作品タイトル不明
謁見の間 1
謁見の間は、とにかく"赤白金"であった。壁紙、絨毯、カーテン、そして玉座には赤い布が使用されているため視界は圧倒的に赤い。その赤を際立たせるように、柱や天井などは白漆喰で仕上げてあり、柱の上部から天井にかけてまるで彫刻のように漆喰で装飾が施されていた。既にこの段階でまったく目には優しくないのだが、壁、玉座、シャンデリアなどに豪華な金色の装飾が施されており、キラキラでチカチカである。
『この前の晩餐室も豪華だとは思ったけど、実際は控え目な部屋だったのね。ここはびっくりするくらい派手だわ』
当然といえば当然である。歴代王の戴冠式が行われた由緒正しい場所であり、諸外国からの使節団が最初に王と謁見する場所なのだ。国の威信が掛かっていると言っても過言ではなく、貧相であればアヴァロンが諸外国から舐められかねない。
ソフィアは案内されるまま、ゆっくりと王と王妃が座している玉座へと歩を進めた。この時、ソフィアはレベッカの淑女教育のありがたみを強く感じていた。何しろ、この場にいる全員が自分の立ち居振る舞いに注目しているのだ。
『背筋を伸ばし、頭から爪先や指先まで意識する。身体を揺らさず優雅に歩を進め、呼吸は止めない。視線を泳がせることなく伏目がちにしつつも周囲を観察する……お母様、視線を動かさずに周囲を観察って難し過ぎだよ!』
レベッカに言われたことを繰り返しつつ、優美な微笑みを浮かべることを忘れない。一分程度の時間のはずだが、ソフィアにとっては永遠に感じられるほどの時間である。なんとか国王の前に辿り着き、もっとも深いカーテシーで国王への敬意を表す。
先にグランチェスター侯爵が挨拶を済ませ、同行者であるソフィア、リヒト、アメリアを紹介していく。どうやら王宮でもリヒトのことは『パラケルスス』と認識しているらしい。他者の名前を騙っていたことは多くの人が知っているはずなのだが、どうやら偽物でも功績を残したのはリヒトであることを理解しているようだ。
王の脇に立つ侍従がソフィアに向かって声を掛けた。
「陛下の御前での直答を許す。名乗るがよい」
三人を代表し、ソフィアが頭を下げたままの姿勢を保ったままで口上を述べる。
「我が国の太陽にあらせられる国王陛下にご挨拶申し上げます。ソフィア商会の会長を務めるソフィアにございます。お召しにより罷りこしました」
「大儀である。 面(おもて) をあげよ」
「ご容赦くださいませ。輝かしき御方の御威光が畏れ多く、とても面を上げることができません」
ソフィアは頭を下げたままで応答し、暫し王の発言を待った。これは平民が国王に謁見する際の儀礼的な遣り取りなのだ。決して金ぴかの玉座が眩しすぎるとかいう理由ではない。
「緊張する必要はない。其方は我が国の民であり、我が子も同然である。父に顔を見せてくれ」
ここでやっとソフィアはゆっくりと身体を起こすことができる。正直、ここまでずっと片足を引いて足を曲げ、深々と頭を下げた状態でいるのは全身の筋肉が悲鳴を上げるくらいキツイ。
『貴族のご令嬢って、実はインナーマッスル強いんじゃ?』
どうでも良いことを考えてしまうくらい、筋肉がプルプルしそうな姿勢であった。それなりに身体は鍛えているはずだが、普段あまり使わない筋肉であるらしい。ソフィアはこっそり身体強化の魔法でズルをしていたが、周囲に気付かれてはいないようだ。
「其方がソフィアか。噂は聞いている」
「お耳汚しではないことを祈るばかりでございます」
サラとして参加した晩餐会にはゴーレムのソフィアも参席していたため、王はソフィアと面識がある。しかし、非公式での面会であったため、今回が初めての謁見であるように振舞わなければならない。
