作品タイトル不明
59 番外編13 公式グッズ
シリウスは今日も今日とて疲労を抱えて帰宅した直後、アナの大号泣に迎え入れられて倒れそうになった。すでに鼓膜が瀕死の状態だ。
サフィニアの腕で泣きながらそり返っているのはいつものことながら、今日は普段のかわいらしいふりふりの衣装とは違い、もこもこした茶色の生地の着ぐるみのような衣装を着ている。
フードの部分に緑色のボタンで作られた目と、ちょこんとした小さな耳があり、首のあたりには鬣が。
(ジェノベーゼ……いや、あれはブラウニーか?)
ブラウニーの方が若干焦茶寄りの茶色だ。アナの着ぐるみの色合いはそちらに近い。
なぜブラウニーの着ぐるみを着ているか。
それよりも、なぜこれほど泣いているのか。
サフィニアは困り果てながらも、シリウスへと、お帰りなさいませと口にしたらしいが、残念ながらすべてアナの泣き声にかき消されたせいで口パクに見えた。
シリウスもただいまと返したが、そちらももれなくアナの叫びに飲み込まれてしまった。
「どうした、アナ。どこか痛いのか?」
その豪快なそり返りっぷりを見れば、痛いから泣いているわけではないというのはわかるのだが、なにに対して泣いているのかを正確に訊き出すには、多少見当違いの質問でも親身になっていることをアピールしなくてはならない。
シリウスが希望を叶えてくれると期待してアナ自ら口を開くのを待ったが、泣き過ぎてなにを言っているのかわからないという点にまでは頭が回らなかった。
「ららのがぁぁぁぁーーーー……! うわぁぁぁぁん!! あなの、らっ、ららぁぁ……あなのっ、うわぁぁぁぁ……ん!!」
ララとアナという名詞しか聞き取れない。聞き取れないというか、それしか言っていない。
ララに関して泣くようなことがあったらしい。
そこで気づく。
今日は『ララとブラウニーの冒険』の第三巻、『ララとブラウニーの逃走』の発売予定日だったはずだ。アナは数日前からご機嫌だったので間違いない。
となると絵本の中で泣くような物語展開が起きたに違いない。
「まさか……ララが死んだのか?」
愕然としたつぶやきをもらしたシリウスに、大号泣していたアナが一瞬泣き止んだ。ぽかんと口を半開きにして、シリウスの顔を涙に濡れたまんまるな大きな瞳で見上げてから、さっきまでの絶叫がかわいいものだと思えるほどの甲高い声で大絶叫した。もはや誰の手にも終えない状態に陥り、使用人たちから非難の眼差しが注がれる。
「すまない! 今のは私が悪かった、軽率な発言だった! ララは主人公だから、死んだりしない!」
よく考えれば、子供向けの絵本で主人公が死ぬような展開はさすがにない。ならばブラウニーだろうかと謝りながら考えていると、サフィニアが大暴れするアナを一度抱き直して、背中をさすりながら答えをくれた。
「実は、絵本の発売を記念して、抽選でララの衣装が当たるという企画がありまして……」
シリウスは真っ赤な顔で激しく泣いているアナへと一度目を落としてから、サフィニアへと戻した。
「……外れたのか」
「ええ……使用人のみなさんも含めて全員で買ったのですが……外れました」
「数の利で当選を狙ったのか」
金にものを言わせるわりと卑怯な手だが、抽選の場合、常識の範囲では唯一の有効な策とも言える。褒められたことではないが、ほしいものを得るために知恵を尽くすこと自体は悪いことではない。
ということは現在、この屋敷に三巻だけが大量に積まれているということなのか。それとも使用人たちは自腹を切っているのだろうか。アナのためにやりそうなところが、判断の難しいところだ。
なんとなく勝手に、アナは運がいいような気がしていたが、そんなこともないらしい。
「倍率は?」
「母数はわかりませんが、当選は三名でした」
それが多いのか少ないのかはわからないが、アナが外れて泣いているという事実がここにある。
抽選など当たらないのが普通だ。シリウスも実力でどうにかなること以外、なにも当てにしないし信じていない。
アナはこれまでほしいものが手に入らなかったことなどなかっただけにつらいかもしれないが、それが普通なのだ。これまでが順調過ぎた。
「運だけはどうにもならない。諦めなさい」
「やあぁぁぁぁーーあぁぁーー……!!」
叫ばれても結果が変わることはない。
だがこのままだと、シリウスの貴重な安眠が奪われる。アナが静かになるのなら、多少の出費は厭わない。
「それなら、その外れたララの衣装と同じものを作るといい」
抽選でもらえるものなど、どうせペラペラな生地で雑な縫製がされた子供騙しのような衣装に決まっている。どうせならもっといいものを作ればいいと助言すると、アナは大暴れしながら激しく抗議した。
「ちがうのー!!」
「同じだろう?」
「ちがうのー! こーしきのなのーっ!!」
「公式……」
それを言われたらもはやどうにもならないのではないか。
「ばったもん、めっ!!」
正論過ぎてなにも言えない。
