作品タイトル不明
96.
急造された執務室には、古い羊皮紙と埃の匂いがうっすらと漂っていた。
ミシェルは王国の冒険者ギルドや軍部から押収した膨大な人事データを机に広げ、恐るべき速度で目を通している。
しかし、その表情はいつにも増して冷たく、不機嫌そうに眼鏡のブリッジを押し上げた。
「ひどい有様ですね。見事なまでの空洞化です」
「どういうことだ。強い奴はいないのか」
横で退屈そうに腕を組んでいたギデオンが、大きな体を揺らして覗き込む。
ミシェルは束になった書類をパラリと放り投げ、冷ややかに息を吐いた。
「表面的な数字を見る限り、有能な人材は一人残らず国を去っています。他国への移住、他ギルドへの引き抜き。見切りをつけて逃げ出したのでしょう」
「なんだ、この国に残っているのは本当に無能なカスばかりではないか」
ギデオンが呆れ返り、自身の分厚い額に手を当てて首を振る。
長年の腐敗政治は、国家から優秀な頭脳と武力を完全に流出させてしまっていたのだ。
ミシェルは新しい書類の束を引き寄せ、黙々と視線を走らせる。
やがて、彼女の指先が、ある一枚の羊皮紙の上でピタリと止まった。
「……おや。これは」
「見つけたのか。どんな化け物だ」
ギデオンが身を乗り出し、興味深そうに書類を覗き込む。
そこに記されていたのは、女性のSランク冒険者の記録であった。
「Sランカーか。だが、依頼の受注履歴が異常に少ないな。もの凄い長い期間、全く仕事をしていない時期があるぞ」
「ええ。たまに受ける仕事も、王都近郊の簡単な魔物討伐ばかり。実力に全く見合っていませんね」
「なんだ。ただのサボり魔ではないか。こんなの有能じゃないだろ」
ギデオンが鼻を鳴らし、興味を失ったように背もたれに寄りかかる。
しかし、ミシェルは書類から目を離さず、氷のように澄んだ瞳を微かに細めた。
「いや。これほどの能力を持ちながら、なぜ他国に引き抜かれずにこの国に留まっているのか。サボるためだけに、わざわざこんな腐敗した国にいる理由は論理的に説明がつきません」
ミシェルは立ち上がり、背後の書棚から戸籍や納税記録の束を素早く引き抜いた。
そして、彼女の冒険者記録と照らし合わせるように、猛烈な勢いでページをめくっていく。
「ふむ。やはり、バックボーンに理由がありました」
「何かわかったのか」
ミシェルの手元から放たれる知的な雰囲気に当てられ、ギデオンが再び顔を近づける。
「彼女の故郷は、王都から馬車で半日ほどの距離にある小さな農村です。そこには、身寄りのない年老いた祖父が一人で暮らしている記録が残っていますね」
「祖父、だと」
「ええ。彼女が長期間クエストを受注していない時期と、村への乗り合い馬車の利用記録が完全に一致します。つまり彼女は、サボっているわけではなく、祖父のもとに帰ってばかりいるのです」
ミシェルは手元の書類をトントンと机で揃え、静かに推論を口にした。
「高齢の家族を置いて他国へ行くわけにはいかず、かといって長期間の遠征クエストも受けられない。だからこそ、近場の仕事だけで日銭を稼ぎ、Sランカーという称号を持て余しながら燻っていたのでしょう」
「なるほどな。事情に縛られた、身動きの取れない強者というわけか」
ギデオンが感心したように太い腕を組み、深く頷く。
ミシェルの完璧なデータ分析が、ただの文字の羅列から、一人の人間の背負う重い事情を正確に浮き彫りにしたのだ。
「その事情さえ国が解決してやれば、彼女は最高の忠誠と働きを約束する戦力になります」
ミシェルは冷たくも自信に満ちた笑みを浮かべ、その書類を手に取った。
「よし。わたしの新しいボディガードは、この者に決まりですね。すぐに出立しますよ、ギデオン」
「おう。また俺が活躍する番だな」
ギデオンが嬉しそうに見えない尻尾を振り、勢いよく立ち上がる。
冷徹妃の卓越した頭脳が導き出した「隠れた逸材」を求め、二人は足早に執務室を後にするのであった。