軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

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アナを手放すなど論外だ。

一度引き渡してしまえば、たとえアナが嫌がっても、聖女と崇める娘を簡単に帰してくれるとは思えないし、シリウスたちの面会希望が通るかも怪しい。

それに気づいたのだろう、はっとしたサフィニアが、アナを取られないようにきつく抱きしめた。元シスターであるはずのサフィニアが、自分を救い導いてくれた神でも、兄貴分と慕うエスターでもなく、アナの母親であることを選んだことに胸が熱くなる。

シリウスは、ふたりを庇うように立ち塞がった。

「アナは私たちの娘だ。聖女だかなんだか知らないが、簡単に差し出せるわけがないだろう」

エスターはシリウスのにらみに怯むことなく、それどころか彼の意識は背中に隠したアナにだけ注がれている。

「申し訳ありませんが、俺は、聖女様本人にお尋ねしているのです」

「本人って、この子はまだ三歳だ」

「三歳でも、自分の望みくらいは言えるでしょう?」

ちらりとこちらを一瞥したエスターが、シリウスの前から一歩立ち位置を横にずれて、改めてアナと向き合った。アナが怯えないように、人好きのする顔でにこりと笑う。

「聖女様。パパとママとお別れして、俺と行きますか?」

もしアナが本当に聖女で、俗世から縁を切り、この世界のため、人々のために、その身を捧げることを選んでしまったら……。

聖女とはそういう高潔な存在なのだろう。

焦燥感で喉が渇いて張りつく。揺らぐ瞳で見たアナはしかし、少しも迷うことなく、差し出されたその手をジェノベーゼのしっぽではたき落として渾身の甲高い声で拒絶した。

「やぁぁぁぁーーーー……!」

その甲高い声に安堵する日が来るとは思わなかった。

「ママとパパはー、あなのー! あなのなのーーっ!!」

アナはサフィニアの腕の中で手足を振り回してじたばたする。

今度こそシリウスは気を引き締め毅然と言い放った。

「アナは嫌がっている」

「そうみたいですね。……あーあ。残念」

そうつぶやくと、エスターは思いのほかあっさりと身を引いた。聖女を見つけたことを手柄として持ち帰り、自分がアナの後見となれば、野望を叶えるための一助になったはずなのに、やけに簡単に諦めたなと訝しむ。

「無理やり連れて行くつもりかと思ったが」

「いえいえ、まさか。聖女様のご意志を無視するのは、神のご意志を無視するのと同じことです。聖女様が嫌だとおっしゃるのなら、我々はそれに従うまでです」

背後でサフィニアが天啓を受けたように、「アナの言うことは神のおっしゃること……?」と、頓珍漢なことを言っているので、その件は後でじっくりと話し合って考え直させることに決めて、エスターへと疑問を投げかけた。

「上に行きたいのではなかったのか?」

「……ああ、それですか。そういえば理由を言っていませんでしたね。俺はね、ナスラン聖教を……というより、内部組織の今のあり方を改変し、腐敗を排除して、神が望んだ本来あるべき姿に正しく戻したいだけなのですよ。そのためには上に登り詰めるしかないだけで。それなのに出世のために神のご意志を無視して己の信念を歪めたら、それこそ本末転倒でしょう? それに、聖女様はまだ幼子です」

「あな、みっつなの」

暴れて気が済んだらしいアナは、誇らしげに小さな指を三本立てる。目を細めたエスターはさっきまでと違い、少しだけ砕けた口調でアナへと問いかけた。

「聖女様。あなたの望みはなんですか?」

「のぞみ……?」

「望みとは、そうですねぇ……たとえば、好きなものをお腹いっぱい食べたいだとか」

「いちごしゃん! いっぱい! あとねー、けーきとねー、じゅーすとねー、おかゆしゃんとねー……」

本当に聖女なのだろうか。欲に……いや、食欲にまみれている。

エスターは顎に指を当てて思案するように斜め上を見ながら続ける。

「後は……こんなことをして遊びたいだとか」

「じぇのべーぜとはしってねー、おえかきとねー、おうたうたうー。おうましゃんごっことー、どろんこもするー」

エスターは子供らしい願望ににっこりと微笑む。

アナの願望は尽きない。

「あとねー、ゆーりとねー、けっこんなの。あな、おひめしゃまのどれす、きるー」

ちらっとユーリを窺うと、嬉しそうに頰を緩めてはにかんでいた。娘と甥は相変わらず相思相愛だ。

「それだけですか? ほしいものとかは?」

「ほしいの……いもうと!」

(いもうと……妹? 妹?)