「ふむ。其方の噂は語る者によって印象がまったく異なる。聖女もかくやと言わんばかりの良い噂もあれば、小麦を買い占めて暴利を貪る悪辣な商人という噂もある。故に直接会って話をしてみたいと思ったのだ。して、どちらが正しいのだろうか」
「返答に窮するご下問でございます。私自身は聖女や聖人のような振る舞いをしたこともなければ、悪辣と言われるほどの商売をしている自覚もございません」
「ソフィア商会は熱病対策の特効薬のレシピを公開し、予防対策の知識も率先して広めていると聞いておる。多くの物資を無償で供出していることは皆の知るところではないか」
「熱病は誰にとっても他人事ではなく、明日は我が身でございます。それを知りながら素知らぬ顔などできるでしょうか。なにより商人の視点では、熱病で儚くなる方が少なくなれば、将来の顧客が増えるかもしれないとも考えてしまいますので」
「わはは。商人として将来の利益を考えた行動であれば、確かに聖女とは言えぬな」
「御意にございます」
『っていうかこの国の商人って寄付が少なすぎなんじゃないかなぁ。儲けを社会に還元するって考え方しないのかなぁ』
「して、悪評の方はどうであろうな。其方がグランチェスター領の小麦を買い占めたことは紛うことなき事実だが」
「グランチェスター領が公示した価格よりも高値で、購入できるだけの小麦をすべて購入したことは事実でございます」
「不当な買い占めではないと?」
「陛下、その件については領主である私にも発言をお許しください」
グランチェスター侯爵が間に割って入った。
「許す」
「当領が小麦の価格を公示した際、購入を希望していたのはソフィア商会を含めて3つの商会しかおりませんでした」
「それは初耳だな」
「ソフィア商会がもっとも高値を付けていたため、本来であればすべての小麦をソフィア商会が購入する権利がございます。しかしながら、ソフィアは『購入を希望している他の商人にも売ってほしい』と申し出たのでございます」
「それは買い占めとは言わんな。ソフィア、他の商人に配慮した理由を説明せよ」
王は首を傾げた。ソフィア商会が損をしてまで、他の商会に配慮した理由がわからなかったのだ。
「購入を希望している商会には、既に小麦を売却する先が決まっている可能性があると愚考いたしました。例年、最初の公示価格で小麦がすべて売れてしまうことはなく、彼らは最初の値段で買えないなどとは想像すらしていなかったと存じます。グランチェスター領の値下げを待たずに購入するということは、期限の迫った取引があるのではないかと」
「だが、それは商人どもの自業自得であろう。必要ならば高値を付けるべきであろうし、失敗したのであればソフィア商会から購入するのが道理ではないか」
「もっともにございます。ですが、仲間同士で示し合わせて小麦を買い控え、グランチェスター領が小麦の値を下げるのを待っているような悪辣な商人どもに与していないというだけでも、好感の持てる商人だと思えたのでございます」
「なるほど、談合か。どの領地でも多少はあるものだが、どうやら見過ごせぬ規模になったようだな」
この問いには、グランチェスター侯爵が答えた。
「御意にございます。何年もこうした状況が続いており、領の財政にかなりの影響が出ておりました」
「だが、小麦の価格を吊り上げるため、グランチェスター領とソフィア商会が示し合わせた可能性も否定できぬな。もしや、正当な取引は行われていないのではないか?」
『まぁ、そう考えるよね』
「事前にソフィアに相談を持ち掛けたことを否定するつもりはございませんが、正当な価格での取引を依頼したまでにございます。新参のソフィア商会であれば、古参の商人たちを蹴散らしてくれるのではないかと」
「つまり、あくまでも正当な取引であり、ソフィア商会から購入代金は回収できているということだな?」
「御意にございます」
