作品タイトル不明
【23】人になりたいハルピュイアの葛藤
飛行用魔導具で飛翔したティアは、高度を上げすぎないよう気をつけながら、〈楔の塔〉に近づく。夜目の利くティアは、〈楔の塔〉付近を飛び回る魔物の影をすぐに複数見つけた。
その数を数える。こういう時は一匹ずつ数えるのではなく、十の塊の大きさを覚えて、その塊がいくつあるかを数えると良いのだ。セビルが教えてくれた。
(目玉鳥の群れかな? ううん、目玉鳥以外の飛べる魔物が交じってる。十の塊が三つ分……ここからは、降りた方が良いかも)
念の為に、跳躍用の短い羽だけ広げておく。ティアの飛行用魔導具は跳躍用と飛行用の二つに羽を切り替えられるのだが、ある程度の距離を飛翔するためには、跳躍用で高く飛び上がり、そこから飛行用の羽に切り替える必要がある。
なので普段は、跳躍用の羽を優先的に出しておくようにしていた。
そうでなくとも跳躍用の羽は、回避や移動補助にと使い勝手が良いのだ。
数の数え方、道具の上手な使い方──自分は前より賢くなったと思う。
ただ、魔物にとって、それが必ずしも良いことばかりではないことを、ティアは漠然と理解していた。
(まずは、カイが使ってた抜け道探し……)
ティアは〈楔の塔〉の北側に回り込んだ。
〈楔の塔〉の一番奥──地図で言うところの北側にあるのが、第三の塔〈水泡〉だ。その真下に、ティアが閉じ込められていた地下室がある。
セビルが言うには、この地下室は色んな場所に繋がっているらしい。第一の塔〈白煙〉、東の庭園にある小屋。だが、その二つは〈楔の塔〉の敷地内だ。カイが使った道ではないだろう。
(カイが〈楔の塔〉の外に出た手段……)
空を飛ぶ、水路を泳ぐ──そのどちらも違う気がした。
カイは魔術師ではないから、魔術を使えない。そこは嘘ではないと思う。
ただ、カイには魔女様がついている。
魔女様の力を、ティアには理解できない。ただ、人間で言うところの「土」属性の魔術に近い気がする。
カイが借りているのは、そういう力だ。だから、カイが逃走に使うのなら地面──あるいは地下ではないかと思ったのだ。
(地下に道を作って、穴を掘って、外に繋げる……出口は人目につかないところがいい)
おあつらえ向きなことに、〈楔の塔〉の北には小さな雑木林があった。
ティアはそこに近づき、耳を澄ませる。ハルピュイアの優れた聴力が微かな風の違和感を捉えた。
ティアはポケットから、ハルピュイアに戻るためのキャンディを取り出す。
上着と靴を脱ぎ、その状態で飛行用魔導具を装着し直したら、キャンディを口に含む。
少女の腕の皮膚が裂け、中から白い羽が飛び出した。人の足が大きな鉤爪に変わる。
ハルピュイアの姿に戻ったティアは、あえて飛び上がらず、細い声で歌った。風の下位精霊に協力を求める歌だ。
(ちょっとだけ、力を貸してね)
風の精霊は歌を好む。魔力の篭ったハルピュイアの歌声は、殊更上等な供物であるらしい。
姿の見えない力の弱い風の精霊達がはしゃぐようにティアの白髪を揺らし、そのまま雑木林をグルリと一周するように飛び回った。
やがてその風が一点に集う。小さなつむじ風が地面に落ちた木の葉をクルクルと踊らせた。その地面に盛り上がった痕跡がある。土を払うと木の板が見えた。この板が蓋というわけか。板をずらすと地下に繋がる階段があった。土を固めた階段は、おそらく魔術で作ったものだ。
ティアは土と板を元に戻し、楔の塔の方を見る。
ハルピュイアの聴力が、聞き覚えのある鳴き声を捉えたのだ。
『ルルゥ──ァア──』
それは、人や他の魔物には聞き取りづらい音域の、ハルピュイアが同族に呼びかける声だった。懐かしい声に泣きそうだ。
ティアは雑木林を出ると、追加のキャンディを一つ口に放り込む。そうしてハルピュイアの姿を維持したまま、声をあげた。
「ァーァアー」
月明かりの下、一匹のハルピュイアがティアの前に降り立つ。
オレンジと赤のグラデーションが美しい、燃え盛る炎のような羽。
白翼のハルピュイアは、姉の名を呼んだ。
「ララおねえちゃん!」
* * *
