作品タイトル不明
謁見前の控えの間
国王への謁見許可が下りたのは、グランチェスター侯爵に取次ぎを依頼した3日後だった。
ソフィアの姿で正装し、グランチェスター侯爵と共に王宮に上がると、謁見の間に続く控えの間へと通された。部屋にはソフィアとグランチェスター侯爵のみが残されたが、ドアの外からは人の足音やドレスの衣擦れの音が微かに聞こえてくる。このまま会話をすれば、誰かに聞かれてしまう可能性が高い。
グランチェスター侯爵はソフィアに目配せをしつつ、指先で部屋の外を指すようなジェスチャーをした。それを見たソフィアは即座に盗聴と覗き見を防止する魔法を展開した。
「ソフィア、この部屋に通されたということは、陛下は正式な場にてお前の話に耳を傾けるということだ。当然だが、多くの貴族や官僚たちが同席することになる。一度、口から出てしまった言葉は取り消せないことを忘れるな」
「承知しております」
「ならば良い」
それだけ言うと、グランチェスター侯爵は黙り込んだ。
サラとして国王に会ったことはあるが、その時は"子供"として認識されており、少しばかりマナー違反があっても目こぼしされていたはずだ。しかし、ソフィアの姿で正式な謁見ともなれば、失態は許されない。有力貴族、官僚、あるいは王宮への出入りを許可された御用商人の前で、ソフィア商会の会長として立たなければならないのだ。否が応でもソフィアの心臓は緊張で高鳴った。
背後から小さなノックの音が聞こえてきた。いよいよ移動する時間かと顔を強張らせたが、ドアの外に入室を許可する旨を伝えたところ、予想に反して入室してきたのはリヒトとアメリアであった。
「リヒト! アメリア!」
思わずソフィアはアメリアに抱きついた。
「ふふっ。ソフィア様に熱烈に歓迎してもらえるのはとても嬉しいものですね」
アメリアの柔らかい声に反応し、ソフィアはそっと身体を離してアメリアとリヒトを交互に見遣った。二人とも穏やかに微笑んでいる。
「二人とも元気そうでよかった。セドリックからも二人の様子は聞いていたけれど、実際に自分の目で見ないと心配でたまらなかったの。私が考えなしに行動したせいで、二人を巻き込んでしまったわ。本当にごめんなさい」
「そんなに心配しなくても大丈夫だよ。いざとなったらオレだって王宮を抜け出すことくらいはできるからね」
「マチルダ王女殿下はお熱も下がって、回復に向かっているそうね」
「薬師が家族以外に患者の容体を詳細に話すのは憚られるね。でも、予想通り武蔵に夢中になってくれてるよ。武蔵が『頑張れ』って言うと苦い薬も飲んでくれるんだ。あのぬいぐるみは小児科の病院に置くべきだよ」
「武蔵の方も満更じゃないはずよ。おじいちゃん気分だろうし」
「そうだろうね」
グランチェスター侯爵も会話に加わった。
「師の新しい薬はグランチェスター領においてめざましい効果を発揮しているそうだ。新たな罹患者がいないわけではないが、事態は収束する方向に向かっていることは間違いない。領主として深く感謝申し上げる」
「もったいないお言葉でございます。グランチェスター領を出立する前から、患者が減少傾向にあるという報告は受けておりました。ですが特効薬よりも、感染予防の施策、治療や看護の正しい知識、なにより潤沢な資金による物資の提供の方がずっと効果は大きいかと。間違いなくご領主様のお力でございます」
「それを言うならソフィア商会であろう」
グランチェスター侯爵は微苦笑といった表情を浮かべ、ちらりとソフィアを見遣った。
「ですが、王都はこれからが正念場と言ったところでしょう」
「こちらでもソフィアが各ギルドを巻き込んでおる」
「その件については聞きおよんでおります。ソフィア商会がギルドに声を掛けてくれていたおかげで、入手しにくい素材も優先して回してもらっております。幸いにも王子妃殿下のお声掛けによって、アカデミーの薬師を中心に薬を製作してくれています」
リヒトの横にいたアメリアは、鞄の中から紐で綴じた報告書の束を取り出した。表紙と背表紙に薄い木の板を使用しているため、ソフィアはグランチェスター領の帳簿を思い出して小さく微笑んだ。
「ソフィア様。こちらは経口補水液の作成を請け負ってくれた業者のリストです。実は果実酒やジュースなどを製造している小さなお店が沢山協力してくださっているんです。経口補水液のレシピをお持ちになった商業ギルドの方が訪ねていらして、『薬師が監修すれば、飲料の製作が得意な店でも経口補水液を製造できる』と提案いただきました」
