軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

§180 報告 3/3 (sun)

「おはよう、彩月さん」

JDAのダンジョン管理部のある廊下で、美晴は、同期の 彩月(あやつき) 美玖(みく) に会って挨拶をした。

彼女は商務課の、いわゆる受付嬢だ。

「あら、美晴じゃない。日曜日にどうしたの?」

「彩月さんも出てきてるじゃないですか」

「外国語が出来る人間は総動員されてる感じだもんね。美晴も手伝いに?」

「その前に、ちょっと課長に。出勤されてますよね?」

「あそこで、ぐだぐだになってるわよ」

そう言って、彼女が指さした先には、申請書類の山が作られた島の机で、坂井と並んで、何やら仕事をしている斎賀がいた。

「あーあ、ひな祭りだってのになぁ……」

「課長、独身じゃないですか。なんでひな祭りが関係あるんです? 銀座の娘じゃないでしょうね」

「馬鹿言え、俺の給料でそんなところへ行けるわけないだろ。銀座のクラブで本格的に遊ぶなら、大体年収3000万くらいは必要だって言われてるぞ」

「うへぇ……みんなどうやって遊んでるんでしょうね?」

「ほとんどの連中は、会社の金だろ。働いている連中だって、会社の名刺を欲しがるからな」

「まあ、そういう場所なんでしょうね」

「まあ、そういう場所なんだよ」

くだらないことを話しているようだが、手は凄いスピードで動いていた。

「しかし、なんで、管理職の俺が、申請書類に埋もれてなきゃならないんだ? しかも日曜日だぞ、今日は」

「人手が足らないからに決まってますよ」

「そういう組織って、末期じゃないか?」

「確かに太陽は、マッキッキですよ!」

昨日からずっと処理を続けている坂井が、やけくそのようにそう言うと、斎賀はすまなそうにそれをねぎらった。

「……お疲れ」

それを廊下から見ていた彩月が、美晴に向かって言った。

「ダンジョン管理課って、仲がいいよね」

「まあ、課長があれですからね。商務課も悪くないでしょう?」

「受付嬢の縄張り争いはあるかな」

「そりゃまたなんとも……」

笑いながらそう言って彩月と別れた美晴は、部屋に入ると斎賀の方へと向かって行った。

「何だ、鳴瀬、昨日ちゃっかりエスケープしたんじゃなかったのか?」

「課長、その件でちょっとお話が……」

にっこりと笑う美晴の笑顔を見た斎賀は、厄介ごとの香りをかぎ取って肩を落とした。

「なんだか、申請書類に埋もれてた方が、ましな気がしてきたぞ」

それを見た坂井が、面白そうに逆襲した。

「ご愁傷様です」

斎賀は、まーた、厄介ごとかよと言った雰囲気で、ため息を吐いて立ち上がると、課長室へと美晴を連れて移動した。

「はい、課長。差し入れです」

そう言って、美晴は駅前のスタバで買ってきた、キャラメルスチーマーを取り出した。

「ホワイトモカを追加してありますよ」

「おまっ……なんで知っている」

「以前注文してらっしゃったを見ました」

「これだから観察力のあるやつは……」

斎賀は、見た目はゴツくて左党っぽいが、知る人ぞ知る隠れ甘党だ。

ドトールはココア。スタバはホワイトモカキャラメルスチーマーなのだ。課員がいるときはコーヒーなのが美晴には少し可笑しかった。

美晴は笑いながらそれを斎賀に渡すと、自分はラテを取り出した。

「それで?」

斎賀はそれを一口飲んでから聞いた。

「ほんとうは外に出たかったんですが……この部屋、今、綺麗でしょうか?」

「綺麗って、あれか?」

そう言って斎賀は自分の耳を指さした。

美晴はこくりと頷いた。

「一応、週末にチェックはしたが……」

それを聞いた美晴は、少し斎賀に近づくと、声のトーンを落として言った。

「セーフエリアの開発とも密接にかかわる大問題なんです」

「勘弁してくれ……」

「まずはこれを」

そう言って美晴が取り出したのは、帰還石だった。

見た目はただの平たい石ころだ。

「その石ころが何だっていうんだ?」

「ただの石ころに見えますけど、実はこれ、ダンジョンアイテムなんです」