「ソフィア商会に金を渡しているということもなかろうな?」
グランチェスター侯爵は困ったような表情を浮かべた。
「正直申し上げますと、ソフィア商会にはかなりの金を支払っております」
「なんだと!」
王は身を乗り出し、周囲の貴族や官僚たちもざわりと声を上げた。そもそも入札とは、すべての入札者が平等であることが前提の仕組みである。キックバックなどの利益供与を前提に入札が行われたのだとすれば、ソフィア商会とグランチェスター領の双方の信頼が大きく失墜する事態である。
「なにしろソフィア商会の商品は魅力的な物が多く、狩猟大会の賞品を始め、みなさまにお楽しみいただいた酒類、土産物などをかなり購入いたしました。そういう意味では、なかなかの出費と言わざるを得ないでしょう。もっとも、狩猟大会の経費の大半はグランチェスター領ではなく、グランチェスター家が負担しております。お陰で私が所有しているヘスティア種の駿馬をかなり手離す羽目になりました」
グランチェスター侯爵はニヤリと微笑み、周囲からはどっと笑いが溢れた。
『祖父様やめてよ。びっくりしたじゃない』
表情には出さなかったが、ソフィアはグランチェスター侯爵のジョークに密かに肝を冷やしていた。
「ははは。確かにエルマブランデーやシュピールアは魅力的だな」
「陛下、女性たちはソフィア商会の化粧品にも注目しておりますわ。小侯爵夫妻の姿をご覧になったではありませんか」
王の横に座していた王妃も口を挟んだ。
「化粧品か。まぁ女商人らしいといえばらしいが」
王妃は嫣然と微笑んでそれ以上は言葉を重ねなかったが、視線は爛々とソフィアを貫いていた。よく見ると王妃の脇に控える王太子妃や王子妃、あるいは同席している貴族女性たちから注がれる視線からも熱量が感じられる。
『あ、これはイーグルアイだ』
ソフィアは事情を察した。想像していた以上に、小侯爵夫妻への施術が広告効果を発揮しているようだ。
「畏れながら陛下、発言をお許しください」
すると、列席する貴族の中でも上位に立つ男性が声を上げた。
「ラッセル公か。発言を許す」
「感謝申し上げます」
ラッセル公爵は、恰幅の良い白髪の老人である。実際には王よりも若いのだが、王のように自分を若く見せることに努力するタイプではない。もっとも、王が自分を若く見せようとするのは、周囲に衰えている印象を与えたくないという理由の方が大きい。
「ソフィアよ、私はラッセル公爵を拝命するジャスパー・ラディス・アヴァロンと申す」
「お初に 御目文字(おめもじ) いたします。ソフィアと申します」
ラッセル公爵は王の従弟であり、先代のラッセル公爵の娘婿となって公爵位を継いでいる。ラストネームが「アヴァロン」なのも、王室出身であることを示している。もちろん、レベッカの授業でも学習していたため、彼の名乗りを聞いた時からソフィアは血縁関係を把握している。
「ようやく其方の顔を見ることができた。噂通りの美貌だな」
「畏れ入ります」
「だが、その悪辣さは美貌を遥かに超えるようだ。グランチェスター領との取引が正当であったことは認めよう。だが、其方が小麦の価格を吊り上げているせいで、我が領の小麦価格は例年の3倍にまで跳ね上がっておる。少なくとも多くの領主が同じ思いをしておるはずだ。このままでは大勢の餓死者が出ることになる。民草の命よりも己の金の方が大事だと言わんばかりの所業は許し難い」
「なんとっ!」
ラッセル公爵の暴言を聞き、咄嗟にグランチェスター侯爵がソフィアとの間に割って入ろうとした。しかし、ソフィアはグランチェスター侯爵を制して首を横に振った。
「お言葉ではございますが、私どもは独自に調査した市場価格を基準に取引いたします。不当に価格を吊り上げるようなことは一切しておりません」