「なるほど。それは考えてもみなかったわ。確かにその通りね」
「私どももそのように判断しました。製薬は薬師や錬金術師にしかできませんが、経口補水液であればそれほど難しくありません。それぞれの店舗は、自分たちが販売している飲料用の瓶に経口補水液を詰めてくださっているので、かなりの数を確保できています。次のページには、食料、清潔な布や毛布、薪など多くの物資を提供してくださった方々も記載しておりますわ。本日の謁見にも代表者の方々が同席されるそうです」
「素晴らしいわ。想像していた以上に皆様が協力的なのね」
「どなたも他人事ではないからではないかと。物資の運搬は商業ギルドだけでなく、冒険者ギルドも協力してくださっているそうですわ」
「とても心強いわね」
アメリアがにこりとソフィアに微笑んだ。
「はい。マチルダ王女殿下の治療中にも、私たちのところに多くの薬師や錬金術師の方々からお手紙が届きました。この報告書は薬師ギルドから本日届けられたのです。皆さま口々にパラケルスス師のレシピを公開したソフィア商会に感謝しているそうです」
「それはリヒトの功績であって、私の功績ではないわ」
首を横に振るソフィアに対し、リヒトは少しくだけた口調で話し掛けた。
「特効薬を開発したのは確かにオレだけど、一気に普及できたのはグランチェスター侯爵家の名声とソフィア商会の資金力があるからだよ。この特効薬を完成させたのは、40年以上前だってことを忘れてないか? もっと早くに普及させたかったけど、オレの力だけでは無理だったんだ」
この発言にグランチェスター侯爵はやや顔を歪めた。アカデミーに論文を提出しようとしたリヒトを止めたのは、先代のグランチェスター侯爵だからだ。もし、その時に特効薬が一般化していれば、グランチェスター侯爵夫人であったエレオノーラやジェフリーの妻は今でも生きていたかもしれない。申し訳なさと悔しさが同時にこみ上げたが、特効薬を秘匿していたことを王室や他の貴族家に悟られるわけにはいかない。
「パラケルスス師、大変申し訳ないのだが……」
「もちろんわかっています。この薬は最近になって完成しました。事実、臨床試験が終わったのはほんの少し前ですから」
「お気遣いに感謝申し上げる」
「もうそこまでにいたしましょう。大切なのはこれからなのですから」
グランチェスター侯爵が深く頭を下げると、リヒトも応じるように目を伏せるように小さく頭を下げた。微妙な空気の中、暫しの沈黙が落ちる。
リヒトが『しまったな』といわんばかりの表情を浮かべていることに気付いたアメリアは、彼が話題の選択をミスったことを感じ取り、柔らかい表情を保ったままソフィアに話し掛ける。
「そういえば、王都でも各ギルドに感染対策の小冊子を配布されたと伺いました」
「ええ。グランチェスター領で配ったものと同じものよ」
「無償提供されたことを、多くの皆様が驚いていらっしゃったそうです」
「そのようね。知識を広めることで感染者を減らせるなら、その程度のお金を惜しむべきではないと思うのだけれど」
「そう言える商人は少ないと王子妃殿下もお褒めくださいました。そのお陰で、私どもへの待遇もかなり良いものになったことは間違いございません」
「あなたたちにも良い影響があったなら良かったわ。だけど、無償で提供したのは、ソフィア商会の評判のためでもあるから、あまり褒められると居心地が悪くなってしまいそうだわ」
空気が変わったことを感じ取ったグランチェスター侯爵も、務めて明るい声で会話に加わった。
「名声は高められるときに高めておくべきだろう。何しろ今後のソフィア商会は多方面から恨まれることになりそうだからな」
「否定はできませんね」
ソフィアは困ったような表情を浮かべ、小さく肩を竦ませた。
「そういえば、お二方がここにいらしたのは、私の緊張をやわらげるためかしら?」
「いや、オレたちもソフィアと一緒に呼ばれているんだ」
「ごめんなさい。やっぱり盛大に巻き込んでるわね」
「これだけ大々的に熱病対策をぶち上げて、特効薬の開発者が王宮に居るんだから呼ばれるのも当然だろう」
「それにしても、アメリアまで……」
「私の所属はソフィア商会の研究機関である乙女の塔ですから」
「なるほどね」
ソフィアはどんよりとした表情を浮かべ、肩をがっくりと落とした。
「勢いだけでやらかした自覚はあるわ。グランチェスター領からの移動についても説明しなければならないかもしれない」