「それが? どんな?」

「ダンジョン内でその石を使うと、どこにいても1層に戻れるんです」

「は?」

斎賀は自分の耳を疑った。

「鳴瀬。エイプリルフールは、もう少し先だぞ」

「実は、昨日、体験してきました」

「体験って……」

「昨夜泊まったのは、21層にあるDPハウスなんです」

そう言って、彼女は見事なダンジョンせとか取り出して石の横に並べ、彼女がスマホで撮影した、21層の様子を表示して見せた。

その写真には、三好と美晴が、オレンジの森を背景に写っていた。

「21層って、鳴瀬が呼び出されたのは昨日の昼過ぎだろ?」

「そうです。初めは1層で転移を経験した後、21層へ転移してそこで一晩を過ごし、朝方1層へ転移して、着替えてからここへ来たんです」

そのあまりの内容に、斎賀は懐疑的な反応を示した。

「すまん。何かの冗談か?」

「だったら平和だったんですが」

「つまり、嘘でも冗談でも、何かの陰謀でもなく、単なる事実ってことか?」

美晴はだまってこくりと首を縦に振った。

「うそだろう……」

ダンジョンは確かにファンタジー世界からやってきたような存在だし、信じがたいが魔法だって存在している。

しかし、よりにもよって『転移』だと? それだけで、地球の常識が3回くらいはひっくり返る。

美晴の言っていることが信じるとしたら――斎賀は、彼女に、体は大丈夫なのかと尋ねようとして思いとどまった。ここで聞いても意味はないからだ。

「課長?」

「うちの指定病院に連絡しておくから、この後すぐに、人間ドックに入ってこい」

「え?」

「もしもお前が言っていることが本当なら、そいつは『転移』の――言ってみれば、人体実験だぞ? 体に影響があるかどうか調べるのは当たり前だろう」

美晴は、さすがは課長、気配り上手、なんて、他人事のように考えながら、三好たちが、それをないがしろにしているとは思えなかった。

実際、芳村たちは、初めての人体実験を自分自身でやったあと、社員旅行から戻って来た常磐ラボに押し掛けて、件のポットで検査をしていたのだ。

それで異常がないことを確認してから美晴に連絡していた。

「ありがとうございます。後で行ってきます」

「で、まさかとは思うが、連中、これを公開する気なのか?」

「課長の危惧はよくわかります。それで、一応、三好さんたちと一緒に、プランを検討してみました」

美晴は、数枚の書類を取り出した。

「鳴瀬・紙シリーズってやつだな」

「せめて、Dパワーズ・紙シリーズと呼んでくださいよ」

斎賀は苦笑しながらそれを受け取って、目を通し始めた。

◇◇◇◇◇◇◇◇

「確かに、こいつが普及すれば、ダンジョン内での死亡事故は減るだろう」

斎賀は、読み終えた書類から顔を上げて言った。

「もしかしたら、限りなくゼロに近づくかもな」

ダンジョン内の事故は、代々木だけでも年間1000件に上っている。その中には、当然、死亡事故も含まれていた。

初年度の馬鹿みたいな死亡者数と比べれば、相当減っているとは言え、それでも例年、数十人は犠牲になっていた。

事故死と言う意味では、日本の交通事故の死亡者数は、年間3000~5000人程度だ。東京都だけでも100~150人程度が死んでいる。

それに比べればずっと少ないのだが、なにしろダンジョンの中と言う特殊な領域での死亡は、交通事故に比べればセンセーショナルだ。

そのため、初めは殊更大きく報道されていた。

「だが、今の段階でいきなりこいつを受け入れるのは、無理だな」

斎賀は透明な壁越しに、申請書類を処理し続けている課員たちを指し示した。

「あれ、あとどのくらい続きそうなんです?」

「各区画とも、当選可能な競合組織をリストアップするところまでは自動でやってくれてるからな。後はその企業の調査と当選組織の決定だけだ」

それでも相当な数になっていることは、外の様子を見れば明らかだった。

継続的な需要が見込めない以上、この部分を自動化することは難しい。もしかしたら信用調査会社には、それを行うAIがあるのかもしれないが、ここでは、人の手でチェックするのが一番早い解決方法だった。

