作品タイトル不明
58 番外編12 はじめての学院3
授業中の生徒たちの邪魔をしないよう、シリウスは教室を避けて、学院ならではの施設をサフィニアに紹介しならがら敷地内を回って行く。
王城にも引けを取らない広さの舞踏場や、学院卒の音楽家たちによって増設された音楽堂、元宮廷料理人が料理長を務める学食など、名物と言える施設をあれこれ見て行ったが、やはりサフィニアが食いついたのは礼拝堂だった。
「素晴らしい礼拝堂ですね!」
予想通り過ぎて、もはや呆れることもなく自然に受け入れてしまった。なんなら立ち止まった彼女の足元に群がりはじめたうさぎたちの方が気になる。ジェノベーゼ用のにんじんでも隠し持っているのだろうか。ふんふん匂いを嗅がれている。
礼拝堂しか見ていないサフィニアはまるで気にしていないようだが、とうとうスカートの裾がうさぎたちによってかじられはじめたので、シリウスは慌てて中へと誘った。女生徒のスカートが短いのは、なんでもかじるこのうさぎたちのせいかもしれない。
うさぎを撒いて入った礼拝堂内は、人気もなく、明かりも窓から差し込む陽光のみで、余計にがらんとした雰囲気に見えた。授業中なことを思えばそれが普通なのだが、まるで貸切状態だ。
「このチャーチチェア、素敵ですね。背面の透かし彫りの意匠が星だけなのはめずらしいです。子供の通う学院ならではでしょうか? もしかすると星の子の数だけあるのかもしれませんね」
まったく違いのわからないシリウスは、とりあえず適当にうなずいておいた。貴族の子女が通う学院の備品なので値段的にも安いものではないだろうが、どうせなら意匠ではなく、座り心地にこだわってほしいと思わなくもない。なぜ座面が平らなのだろうか。修行の意味もかねているのか。
にわか信者のシリウスからすれば教会も礼拝堂も聖堂も、大聖堂でさえも、建物の大きさが違うだけで内装は同じように見えるが、サフィニアの目を通すとまったく違うらしく、あれこれ指摘する弾んだ声に、相槌だけ打って聞き流した。きちんと耳を傾けたところで理解できないので仕方ない。燭台の違いなど、はっきり言ってどうでもいい。蝋燭が垂れなければ十分だろうに。
「ここでは神学も学ぶのですか?」
「さすがにそこまではないが、聖典の内容ならば少しは学ぶ」
本当に上辺だけだが。
よほど熱心な信者の教員でもいたら別だが、いたとしても、サフィニアに比べるまでもない。聖典の内容がすべて頭に入っている人間に敵う者などそうそういない。
「それではここは、敬虔な生徒のための祈りの場所なのですね」
「そうなるな。今は不在のようだが神父もいるし、毎週ミサを行ったりもしているらしい。ごくたまに、結婚式を挙げることもある」
学院の卒業生や教員など、ふたりが出会った思い出の場所で式を挙げたいという物好きは一定数いるので、それなりの需要はあるらしい。
「結婚式……? 学校で……?」
困惑するサフィニアの気持ちもよくわかる。神聖な学舎をなんだと思っているのかと、在学当時のシリウスも呆れていた。
これが世に言う、若気の至りというやつなのだろう。後から恥ずかしくなって身悶えると噂の。もし別れでもしたら、二度と学院の門は潜れないに違いない。
「サフィニア。祈るのなら、時間内に頼む」
そわそわするサフィニアに苦笑しながら、制限つきで許可を出した。
放っておくと一日中でも祈っているサフィニアだ。一応アナの絵画教室が終わるまでに収めてもらわなくてはならない。
さすがにその点は理解していたサフィニアが簡易的な祈りを捧げて礼拝堂を後にしたが、すでに結構時間が過ぎていた。
アナとジョシュア王子は大丈夫だろうか。心配になってまっすぐ美術室へと戻ると、予想に反して子供たちは飽きることなくイザークの話を聞いてしっかりと学んでいた。