「そうだった。移動ポータルはどうなったんだ?」
「あなたの可愛いアリシアが昨日完成させてくれたわ。それに、リヒトにも、なんてお礼を言えばいいかわからないくらい感謝しているのよ。ひとまずグランチェスター領と王都を繋いだのだけれど、1回に移動できるのはソフィア商会で使ってる一番大きな荷馬車1台分ですって」
「そりゃ随分な量に設定したな。あの6頭で曳く巨大な幌馬車だろう?」
「いろいろあって、そうなったのよ」
実はサラとアリシアは、1回で移動できる質量を馬2頭で曳く中型の荷馬車程度にする予定だった。もちろん、質量の中には馬の分も含まれる。だが、アリシアが設計している最中にマギが横から『質量と魔力量のバランスがもっとも良いパターン』について意見を述べ始めたのだ。正直、サラにはマギとアリシアの会話がほとんど理解できなかった。
『前世でも専門家の会話は理解できないこといっぱいあったよね。チートでもどうにもならないことは沢山あるってことを思い知ったわ』
ソフィアは思い出して、少しだけ遠い目をした。
「実験結果は問題なかったかい?」
「順調すぎて怖いくらいよ。基本設計はリヒトだって聞いたけど、絶対それだけじゃないわよね。アリシアが極めて優秀な錬金術師だってことは理解してたつもりだけど、そろそろ今後が心配になってきたわ。あの能力じゃ権力者に狙われるもの」
「オレのアリシアだからね!」
「リヒトも武蔵のこと言えないくらいジジ馬鹿ね。さすがに外出時には護衛を付けないとヤバいレベルになってきたから、司書ゴーレムを一体専属にしたわ。アメリアにも付けないとね」
「いえ。私にはアリシアほどの才能はありませんから」
「まだそんなこと言ってるの?」
「アメリア……君は自覚がないにも程があるよ」
ソフィアとリヒトは呆れたような口調になった。よく見ると、グランチェスター侯爵も小さく頷いている。
「油断してたら、どっかの貴族に誘拐されちゃうかもしれないわよ」
「えっ! そんなことに!?」
「閉じ込められて、化粧品やら、若返りの薬やら、毛生え薬やらを作らされるわ」
「いやいや、ハーブティですら危ういぞ。私のところにも比較的高齢の貴族男性を中心に、発売停止になった男性向けのハーブティを融通してほしいという要望がきておる。アメリア嬢には護衛を付けねばな。もしものことがあったら、アレクサンダー師に申し訳が立たぬ」
鹿爪らしい表情のグランチェスター侯爵は、顎に手を遣りつつ護衛騎士を誰にすべきか悩み始めた。
「お二方はそろそろ王宮から下がられるのだろうか?」
「おそらく近日中には主治医であるレイドロー教授に引き継ぎ、我々は王宮から下がることになるかと」
「だが、当分の間は王宮からの呼び出しに応じられる場所での待機が必要になるのではないか?」
「仰る通りです」
「では、その間はグランチェスター邸に滞在されると良い」
「確かにリヒトとアメリアはグランチェスター邸に滞在する方がいいと思うわ。護衛しやすいもの。それに、下手に王都の宿に泊まったりしたら、連日アカデミーやギルドから薬師や錬金術師が訪ねてきそうだもの」
「大変ありがたいお話ではございますが、ご迷惑になるのでは……」
「パラケルスス師の功績を思えば、その程度のことなど造作もない。ソフィアと同じ離れを使う方が、アメリア嬢には気兼ねがないかもしれないな。離れの近くにアトリエとして使っていた建屋もある。工房が必要なら片付けさせておこう」
「それは大変助かります」
「お気遣いいただき、ありがとうございます」
リヒトがグランチェスター侯爵に深々と頭を下げると、その後ろでアメリアもカーテシーで感謝の意を表した。
『あれ、アメリアの所作が綺麗になってる』
アメリアのカーテシーは、貴族家の令嬢と比べても遜色ないほど美しかった。以前から乙女たちはトマシーナやメイドたちから立ち居振る舞いを学んでいたが、この数日の間にアメリアの所作は驚く程磨かれていた。思い返してみれば、最初に乙女の塔に来た頃に比べて歩き方まで変わっている。
マチルダ王女の住まう白羊宮には、大勢の貴族女性が侍女やメイドとして働いている。平民の使用人も身元のしっかりした裕福な家の出身者ばかりで、王女の側に仕える者には立ち居振る舞いの美しい者しかいない。そんな女性たちに囲まれれば、アメリアも自然と所作が磨かれていくのも当然であった。
ソフィアがアメリアを見つめながら感心している間にも時間は流れ、いよいよ謁見の時刻となった。