

窓の外では、満天の星が、新たな旅路を見守るように瞬いている。