作品タイトル不明
第221話:『荒ぶる心臓』
陽光が降り注ぐドックの中央。
私が見守る司令塔の遥か下で、歴史が産声を上げようとしていた。
黒光りする『 霊素機関(エーテル・ドライブ) 』が、最後の点検を終え、静かにその時を待っている。周囲にはマキナさんと数名の職人だけが残り、他の者たちは爆風を防ぐ分厚い防護壁の影へと退避していた。肌を焼く陽光の下、ドック全体が息を殺している。
「――よし! いくぞ!」
マキナさんの張りのある声が、スピーカーのような拡声器を通してここまで届く。
彼女が慎重な手つきで熱源ユニットのカバーを開け、中に自らが開発したという手のひらサイズの金属板を滑り込ませた。
「こいつは冬の寒さ対策に作った、いわば超高性能カイロだ。土魔法で鉄の成分をいじって作ったんだが、ちと発熱しすぎてな。危うく火傷するところだった代物だ。……だが、こいつの熱源としては、これ以上ないくらい丁度いいはずだ!」
彼女がレバーを操作すると、金属板が淡い橙色に輝き始め、周囲の空気が陽炎のように揺らめいた。
次の瞬間。
しゅ……。
静かな、本当に小さな吐息のような音がした。
エーテルリキッドが沸騰を始めたのだ。
やがてエンジン全体が微かに震え始め、心臓部からは規則正しい鼓動が響き始める。
シュコー……パタン。シュコー……パタン。
それは、生まれたての獣の呼吸音のように穏やかで、力強い。
「おお……!」
「動いた……! 動いたぞ!」
遠巻きに見ていた職人たちから、抑えきれない歓声が上がる。
マキナさんは満足げに頷くと、出力計の針が安定しているのを確認し、慎重にレバーを一段階押し込んだ。
鼓動は次第に力強さを増していく。
シュコー、パタン。シュコー、パタン。シュコー、パタン。
それはもはや赤子の呼吸ではない。たくましい若者の、生命力に満ちた脈動だ。エンジンに接続された駆動軸が、滑らかに、そして力強く回転を始めた。
「成功だ! 成功だぞ、リナ!」
マキナさんが、こちらに向かって満面の笑みで拳を突き上げる。
私もセラさんも、その光景に息を呑んでいた。本当に、歴史が動く瞬間だった。
「よし、次の段階だ! 想定される戦闘速度での連続稼働テストに入る!」
マキナさんの声に、再び緊張が走る。彼女はスロットルのレバーを、慎重に、しかし迷いなく中間域まで押し込んだ。
――キィィィィィィィン!
それまでの穏やかな鼓動が、甲高い金属の悲鳴に変わった。
エンジン全体が激しく震え、駆動軸の回転数は見た目にも倍以上に跳ね上がる。凄まじいエネルギーが生み出されているのが、遠く離れた司令塔の上からでも肌で感じられた。
「圧力、安定! 温度、許容範囲内! ……いける!」
マキナさんの顔に、勝利を確信した笑みが浮かんだ、まさにその時だった。
――ガキンッ!
エンジン内部から、何かが砕けるような、乾いた異音が響いた。
その瞬間、それまで安定していた圧力計の針が、狂ったように振り切れる。
「なっ!?」
マキナさんの顔から血の気が引く。
想定外の振動と圧力に、ピストンとシリンダーを繋ぐ 連結部(コンロッド) の一部に微細な亀裂が生じ、そこから高圧の蒸気が漏れ出したのだ。その漏れが引き金となり、シリンダー内の圧力が急激に低下。結果、ボイラーとの圧力差が許容量を超え、エーテルリキッドが爆発的に気化を始めた。
突沸。
容器の中の液体が、まるで意思を持ったように激しく泡立ち、膨れ上がる。
シューーーーーーッ!
