軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第220話:『霊素機関《エーテル・ドライブ》』

黒光りする『 霊素機関(エーテル・ドライブ) 』は、まだ産声を上げる前の獣のように、静かに熱を吸い込んでいた。

その美しい機械の塊を前に、マキナさんの目は狂信的ともいえる輝きを放っていた。彼女は油の染みた指先で、まるで愛しい我が子を撫でるかのように、滑らかな金属の曲面をなぞる。

「リナ。お前が言っていることは、たぶん正しい」

彼女の声は、いつもの快活さが嘘のように低く、静かな興奮に震えていた。

「『少ない液体で、大きな力』、『早く沸くヤカン』。その二つが揃えば、蒸気機関は化ける。いや、全く別の生き物に生まれ変わるんだ」

彼女は、エンジンの心臓部を指し示す。そこにあるのは、巨大な 釜(ボイラー) ではない。私の両腕で抱えられるほどの、優美な曲線を描くフラスコのような形をした丈夫そうな容器だった。

「水の場合、1の液体が蒸気になると、体積は約1700倍になる。だが、この『エーテルリキッド』は、その何十倍だ。つまり、同じパワーを出すのに、水と比べてほんのちょっぴりの量で済む。……分かるか? あのデカくて重いヤカンが、これっぽっちの大きさの『蒸気発生器』で済むんだよ! 計算上は、これだけで戦闘機並みのパワーが出せる!」

次に、彼女はエンジン下部の小さな熱源ユニットを叩いた。

「そして『早く沸くヤカン』。こいつは水よりずっと低い温度で沸騰する。石炭をガンガン燃やす巨大な窯なんてもういらない。極端な話、豆炭というか、 懐炉(ホッカイロ) くらいの熱でも十分なんだ。つまり、重たい燃料を大量に積む必要がなくなる。機体の重さが、劇的に軽くなるんだよ!」

彼女はエンジン全体を愛おしそうに撫でた。

「熱がその程度でいいから、火傷の心配も少ない。複雑な配管も要らない。結果として、エンジンはこんなにコンパクトで、静かになった。まるで静かに脈打ってる心臓みたいになる筈だ」

その言葉通り、エンジンからは一切の威圧感が感じられない。ただ、洗練された機能美だけがそこにあった。

「驚くのはこれからだぜ」

マキナさんの目が、悪戯っぽくきらめいた。

「まず、驚異的な静粛性。内燃機関みたいな爆発音は一切ない。液体が気化する『シュー…』っていう心地よい吐息とピストンの駆動音だけ。ただ、どうしてもプロペラが絹を裂くみてえな風切り音はペラの先端速度が音速に近づくにつれ大きくなるからそれは何とかしないと、隠密行動は難しいけどな」

「次に、圧倒的な加速と運動性。沸点が低いから、パイロットが熱源をちょいと操作するだけで、液体は即座に反応して爆発的なパワーを生む。ジェット機みてえな急加速や、戦闘機みたいなアクロバティックな動きも可能になるはずだ。プロペラの逆回転による急ブレーキも、もちろん健在さ」

そして、彼女は夢見るような目で、まだ見ぬ空を仰いだ。

「美しい排気もな。機体から排出されるのは、役目を終えたエーテルリキッドの蒸気だけ。キラキラ光る粒子になって空に消えたり、虹色の軌跡を描いたりするかもしれねえ。外気で冷えりゃ、また液体に戻るから環境にも優しいエコ設計だ」

私はその完璧な性能に息を呑んだが、ふと一つの疑問が浮かんだ。

「……でも、マキナさん。そんなに低い温度で沸騰するなら、ちょっとした熱や衝撃で、暴走して大爆発したりしませんか?」

私の的確な懸念に、マキナさんは「よくぞ聞いてくれた!」とばかりに、さらに目を輝かせた。

「そこが、このエンジンの真骨頂だ!」

彼女は燃料タンクを指さす。その表面は、まるで汗をかいたようにうっすらと濡れ、陽炎のように空気が揺らめいていた。触れてみると、真夏の日差しの中とは思えないほど、ひんやりと冷たい。

