作品タイトル不明
第104話:『英雄の凱旋と、少女の休日』
東部方面軍の乾いた風に慣れて、まだ数日。
帝都から、皇帝陛下直々の召喚命令が届いた。
表向きの理由は「王国との和平交渉に関する詳細報告」、だが、その裏に隠された本当の目的を思うと、胃の腑が重くなる。
「……はぁ……。行きますか」
重い溜息と共に、観念して立ち上がった。視界を狭める深いフード。一つ、また一つと『天翼の軍師』の装備を身にまとう。見慣れたはずのその姿が、今日だけはひどく窮屈な、鎧のように感じられた。
◇◆◇
帝都への道は、さながら凱旋パレードだった。
私が王国を内側からひっくり返したという噂は、尾ひれどころか竜の翼まで生やし、帝国全土を駆け巡っている。街道沿いの村々では、土にまみれた農夫も、幼い子供たちも、皆が仕事の手を止め、私の乗る馬車に熱狂的な歓声を上げていた。
「軍師様!」「帝国万歳!」
その声援の波に、私はフードの奥でただ頭を抱える。
(……やりすぎだよ。私は、そんな英雄なんかじゃない……)
馬車の小窓から、セラさんが「リナ様、民が見ております」と目で諭してきた。仕方なく、赤い帳の隙間からそっと手を出す。そして、威厳を込めて民衆に応えてみせた。
その瞬間。
「「「うぉぉぉおおおおおおおおっ!!!」」」
地響きを伴う歓声が爆発し、馬車を揺らす。私は思わず肩をびくりと震わせ、作り上げた威厳は脆くも崩れ去った。
(……もうやだ。もう帰りたい……)
◇◆◇
皇都で案内されたのは、宰相が手配したという帝都最高級の貸し宿だった。高い塀が外界の喧騒を遮断し、磨き上げられた石畳の中庭は、嘘のように静まり返っている。
そして、何よりも――。
「――わぁ……!」
食卓に並べられた豪華な料理に、私は思わず声を上げた。焼きたてのパンが香ばしく匂い立ち、じっくり煮込まれた肉料理からは豊かな湯気が立ち上る。きらきらと輝くデザートは、まるで宝石箱のようだ。
「さあ、リナ様。今宵は何もかも忘れ、お腹いっぱい召し上がってください」
セラさんの優しい微笑みに甘え、私は夢中で料理を頬張った。口の中でとろける肉の旨味。ああ、この味を、孤児院のみんなにも食べさせてあげたい。美味しいものを口にすると、いつもあの愛しい家族の顔が浮かぶ。私の原点は、いつだってあそこにあるのだ。
食後、私は宿の自慢だという大浴場へ向かった。
湯気を立てる広い湯船に一人で体を沈めると、張り詰めていた心も体も、じんわりと解けていく。戦争は終わらない。私の役目も終わらない。いつになったら、私はただのリナに戻れるのだろうか……。
水面に映る自分の顔が、ぼんやりと揺れた。
その時だった。
「――リナ様。……お背中、お流ししますわ」
背後から、柔らかな声。振り向けば、湯浴み着をまとったセラさんが、穏やかに微笑んでいた。
ふっと、心の箍が緩む。私は、ぽつり、ぽつりと今日の出来事をこぼし始めた。
「……私、英雄なんかじゃないのに……みんな、私のこと誤解してる……」
「……ええ」
「……本当は、怖くて逃げ出したい……」
「……ええ」
セラさんはただ静かに相槌を打ち、湯船の中で横からそっと私の体を抱きしめた。その背を、温かい手で優しく撫でてくれる。その温もりが、今は何よりも心地よかった。
「……そういえば、ヴォルフラムさんは?」
「あの方は『リナ様のご入浴中の安全を確保する!』と、湯殿の入り口で仁王立ちしておりますわ」
「……ぷっ」
そのあまりの生真面目さを想像し、私は思わず噴き出した。湯面に笑い声が弾ける。
そうだ。私には、こんなにも頼りになる人たちがそばにいる。私はまだ、大丈夫だ。
◇◆◇
だが翌日、私のささやかな平穏は終わりを告げた。
静かな宿に現れたのは、満面の笑みを浮かべた皇妃セレスティーナ陛下。彼女に引かれ連れて行かれた部屋には、巨大な姿見。そして隣の大部屋には、ずらりと並んだ衣装の山が、静かに出番を待っていた。
「――さあ、リナ! あなたの新しいお洋服を見繕っておきましたわよ!」
絹が擦れる音。宝石が光を弾く音。色とりどりのドレス、輝く宝飾品、優雅な仮面の数々が、私の逃げ道を塞ぐ。
「え……? な、何ですか、これは……?」
私が後ずさると、いつの間にか隣にいたセラさんが私の両肩をがっしりと掴んだ。そして皇妃陛下に完璧な淑女の笑みを返す。
「皇妃陛下! なんて素敵なお召し物ばかり! ……リナ様もきっとお喜びになりますわ!」
「え? ちょ、セラさん!? そっち側なんですか!?」
私の悲痛な叫びは、二人の輝く笑顔にかき消された。入り口には、にこやかな笑顔でこちらを見ているヴォルフラムさんがいる。
皇妃とセラさんによる、帝国で最も豪華で、そして逃げ場のない「着せ替え人形ごっこ」。その幕が、無情にも切って落とされる。
「……あ……。……もう、好きにしてください……」
すべての抵抗を諦め、まな板の上の鯉となった私を、選抜された侍女たちが取り囲む。次々と運び込まれる衣装。それはもはや「衣装合わせ」という生易しいものではなく、一種の「戦争」だった。