ソフィアは軽く背後を振り返り、ソフィアたちを謁見の間へと案内した王宮の使用人に視線を遣った。謁見にあたって、ソフィアは書類の入った箱を持参していた。その箱は背後に控えている王宮の使用人が抱えている。王宮にこうした荷物を持ち込むには不審物が入っていないことを確認するための検査が必要であり、中身が書類だけであることを確認した後も謁見が終わるまでは返却されることはない。
書類の入った箱を近くに寄せるよう指示すると、ソフィアは取引を記録した書類を取り出した。書類を近くの使用人に渡すと、彼は王の脇に控える侍従にその帳簿を手渡す。
『どうにもこういう遣り取りって無駄に感じるのよねぇ』
などとソフィアが考えている間に、書類は王の手に渡った。
「今お渡ししたのは、小麦の取引記録です。実際の帳簿も持参しておりますが、他の記録も含まれているため抜き出しております」
「ふむ。これがアカデミーの連中が騒いでおったグラフか」
『え、最初に着目するところがソレ?』
「確かに昨年の同じ時期に比べると、今年は驚く程に高い値で取引されておるな。其方が持参した書類を文官たちに確認させても良いか?」
「仰せのままに」
王は居並ぶ官僚たちに、ソフィアが持参した書類の内容を確認させた。官僚たちはそれぞれ文官を引き連れてきており、侃々諤々とした遣り取りが交わされた後、宰相と思われる人物が王に奏上した。
「もう少し精査したくございますが、昨年と一昨年の小麦価格については書類に記載されている通りで間違いないように見受けられます」
「ソフィアよ、暫しの間、この帳簿を預からせてもらっても構わないだろうか」
「御意にございます」
釈然としない気分にはなったが、王からの依頼はほぼ命令である。既に帳簿は写しを作成しており、日常業務にも支障はない。それに、おそらくマギがすべての内容を憶えているはずである。
「どうせそれも二重帳簿なのであろう。そもそも、其方が売り渋っておるが故、小麦市場は高騰し続けているのではないか」
ラッセル公爵は忌々し気にソフィアを睨み付けた。
「事実無根でございます。お声掛けいただければ、前向きに小麦の取引を検討いたします。事実、私どもと取引された商会は一つや二つではございません」
「それは、其方の意に背かない商会ばかりであろう。我が領地を拠点にしたアロウズ商会は、ソフィア商会から小麦を買えず、他領から買い付けた小麦の在庫を小出しにして売るしかないと陳情にきておる。アロウズ商会は、例年の2倍でも買う用意があると申し出たそうではないか。一体いくらまで吊り上げれば、其方の気は済むのだ」
ラッセル公爵は、その場の空気を震わせるほどの大声でソフィアを罵倒した。だが、ソフィアは、ラッセル公爵が名前を挙げた商会に心当たりがあった。
アロウズ商会は、食品の卸売りを中心とした中規模な商会である。ラッセル公爵が治める領地に代々本拠地を構える老舗であった。ラッセル公爵家との付き合いが深く、ラッセル領において穀物、塩、砂糖、スパイス、加工食品などの取引はほぼアロウズ商会の独占である。
ソフィア商会がアロウズ商会と小麦の取引しなかったのは、事実上アロウズ商会がシルト商会の手先になっているからだった。しかも、ラッセル公爵領は海に面した領地であるため、密輸入の巣窟にもなっている。
『情報はセドリックから得たものだし、証拠もあるにはあるけど……』
証拠を提示すれば、ソフィアが諜報活動をしていることを喧伝することになる。貴族家や商人たちが調査をするのは当然ではあるのが、平民が貴族に対して領地の秘密を暴き立てるのはあまり得策とは言えない。
「答えに窮するところを見るに心当たりがあるのだろう?」
ソフィアが返答に詰まっていると、ラッセル公爵はさらに高圧的な態度を取った。その様子を見て、情報を開示しないわけにはいかないことを悟ったソフィアは、そっと小さくため息をついた。