正規品と偽物との争いは、常にいたちごっこだ。
最近ではジェノベーゼの背脂のコピー商品もちらほら出て来ているので、正直他人事ではなかった。
シリウスが当てにならないとわかると、アナはまた激しく泣きはじめた。
「しかし一度外れたものはどうにもならないだろう。当選した子から奪うわけにも……」
そこで不自然に言葉を止めたシリウスに、サフィニアが察したのか、その疑惑を完全否定した。
「物欲しげに見ていただけで、奪うようなことはしていません。もちろん、誰も」
「わかっている。ちょっと、心配になっただけだ」
アナがほかの子から強引に奪うような性格の子ではないのはわかっている。
なにを不安視したかといえば、我が家のアナをあまやかしている使用人たちだ。アナのために当選者の家族と裏取引をしていなかったことにひとまず胸を撫で下ろした。
アナが泣いて暴れる度に揺れる馬のしっぽを見て、シリウスは最初の疑問に戻った。
「ララの衣装が当たらなかったのはわかったが、そのブラウニーの衣装はどうした? それも抽選か?」
「これは、残念賞です」
「残念賞? それが?」
「『ララなりきりドレス』が外れた子の中からひとりだけ、残念賞として『ブラウニーなりきり着ぐるみ』が当たるという抽選で」
「……そちらの方がレアでは?」
むしろ三人当選するララの衣装よりも、世界に一着しかないブラウニー着ぐるみの方が貴重なのではないか。
しかし本人がララの方がよかったのなら、不要な長物だ。
とはいえしっかり着込んでいるので、気に入らないわけでもないのだろう。これはこれで気に入っているが、ララの衣装もほしかったという欲張りな娘だ。
「ジェノベーゼとお揃いだな」
そう口にすると、アナは大声で泣き叫ぶのをやめて、ぽろぽろ涙をこぼしながら腹のポケットからジェノベーゼを取り出した。めずらしく一緒にいないなと思っていたら、そんなところに隠していたのか。やはりララのドレスよりも、ブラウニー着ぐるみの方が利便性がある。
「おそろ……」
ララのドレスでないことは悲しいが、ジェノベーゼとお揃いなのは嬉しいのか、泣きながら笑うというちょっと変な表情をしたが、やはり前者が強過ぎたのかまたわんわん泣いた。
世の中どうにもならないことの方が多い。
その理不尽さを知るいい機会になった。
これもアナのためだ。
アナの健やかなる心身の成長のために、シリウスは潔く、当分の安眠は諦めて差し出すことに決めた。
「……ということがありまして」
「最近隈が酷いと思ったら、そんなことか」
王太子が指摘するほど顔面から疲労がにじみ出ているらしい。
「睡眠不足に加えて、耳が残響音で死にそうです」
「それは、売り上げを伸ばすためとはいえ、泣く子供も多かったことだろうに」
「ですが外れた子全員に、参加賞としてララとブラウニーの栞が配られたらしいので、まだ良心的な企画だったのではないかと思いますが」
「大人からしたらそうかもしれないが、子供が納得できるかどうかはまた別だろう。……とはいえ、そのなんとかドレスを売り出したとしても、富裕層の子しか買えないだろうから、公平と言えば公平か」
運ばかりは裏工作でもしない限り本当にどうにもならない。
「その絵本、そんなに有名なのか? 俺はまったく聞いたこともないが」
「女の子向けですから」
とはいえララは一国の王女でありながら、国を救うために相棒のブラウニーと冒険に出たり、巨大アナコンダを討伐するようなアクティブなお姫様だ。貴族の娘たちが好んで読むような物語でもない。
しかも新作では、国家転覆を狙う黒幕によって、国民に奇病を広げたという濡れ衣を着せられ嵌められたララとブラウニーが、一時国から逃走するという衝撃の展開から幕を開けた。
本当に作者は、五歳の子供とポニーに、どれだけ過酷な運命を背負わせるつもりなのだろうか。
シリウスはとうとう我慢できずに、ララとブラウニーが平穏に暮らす物語ではだめなのかという質問状を出したら、いつもご愛読ありがとうございます、という短い手紙とともに、ララとブラウニーの栞が届いた。
今のところ、それ以上のまともな回答は得られていない。
「幼い娘のいる家庭は衣装やらなんやら大変だな」
おまえのところもそうだろう? と、王太子が側で護衛を務めていた近衛の彼へと話を振った。実は先ほどからやけに彼の顔がこわばっているなと思って気にして見ていたのだが、またさらに顔色が悪くなった気がする。具合でも悪いのだろうか。
それでも彼は、やや俯き加減ながらも生真面目に答えた。
「……ええ」
「ちょうどシリウスの娘と同じくらいの年齢じゃなかったか?」
「…………ええ」
「おまえの娘も、その絵本を読んでいたりするのか?」
「………………ええ」
普段から無口な方だが、今日はいつにも増して言葉数が少ない。顔から完全に血の気が引いているが、本当に大丈夫なのだろうか。さすがに王太子も怪訝そうにしている。
「なんか顔面蒼白だが、大丈夫か?」