あれほど幼い子供たちが、たんぽぽの綿毛ですら追いかけずにはいられない子供たちが、おとなしく座り続けている。それだけで奇跡だ。イザークの手腕は驚嘆を超えて賞賛に値する。
よほどこの仕事が向いているのだろう。彼自身、王族をしているときよりも、ずっと表情が自然だ。相手がアナとジョシュア王子だからかもしれないが、教えることを楽しんでいるようにも見えた。
シリウスは子供たちの成長を素直に喜びつつも、自分では成し得ないことを簡単にこなすイザークを見つめて、少しだけ感傷に浸る。
なぜシリウスの言うことは全然聞いてくれないのだろうか。やはり威厳の問題なのだろうか。もはや父親としてより、大人としての自信を失いかけている。
色の勉強は終わり、今はぬいぐるみをモデルにデッサンの勉強中なのか、アナとジョシュア王子は自分のお気に入りのぬいぐるみを、それぞれ机の上へと置いている。
ジョシュア王子のレオポンと、アナのジェノベーゼだ。
さっきまであれだけ色塗りに興じていたはずのふたりが、あっさりと筆を手放して、自分のお気に入りのぬいぐるみを上手に描きたい一心で木炭を手に取っている。
イザークのアドバイスを無視することなく、きちんと耳を傾けてこりこり描いているアナの様子を感心しながら眺めていると、ふと、モデルをしているジェノベーゼが妙にぐらぐらしていることに気がついた。
(……?)
少し窓が開いているので、風で煽られているのかと思ったが、隣のレオポンは微動だにしていない。鬣が少し風にそよいでいるくらいで、むしろ王族のぬいぐるみらしい威風堂々とした佇まいだ。
(どうした、ジェノベーゼ?)
平らな机の上で、特にバランスが悪い場所に立っているわけでもない。それなのに、なぜなのか。
ジェノベーゼはぐらぐらしながらも、必死でしゃんと胸を張る。しかしそのせいで足元が疎かになり、余計にふらつくという悪循環が起きていた。
(もしかして……)
レオポンを見る。泰然としている。
ジェノベーゼを見る。ぐらぐらしている。
(まさか、レオポンに張り合って失敗しているのでは……?)
堂々たる様の隣のレオポンを意識し過ぎて思ったようにならずに焦り、さらにふらつくジェノベーゼの姿に言葉を失う。
モデルではあるが、レオポンのような王者の風格をにじませた態度で構えていなくても、いつものようになんとなくその場に立っていれば問題なかったはずなのに、なぜ張り切った。
肉食動物に草食動物が張り合っても敵うはずがない。それがぬいぐるみとて、同じことだ。
幸いまだ誰も気づいていないからいいが、そのうちこてんと転がりそうだ。心臓に悪い。
ハラハラしていると、ジェノベーゼの異変にアナが気づいた。
ことりと首を傾げて、ジェノベーゼの背中をつつく。
(今つついたら……)
シリウスが予期した通り、ジェノベーゼがこてんと転がった。その目には焦りがあるが、アナがつついたことで倒れたのだと思ったらしいイザークが、特に疑問に思うことなく元のように立たせたことで難を乗り切った。
シリウスはサフィニアや執事長、近衛たちの様子を窺うが、ジェノベーゼの異変に気づいた様子はない。案外ぬいぐるみは倒れやすいものなのかもしれない。
しかしそうなると、アナが投げたり飛ばしたりした際にきちんと四本脚で着地することがむしろおかしいことのように思えてくるが、考え出したらキリがないのでそれ以上の思考は放棄した。
レオポンの真似は無理だと悟ったらしいジェノベーゼは、諦めていつものようにちょこんと立ち、アナは一生懸命その姿を紙へと写す。
そんな娘たちの姿を、シリウスはただ黙々と静観し続けた。