魔物達が〈楔の塔〉を制圧した夜が明けた時、ハルピュイアのカロンララと、吸血鬼のジルの前に冬の魔物ジャックが現れ、こう言った。
「僕を殺した人間のそばに、ハルピュイアがいたよ」
そのハルピュイアはティアと呼ばれていたらしい。
ティア、フォルルティア。数年前、行方不明になっていた、カロンララの妹だ。
まだ季節が秋だった頃、冬の魔物ジャックは吸血鬼のジルと雪猪数匹を伴い、〈水晶領域〉を離れている。
その際、人間と遭遇し、ジャックは消滅寸前まで追い詰められたのだという。
そのジャックを追い詰めた人間のそばに、フォルルティアがいた──きっとティアは、ジャックの獲物を横取りしようとしたのだろう、とカロンララは考えた。
魔物は基本的に他種族の魔物を助けない。ハルピュイアなら、獲物を横取りするチャンスと考えるのが自然だ。
だが、ジャックが口にしたのは、カロンララの想像とは真逆の事実だった。
「そのハルピュイアは、〈楔の塔〉の魔術師に味方する裏切り者だ」
カロンララは怒りを覚えた。
たとえ上位種のジャックだろうと、可愛い妹を侮辱するのは許せない。
「どうして、裏切り者だと言い切れる!」
魔物が魔物を襲うことは別に珍しくもなんともない。
獲物が被った時などに、よくある現象だ。ジャックとティアもそうだったのではないか、とカロンララは考えた。
だがジャックは、おっとりと微笑みながら言う。
「そのハルピュイアは、人の皮を被っていたんだ」
「ハルピュイアは人の皮を被れない。お前は嘘つきだ!」
「嘘じゃないよ。極彩色のハルピュイアの女王──今は髪も羽も真っ白になっていたけれど、魔物を殺すあの歌声は本物だった。どうして、人間の味方なんてしているのだろう?」
ジャックは人間との戦闘で全身が吹き飛んでしまったのだという。その際に幾らか頭の中身が吹き飛んでしまったらしい。
そうでなくとも、魔物は過去の出来事に対する興味が薄いのだ。同じハルピュイアならともかく、それ以外の魔物と交わした言葉なんて、カロンララはいちいち覚えていない。
「あー……俺も、ちょっと前に見たかも〜。白い髪のハルピュイア。そういえば、人の皮をかぶってたっけ。あと、変な道具背負って飛んでた」
吸血鬼のジルが無意味に前髪を弄りながら言う。この魔物は、それがオシャレでカッコイイ仕草だと思っているのだ。
カロンララは怒りに喉をシュウシュウと鳴らし、ジルを睨んだ。
「何故、黙っていた……!」
「だってぇ、 た(・) か(・) が(・) ハルピュイアのことなんて、いちいち覚えてられないって。血が美味しくて可愛い人間ちゃんなら、覚えてたかもしれないけど〜」
非常に腹立たしい話だが、冬の魔物ジャックと吸血鬼のジルにとって、ハルピュイアとはとるに足らない存在だ。その辺りを飛んでいる小鳥に等しい。
そんな小鳥のことを、彼らがいつまでも覚えておくはずもない。
カロンララが歯軋りしていると、背後で足音がした。いかにも人間らしい足音──宰相だ。
「どうやら、人間側に寝返ったハルピュイアがいるようですね」
「ねぇ、宰相。お前が送り込んだんじゃないのぉ?」
ジルの言葉に、宰相は「いいえ」と言って首を横に振る。
「わたくしめが送り込んだのは人狼です。その人狼──フィンが言うには、ティアは人間達と随分親交を深めていたとか」
カロンララの全身から血の気が引いた。嫌な予感に胸が軋む。
それでもカロンララは可愛い妹を信じていた。
「吸血鬼。お前はティアが、変な道具を背負って飛んでいたと言っていたな」
「そうそう、あれって人間の魔導具? ってやつじゃない?」
「なら、ティアは空を飛べなくなったのかもしれない。そこで、人間に近づいて、空を飛ぶ手段を手に入れようと……」
「なるほど」
宰相が、肯定的な相槌にも似た声音でカロンララの言葉を遮り、言った。
「訳あって飛べなくなったハルピュイアは、ハルピュイアとして生きることを諦め、人として生きることにしたのでしょう」
宰相の言葉にカロンララは困惑した。
こいつは、何を言っているのだ。
(ハルピュイアが、人として生きる?)