「……職務に支障はありません」
「それならいいが……」
無駄話につき合わせるのは悪いと思ったのか、王太子はシリウスへと向き直った。
「それで、娘は世間の理不尽さに納得できそうなのか?」
「時間が解決してくれるのを気長に待っているところです」
悲しい記憶は残るだろうが、そのうち心の中で折り合いがつくだろう。
それにブラウニー着ぐるみも毎日着るくらいに気に入っているのだ。
着ぐるみ姿のアナとジェノベーゼは見ているだけで和む。かわいいは正義にどっぷり浸かりそうな危険との隣り合わせではあるが、日々の癒しに違いはない。
「なんか、その絵本の内容が気になってきたな……。女の子向けと言うが、別に男の子が読んでもいいものだろう?」
「主人公は女の子ですが、内容は冒険譚だったりするので、ジョシュア殿下にも楽しんでいただけるのではないでしょうか」
アナもまぶであるジョシュア王子と、大好きな絵本の話ができたら喜ぶ。
「女の子で、冒険譚? それは確かにめずらしいな」
「ええ。主人公のララは五歳のお姫様で、奇病に罹った国民を救うために、相棒のポニーとともに特効薬を探す冒険の旅に飛び立ちます」
一巻のあらすじをざっくりと説明すると、王太子は首を捻った。
「絵本って、そんなだったか……? その話、絶対に絵本の尺では終わらないだろう。最近の絵本はそういうものなのか……?」
「そう言われると……確かにページ数は多い気もします」
これまで特に疑問に思っていなかったが、よく考えるとシリウスの知る絵本の倍以上の分厚さだ。アナがなんとか両手で抱えられる重さである。
それでも全ページに絵がついているので、絵本に違いはない。
「読み応えはあると思うので、ぜひジョシュア殿下と一緒に一度お読みいただいて、感想などいただけましたらうちの娘が大喜びします」
「おまえの娘は大号泣中だろう」
それはそうだが。
「それと、先に言っておきますが、内容について販売元に抗議しに行くのはおやめください」
「そんなこと、生まれてこの方一度もしたことはないし、しようと思ったこともない」
まさか実行済みなのかと、話に耳を傾けていた側近たちからの視線が集中したので、疑惑の払拭にあたった。
「さすがにそれは思い留まりました。ご意見ご要望は受けつけているようなので、質問状を送ってみたところ、なぜか質問に対する回答ではなくお礼の言葉と栞が届きましたが」
今はアナの手元にあるのでこの場にはないが、おそらく抽選に外れた子たちがもらったものと同じだろう。
「おまえが一番のファンじゃないか」
「いいえ、一番のファンは子供たちであるべきです」
「どの目線からものを言っているんだ」
親目線以外にあるのだろうか。
「ただ私は、幼い子供にあのような過酷な試練を次々と与えるのはどうかと思っただけです」
「創作物だろう? 現実にないようなことが起こるからこそ、おもしろいんじゃないか。それが物語の醍醐味というものだろうに」
それにしても限度がある。五歳の子供が濡れ衣を着せられて追われているのだ。黒幕が誰であれ許しはしない。ララが許しても、シリウスは許さない。
「そういえば……なんとかドレスが当たらずにおまえの娘が泣いているということは、その主人公はドレス姿で冒険に行くということなのか?」
「もちろんドレスで行きます」
ドレスはララの戦闘服だ。巨大アナコンダと戦ったときだってドレス姿だった。
毎回色が違うドレスを着ているところも、アナを含めた女の子たちの心を掴んだポイントのひとつなのかもしれない。
「それなら、似たようなドレスを仕立てて、それをなんとかドレスだとごまかして娘に渡したらどうだ?」
「いえ。それは公式ではないので」
ばったもん、めっ!! だ。
「……やっぱりおまえが一番のファンじゃないか」
すべてアナの台詞の流用だったが、他人に言われてはじめて、アナがあれほど怒ったわけが理解できた気がした。
確かにララのことなどなにも知らない、ララに関してずぶの素人が真似て作ったドレスなど、たとえ品質はよくてもただのばったもんドレスでしかない。
やはり公式に勝るものなどなにもなかった。
ペラペラの生地だの、雑な縫製だの、見てもいないのに勝手に下に見て貶していたが、衣装にこだわりを持つアナが泣くほどほしがったドレスだ、忠実に原作再現されたドレスだったのかもしれない。
そうなるとララなりきりドレスを逃したことが今さらながら惜しい気もしてくる。
しかし運だけはやはりどうにもならないので、もしまた同じような企画があったときには、休憩時間を返上して抽選に参加し、少しでもアナの当選確率が上がるよう助力しよう。それがシリウスにできる最善の方法だ。
アナのためではあるが、自分の心身のためでもある。
そしてなにより。
(……少し、続きが気になる)
今回正体の明かされなかった黒幕が一体誰なのか、早く知りたい。
自覚はないが、続きを待望している時点で王太子の言う通り、すっかりファンのシリウスだった。