呆れたり微笑ましく思ったりしながらアナの言葉に耳を傾けていたシリウスは、思いがけない望みに虚をつかれた。

「じぇのべーぜはねー、おとうとなの。あな、いもうといるー。いもうと、ひつよう」

シリウスはサフィニアと顔を見合わせた。薄く頰を染めているサフィニアにつられて動揺してしまう。

子供をもうけるにしても、アナがもう少し大きくなってからとすでにふたりで話し合って決めているので、アナの願いを叶えてあげたい気持ちはあるが、大人の事情を汲んでそこは気長に待ってほしい。

「子供は等しく尊い。子供の望みや願いこそ、なによりも大切にされるべきものでしょう? ……俺は大人に、聞いてほしかったんですよ。自分の気持ちを、どう思っているかを、ね」

「エスター……」

サフィニアが自分が傷ついたような沈痛な面持ちでエスターを呼んだ。

エスターは男なのに女として育てられていた。彼の意思など無視して、気持ちを押し殺させて。

だからこそ、アナ本人にあえて問いかけたのか。

自分がそうしてもらえなかったから。

自分がそうしてほしかったから。

エスターは自分の首から下げていた月のネックレスを外すと、それを祝福の言葉とともにアナの首にかけた。

きょとんとするアナだが、プレゼントだとわかると笑顔になった。しげしげと月の意匠を眺めて、ママとお揃いだと気づいたのか、おそろ! と小さく歓喜した。

「ありがとうー!」

「どういたしまして」

にこりとしたエスターにシリウスは尋ねた。

「……だが、それで引いてくれる者ばかりではないのだろう?」

「ええ。そうですね、ご推察の通りです。みんな聖女と聞いたら目の色を変えて狙って来ると思いますが、どうせ聖女様を見ても本物と判別できる人などほとんどいないので平気でしょう。見てわかる者は俺と同じで、神への畏怖が根底にあるので聖女様の意思を無視することは絶対にないので、問題ないと思います。それに、幸いと言ってはなんですが、今は内部が少々ごたついておりまして」

シリウスはすぐにピンときた。

「それはもしかして、公爵のことか?」

エスターは断固として言うつもりはないと、にこりとして躱わす。

しばらく無言のやり取りがあり、シリウスはふと閃いて、大人の話に飽きてジェノベーゼで遊びはじめたアナへと問いかけた。

「アナも公爵のことを知りたいだろう?」

「うんー」

ジェノベーゼと遊んでいるときは適当な返事をしがちな娘だが、そんな習性を知らないエスターはすぐに口を割った。

「愚かしいことに公爵が孫娘を聖女に仕立て上げようとしていまして」

公爵がなにやら画策していることは知っていたが、まさか孫娘を聖女に仕立て上げようとしていたとは考えもしなかった。ナスラン聖教を牛耳って聖職者たちや信者たちを操るつもりだったのだろうか。あのまま失脚しなければあり得たかもしれない未来にぞっとする。

公爵夫妻は現在領地にて監視つきの蟄居を命じられており、国王陛下の第二妃の嘆願によって処刑は免れたものの、しばらくしたら、順に“病死”する予定になっている。これこそまさに、因果応報だ。

公爵家は没落こそしなかったものの、代替わりを厳命の上、領地の大半を没収、さらには二階級格下げの処置が取られている最中だ。つまりバロウ家よりも格下となった。これまでのように幅を利かせることはできないだろう。

里親制度を利用した児童虐待からはじまり、それに加担した者への口封じのための殺害と、表沙汰にはなっていないがサフィニアの姉の殺害、幼いシリウスへの暴行未遂、そしてバロウ家の襲撃などなど、数々の悪事が露呈したものの、一番の要因はやはり、公爵家が私兵を抱えていたことに尽きた。

言い逃れの余地もなく、謀反を疑われるのは仕方のないことだった。

そしてその私兵らと戦闘の末、勝利したバロウ家にかなり疑惑の目が向けられているが、今のところ証拠不十分で静観されている。執事長が今でも騎士団に顔が利くゆえの特別待遇だ。やはり執事長こそ正義だった。

「さっき聖女に仕立てると言ったが、その孫娘にも聖女の資質とやらがある可能性は?」

「不正できるようなものではありませんし、聖女の資質は本物の聖女様の手中にあります」

アナが空中をすいすい走らせるジェノベーゼに、サフィニアやユーリ、執事長に使用人たちの視線が集中した。ジェノベーゼが衆目に晒されて冷や汗を垂らしてあせあせしている。

「あなのなのーっ!!」

取られると思ったのか、アナはジェノベーゼを隠す。シリウス以外の人の目には普通のぬいぐるみに映っているので、まさかあのぬいぐるみなわけがないし……、と、みな揃って首を捻っている。

ジェノベーゼが普通のぬいぐるみでないことはさておき、聖女の資質とは無関係だろう。なにせジェノベーゼはシリウスが偶然見つけて気まぐれに買い求めたぬいぐるみなのだから。

暴れ馬の件と結びつけられても厄介なので、ジェノベーゼのことを知るのは今後もシリウスだけでいい。

公爵は失脚し、表舞台から葬り去られたものの、完全にあの家が滅びたわけではないのだ。今はおとなしくしていたとしても、聖女となる予定だった娘を利用して再起を図ろうと企んでいたとしてもおかしくはない。

またアナが巻き込まれてしまわないだろうかと一抹の不安を抱えたシリウスだったが、起きていないことを憂いていても仕方がない。前を向いて杞憂をそっと振り払った。

アナが嫁ぐその日まで、いや、それから先だって、何度だって守ればいい。

それがきっと、父親というものなのだから。