作品タイトル不明
第103話:『ただいま、我が家へ。そして、衝撃の辞令』
王国の精鋭護衛隊『王家のグリフォン』。その厳粛な敬礼に見送られ、私たちの馬車は再び帝国の土を踏んだ。
国境線を越えた瞬間、馬車の窓から流れ込んできた光景に、私は息を呑んだ。
街道の両脇に、帝国軍の国境守備隊が、まるで閲兵式のように寸分の乱れもなく整列している。磨き上げられた鎧が鈍い陽光を弾き、掲げられた軍旗が乾いた風にはためいていた。
私たちの馬車が近づくと、号令と共に彼らは一斉に剣を抜く。
シャキン、と鋼が擦れ合う音が幾重にも重なり、一つの壮麗な金属音の波となって空気を震わせた。天に掲げられた無数の剣先が、英雄を迎える最上級の敬意を示している。
「――天翼の軍師様に、敬礼!」
地響きのような鬨の声が、馬車そのものを揺らした。
私はもう、なすすべもなく。ぐったりと馬車のクッションに深く体を沈めるしかなかった。
(……だから、もう、本当に大げさなんだってば……)
◇◆◇
東部方面軍主駐屯地。
インクと古い羊皮紙の匂いが満ちる、懐かしいグレイグ中将の執務室。
扉を開けた瞬間、執務机にいたグレイグが、ガタンと大きな音を立てて椅子から飛び上がった。
書類が舞い上がるのも構わず、満面の笑みをくしゃくしゃに浮かべ、床を軋ませながら大股でこちらへ歩み寄ってくる。
(……な、何か、すごく嫌な予感が……)
予感は、的中した。
彼が振り下ろしたゴツゴツと大きな手が、私の小さな頭を鷲掴みにする。視界が彼の武骨な指で覆われ、愛情表現のつもりなのか、遠慮のない力でぐりぐりと撫で回された。
「ぐぎぎぎぎ……!」
「おぉ、リナ! よくぞ無事に帰ってきた! 心配したんだぞ、この馬鹿者が!」
鼓膜が破れそうな大声が、頭蓋に直接響く。あまりの手荒い歓迎に、私の首の骨がミシリと鳴った気がした。
「閣下、おやめください!」「リナ様が!」
セラさんとヴォルフラムさんが、青い顔で止めに入ってくれる。
一通り手荒い喜びの表現が済むと、グレイグはようやく私を解放した。彼は満足げに一つ頷き、そして悪戯が成功した子供のような笑みで、とんでもない爆弾を投下した。
「――それでな、リナ。皇帝陛下からお前に伝言だ。『もう、その大層な扮装は良いだろう』、だとよ」
「…………は?」
思考が、凍り付く。
目の前で笑うグレイグの顔が、やけにゆっくりと動いて見えた。
今、この人は、何て言った?
「正確にはこうだ」
グレイグは腕を組み、ますます面白そうに目を細める。
「『天翼の軍師の正体はちっこい女の子だ』って噂が、どうも裏の世界で広まり始めてるらしい」
「!?」
「だったら味方が知らず敵だけが知っている今の状況は、むしろ危険だ、と。……まあ、理由を聞けば俺も納得だわ」
「……た、確かに……そうですけど……」
もはや反論する気力もなかった。ユリウス王子、シュタイナー中将、グランさん、アルフォンス王子……思い当たる顔が次々と脳裏をよぎる。ああ、漏れるだろうな。あちこちでバレすぎてる。
全身から力が抜け、私はその場にへなへなと座り込んでしまった。
「まあ安心しろ。何も今すぐお前の正体を帝国中にばらすわけじゃねぇ」
グレイグは私の前にしゃがみ込むと、ニヤリと口の端を吊り上げた。
「ただ、あの仰々しいローブと変声器はもういらん、と。髪の色や長さ、簡単な仮面か何かで正体を隠す程度で十分だろう、とのことだ。……それから、『可愛らしい天翼の軍師にしてやってくれ』との、陛下からのご要望でもある」
「……か、可愛らしい……」
その単語の衝撃に、くらりと眩暈がした。
「というわけでだ」
グレイグは立ち上がり、私の隣に立つセラに向き直る。
「――セラ。そういうのはお前の得意分野だろう? リナの新しい衣装、任せたぞ」
「…………え?」
私が呆然とセラさんを見上げると、彼女は、それはもう満面の、とびっきりの笑顔で敬礼した。
その瞳は「着せ替え人形、ゲット!」と、爛々と輝いている。
「返事は『はっ』だ、天翼殿」
「はっ! ……あ、いや、それは、その……!」
「セラ。頼んだぞ」
「はっ! このセラ・オーレリア! 身命を賭して、リナ様を帝国一可愛らしく仕上げてごらんにいれます!」
なぜか、セラさんのやる気が天元突破している。隣ではヴォルフラムさんまで「なんと! それは素晴らしい!」と目を輝かせている始末。
私の味方は、どこにもいなかった。
こうして、私の王国での大冒険は終わりを告げた。
それと同時に。
私の意思とは全く無関係な、新たな『アイドル軍師・プロデュース計画』が、静かに、しかし確実に始動したのだった。
私の平穏な日常は、一体どこへ……。
執務室の窓から差し込む西日を浴びながら、私はただ、力なく天を仰いだ。