「今週中くらいには何とかなる……と思うんだけどなぁ」

「なんです?」

「横やりってのはどこにでもあるもんだろ?」

「大口の開発協賛企業案件ってやつですか?」

斎賀は否定も肯定もせずに、肩をすくめただけだった。

美晴は、斎賀ならそういう雑音は無視して、ルール通りに淡々と進めるだろうと予想していたため、少し意外だったが、他人の職務に口を出すのは悪手でしかない。それぞれ、何かしらの理由があるはずだからだ。

「それに、突然提供を開始するのも難しいな」

安易に発表したりすれば、昔の大人気ゲームの発売日どころではない混乱が発生するに違いない。

下手をすれば、奪い合いだ。カツアゲ事件が起こったところでおかしくはなかった。

もっとも、このレポートにある銀行システムが立ち上がるなら、オンラインで売買して、代々木の受付で入ダン時に受け渡しをするだけなのだが、なにしろ、安全な使用のためには、レクチャーや訓練が必要になりそうなアイテムだ。教育の手間もかかるだろう。

最低でも、詳しい利用マニュアルは必要だ。

「最初は、転移石18と転移石31の販売システムを利用して、『行き・帰り』のセットを販売するのが無難だろうな」

それならいきなり大衆の需要とぶつかることは回避できる。そうして、徐々にその存在を浸透させるわけだ。

「死亡者をできるだけ早く減らしたいのはわかるが、急ぎ過ぎれば逆に事故を増やしかねん。販売側にも習熟が必要だしな」

斎賀は、鳴瀬・紙シリーズの書類を鍵のかかる引き出しに突っ込んだ。

「後は、数量と価格だな。レポートにはなかったが、連中は、これをいくらで売るつもりなんだ?」

「決めていないようでしたが、帰還石はなるべく安く、その分、転移石を高額にしてもらうようにお願いしました」

「――死亡事故防止政策か」

「まあ」

斎賀は、美晴の顔を見て、こいつもいっぱしの職員になって来たなと思った。

「しかし、安く、高くと言ったところで、相場はどうやって決めるんだ?」

「行きは、そこまで行くのに必要なコストの半分程度を考えていらっしゃるようでしたが――」

「そいつはダメだ」

「え?」

「電車だって、特急には特急料金がかかるだろうが。必要なコストの倍くらいでちょうどいい」

「倍、ですか?」

「そうしなけりゃ、護衛を依頼されるはずの探索者の活動にも影響が出るだろ」

新しい何かを導入するときは、既存の経済や社会に、できるだけ急激な変化や影響を与えないように導入するのは当たり前だ。

それを破壊する意図でもない限り。

「それに、時間的な経過も、身体的な負担も、ほぼゼロなんだろ?」

「そんな感じでした」

「なら、倍どころか、5倍や10倍でもおかしくないな」

「ええ?」

「航空機のファーストクラスは、そんな感じの価格設定だろ。あっちはかかる時間は一緒なのに、だぞ」

確かに斎賀が言っていることは間違っていない。

迅速に普及させることが目的なら、安くすることもあるだろうが、現代社会になじませながら導入するためには、価格を上げるほかはないだろう。

例え、守銭奴とののしられようと。

「しかし、これを発表するのが単なる一企業だったりしたら、何の詐欺なのかと訝しまれるだけだろうな」

斎賀は、苦笑いしながらそう言った。

「そういえば、つい最近そんなことをやったパーティがありましたね」

「そういやそうだったな」

どこかのパーティが、スキルオーブのオークションを、3日もかけて行ったっけ。

あれからずいぶん時間が経った気がしたが、実際に経過した時間は、わずか数か月にすぎない。

その間に、ダンジョンを巡る世の中は、激変していた。

「それで、この、代々木を離れるとゴミになるっていうのは、可能なのか?」

もしもこれが不可能なら、ダンジョンの外の社会に与える影響力が大きすぎて、一般への公開は無理だろう。

「今日にでも確認してみるそうです」

「確認、ね」

それはつまり、Dパワーズの連中がこれの調整を行ったり生産を行ったりしているという事だ。

あの連中、神にでもなるつもりなのか。

