軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

シルヴィアという名の女性

パラケルススの妻が住んでいるのは、アリシアの実家の離れであった。

『大学のキャンパスみたい』

テオフラストスはグランチェスターでもっとも高名な錬金術師であり、邸の敷地もなかなかに大きい。さすがにグランチェスター城とは比べられないが、それでも更紗が日本で通った大学のキャンパスを連想するくらいには広い。

門の中も馬車の乗り入れが可能なので、今日はサラとアリシアは2人乗りのキャリッジに乗っている。これはアリシアが実家から乗ってきたキャリッジなので、 馭(ぎょ) しているのもアリシアだ。サラの護衛騎士たちも騎乗したまま傍に付いている。

「アリシアの実家は広いのね」

「先代のグランチェスター侯爵閣下からパラケルススが賜った敷地なの。最初はだだっ広い雑木林の中に、今シルヴィアが住んでいる建物がぽつんと建ってたらしいわ。まぁ60年以上前の話だから、建物がどんどん増えてこんな感じになっちゃったけど」

「敷地内に何人ぐらい住んでいるの?」

「私の曾祖父母と祖父は亡くなっているけど、シルヴィア、祖母、私の両親、叔父夫婦が4組、そして従兄弟たちがたっぷり。一族だけで25名、住み込みの弟子や使用人たちも含めると何人だかわからないわ」

「なかなかの大所帯ね」

アリシアはテオフラストスの一人娘であるが、テオフラストスには高名な錬金術師の弟が4人もおり、それぞれが実験室を兼ねた別の建物に住んでいた。皆結婚しているため、アリシアには大勢の親戚がいるらしい。

「それと、隣接した敷地に錬金術師ギルドと、ギルド所有の独身寮もあるの。だからこの周辺で石を投げたら高確率で錬金術師に当たるわ」

「それって、叔父様たちも錬金術師ってこと?」

「全員錬金術師よ。それに呪われてるとしか思えないくらい男だらけの従兄弟たちも、例外なく錬金術師か錬金術師の卵なの」

「ちょっと待って、アリシアの祖父母には5人の男子、そして孫世代はアリシア以外全員男子ってこと?」

「その通り」

「なるほど。テオフラストスさんが過保護になるわけだわ」

「正確には祖父、父、叔父、従兄弟が全員鬱陶しいわよ」

「でしょうね」

アリシアは事も無げに言っているが、男ばかりのパラケルススの一族に数世代振りに生まれた女子ということだ。おそらく親戚中が姫のように大切に思っていることだろう。

「以前は自分だけ女に生まれたのが呪いみたいだって思ったわ。私だけアカデミーに行けないし、一生”自称”錬金術師のままだもの」

「実力ではアカデミーの教授よりも上だと思うけどなぁ」

「それも高祖父の恩恵の賜物ではあるけど」

「確かにパラケルススさんは凄いとおもうけど、それを独自の視点で発展させるのはそんなに簡単なことじゃないと思うよ」

「ありがとう。それにね、乙女の塔で働くようになったら、そういうことどうでも良くなっちゃったんだよね。研究を好きなだけできるんだもの!」

誰かに認められる必要などない。間違いなくアリシアは錬金術師であった。

キャリッジは白い小さな建物の前で止まった。心得た護衛騎士の一人がサッと馬から降りて、アリシアがキャリッジから降りるのに手を貸した。だが、キャリッジのステップがかなり下の方に付いているため、サラのことはひょいっと抱え上げてから、すとんと静かに下ろした。

『こういうとこ騎士さんたちってスマートだよねぇ』

アリシアはキャリッジを曳いていた馬を解放し、建物の裏手にある馬房へと連れて行った。馬房の先には馬のための小さな放牧場まで備えてあった。サラは待っていて欲しいと言われたのだが、なんとなく気になったのでアリシアに付いてきていた。

「騎士さんたちも馬をこちらにどうぞ。馬房に繋いでも構いませんが、放牧場に入れても大丈夫ですよ」

よく見れば馬房には年老いた馬が2頭いるだけで、放牧場はがらんとしている。

「シルヴィアが住んでいるのは昔の母屋なんです。今は別の母屋が新しく建てられたので、ここはほとんど使っていないんです。でも、牧草はたっぷりあるので安心してください」

騎士たちはアリシアに礼を述べて放牧場に馬を放った。思いがけず自由になった馬たちは嬉しそうに走ったり草を食んだりしはじめた。

アリシアは扉の前に立つと、ノッカーに手を翳して少しだけ魔力を注ぐ。すると、ドアは勝手に開錠して音もなく開いた。

「サラ、中に入って。騎士さんたちもどうぞ」

「勝手に入っていいの?」

「扉が開いたなら、シルヴィアが招いてくれたってこと。彼女が玄関先まで自分で歩いてくることはほとんどないわ」

「なるほど」

サラはお年寄りなら仕方ないと納得した。

しばらく廊下を歩いて扉を開くと、そこは驚く程明るく広いコンサバトリーであった。沢山の植物が飾られており、部屋の中央にはラタン製の大きなソファとテーブルが置かれており、そこから少し離れた位置にも同じくラタンでできたカウチが配置されていた。