安全弁から、鼓膜を突き破るような断末魔の叫びと共に、高圧の蒸気が激しく噴き出した。だが、それだけではとても圧力を逃がしきれない。
エンジン全体がガタガタと痙攣し始め、あちこちの接合部のボルトが悲鳴を上げる。ミシリ、ミシリと、内部から金属が引き裂かれていく嫌な音が響き渡り、耐圧容器そのものが風船のように僅かに膨張していくように見えた。
「総員、退避ーっ!」
誰かの絶叫が響く。職人たちが蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。
マキナさんだけが、顔面蒼白で立ち尽くしていた。自らの創造物が、目の前で自壊していく悪夢に、金縛りにあったように動けないでいた。
「マキナさん!」
私の悲鳴が、スピーカー越しにドックに響き渡る。
その声に、彼女ははっと我に返った。
「……くそったれがァ!」
彼女は罵声と共に、近くに設置されていた消防用の巨大な放水ホースを掴み取った。屈強な海兵が数人がかりで操作するはずのそれを、彼女は一人で担ぎ上げる。
「開けろォォォォ!」
号令に応え、バルブが開かれる。
轟音と共に、凄まじい水圧の濁流がホースから迸り、暴走するエンジンへと叩きつけられた。
ガゴンッ!という鈍い衝撃音と共に、エンジン全体が冷やされていく。甲高い悲鳴を上げていた安全弁からの蒸気の噴出が、次第に勢いを弱めていった。エンジンを包んでいた痙攣のような震えも、ゆっくりと収まっていく。
やがて、けたたましい音が完全に止んだ時、そこに残っていたのは、接合部のあちこちから虹色の液体を漏らし、見るも無惨に沈黙した鉄の塊だけだった。
ずぶ濡れのマキナさんが、その前に力なく膝をついている。
◇◆◇
ドックに、気まずい沈黙が落ちていた。
私は司令塔から駆け下り、マキナさんの元へ向かう。
「……マキナさん。……大丈夫ですか?」
「……ああ。……死ぬかと思った……」
彼女の声は、ひどくかすれていた。
「……ごめん、リナ。……まだ、実戦投入には改善の余地がありすぎる……」
その肩は、悔しさに小刻みに震えている。
「いいえ。あなたは、貴重なデータを取ってくれた。……でも」
私は彼女の隣にしゃがみ込み、まだ熱を持つエンジンをそっと撫でた。そして、真剣な目で彼女を見上げる。
「……今度からは、必ず頑丈な隔壁の後ろから操作してください。あなたが怪我をしたら、この計画は全部止まってしまうんですから。……約束ですよ?」
その、叱るような、しかし心からの心配が滲む言葉に、マキナさんは一瞬虚を突かれたように目を丸くし、やがて照れくさそうに頭を掻いた。
「……へいへい。分かったよ。心配かけちまったな」
私はもう一度頷くと、改めてエンジンに向き直った。
「この子は、まだ生まれたばかりの赤ん坊です。時には熱も出すし、癇癪も起こす。……ゆっくり、育てていきましょう」
私の言葉に、マキナさんは顔を上げた。その目に、再び不屈の光が宿る。
「……そうだな。……だが、完成にはまだ時間がかかりそうだ。……ピストン周りの材質と構造を、根本から見直さきゃならねえ」
彼女は立ち上がると、黒く汚れた顔で、にっと笑った。そして、誰に言うでもなくぽつりと呟く。
「……本当は、蒸気を直接叩きつけて羽根車を回す『タービン式』の方が圧倒的に効率は良いんだが……。今の技術じゃ、あの回転数を制御できる軸受けを作るのは、まだ難しいからなぁ。……まずは、このピストン式を完成させねえと」
彼女は私に向き直ると、気を取り直したように言った。
「なあ、リナ。こいつが完成するまで、別の方法で空を目指すってのはどうだ? 長距離の移動なら、こいつよりずっと安定してるはずだ」
「……飛行船、ですか?」
「ああ。巨大な気球に、普通の蒸気機関を組み合わせる。速度は出ねえが、大量の荷物を積んで、長距離を安定して飛べる。……技術的には、こっちの方がずっと簡単だ。……両方、同時に進めていこうぜ」
失敗は、終わりではない。
新たな可能性への、始まりなのだ。
私たちは顔を見合わせ、力強く頷き合った。
ドックには再び、未来を創るための 槌音(つちおと) が、力強く響き始めていた。