「このタンクは二重構造になってる。あっちの世界でいうとキャラバンが砂漠で使っていた水筒と同じ原理さ」

彼女は楽しそうに、その仕組みを語り始めた。

「内側のタンクに入ったエーテルリキッドが、周りの熱で少しだけ気化して圧力が上がるだろ? すると、ほんの少しの液体が、外側のタンクとの隙間に染み出す。外側のタンクは、素焼きの壺みたいに、目に見えねえ無数の穴が開いてるんだ」

「染み出した液体は、その穴を通ってタンクの表面に滲み出て、外気に触れて蒸発する。液体が気体になる時、周りの熱を奪うだろ? その『気化熱』が、内側のタンクを常に冷し続けてくれるってわけさ。これで、中の液体が勝手に沸騰して大爆発するのを防いでる。まさに天然のクーラーだよ」

よく見ると、タンクの表面からはキラキラとした粒子が立ち上り、陽光を浴びて虹色に輝いている。

それは、あまりにも美しく、そして完成されたシステムだった。

「まあ、本当はな」

彼女は少しだけ専門的な顔つきになり、声を潜めた。

「あっちの世界じゃ、こういう低沸点の液体を使うエンジンは開発されててな。ただ、もっと複雑なんだ。フロンガスみたいな人工的に作り出した、値段の高い、排出したら環境に悪いやつを使ってさ。効率を上げるためと外気に放出しない為に、排気側でガスを冷やして液体に戻し、もう一回使う『再循環システム』ってのが必要になる。排気側の圧力を下げて、もっとパワーを引き出すための目的もあるがな。だが、その冷却装置と回収装置がまたデカくて重いんだ。結局、堂々巡りさ」

彼女は再び、誇らしげに『エーテル・ドライブ』を叩いた。

「でも、こいつは違う! エーテルリキッドは泉から汲み放題、コストはタダ同然! もともとこの世界に存在する液体だから環境なんざ気にする必要もねえ! 使い捨て上等で、冷却も回収も全部ぶん投げて、ただひたすらパワーと軽さだけを追求した! まさに航空機のためだけに生まれた、狂ったエンジンってわけよ!」

「……どうだ、リナ」

マキナさんは、油に汚れた顔で、最高の笑顔を見せた。

「この液体の性質が分かった上で設計したわけだが…まあ、実際に動かしてみなきゃ分からねえ。……だが、俺は、成功すると思ってる。だから、一緒にこのエンジンが始動する瞬間を見ようと思ってさ!」

「はい!」

私が力強く頷き、エンジンに一歩近づこうとした、まさにその時。

すっ、と私の前に氷の壁のように立ちはだかる影があった。セラさんだ。

「――駄目です」

凛とした、しかし有無を言わせぬ声が響く。

「マキナ局長。先程、あなたご自身が『大爆発した』と仰いました。そのような危険な実験に、リナ様を近づけるわけにはまいりません」

「いや、だから今回は対策済みで……!」

「万が一、ということがございます。リナ様には、あちらの司令塔の上からご覧いただきます。それ以外は、許可できません」

セラの翠の瞳は、一切の妥協を許さない鋼の光を宿していた。

マキナさんはしばらく不満げに口を尖らせていたが、やがて諦めたように大きく息を吐いた。

「……はぁ……。まあいいや。仕方ねえか。じゃあリナ、特等席で見とけよ! 歴史が動く瞬間をな!」

その言葉が終わるか終わらないか。

ヴォルフラムさんが再び私の前に進み出ると、恭しく、しかし有無を言わせぬ力強さで私を横抱きにした。

「うわっ!? ちょ、ヴォルフラムさん! もうお疲れじゃないですってば!」

「いえ、リナ様。万が一、爆発の破片でも飛んできた場合、私が盾となります。この距離では不十分です」

彼女はそう言うと、来た時と同じように、私を抱えたまま軽々と司令塔の階段を上がっていく。その完璧な安定感と揺るぎない忠誠心に、私はもはや抵抗する気力も失っていた。

司令塔の上からは、マキナさんと職人たちがエンジンを取り囲み、最後の調整を行っているのが小さく見える。

やがて、準備が整ったのだろう。マキナさんが、こちらに向かって大きく手を振った。

私の胸もまた、期待と興奮で熱く高鳴るのを感じていた。

私たちの翼は、もう夢物語などではなかった。確かな形をもって、今、この場所にあるのだから。