ドクドクと心臓が高鳴った。
だって、それは、そんなことができたら……愛しい恋人の顔が、カロンララの脳裏をよぎる。
盲目のピアニスト、カミル・ヒンケル。彼と人間として共に生きていけたら。羽のない腕で抱きしめることができたら。何度、そう願ったか分からない。
だが、不可能だ。ハルピュイアは人になれない。
「そんなこと、できるわけ……」
「境界の魔女様なら、できるのではありませんか?」
カロンララの否定の言葉を、宰相が穏やかに覆す。
境界の魔女。それは一部の魔物達の間で知られる、伝説のような存在だ。
〈水晶領域〉と人の領域の境界に住むというその魔女は、人と魔物の双方に恐れられながら、ひっそりと暮らしている。
その境界の魔女と魔物の王が取引をした。魔物の王は自身の色を差し出し、それを代償に、境界の魔女は水晶鋲を作り出した。
その取引の仲介をしたのが宰相だと、カロンララは聞いている。
(吸血鬼達の話だと、ティアは髪と羽が白くなっていた……極彩色を代償にしたのなら、辻褄が合う)
カロンララは探るように宰相を見た。フードの隙間から見える口元は、いつもと変わらぬ薄ら笑いを浮かべている。
「宰相、お前は境界の魔女を知っているんだろう? 境界の魔女にティアのことを聞くことはできないのか?」
「わたくしめは、あくまで境界の魔女様にお伺いを立てるだけの存在ですので。何より、境界の魔女様がその御心を口にすることは、滅多にありません」
役立たずめ。とカロンララが悪態をつくより早く、宰相が付け足す。
「ただ、わたくしめが思いますに……白翼のハルピュイアは、魔物の敵になることを承知の上で、人として生きると決めたのではないでしょうか」
「ティアが、わたし達を裏切ったと言うのか!?」
カロンララは飛び上がり、その大きな鉤爪で宰相の肩を地面に押し付けた。
仰向けに倒れた宰相のフードが外れ、金髪が地面に広がる。
包帯に覆われた男の顔は薄ら笑いを浮かべたまま、カロンララを見上げた。
「たとえば……そう、白翼のハルピュイアは人間に恋してしまい、人間になりたいなどと愚かなことを考えた……とか」
心の中を見透かされた気がして、気がつけばカロンララは叫んでいた。
「黙れっ、黙れぇぇぇっ!!」
ハルピュイアは魔物なのだ。人間にはなれない。
何よりハルピュイアは人間達の襲撃のせいで、もはや絶滅寸前。
おそらく生き残りは、カロンララとフォルルティアだけだ。二匹は速やかに卵を産んで、種族を残さねばならない。
……裏切りなんて、許されないのだ。
カロンララは炎のように鮮やかな羽を広げ、宣言した。
「わたしが、直接フォルルティアに会って確かめる。他の誰も、わたしの妹に手を出すな」