「ようこそ」

背後からゾクリとするほど魅力的な声が聞こえてきた。サラが振り向くと、そこには年齢不詳の美しきご婦人が立っていた。

『峰〇二子がいるっ!?』

「シルヴィア、久しぶり」

「アリシアも元気そうね」

ゆったりとした白いシャツにベージュのロングタイトスカートという普段着にもかかわらず、シルヴィアのけしからんボディラインは隠し切れない魅力を放っていた。緩いウェーブのかかった白い髪、ハスキーな声、どこをとっても極上の美女であることは間違いないだろう。確かにこの人に向かって「おばあちゃん」などとは、口が裂けても言えない。

「初めまして。サラ・グランチェスターです」

「お初にお目にかかります。パラケルススの妻、シルヴィアと申します」

「まだ私の身分は平民ですので、どうかあまり畏まらないでいただけますでしょうか?」

「ですが、ご領主様のお孫様でいらっしゃるのに…」

「それを言ったら、偉大なる錬金術師であるパラケルスス師の奥様ですよね?」

シルヴィアは困ったような顔をしてアリシアを見たが、アリシアが頷いたため、シルヴィアも緊張を解いた。

「わかったわ。ところで、私に会いに来た理由を伺ってもいいかしら?」

「私がパラケルススの実験室だった塔を受け継いだことはご存じでいらっしゃいますか?」

「もちろんよ。アリシアの勤め先ですもの」

「パラケルススの資料に、このようなものがありました」

サラは先日見つけたパラケルススの資料をそっと差し出した。

「この資料を見つける方がいらしたのね」

「もしかして、パラケルスス師が眠っていることをご存じだったのですか?」

「もちろん知ってるわ。どこに眠っているのかもね」

「なぜパラケルススは眠っているのですか?」

「待ち続けるのに疲れてしまったそうよ。彼は300年以上生きて、ひたすら同胞を探していたの。疲れ切った彼に少し休むことを提案したのは私だけど、まさか40年近く眠ったままになるとは思わなかったわ。せいぜい10年くらいで目を覚ますと思ったんだけどね」

『えーっと、時間のスケールがちょっとオカシイような…』

「シルヴィアさんは、それで良かったのですか? 旦那さんに置き去りにされたようなものだと思うのですが」

「あぁ、そういうことを心配してくれているのね」

シルヴィアは妖艶な微笑みを浮かべつつ、テーブルに置かれた果実をパクリと食べた。その仕草があまりにもセクシー過ぎて、背後に居た騎士たちがゴクリと唾を飲む音が聞こえてきたくらいだ。

「お嬢様のような小さい方にどう説明したらいいのか悩むのだけど、私はパラケルススの妻ではあるけど、本当の意味では妻ではないの。私はパラケルススと結婚するまで、王都の……お店で接客の仕事をしていたの。人気もあったし、そこそこお金も稼いでいたのよ」

『なるほど、8歳の女の子に説明するのは大変そうな話ね。無理もないか』

サラは護衛たちの方を振り返り、ここには女性しかいないので、部屋の外で不審者の侵入を警戒するように伝えた。騎士たちが心得たように部屋を後にすると、サラはコンサバトリー全体に防音の魔法を展開した。

「失礼な発言になっていないことを祈りますが、シルヴィアさんは花の姫君だったという理解であっていますか?」

「えっ!? ええ、その通り」

驚いた表情を浮かべるシルヴィアに、アリシアが苦笑しながら警告した。

「シルヴィア、サラお嬢様を見た目で判断するのは危険よ」

「ええ、今のやり取りで理解したわ」

シルヴィアはコクリと頷き、動揺を鎮めるためにポットからハーブティを注いだ。

「これはアメリアのハーブティよね」

「そうよ。この前アリシアが持ってきてくれたブレンドね。結構お気に入りなのよ」

「帰ったらアメリアに伝えておくわ」

アリシアと会話を交わして落ち着きを取り戻したシルヴィアは、改めてサラに向き直った。

「サラお嬢様のご指摘の通り、私は王都の娼館で働いていました。もう60年以上前の話になります」

「パラケルスス師はお客様だったの?」

「お客様ではなく、薬師として店に来てたんですよ」

「薬師?」

くすりと小さな笑いを浮かべたシルヴィアは、遠い眼差しをした。おそらく昔のことを思い出しているのだろう。

「そもそも彼の本当の名前がパラケルススではないことはご存じ?」

「ええ、知っています。本名はテオフラストスさんですよね? アリシアのお父様はその名前を継いだと伺っています」

「実はそれも本名ではないの」

「「えっ!?」」