絵画教室の初回を無事終えて、顔や手を絵の具や木炭で汚したアナとジョシュア王子が、同じくやや汚れたぬいぐるみたちと一緒に、今日の成果を携えて駆けてきた。
「あなのえー!」
じゃじゃーん、という謎の効果音とともに掲げたのは、いつもの力を込めてぐねぐねした線で描くジェノベーゼとは違い、線がなめらかなジェノベーゼだった。目が翠色でないのに、きちんとジェノベーゼとわかる。
心なしか美化されている気もするので、ジェノベーゼが無理した甲斐はあったということか。
親の贔屓目抜きに、普通にうまい。これまでは五歳児くらいの絵だったが、今は七歳児くらいの絵に見える。たった一日で凄まじい成果だ。
ジョシュア王子はやはり両親に一番に見せたいのか、描いた絵を見せてはくれなかったが、ちらりと覗いた感じでは、アナと同程度の成長を遂げているように思えた。
「楽しかったか?」
「「うんー!」」
ふたり分の弾んだ声が揃う。
楽しかったなら、それが一番だ。
習い事は楽しまなければ続かない。楽しいだけではいられないことを知る時期はまだまだ先のことだ。
「ふたりとも、先生にお礼の挨拶をしようね?」
サフィニアが促すと、ふたりは教室から出てきたイザークに向かって大きな声で挨拶をした。
「「せんせー、ありがとうー!」」
「ありがとうございます、だろう?」
口を挟んだがすでにふたりとも聞いていない。サフィニアの言うことはちゃんと聞くのに、悲しいくらいにシリウスの言葉は聞き流される。
敬語が使えなくてもイザークは気にした様子もなく、子供たちへとかすかに微笑んでから、今後の予定表をこちらへと差し出してきた。
月に二日ほどの予定だが、あまり回数が多いと互いに都合を合わせるのが大変なので、このくらいがちょうどいい落としどころだろう。
一応学院内の案内も終えているので、次からは子供の扱いがうまいサフィニアに一任する予定だ。子供ふたりの世話は、やはりシリウスには荷が重かった。まず言うことを聞いてくれないという問題が解決しない限り、どうにもならない。
イザークが子供たちへと目線を下げた。
「ふたりとも素直で意欲もあるから教え甲斐があって、こちらとしても学びが多かった。有意義な時間をありがとう」
その言葉尻から、思春期の学生はやはり扱いが難しいということが伝わってきた。同じ子供と言えど、大人に近い子供相手ではまた勝手も違うだろう。
なんとなく褒められたことは伝わったらしく、アナもジョシュア王子も上機嫌だ。
「あな、おえかきすきー!」
「じょしゅもすきっ!」
イザークはふたりに向けて、作りものではない自然な微笑みを浮かべた。人目があるので自重しているが、嬉しそうだ。
「好きというその気持ちがなによりも大切なことだから、それだけは、忘れないように」
好きこそものの上手なれと言うが、きっとその通りなのだろう。
「あなねー、せんせーのえ、すきー」
アナはそう言って、イザークの手を握って笑った。
「だいすきー」
アナの屈託のない笑みと素直なその言葉に、イザークが息を呑んで目を見張る。
それでも、彼はあくまで一線を引いて、ありがとう、と丁寧に応えたが、その声はかすかに震えているように感じられた。
アナはするりと手を離すと、こちらへと一目散にとことこ駆けてきて、シリウスの足に顔を押しつけるようにぎゅっとしがみついた。
「パパ、だっこなのー」
「アナは大人じゃなかったのか?」
「あな、こどもー。こどもだったー」
今日はたくさん勉強して、見た目は元気そうだがちょっと疲れたのだろう。
抱き上げると、めずらしくあまえるように顔をすり寄せて来た。
なにも言うことを聞かず、あっちへこっちへ勝手に走って行ってしまう娘だが、こうして最後にはシリウスの元へと帰って来る。
威厳はないし、血の繋がりもなくても、アナが父親と認めて安心できる居場所はここなのだ。