「それで、このことを知っているのは?」

「今のところは、あのお二人と私たちだけです」

このアイテムには、インパクトがありすぎる。

準備ができるまでは、極秘プロジェクトにする必要があるだろう。JDA内と言えども、他部署に知られれば厄介なことになることは間違いがなかった。

たかがセーフエリアの区割りと入札ですらこのありさまなのだ。

まだ入荷数すら確定していない奇跡を盾に、変な約束でもされたりしたら、区割り以上に大事になりかねなかった。

さっきまではただの石ころだったものが、不気味な輝きを放っているような気がした。

黙りこんで、帰還石を見つめる斎賀を見ながら、美晴はもう一つの案件を伝える方法を考えていた。

さまよえる館に、タイラー博士に会いに行く件だ。

美晴は、31層事件の時、斎賀に提出したレポートにタイラー博士のことを含めていなかった。当時は混乱するだけだったからだ。

そして、碑文の最終ページは翻訳していないことになっているから、彼が書斎で待っていることも斎賀には伝わっていないのだ。

さすがにこの状況で、質問の準備の件を彼に伝えるのは難しかった。

美晴は非常に困っていた。

この話は斎賀までで止めておいてくれと言われたからには、彼には話していいという事だろうが……

「どうした?」

難しい顔をして、考え込んでいた美晴に気がつた、斎賀が不思議に思って声をかけた。

自分が悩むのならわかるが、レポートを持ってきた彼女がそれほど悩むのはおかしな話だったからだ。

「あ、えーっと……」

「おいおい、まだ何かあるのか?」

そう問われた美晴は、面倒は上司に押し付けるという最高のテクを思い出した。この場合の上司は、斎賀ではなくて芳村なのだが。

そうして、心の中で、『芳村さん、後はよろしく!』と、ポーズ付きで叫んでいた。

「課長――」

「な、なんだよ……」

美晴は、ものすごく小さな声で、斎賀の耳元まで寄ってから囁いた。

「――国家の機密を聞く気、あります?」

「はぁ?」

国家の機密だ?

「まずだな。なんで鳴瀬がそんな話を知ってるんだ?」

「なんというか、あそこにいると、いろいろなものを目にすることになるんですよ」

確かにアメリカやロシアのトップエクスプローラーが足しげく通い、裏のマンションは世界中の諜報機関の巣になっていて、にもかかわらず誰も侵入に成功したことがない場所だ。

寺沢から聞いた話じゃ、内調あたりに、世界中の諜報員が次々と届けられ、本国に送り返されているらしい。

一説によると、WDAによる独立国家の設立のための事務局なんて、冗談とも本気ともつかない内容が、まことしやかに囁かれ始めているとも聞いた。

「はぁ……なんということだ。いつの間にか、部下もVIPの一人になっていたのか」

「いえ、そんな大層なものじゃありませんけどね」

「そいつを知らないと、その先の話ができないって訳か?」

「ご慧眼、痛み入ります」

「で、なんだ? それを知ると、命の危険でもあるのか?」

斎賀は冗談めかして言ったが、美晴は至極真面目な顔で、微かに頷いた。

「……冗談だろ?」

斎賀は椅子に掛かっていたジャケットをつかむと、それを羽織って、「行くぞ」と言った。

「どこへです?」

「どこでもいいよ。この話は歩きながらの方がいいだろ」

「ああ」

ここが盗聴されている可能性はゼロではない。

これまでの話は、センセーショナルだとは言え、いずれは公開される話だが、これからする話は、墓の下にまで持って行かなければならないかもしれない話なのだ。

確かにその方が都合が良かった。

「どうせすぐにお昼だろ。昼飯でも食いに行くってことで」

「上司におごってもらうなんて久しぶりです!」

「お前、今年は俺の何十倍稼いでると思ってるんだよ……税理士も紹介してやっただろ?」

「それはそれ、これはこれですよ、課長」

部屋を出ていく斎賀と美晴を、課の連中が生暖かい視線で見送ったことも、「話がすんだら医者に行けよという」言葉を、耳ざとく聞いていた連中がいたことも、彼らはまったく気づいていなかった。