そう思うと、失いかけていた自信も戻って来る。
娘の背中をとんとんとしながら、シリウスは改めて心穏やかにイザークと向き合った。
彼はシリウスの首に腕を回しているアナを、どこか切ないような瞳でじっと見ていたが、一度眼を伏せてから、ゆっくりと目線を上げると、そこに感傷はひとつもなかった。相変わらず王族らしい振る舞いをする人だ。
「帰りも、気をつけて」
アナは自分にかけられたものだと理解していたのか、イザークへと顔を向けて小さな手を振った。
「せんせー、またねー!」
「うん、……また」
イザークは軽く挙げた手をそのままに、こちらの姿が見えなくなるその瞬間まで、アナのことを見送り続けていた。
「無事に絵画教室の初回が終了しました」
王太子妃の元へとジョシュア王子を送り届けた後、報告のために向かった執務室で、王太子は疲労感たっぷりの声で、そうか、とだけ。
シリウスがいない間を狙って書類を積み上げていく大臣たちのせいだろうか。執務室の疲弊具合は、子供たちの引率役のシリウスよりも酷かった。
「子供たちの成長は目を見張るほどです。ぜひジョシュア殿下の絵を見て、褒めてあげてください」
「それは楽しみだ。もちろん褒めるぞ。…………今日中に帰れれば、の話だが」
残念ながら帰れない可能性の方が高そうだ。
せめてジョシュア王子の絵を見に帰る時間だけでも取れればいいのだが。
「あいつはどうだった? きちんと先生をしていたか?」
「ええ。すっかり馴染んでいました」
「そうか。それならよかった」
王太子は疲労感たっぷりの顔をふっと緩める。イザーク自身が選んだこととはいえ、やはり様子が気になっていたのだろう。
「引率役を引き受けて、ご自分の目で確かめればよかったのでは?」
忙しいと言っても、予定を調整すれば行けないこともなかっただろうに。
「俺が行くと視察と間違われるだろう」
それはそうかとシリウスも納得する。学院全体を巻き込む事態になっては、もはや絵画教室どころの話ではなくなる。
「久しぶりの学院の様子はどうだった?」
「うさぎが増えていました」
王太子はなんとも形容し難い表情のまま学院の方角へと白い目を向け、あっさり切り捨てた。
「まぁ、学院の敷地内から出て来ないなら、いい。うさぎの里親探しなんて、どう考えても王太子の仕事じゃないからな」
うさぎも賢いので、敷地の外に出たら生きていけないことを知っている。いつ溢れ出るかと戦々恐々としながら、学院長は過去の己の浅はかさと真摯に向き合い、しっかりと反省してほしい。
「知っている教員とか、まだいたか?」
「教員……ですか?」
そういえば、ユーリを含めた生徒たちは大勢見かけたのに、イザーク以外の教員とはひとりも顔を合わせなかった。
「本館には行っていないので、すれ違いもしませんでした」
「ひとりも?」
「ええ、ひとりも」
そう言ったものの、しかしよく考えたら誰ひとりすれ違いもしなかったのはおかしいのではないかと、遅まきながら思いはじめた。
そもそもジョシュア王子が訪れたのに、学院長すら挨拶に出て来なかった。
それに関しては事前にイザークが挨拶不要と言っていた可能性もあるが、それを免罪符に、授業のない教員たちは一行が帰るまでの間、息を潜めるように閉じこもっていたのではないだろうか。
「教員たちは王族の不興を買うのを恐れたようです」
「いや、どう考えても暴れ馬の噂のせいだろう」
「そんなはずは……」
言いかけて、やめた。サフィニアとふたりきりで学院を回っている間も、誰とも出会わなかったことを思えば、理由は明白だった。
さすがに認めざるを得ない。
自分が教員たちに避けられていたという事実など、できれば最後まで知りたくはなかった。